的山大島の風景 平戸市大島村
平成20年7月15、16日、平戸市大島村へ行く。大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
平戸出港、平戸海峡と海路、大島の神浦港入港、同的山港、馬の頭鼻と灯台、曲り鼻、漁火館、神浦出港、島を後になどの風景。
的山大島の風景 平戸市大島村
平成20年7月15、16日、平戸市大島村へ行く。大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
平戸出港、平戸海峡と海路、大島の神浦港入港、同的山港、馬の頭鼻と灯台、曲り鼻、漁火館、神浦出港、島を後になどの風景。
大賀断崖・大賀キャンプ場 平戸市大島村西宇戸
平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港で降り、島内の最東端大賀鼻へ向う。約10分で西宇戸にある大賀断崖と大賀キャンプ場に着く。
平戸ガイドマップの的山大島による説明は次のとおり。
大賀断崖
大島の最東端に位置する断崖で、ノコギリの歯のように連なる断崖に圧倒されます。草原にキャンプ場もあります。
大賀キャンプ場
通年型のキャンプ場として人気のキャンプ場です。施設は新しく、シャワー室も完備しています。展望台からは大賀断崖を望むことができます。
朝鮮井戸 平戸市大島村的山戸田
平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港の次に大島の西の港である的山港へ入港する。
朝鮮井戸はフェリー発着場から的山湾沿いに西へ行くと、すぐ海岸際にある。
現地説明板は次のとおり。
遣明使船寄港の地 朝鮮井戸と的山湾
大島村指定史跡 朝鮮井戸 昭和61年3月指定
この井戸は、近くから黒曜石等が発見されていることや上部水路の状況から、縄文、弥生時代からの水系とみられている。地層の傾斜が海水の浸入を防ぎ、水質も良く水量も豊かである。
天然の良港的山湾とこの井戸の存在は、古くから多くの船団に知られ、大陸に渡る船団の寄港や貿易の中継地として海上交通の要衝をなしている。
遣随使船、遣唐使船寄港の口伝のほか、足利時代の享徳2年には遣明使船8艘が半年間にわたって風待ちのため滞在し、天文8年にも遣明使船3艘が寄港している。
また、応仁元年には豪族大島氏も自ら朝鮮使船を仕立て、大陸貿易を始めている。
一方、大陸沿岸を襲った倭寇の中継地だった時期もあるとみられ、対岸の高峰山の下には「海賊が浦」という地名も残っている。
井戸付近の海岸からは宋、元、明、清にわたる中国陶磁器片も確認され、大陸貿易の中継地であったことを物語っている。
遣明使船寄港の記念すべき地である。
平成8年11月 大島村教育委員会
天降神社の肥前鳥居と石灯籠 平戸市大島村神浦
平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港で降り、海岸沿いに行くと「天降神社」がすぐある。
現地説明板は次のとおり。
後の2枚は、的山戸田の朝鮮井戸近く本山神社にもあった肥前鳥居とシイの大木。
大島村指定文化財 天降神社の肥前鳥居と石灯籠 昭和61年3月指定
この鳥居は、享保2年(1717)に藩主松浦肥前守隆信が奉納したもので、県内には数基しかないといわれる肥前型鳥居である。細目の笠木と太い柱が特徴である。
石灯籠は、同じ年に鯨組の井元弥七左衛門定治が奉納したものである。いずれも大島の捕鯨業盛んな頃の所産である。
平成8年11月 大島村教育委員会
勘定場の井戸 平戸市大島村神浦
大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
島の中心地神浦港で降りて、海岸沿いを行くとすぐ「天降神社」があり、参道石段の左脇に「勘定場の井戸」はある。
捕鯨で栄えていた頃の鯨組勘定場付きの井戸跡である。大島村指定文化財。
この道先にも同じく井元鯨組が寄進した「真教寺の六角井戸」があり、これは現在もポンプをつけて使われているそうである。
ポットホール公園の甌穴 佐世保市吉井町前岳
国道204号線の佐世保市吉井行政センター前から右折し、アーチ石橋「樋口橋」を渡り、世知原町方面への県道54号線に入る。松浦鉄道の高架下をくぐると、左手に佐々川が流れ、対岸に吉井中学校や吉井南小学校が見える。
この学校の通りの橋を「校門橋」といい、橋手前にポットホール公園の駐車場がある。
ポットホール公園は平成3年、ここから上流の赤い「観音橋」(御橋観音の入口歩道橋)までの佐々川河畔に遊歩道ができ整備された。
ポットホールとは「甌穴」(おうけつ)のこと。ここは「立石の甌穴(おうけつ)」と言われていた所である。全長500mのこの公園には、640あまりのポットホールが確認されているそうだ。
ところが駐車場の公園案内図には、肝心の甌穴のある場所を消したのか消えたのか、よくわからないようになっている。この前、来た時は時間がなく、よく探さなかった。
参照 https://misakimichi.com/archives/920
今回、一番川べりの遊歩道を歩くと、大小の甌穴がいたるところにあった。
残念なのは今HPを調べると、直径・深さとも最大2mを越えるものがあるらしい。知らなかったので、これは探さなかった。Yahoo地図によると、観音橋のすぐ下流側に「立石の甌穴」と表示している。ここかどうかわからないが、また出かけなければならない。
だれでもポットホールを目的に寄るのだから、公園案内図やパンフレットに、もう少し詳しく最大なものの写真とある場所を示していいのではないか。
HP「西海圏webサイト」佐世保市吉井町の観光による説明は次のとおり。
ポットホール公園
ポットホールとは、河川床の岩盤にできる円筒状の穴のことで、流れの早い河川の川底岩盤の割れ目やくぼんだところに渦流が生じ、そのエネルギーで浅い小さな穴ができ、そこに小石が入って削られて長い年月の間に円筒状の穴となったもので、悠久の自然の営みによる珍しいものです。
佐々川の清流と渓谷、奇岩を生かした公園は町の中央にあり散策に最適の場所となっています。公園内には大小640あまりのポットホールが見られ、最大のものは直径、深さとも2mを超えるものがあります。
佐世保市相浦・高島・黒島の風景
平成20年7月15日、佐世保市相浦港から黒島へ渡る。相浦教会、松浦鉄道跨道橋、九州電力相浦火力発電所、相浦港、高島寄港、黒島入港、黒島から見た高島、女瀬ノ鼻、黒島出港などの風景。
串ノ浜岩脈 佐世保市黒島町
佐世保市黒島は、相浦港の西方12kmの沖合いにある島。黒島旅客船で渡り、黒島港から島の西方、女瀬ノ鼻に向かう。案内標識により進み、串ノ浜まで車道を下り、海岸へ歩いて行くと岩脈が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
串ノ浜岩脈 県指定天然記念物
指定年月日 平成10年2月18日 所在地 佐世保市黒島町5242番地の地先
管理責任者 佐世保市
黒島の西端の海岸部に位置し、干潮時に砂及び粘板岩の広い波食台(はしょくだい)が現れ、この地層に縦に貫通入した玄武岩の岩脈がみられる。この岩脈は3本あり、東列は幅平均約2m、全長約120mで崩壊崖から現れ、走向はN34°Wを示す。中央列は最大幅2m、長さ55mであり、東列とほぼ並行している。西列はN10°Wの方向に、最大幅1.5m、長さは100mに及ぶが、一部は崩落岩石が被覆して見えなくなる。
岩脈はすでに固結している岩盤の割れ目に、後から溶岩が貫入して固まったものである。岩脈となる岩石は、主に安山岩や玄武岩のような火山岩が普通であり、周囲の岩石より硬いために浸食されずに残って突出することが多い。
県の天然記念物として指定されている他の岩脈と比較しても、串ノ浜の岩脈は最大級であり、保存状態も良好である。
黒島天主堂 佐世保市黒島町
黒島(くろしま)は、長崎県北部の北松浦半島西沖合にある島。全島が佐世保市に属し、キリシタンの島として知られる。
相浦港ターミナル(相浦桟橋)から黒島旅客船(ニューフェリーくろしま)を利用して行く。相浦港ー黒島港(高島経由)は所要時間約50分、1日3往復運航。運賃は片道700円。
黒島天主堂は島の中心地となる中央部の高台にある。国指定重要文化財。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
黒島天主堂 重要文化財(国指定)・建造物
指定年月日 平成10年5月1日 所在地 佐世保市黒島町3333番地イ
所有者 カトリック長崎大司教区
黒島は、江戸時代にキリシタン弾圧を逃れた多数の信者が潜伏していた所である。明治30年(1897)、マルマン神父がそれまでの小規模な木造教会堂に代わる新たな教会堂の建設の命を受けてフランスから来島し、その指導のもとで本格的な教会堂の建設が開始され、明治35年(1902)に竣工したのが現在の黒島天主堂である。
正面中央部に鐘塔を付設し、円形アーチを基調としたリブ・ヴォールト天井を有する。内部立面構成は、アーケード、トリフォリウム、クリアストリーの三層構成であり、祭壇部は珍しい半円形の平面をなし、有田焼のタイルが貼られ、地方的特色を有する。
学術研究によって、長崎県内はもとより近隣の地域で後世建てられた教会堂建築に与えた影響が大きいことが明らかにされており、我が国を代表する明治期に建てられた三層構成の教会堂のひとつとして貴重である。
松浦市鷹島町の風景 (2)
平成20年6月13日、松浦市鷹島町へ行く。唐津市肥前町星賀港から鷹島日比港へフェリーで渡った。
(1)は、架橋中の鷹島肥前大橋(仮称 2009年3月開通予定)と星賀港、鷹島の日比港、殿ノ浦港、阿翁浦港、日比港近くの海に浮かぶ高島海中ダム。
(2)は、宮地嶽史跡公園、鷹島モンゴル村。