長崎の巨樹・名木 (西彼・島原)」カテゴリーアーカイブ

清正公神社のカゴノキ  西海市西彼町平原郷

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清正公神社のカゴノキ  西海市西彼町平原郷

国道206号線が長崎市境を過ぎ西海市西彼町へ入ると、すぐ白似田バス停がある。左折してすぐ左の道は案内板のある無限坊(美術館)向花坊(庭園)だが、反対側の右の集落の道へ行く。後ろの小山に清正公神社がある。集落の中を左へ行くと参道口。小山へ向かってまっすぐ車道を上がると神社社殿へ着く。カゴノキは参道石段登り口にある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

カゴノキの巨木

西彼町平原郷の清正公(セイショコウ)参道傍にある。樹高10m、幹周り3.2m、広がり15mほど。樹齢は150〜200年と言われていて、平成12年、町の天然記念物に指定。
幹には洞がある。昭和30年頃までは、フクロウが棲みついていたという。ちょっとゾクッとするほど、りっぱなカゴノキの巨木だ。

清正公神社は、カゴノキから石段を30mほど登った丘の上にある。清正公とは加藤清正公のことで、虎退治で名高い、尾張国の武将・加藤清正は、豊臣秀吉の時、熊本の国主に任じられる。土木・治水などに功績を残し、「治水の神様」と崇められた。旧大村藩は禁教令による取りつぶしの危機に直面するが、清正公の機転で救われたという故事にちなんで祭祀するところが多い。

専念寺のソテツ  南島原市有家町山川

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専念寺のソテツ  南島原市有家町山川

南島原市有家町の専念寺は、国道251号線有家交差点から入る。島鉄有家駅・南島原市有家総合支所前など通り、2つ目の信号機がある4叉路を右方へ曲がるとまもなく寺に着く。
専念寺の大ラカンマキは、町指定文化財で先に紹介していた。
https://misakimichi.com/archives/569 参照)。

ところが、専念寺にはもう1つ住職宅の庭に見事なソテツがあると、佐藤氏から有家出身の奥さんの話を聞いた。地元でもあまり知られていないらしい。3月1日に再度寺を訪れ、家の方へ断わって庭を見せてもらった。
実に見事なソテツが手入れされて庭いっぱいに群生する。この庭を詠んだ下村ひろし句碑が庭にあったが、碑の写真はブレて句は控えていない。伊澤住職宅の珍しいソテツ庭である。

雲仙白雲の池のスギ  雲仙市小浜町雲仙

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雲仙白雲の池のスギ  雲仙市小浜町雲仙

雲仙国立公園の白雲の池にスギの巨木があると聞いて、とにかく出かけてみた。雲仙観光協会案内所で尋ねると、雲仙お山の博物館へ電話をかけてくれ、博物館の先生が一度白雲の池へ探しに行ったがわからなかった。白雲の池の遊歩道右側の林ではないかということ。

白雲の池は、写真のとおり池の周りにひときわ高い木が目立つ。ほとんどスギである。根元に行って、かなりのスギを探したが、幹周りは最大3.5mくらいである。オフ・シーズンにより白雲の池野営場セントラルロッジは休館中。聞く人がいない。
そこからキャンプ設営場の小高い丘へ上がる道脇に、根元の大きなスギがあった。これは幹周り4mはある。惜しいことに、この木は目通り上は2本の幹に分かれ、樹高も外の大木とそう変らない。「雲仙の素敵な朝にメジロ鳴く」の標語立て札の後の木である。

帰ってから、最初話しをしてくれた人によく聞いてみた。2年前、雲仙お山の博物館の講座で白雲の池へ行った。講師は巨木研究の宮崎正隆先生。やはり、この木を指して説明されたそうである。ひと安堵した。
スギとしては、大村市の萱瀬国有林内の大名杉は、樹高47m、幹周り4.9m、樹齢240年。雲仙市国見町烏兎神社のスギの最大は幹周り6.3m、東長崎川内町の河内神社のスギは幹周り5m。長崎岩屋神社のは最大5.4mとあった。
これらがかなりの巨木であるが、幹周りは再度よく公式に実測されないだろうか。

三鈷(さんこ)のマツ  雲仙市小浜町雲仙

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三鈷(さんこ)のマツ  雲仙市小浜町雲仙

雲仙市小浜町雲仙の西入口から小地獄温泉の方へ行く。国民宿舎青雲荘の先に「一切経の滝」入口鳥居があり、ここから下る。滝までは約600m。その途中、250m位下ったところの左手に「三鈷(さんこ)のマツ」2本が説明板とともに立つ。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。枯れ枝とマツポックリ写真及び「一切経の滝」の説明も同HPから。滝まで下る道にはかなり大きいスギも見る。  

三鈷(さんこ)のマツ

雲仙温泉街の国民宿舎・青雲荘近くから、「一切経の滝」の案内に従って、山を下ると道沿いに三鈷のマツがある。表示板もあり、わかりやすい。5本あるが、3本は枯れて現在2本ある。樹高20m弱ほど。

三鈷のマツとは聞きなれないが、弘法大師(空海)が、唐から帰国する際、密教を広めるにふさわしい地を求めて、大鈷杵(だいこしょう: 両端が三叉になった法具 )を日本に向かって投げた。帰国後、大鈷杵を求めて各地を巡り、高野山の松の木に大鈷杵が掛かっていたことから、その地を真言密教の修行の地としたと云う。その松を「三鈷の松」と呼ぶようになった。
三鈷の松は普通の松と異なり、松葉は三葉だった。松は普通は二葉か五葉。カラマツは20個ほど束生。雲仙の地に三鈷の松があるのは、昔、雲仙は修験道の聖山だったらしく、高野山との交流があったらしい。高野山から移植されたものではと云われている。

枯れ枝が落ちていたが、確かに三葉だ! マツポックリは8cmほど。アカマツやクロマツより細長い。三葉になるマツにシロマツがあるが、中国原産で日本では植物園でしか見られない。樹皮は剥がれて白っぽくなる。…三鈷の松の樹皮とは違うので、三鈷の松はシロマツではない。不思議なマツだ…。三鈷の松から15分ほど下ると、一切経の滝がある。

一切経の滝

肥前風土記には雲仙は高来峰(たかぎみね)として登場する。真言宗の僧・行基が、この地に堂を建て仏道修行の道場として、一切経の経文を筆写して、この地に埋めた(滝に流したという説もある)と伝えられている。 ー表示板よりー
お堂の周囲にはスギの大木が数本ある。お堂の下に滝がある。高さ5mほど。静かな森に滝音だけが響く。県の新観光百選の地に指定されている。

水神社の連理樹  南島原市布津町乙

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水神社の連理樹  南島原市布津町乙

南島原市布津町坂下にある水神社。国道251号線が深江から布津へ入り大崎鼻に曲がって上がる手前に布津新田の橋がある。信号からすぐ右折し、そのまま高台へ上がって行き、飯野小学校や妙法寺を過ぎる。寺の先の集落に四つ角になる道があり、左へ入ってそのままずっと進むと水神社の鳥居へ出る。

ここは鳥居だけで、社と連理樹は道を回り込んだ先にある。湧水が山手から流れ、社名のとおり水量多い小川が音をたてて側を流れている。飯野のアーチ石橋の上流となる。
シラカシ・クスノキが根元の繋がった連理となり、これが祀られている。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

布津町坂下・水神社の連理樹

二本の木の根元が絡み合って結びついているのを連理樹と言う。平成3年、町の天然記念物に指定された。右がシラカシで左がクスノキ。クスノキは樹皮が鱗状になっている。
案内板によると、鱗状のクスノキは龍(火)、シラカシは防火林(水)の象徴であり、またクスノキは陽(男性)で、シラカシは陰(女性)を象徴するとある。互いに助け合ってという意味だろうか? それとも、表面上は異なるが、その根では癒合しているということか?

小浜町山畑のヤマモモ  雲仙市小浜町山畑

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小浜町山畑のヤマモモ  雲仙市小浜町山畑

雲仙市小浜町山畑のアーチ石橋「安平橋」を見に行って見かけた木。金浜から上がり諏訪の池へ行く県道30号線途中の北串山中・小学校の少し先から広い道に右折する。まだ先のエネオス給油所側からも行ける。福祉施設「かおり」があり、角を左折すると「下区集会所」と墓地がある。

車道を回り込むと石垣に囲まれた家があり、柳本宅である。入り口両側にかなり大きい2本のヤマモモの木が立つ。主人の話では、”マカゼ”と言っているが、ヤマモモの仲間。100年以上は経っているらしい。
雲仙グリーンロード「山畑大橋」の下流の方角となる。石橋「安平橋」はすぐ先である。

加津佐のエノキ  南島原市加津佐町己

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加津佐のエノキ  南島原市加津佐町己

加津佐東小学校近くで見かけたエノキ。学校前の橋から河口を眺めると、左川端の住宅地の上にこの木が目立った。奥の家の庭に生えてるようだが、路地が複雑で門に鍵していた。勝手に入るわけにいかない。
周りを回って裏から眺めると、根元に地蔵堂のようなものがある。少し高いところに生えているから大きく見えるのだろう。根元へ行けず幹周りは確認できない。

加津佐を回って、岩戸山樹叢以外は巨木は見あたらなかった。このエノキと岩戸山入口に行く海岸べたのアコウが目についたくらいである。 

岩戸山樹叢  南島原市加津佐町己

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岩戸山樹叢  南島原市加津佐町己

国道251号線で島原半島の西岸を回る。加津佐に入ると、野田浜海水浴場の先にこの山が見える。海に突き出た陸けい島。山自体が天然の展望台をなしている。山麓に巌吼寺がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

岩戸山樹叢  天然記念物(国指定)

指定年月日 昭和3年3月31日 所在地 南高来郡加津佐町字岩戸山 所有者 加津佐町
岩戸山は凝灰角礫岩からなる海抜100m余の小山である。その地形は,崩積土からなる山麓の傾斜地と母岩がほとんど露出した山頂の岩角地とから成る。
山麓の傾斜地には,タブノキやスダジイを主木とする照葉樹林がある。その樹高は12〜17m,高木の幹径は70cmに達する。イスノキ・ショウベンノキ・オガタマノキ・ヤマモモ・ヤブツバキなどの照葉樹を混じえ,林下にはアオノクマタケラン・ノシラン・ヤブラン・フウトウカズラ・オオイワヒトデなどの常緑草木が密生する。この林相は,島原半島南部の低地の照葉樹林の原形をよく残している。
山頂の岩角地にはクロマツが広く生育しているが,イワシデ・イワガサ・マツバウツギ・キハギが岩角地特有の群落を形成する。ほかにハカマカズラ・ノグルミもここに分布している。

坂上のムクノキ  南島原市北有馬町乙

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坂上のムクノキ  南島原市北有馬町乙

県道30号線は、諏訪の池南のガソリンスタンドから北有馬へ下る。カーブが連続するところに島鉄坂上バスがあり、傾斜面に水道施設がある。これから左方へ上がる車道があり、この道を行くと原山ドルメンへ出る。
ちょうどその中間くらい。坂下川上流の橋を渡った3叉路角の民家の石垣に生えている大木を通りかかって見かけた。ムクノキとシイの2本が根元からくっついて生えているようでもあり、何とも言えないがとにかく大木に見える。このあたりで目立つ木である。

専念寺のラカンマキ  南島原市有家町山川

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専念寺のラカンマキ  南島原市有家町山川

南島原市有家町の専念寺は、国道251号線有家交差点から入る。島鉄有家駅・南島原市有家総合支所前など通り、2つ目の信号機がある4叉路を右方へ曲がるとまもなく寺に着く。平成7年に全国一の指定を受けたらしいが、そんな巨樹と感じられない。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

有家町・専念寺のラカンマキ

樹高13m、幹周り4.22mあり、樹齢350年ほどらしい。二本に枝分れしているように見えるが、二本の寄せ植えとある。ラカンマキとしては、類を見ない巨樹で、平成7年に、全国一の指定を受けた。
案内板によると、島原の乱(1638年)後、人心鎮撫のため1645年に大谷山千年寺を復興し、藩主忠房がこのラカンマキを本堂前に植えたとある。
幹周りでは専念寺のラカンマキが大きいが、くっついた二本であり、樹齢360年なので、長崎市古賀町の樹齢600年のラカンマキが日本一である。

(追 記 平成20年3月3日)
専念寺のラカンマキについて、有家町在住リンデン氏HP「スウガクとくガウス」がプルフィール中の「島原半島の写真」で、次のとおり貴重な記事と写真を掲載されていた。この木は、2004年の台風により片方の1本が折れたのである。そのため、現在の残っている幹は、幹を包み添え木で手当てし、幹周りは小さくなっているようである。
折れた直後の貴重な写真であるため、借用し掲載しておきたい。記事は次である。

【有家町の専念寺のマキ(槇)の木】
2004年の台風で半分に折れ、現在は添え木つきですが元気になっています。
上の写真は 2006年4月に撮影、下の写真は2004年の折れたときの様子です。それまでは、この種のマキの木では大きさでは日本一のマキの木の巨木だったのですが…。