長崎の巨樹・名木 (西彼・島原)」カテゴリーアーカイブ

八幡宮のスタジイ  南島原市北有馬町乙

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八幡宮のスタジイ  南島原市北有馬町乙

南島原市北有馬町の八幡宮は、諏訪の池から北有馬へ県道30号線を下ると北有馬幼稚園や歴史民俗博物館の建物があり、その先に鳥居が車道の左上と右下に見える。元平橋石橋の案内標識がある近くである。石段の急な神社。社の右奥にスタジイがある。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

スタジイの巨木

北有馬町坂上下名の八満宮にある。社の右手に斜めになったスタジイがある。幹周り4.5mほどはある。幹の途中から二つに分かれていて、それぞれの幹の上部は台風で折れたのだろうか、そこから、いくつかの枝が伸びている。
細いしめ縄が張られていて、神木である。

普賢岳植物群落保護林  雲仙市小浜町雲仙

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普賢岳植物群落保護林  雲仙市小浜町雲仙

雲仙天草国立公園の雲仙仁田峠からあざみ谷にかけての光景。普賢岳植物群落保護林となって、ミヤマキリシマ・モミ・ブナ・カエデなど見られた。
標高は、仁田峠1080m。あざみ谷は横に這うので同じ位か。普賢岳1360m。撮影は、平成19年5月末。

上岳のタブノキ  雲仙市千々石町庚

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上岳のタブノキ  雲仙市千々石町庚

国道57号線千々石木場交差点から別所ダムに登る県道へ入り、しばらくすると岳集落とやまめの里の案内標識がある。この道を行き上岳集落を過ぎ、なお奥のやまめの里までつめる。
宮橋がある神社のまだ手前の右道脇ガードレール側に、この大きなタブノキを見た。清水川の上流となり、九千部岳の山頂岩が真上に見える。

若宮神社のクスノキ  南島原市北有馬町丙

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若宮神社のクスノキ  南島原市北有馬町丙

若宮神社は南島原市北有馬町にある。国道251号線からは北有馬から諏訪の池・小浜方面の県道に入る。北有馬中学校を過ぎしばらく行くと、目につくサカイ屋商店があり、ここから左へ入るとすぐ神社がある。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大 ク ス

北有馬町平山の若宮神社にあるクスノキの巨木。幹周り4.3mほどある。根元には洞ができていた。神社は道路沿の平地にある。ちょっとした広場でもあり、クスノキの周辺は子供たちの遊び場でもある。
若宮神社は、唐土より招かれた畜産の祖・天之熊大人命(あめのくまうしのみこと)が奉られている。農耕畜産の神として、大和の国・若宮より分霊し建立されたと記されてある。

小浜城跡のクスノキ  雲仙市小浜町北本町

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小浜城跡のクスノキ  雲仙市小浜町北本町

小浜城跡は雲仙市小浜町北本町にある。国道251号線からは雲仙市小浜総合支所先の交差点から左へ小浜公民館まで上がる。右方へ曲がるとイチョウの大きい光泉寺の裏通りに出、前方へ道が上がった木の多い高台が見える。ここが小浜城跡で、小浜神社跡の説明板がある。小浜神社は今、温泉街にある。

小浜町・同教育委員会「おばまー史跡巡りガイドー」平成11年刊34頁の説明は次のとおり。最後の写真は、今の小浜神社境内。イチョウとクスノキがあった。

小浜城跡とクスノキ

小浜城跡は、剣柄神社後の上もとけん山の麓あたりだが、永い年月を経て当時の要塞の跡も無く、城跡として見るべきものはない。
しかし、この地はかって幾多の大きな戦乱を経験している。(途中略)
今、城の面影はなくなったが、この地には幹周り7mという巨木が立っているが、往時の様を黙って見てきたに違いない。

楽常寺のムクノキ  雲仙市南串山町甲

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楽常寺のムクノキ  雲仙市南串山町甲

楽常寺は雲仙市南串山町にある。国道251号線からは、ハマユリックスホールの手前の橋から南串山第一小学校に向けて上がり、寺はその奥の方である。
ムクノキは、最初の写真(Otoji.K氏画像)のとおり、寺の鐘楼の脇にあった。しかし、3年前に伐られて、ここに鐘楼が改築されていた。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。寺の右隣に神社があり、ここのクスノキが大きかった。

楽常寺のムク

南串山町の荒牧名にある。石段を登ると左手にある。境内から境内下にかけて生えていて、根元には小さな洞ができている。幹周り4m弱。
近くには鐘つき堂がある。この梵鐘は明治31年に設置され、時を知らせていたという。 昭和17年に戦争物資として供出されたが、昭和23年に再建された。

国崎半島のハマビワ  雲仙市南串山町丙

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国崎半島のハマビワ  雲仙市南串山町丙

国崎半島は雲仙市南串山町にあり、周囲約11kmの橘湾に突き出た小半島。県立自然公園に指定されている。国道251号線赤間バス停などから案内標識により入る。突端の高台まで車で約5分。海岸には歩いて急な坂段を下る。
海岸の波打ち際にハマビワがハマユウとともにきれいに群生していた。同氏の撮影はここではないが、Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の樹木名説明は次のとおり。

ハマビワ(浜枇杷) クスノキ科ハマビワ属 常緑高木 雌雄異株

葉は枝先に集まって互生。7〜15cmの狭長楕円形で厚く革質。葉裏と葉柄には褐色の軟毛が多い。10〜11月、黄白色の花を散形状に咲かす。花披片は6個。果実は楕円形で、翌年の春〜初夏に碧紫色に熟する。
本州(中国地方西部)、四国、九州に自生。花は9月。果実は1月。

岡山理科大学植物生態研究室(波田研)HPの植物雑学辞典は次のとおり。

ハマビワ Litsea japonica (クスノキ科 ハマビワ属)
ハマビワは本州西部以西の海岸に生育する常緑の低木。葉は大きくて長さは15cmほど、厚くて裏面には毛が密生している。葉がビワに似ており、海岸に生育しているのでハマビワの名がついた、ということになっているが、きょ歯がないことや、厚ぼったい点などビワとはかなり違った質感の葉である。
クスノキ科の植物であるが、そのイメージはない。同属の植物にはカゴノキがあるが、これとも共通点があるようには見えない。海岸という特殊な立地に対応したためなのであろう。

早崎漁港のアコウ群落  南島原市口之津町乙

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早崎漁港のアコウ群落  南島原市口之津町乙

南島原市口之津町の早崎漁港は早崎半島の突端。有明海の急流早崎瀬戸を挟み、天草がすぐ眼前に見える。早崎漁港へは島鉄フェリー側からも行けるが、加津佐白浜海水浴場側から行く方が、道路が整備されてわかりやすい。早崎灯台や早崎自然公園の案内標識により進む。

漁港の上に着くと、岸壁と集落の間にアコウの緑が長く帯となって一帯を覆い、圧巻の光景が広がる。何れも古樹・大樹ぞろい。枝張りの間隔を置いて、海岸一帯に20本近く群生している。説によると有明海の干潟ではアコウは育たない。土砂の堆積が常にある。アコウの実が南方から流れ着く先が早崎海岸あたりであろう。

防風林として植えられたものとしても、全国にもほとんどない貴重なアコウ群落地と思われる。市指定天然記念物だが、県指定くらいにならないか。紹介している本やHPはあまりなく、知られていない。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

アコウ(赤榕)  クワ科イチジク属 常緑高木

幹から気根を出す。葉は互生し楕円形〜長楕円形で厚い洋紙質。葉柄は3〜6cm。3〜4月、いっせいに落葉し、すぐ新芽を出す。5月頃、花のうを多数つけ、8月頃淡白紅色に熟する。小枝を傷つけると白い乳液がでる。

口之津町早崎半島・浜地区の漁港にあるアコウ。撮影は6月初旬。気根が垂れ絡み合っていて、ガジュマルに似ていて南方系の木であることが実感される。南方からアコウの実が流れ着いたと言われている。島原半島で見るアコウでは、ここが最も群生しており町の天然記念物に指定されている。

樹齢300年を越える。堤防から乗り出した アコウもある。海岸の堤防を越えて枝葉を伸ばしているアコウ。太いアコウは二本の根が絡まって小さなトンネルを造っている。
五島列島・奈良尾町のアコウは、国の天然記念物になっている。

口之津町は国立海員学校がある港町である。昔は三池炭坑の石炭を運ぶ港として活躍した町であり、「からゆきさん」が旅だった哀しい一面のある港町である。有明海に面し、今は天草行きの船から「イルカの見れる町」である。運が良ければ有明海で飛び跳ねる愛らしいバンドウイルカを見ることができる。「からゆきさん」がイルカになって戻ってきたのだろうかと、つい思ってしまう。果実は7月。若葉は4月。

八幡神社のアコウ  雲仙市南串山町丙

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八幡神社のアコウ  雲仙市南串山町丙

八幡神社は雲仙市南串山町にある。国道251号線沿いの南串山中学校校舎前に島鉄バス停があり、これより右へ入ると京泊漁港へ下る。入ってすぐのカーブに八幡神社・幼稚園の案内標識がある。アコウは境内左下の石垣に立つ。社殿右にはクスノキの高木もあった。
神社の尾根先海岸部が、橘湾沿岸の戦争遺跡で紹介している京泊震洋特攻基地跡。漁港へ下ってから行くと、碑と壕跡が残っている。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

八幡神社のアコウ

南串山町の京泊漁港ちかくにある。境内から階段下に根を下ろし、多くの気根を垂らしている。2mほどの所で二つに分かれていて、階段下から見るより、境内から見ると圧巻。

金浜めがね橋そばのアコウ  雲仙市小浜町金浜

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金浜めがね橋そばのアコウ  雲仙市小浜町金浜

金浜のめがね橋は雲仙市小浜町金浜にある。小浜町の端の方となり、国道251号線が諏訪の池へ上がる県道と分岐する。このやや手前の橋右際に、石橋見学の案内標識と駐車場がある。小浜の街から約5分のところ。
金浜川に架かる大きな石橋とともに、そばにあるアコウは見事なものである。最後の写真は、道筋の途中、国民宿舎望洋荘前の公園で見た移植された別のアコウ。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

金浜のアコウ

小浜町金浜にある。金浜川の河口にある「金浜めがね橋」の傍にそびえている。橋の一部をアコウの木陰が被っていて和む。
石橋は1846年(弘化3年)に架けられ、島原半島では最も大きく古い石橋であったが、平成5年に大改修された。

小浜町・同教育委員会「おばまー史跡巡りガイドー」平成11年刊57頁の紹介は次のとおり。

金浜めがね橋のアコウノキ

金浜川は洪水のたびに氾濫し、川に架けられた小さな土橋や木橋は流された。これを見かねた串山の「岡右衛門」が弘化3年(1846)9月、石橋を架けた。その時の藩主松平忠誠は、このことを大変ほめ、労をねぎらった。岡右衛門は、当時金浜に住んでいた地主であったろうといわれている。藩主が小浜にくる時はこの橋を通り、殿様道と呼んでいた。歳月とともに風化し、傷みが激しくなったため、平成5年、平成金浜眼鏡橋として改修された。併せて周辺を河川公園として整備されている。
橋のすぐそばに、幹周り約8mのアコウの木がある。樹齢は不明だが相当の年齢を重ねていることにはまちがいない。(以下略)