近畿(兵 庫 県)」カテゴリーアーカイブ

円筒分水工  兵庫県南あわじ市神代浦壁

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円筒分水工  兵庫県南あわじ市神代浦壁

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
南あわじ市役所付近の国道28号円行寺交差点から県道535号で行く。私は諭鶴羽山から上田林道を下り上田池に出て、神代浦壁を探した。
円筒分水工が2基あった。場所がわかりにくいので地図を掲げる。

淡路島近代化遺産  3 円筒分水工

■ 基礎データ
名 称:円筒分水工
分 野:農業(灌漑)施設
所在地:南あわじ市神代浦壁市青木
設計者: −
構 造:コンクリート造
竣工年:大正7(1918)年

■ 概要説明
上田池ダムから供給される用水路の分岐路に造られた円筒分水工である。円筒の直径は209㎝あり、上端近くには26個の方形孔が全周に等間隔に開いている。円筒部と外周壁面との空間はコンクリートの壁でいくつかに仕切られ、水路から円筒部に逆サイホンで吹き上げられた水が、仕切壁間の距離に比例した水量に分けられて、各水路に供給される合理的な分水の仕組みとなっている。用水システムが維持され、水路・円筒分水工等が広範囲で築造当初の姿をとどめている点で、歴史的に高く評価される。

上田池ダム  兵庫県南あわじ市神代社家

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上田池ダム  兵庫県南あわじ市神代社家

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
南あわじ市役所付近の国道28号円行寺交差点から県道535号などで行く。私は諭鶴羽山から上田林道を下り上田池に出た。堰堤部分は撮影忘れ。

淡路島近代化遺産  2 上田池ダム

■ 基礎データ
名 称:上田池ダム
分 野:農業(灌漑)施設
所在地:南あわじ市神代社家
設計者:高松 博、伊藤 真雄
構 造:直線重力式粗石モルタル造
竣工年:昭和7(1932)年

■ 概要説明
上田池ダムは、貯水量144万m3、満水面積11.3haの農業用貯水ダムである。灌漑地域は、南あわじ市神代・市・榎列のうち、三原川左岸の538haの水田であり、平成2年度からは一部上水道にも供給を開始している。堰堤の規模は、堤高41.5m、堤長131mである。粗石モルタル造堰堤をもつ農業用ダムの中では、我が国最大の堤高規模をもち、また、全国で10件しかない戦前の農業用重力式コンクリートダムのうちの一つとなっている。

諭鶴羽ダム側からの諭鶴羽古道  兵庫県南あわじ市神代浦壁

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諭鶴羽ダム側からの諭鶴羽古道  兵庫県南あわじ市神代浦壁

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による諭鶴羽ダム、及び諭鶴羽古道を守る会HPによる諭鶴羽古道の説明は、次のとおり。
私は諭鶴羽山から上田林道を下り上田池に出て、神代浦壁から県道535号により諭鶴羽ダムへ向かった。ダムの堰堤を渡ると、諭鶴羽山への「諭鶴羽古道入口」があり、古道途中の神倉神社まで往復した。

諭鶴羽ダム

諭鶴羽ダム(ゆづるはダム)は、兵庫県南あわじ市神代浦壁にある、一級河川・三原川水系の幹川である諭鶴羽川に建設されたダムである。
概要
兵庫県が管理する洪水調節その他を目的としたダム。型式は重力式コンクリートダム。このダム湖は1988年(昭和63年)に諭鶴羽湖と命名された。…
ダム湖の諭鶴羽湖一帯は「諭鶴羽ダム公園」として整備されており、周囲には約800本のソメイヨシノが植えられている。
周辺
諭鶴羽古道 – 諭鶴羽山の山頂南側にある諭鶴羽神社への裏参道で、諭鶴羽山への北側からの登山路でもある。約3.2km。

諭鶴羽古道 諭鶴羽ダムより(裏参道)

諭鶴羽古道は、灘黒岩より表参道十八町、また、諭鶴羽ダム牛内ダムより裏参道二十八町。古く修験の道として、昭和の中頃まで地元の人の生活道路として利用されてきた。途中、一町毎の町目地蔵が出迎えてくれ、山歩きがいっそう楽しくなる。また、裏参道は近畿自然歩道にも選定され、関連の道しるべや案内板も立つ。
裏参道 杉木立の急坂を一気に登る。ひときわ大きな道標が見えてくる。ここの大樹に、神の乗られた鶴が羽を休めた由緒ある処。神倉神社。…

諭鶴羽山のアカガシ群落・親子杉  兵庫県南あわじ市

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諭鶴羽山のアカガシ群落・親子杉  兵庫県南あわじ市

現地説明板は、次のとおり。諭鶴羽山神社左から山頂へ、諭鶴羽山古道(裏下山道)を約400m登って行く。社叢林の「アカガシ群落」は兵庫県指定天然記念物。「親子杉」は兵庫の巨樹巨木に選定。近畿百名山選定。

県指定文化財 諭鶴羽山のアカガシ群落
指定年月日 昭和49年3月22日
所有者・管理者 諭鶴羽神社

諭鶴羽山は約610mの高度があり、ここに発達したアカガシ群落が450mから上方に認められ、アカガシの極相林として県下一と目される。この群落の優占アカガシの最大のものは樹高23m・根廻り3mにも達し、スタジイ・カクレミノ・イヌクスなど20種以上の樹木をまじえて茂っている。また、昭和48年の調査では、ウグイス・ホオジロ・ヒヨドリを優占種とする8種の鳥類と、アオスジアゲハを優占種とする7種の蝶類が確認されている。以上のように、諭鶴羽山のアカガシ群落は林相・面積、かつまた動物生態系において貴重な存在である。
年 月(判読不明)  兵庫県教育委員会

諭鶴羽山  兵庫県南あわじ市

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諭鶴羽山  兵庫県南あわじ市

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
洲本から水仙郷の先、黒岩バス停まで行き「諭鶴羽山登山道」の標識があり、バイクで登ったが、路面に小石・枯葉が散乱し、この南麓表参道側の近畿自然歩道車道は悪路だった。灘小学校から登る県道535号を利用すべきだろう。
諭鶴羽神社から山頂までは約400mを歩いて往復。帰りは北麓の上田林道を約10km下った。まだ山頂側で一部未舗装区間があるが、後は快適な車道下りだった。

諭鶴羽山

諭鶴羽山(ゆづるはさん)は兵庫県の淡路島南部をほぼ東西に連なる諭鶴羽山地の西部にある標高607.9mの山である。諭鶴羽山地の最高峰であり淡路島の最高峰でもある。南あわじ市の神代浦壁・北阿万稲田南・灘惣川の境界に位置する。一等三角点設置。柏原山、先山とともに「淡路三山」の一峰。古名に譲葉山とも[1]。

概説
山名はユズリハが多く見られることから、また、この山に群落をなす照葉樹が春から夏にかけて葉を更新して(若葉に譲って)いく様から名付けられたとされる[1]。
紀伊水道に浮かぶ沼島との間を通る中央構造線の北側にあたり、堆積岩である白亜紀の和泉層群の砂岩・礫岩などで成り立っている[2]。 南斜面は断層崖となっているため急傾斜で海岸線まで落ち込んでいる。 これに対して東西の尾根は起伏が少なく穏やかに伸びている。
瀬戸内海式気候に含まれる諭鶴羽山一帯は温暖で冬季に雨が少なく[3] 、北側山麓には灌漑用の諭鶴羽ダム・牛内ダム・大日川ダムがある。

自然
瀬戸内海国立公園に属し、山頂一帯の諭鶴羽神社の社叢林は国立公園の特別地域に指定されている。照葉樹林が広がり、標高450mあたりから上のアカガシの極相林は県内一といわれ、1974年(昭和49年)に兵庫県の重要文化財に指定されている。 また南側斜面にはスイセンが約7haにわたって自生していて、灘黒岩水仙郷として例年12月下旬から観光客を集めている[4]。
哺乳類ではニホンジカ、イノシシ、ニホンザル、タヌキなどが生息している[5]。

諭鶴羽神社
諭鶴羽神社山頂の南側約400mに鎮座する諭鶴羽神社は創建が開化天皇の治世と伝えられる古社である。祭神は伊弉冉尊・速玉男命・事解男命。三角点のある山頂は諭鶴羽神社の御旅所で、毎年4月第2土曜日に行われる春の例大祭には神輿が上がる[6]。

自然崇拝に始まったとみられる諭鶴羽参りは平安時代になると修験道の一大道場として隆盛を誇った。長寛元年(1163年)に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現御垂迹縁起伝」によると、熊野神は英彦山から石鎚山、諭鶴羽山を経て熊野新宮・神蔵の峯へ渡られたとされる[1]。一帯に28宇の伽藍が建ち並び、熊野権現元宮・熊野本宮と称えられて京の都にまでその名が聞こえた。『枕草子』にも「峰は ゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」とある[7][6]。

しかし康正2年(1456年)に戦乱で全山が焼失。天文年間に美作藩主の助力で18宇を再建したが、天文18年(1549年)6月9日に石川紀伊守の乱で再び焼失。再興の望みがないため資料を後世へ伝えるべく天文21年、美作の乗蔵らが各社堂・神仏を碑石に刻んで残した。これらの碑石が奥宮・十二所神社に安置されている[6]。
その後、承応年間(1652年から1654年)に徳島藩主の蜂須賀氏により本殿、拝殿などが再建されたが、明治初年の神仏分離令によって衰退した[6]。

参道である諭鶴羽古道は、表参道が一の鳥居のある灘黒岩から18町。裏参道が神代浦壁・賀集牛内から30町。1町毎に町目地蔵が安置されている。また古道から発掘された町石は建武元年(1334年)銘で、在銘町石として県下最古のものである。また社叢林の原生林には前述のアカガシの他にタブノキの群落も見られる[6]。

その他
NTTコミュニケーションズ諭鶴羽無線中継所が山頂の南側に、兵庫県洲本土木事務所諭鶴羽中継局が山頂の北側に、近畿移動無線センター淡路送受信所が平和祈念塔の南西側に建つ。
山頂 – 諭鶴羽神社間の諭鶴羽古道(裏参道)沿いに「奥之院 篠山神社」がある

ハイキングコース
南北どちらからも尾根までに急登がある。
北麓の諭鶴羽ダムから – 諭鶴羽古道(裏参道)で二十八丁(約3.1km)。諭鶴羽ダムに駐車場あり。登山口周辺にバス停は無い。
南麓の灘黒岩から – 諭鶴羽古道(表参道)で十八丁(約2km)。近畿自然歩道で約5.7km。鹿除けゲートあり。(コミュニティバス「らん・らんバス すいせん号」黒岩バス停)

車で
南北どちらも狭隘道路で、中型自動車(マイクロバスなど)以上は通行できない。また、小石程度の落石もある。諭鶴羽神社前の駐車場から山頂までは諭鶴羽古道(裏参道)で約400m。
北麓から – 国道28号立石交差点より市道を南へ。社家公会堂付近から上田林道(こうだりんどう)を南へ約10km。未舗装区間あり。
(※ 円行寺交差点より南へ延びている兵庫県道535号灘市線は諭鶴羽ダム(国道28号より5km南)で行き止まり)
南麓から – 兵庫県道76号洲本灘賀集線灘山本より兵庫県道535号灘三原線を北へ約5.4km。一部簡易舗装あり。

鞘状褶曲(鞘型褶曲)  兵庫県南あわじ市沼島

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鞘状褶曲(鞘型褶曲)  兵庫県南あわじ市沼島

沼島港ターミナルに展示している岩石説明パネルによる説明は、次のとおり。
このような同心円構造の鞘状褶曲(さやじょうしゅうきょく。「鞘型褶曲」とも記す)は、この他にフランスで1ヶ所発見されているだけ。
午後からの遅い便で島内を、大立神岩から沼島灯台など通り、鞘状褶曲が見られる黒崎海岸へ回ったが、海岸への下り道が荒れていて、日没となり帰りの船の都合もあったので、途中で断念した。

案内標識はない。島内遊歩道から黒崎海岸への下り口は、多分ここだろう。2枚目写真の大きな木と踏跡があるところ。沼島港から向かうなら1枚目道標地点の少し手前。
したがって、黒崎海岸現地の私の鞘状褶曲写真はない。案内人まで必要としない。危険がないなら、「日本の地質百選」。案内標識と道の整備をしてもらいたい。
沼島港ターミナルの展示している岩石と説明パネルを、往きに写していた。
黒崎海岸の場所は、前記事沼島の「沼島全体マップ」など参照。

さや状褶曲 (さやじょうしゅうきょく)

1994年(平成6年)、沼島の北端にある黒崎の海岸で同心円状になった世界でも珍しい形の岩石が発見されました。
「さや状褶曲」といい、地下深い場所で複雑な力により生まれたと考えられています。約1億年前の地球内部の動きがわかる貴重な天然記念物として、現在は南あわじ市指定文化財に指定【2004年(平成16)】されています。また、2009年(平成21)には「日本の地質百選」にも選ばれています。

展示されているこの岩石は、以前から民家の庭石として使われていたものです。黒崎にあるものと同じ「さや状褶曲」の特徴がそのまま出ています。(山野清氏寄贈)
南あわじ市・南あわじ市教育委員会

後ろの2枚は、2013月10月27日BS放送「ぐるっと瀬戸内の旅」から。金子貴俊さんが、沼島地学の会会長の案内で黒崎海岸の現地を訪ねていた。私は竹林のところで引き返したが、この下り道に間違いなかった。

上立神岩  兵庫県南あわじ市沼島

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上立神岩  兵庫県南あわじ市沼島

現地説明板は、次のとおり。沼島港ターミナルから直行で、歩いて約25分かかる。
場所は、前記事沼島の「全体マップ」など参照。

上立神岩

「矛先」のような形をした沼島のシンボルの岩です。高さ30mで国生み神話の「天の御柱」とも言われております。主として、緑泥片岩からなる巨岩で海鵜(うみう)の休息場となっています。
和漢三才図会*(わかんさんざいずえ)では、竜宮城伝説の表門ともいわれ、国生み神話の舞台となっています。

*和漢三才図会(わかんさんざいずえ)は、1712年(正徳2年)頃出版された日本の百科事典である。いわば絵入りの百科事典とでもいうもので、項目ごとに異なった執筆者により記事が執筆されている。

沼島庭園  兵庫県南あわじ市沼島

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沼島庭園  兵庫県南あわじ市沼島

現地説明板は、次のとおり。伊藤邸の庭だが、現在は空家。玄関の施錠なし、自由に見学できる。作庭は江戸時代初期という説もある。植物の化石も使われているらしい。
場所は、前記事沼島の「全体マップ」など参照。

沼島庭園

沼島庭園は、室町時代に戦乱が続く都を離れ、沼島へ逃れてきた足利十代将軍義植が作庭したと伝えられている池泉鑑賞式庭園です。
王の森を背景に、黒色片岩や緑色片岩を用いて力強い石組みが施されているこの庭は、立体感に溢れ、山口県にある室町時代の画家雪舟の庭によく似ています。
県下で最古の室町時代の作庭として歴史的価値の非常に高い庭園です。
近畿自然歩道   環境庁・兵庫県

梶原五輪塔  兵庫県南あわじ市沼島

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梶原五輪塔  兵庫県南あわじ市沼島

現地説明板は、次のとおり。八角井戸のところから入る。
場所は、前記事沼島の「沼島全体マップ」など参照。

梶原五輪塔

この境内にある五輪塔(写真右側の塔)は、永禄から天正初期にかけて島主として沼島水軍を支配していた梶原一族の祖、梶原景時の墓と言われています。
景時は、源平の石橋山の合戦で平家方として源頼朝の軍を破ったが、洞窟に潜んでいた頼朝を故意に見逃し、後に源氏が復活した際に頼朝方につき、頼朝が死ぬまで側近として勢力を振るった人物です。(県指定重要文化財)
近畿自然歩道  環境庁・兵庫県

八角井戸  兵庫県南あわじ市沼島

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八角井戸  兵庫県南あわじ市沼島

現地説明板は、次のとおり。梶原五輪塔の入口のところにある。
伝説とは「後醍醐天皇の皇太子のお妃が、沼島に漂着したときに使われた井戸がこの井戸だ」といわれているようなことである。
井戸の場所は、前記事沼島の「沼島全体マップ」など参照。

八角井戸

沼島では、井戸のことを川(かわ)と呼びます。
この川は、玉川と呼び島人たちの生活用水として、今でも昔同様に大事に使用されています。
八角の形は、中国の占いによると八角は、吉相を示していると云われ、その数は、昭和46年の調査記録によると、40数箇所記録がのこっています。
沼島の伝説にも出てくる有名な井戸です。