九州(鹿児島県)」カテゴリーアーカイブ

大泊の風景・佐多岬ふれあいセンター  南大隅町佐多馬籠

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大泊の風景・佐多岬ふれあいセンター  南大隅町佐多馬籠

ふるさと元気風ネットによる説明は、次のとおり。

大泊の風景・佐多岬ふれあいセンター  南大隅町

大泊は九州本土最南端、佐多岬近くの南大隅町佐多馬籠に位置し、中心地の伊座敷から南へ約14キロメートル。年間平均気温19度の無霜地帯でソテツやヘゴなどの植物が自生する亜熱帯生の気候である。1958年(昭和33年)に県道が開通し、佐多岬へのロードパーク(当時の岩崎産業)の開発が大泊発展の起点となった。大泊港は漁業だけでなく天然の避難港としてもその任をなしている。
かつて国民宿舎だったデラックスな宿舎、佐多岬ふれあいセンター「ホテル佐多岬」が現在も威容を誇り、大泊の海を見下ろしている。館内のロビーには徳富蘇峰が毛筆で書いた徳富蘆花の作品が展示されている。ふれあいセンターの近くには野営キャンプ場や海水浴もあり、海岸砂丘には縄文後期の貝塚が発見されている。

この項は、本ブログ次の記事を参照。今回の鹿児島旅の主な目的。古写真撮影地を調査に行った。
左端の高い山は、2013年4月佐多地区の学校統廃合により閉校となった大泊小学校校歌にもある「つつじヶ丘」という山らしいと考えられたが、現地確認した限り山の形が違う。
指宿や山川港、池田湖(最後の写真)などから見た「開聞岳」でもない。全体の景色からもどこも確証に至らず、この件はまだそのまま保留としたい。

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 912 海岸の風景(1)
https://misakimichi.com/archives/3108
第2表 長崎大学附属図書館が所蔵する「The Far East」の写真目録の中
通し番号  26  (掲載)年月日  1871.8.16  
欧  名  ODOMIWARRA-NEAR  CAPE  CHICHAKOFF
和  名  大泊村ーチチャコフ岬付近
整理番号  19−28
タイトル  海岸の風景〔不詳〕

(2014年10月21日追記)
後ろ6枚の写真は、南大隅町大泊港を10月18日再び訪ね、先端の岸壁(昔の海岸線あたり)からパノラマ写真風に全景を写した。
前回の写真が主に272.9mの山のある北側を撮影してあり、北西方向が欠けていた。三角の山は「大泊の北西にある107.2mの山だと思うのですが、低すぎますか?」という疑問を受けたので、その山を確認したが、これでもないようである。

佐多岬  南大隅町佐多馬籠

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佐多岬  南大隅町佐多馬籠

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

佐多岬
佐多岬(さたみさき)は、鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠に位置し、大隅海峡に面する岬。北緯30度59分10秒、東経130度39分42秒。大隅半島のみならず、九州本島の最南端にあたる。霧島錦江湾国立公園(旧霧島屋久国立公園)に含まれる。

佐多岬先端部は2012年10月29日まで一帯を管理していた岩崎産業が運営する佐多岬展望公園として入園料を徴収していたが、10月30日付で譲渡され南大隅町の所有となり、無料で入園できるようになった。また、入場時間制限も撤廃され、いつでも訪れることができるようになった[1][2]。佐多岬展望公園には展望台やレストハウスが設置されていたが、老朽化のため撤去された。公園入口前の佐多岬駐車場には九州最南端の公衆電話がある。

地理
岬の北約600 mの所を北緯31度線が通過しており、ニューデリーやカイロと同緯度である。北東から伸びてきた大隅半島が細まり海へと没する地点で、岬の先にもしばらく岩礁が続く。中生代の砂岩や頁岩が互層を成した海食崖が見られる。

岬の東方に枇榔島(びろうじま)が、岬から岩礁を隔てて南方100mに大輪島(おおわじま)が浮かぶ。岬の背後に控える山塊は御崎山あるいは蘇鉄山と呼ばれており山腹に御崎神社がある。また岬の先端からは、天候によっては種子島・馬毛島・屋久島や三島村の島々、薩摩半島南部の開聞岳などを望むことができる。

一帯に群生するソテツは「鹿児島県のソテツ自生地」として国の特別天然記念物に指定されている。他にもハマユウ、ビロウなどの亜熱帯植物が自生する。

歴史
708年(和銅元年)、佐多岬近くに御崎神社が創建された。古くは御崎三所権現と呼ばれており、毎年旧暦の正月20日、2月18日、9月19日に祭礼が行われ周辺から多くの人々を集めていた[3]。

1871年(明治4年)、大輪島に佐多岬燈台が設置された。海抜 60 m、光達21.5海里。初代の建物は、明治初期の日本で多くの灯台を手がけた英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計だったが、太平洋戦争で空襲を受けたため、1950年(昭和25年)に再建された。

1964年(昭和39年)3月16日に、霧島国立公園に錦江湾地域および屋久島地域を加えて霧島屋久国立公園とした際に、佐多岬地域も錦江湾地域に含まれ、国立公園となった。また1970年(昭和45年)7月1日には佐多岬周辺が海浜公園にも指定されている。その後2012年(平成24年)3月16日に屋久島地域が分離したため、霧島錦江湾国立公園となっている[4]。

1963年(昭和38年)に岬の近くまで、地元の岩崎グループが道路を建設し、1964年(昭和39年)から佐多岬ロードパークとして私有の有料道路として供用が開始された[5]。これにより観光開発が進むことになった。…

交通
大隅半島の中心地である鹿屋市から、国道269号・鹿児島県道68号鹿屋吾平佐多線・佐多岬ロードパーク経由で佐多岬駐車場まで自動車で到達できる。佐多岬駐車場から佐多岬先端部の展望台跡までは徒歩で移動する必要がある。なお、公園内の歩道はバリアフリー未対応である。

御 岳  南大隅町辺田

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御 岳  南大隅町辺田

南大隅情報発信ポータルサイトによる説明は次のとおり。国道269号沿いの台場公園から少し進んだ立神公園から東南上に見えた奇峰。

御 岳
御岳は苙(おろ)集落にあり、標高が500mほどの山で、巌石(げんせき)が高くそびえている。御岳は緑豊かな山から、ぎざぎざした巨石が突き出したような奇峰であり、この山は阿多カルデラの外輪山である。
この岩は「ご神体」(立神ドン)とも呼ばれ、「その上に座ってはいけない、恐ろしい祟りがある」と、昔から信じられてきたという。

御岳の麓にイワサカ(磐境)と呼ばれる神石がある。この石としめ縄で、御岳を(神域、区域)として外界とを仕切っているという説もある。(「佐多岬)(野田千尋者)より)
御岳には小さな神社があり、ここは昔の集落民が雨乞いをした場所である。毎年、遠方からお参りに来る方もいるが、一方で山に入ると祟られると信じている方も多い。
また、その奇峰の崖面の形状が適していたからか、国体のロッククライミング競技が行われたこともある。

台場公園(薩英戦争砲台跡)  南大隅町根占辺田

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台場公園(薩英戦争砲台跡)  南大隅町根占辺田

南大隅情報発信ポータルサイトによる説明は、次のとおり。

薩英戦争砲台跡
・台場
台場公園(薩英戦争当時の砲台(大砲を設置する為の台座)跡地を展示している公園)は、南大隅役場から国道269号線に沿って佐多方面へ車で約10分の原集落にある。辺田海岸沿いにあり、天侯の良い日は、錦江湾、開聞岳をくっきりと見えることができる。
海岸線に沿って花崗岩の石垣が約60m築かれており、中間に、みかげ石(深成岩の一種)の台座の上に乗ったレプリカの大砲2門と、その説明板がある。その他に、島津第28代当主斉彬が巡検(見回って調べること)の際に使用した手洗鉢(手を洗う水を入れて置く鉢)もある。

この台場(台場公園)は文久2年8月21日(1862年9月14日)生麦事件※の翌年、文久3年4月(1863年5月)に、薩摩藩は、イギリスからの攻撃に備え、原集落に薩軍約400人を集め大砲を拡張構築した。山手には、火薬庫を作り、作業隊の兵士はそこに寝泊まりしていた。
薩摩藩は、台場を薩摩半島南端にも、7ヵ所作っている。南大隅町内には、瀬脇台場(津柱神社の裏側)と上ノ山にも作られた。現在の瀬脇台場は、わずかに面影を残す(根占郷土誌より)

文久3年7月2日(1863年8月15日)鹿児島湾で薩英戦争が始まった。暴風雨の中、同3年7月2日〜4日(1863年8月15日〜17日)の3日間、英国艦隊と薩摩の陸上砲台の間で激しい砲戦が展開された。ここの台場は、イギリス海軍が大隅半島沿いに逃げる場合を想定し建てられたが、この戦争では使用されることはなかった。
約150年前のみかげ石の台座等が現存するのはここだけであり、鹿児島県内の貴重な史跡となっている。この台場は、昭和43年12月10日に町指定文化財に指定されている。

※文久2年8月21日(1862年9月14日)相州生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区)で薩摩藩主島津久光の部下が、大名行列に割り込んできたイギリス商人チャールズ・レノックス・リチャードソンら4人を殺傷した事件。

大浜海浜公園  南大隅町根占

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大浜海浜公園  南大隅町根占

南大隅町HPの観光情報による説明は、次のとおり。

大浜海浜公園
大浜海浜公園は役場より国道269号線を佐多岬方面へ約8分に位置し、本町の「南隅路青い海青い空整備事業」の一環として台場公園、立神公園に次いで平成4年度に建設されたものです。傾斜地を活用したバンガロー、テントサイト等を設置し、家族そろって「遊んで、泊まって、満喫できる」公園です。この公園は、本町の南西部に位置し、霧島屋久国立公園の一部を占めており、錦江湾に広がる大パノラマは熱い感動を呼びます。

渕之上神社の古石塔群  錦江町大根占

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渕之上神社の古石塔群  錦江町大根占

鹿児島県観光連盟HPの「まち歩き 錦江町大根占」の項による説明は、次のとおり。神川大滝公園へ向かう県道561号沿いにあった。

③渕之上神社
ご祭神はイザナギノミコトなどで、渕之上三所権現宮と呼ばれていました。由緒や創建に関してはわからないことが多いですが、文明13(1481)年の棟札があり、そこには12代祢寝茂清の名前があります。

④古石塔群
渕之上神社の古石塔群
付近に点在していた仁王像や庚申塔などを境内に集めたものです。それぞれの現地にはないものの損傷が少なく、特に4体の仁王象は表情も豊かで当時を偲ばせてくれます。また庚申塔も2体あります。

神川大滝・神川大滝公園  錦江町大根占

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神川大滝・神川大滝公園  錦江町大根占

ふるさと元気風ネットによる説明は、次のとおり。

神川大滝・神川大滝公園(錦江町大根占)

神川の大滝は錦江町(旧大根占町)の市街地より北東へ7、.5km、錦江町(旧大根占町)を流れる神ノ川にある。この滝は高さ 25m 幅 35m あり、規模・景観ともに県内屈指の滝を誇る。周辺には桜、ツツジ、モミジが、季節ごとに清流のカーテンを華麗に彩り「神川大滝公園」となっている。公園内を流れる神ノ川には日本でも珍しいカワゴロモが自生しており、県の指定文化財となっている。公園内には期間限定ながら自然を満喫しながら食事のできる大滝の茶屋やコンビネーション遊具を備えた公園がある。大滝橋から眺める大自然や大滝の風景は絶景である。

大滝風景
神川の大滝は、落差25m、幅35m程で規模、景観ともに県内屈指の滝だ。滝の壁面には柱状節理と伏流水が見られ、壮観な風情を醸し出している。大滝橋から眺める大滝の風景は絶景だ。

駐車場近くの小滝(落差20m)と小滝隣のらせん階段。春は桜と朱色の階段、滝の美しいコラボレーションが見られる。

神川大滝公園清流とカワゴロモ
神之川の岩石には県指定文化財天然記念物のカワゴロモが生え、冬には水中に美しい花が見られる。
カワゴロモ:水のきれいな急流のなかで発芽・成長し花を咲かせ種ができていく世界的にめずらしい植物。茎と葉はきわめて細くなり、根だけが広がって日当たりのよい岩石の、急な流れの当たる面に固着する。急流の水面から水に含まれる酸素と二酸化炭素を吸収して生きていく。葉は細長く小さい針形、葉の間から10月ごろたいへん小さな帯をだし、中から雌しべと1〜2本の雄しべをだすが、肉眼では見えにくい。種の外側には粘液がついていて流されて他の岩に着いて繁殖する。

神川小滝風景
大滝橋への昇降階段付近に落差20mの神川小滝がある。神川大滝に比べて規模も小さいが糸を引いて流れ落ちる風景は風情がある。桜開花時期には桜の花とのコラボレーンが美しい景観をかもし出す。

虹のつりはし「大滝橋」
大滝橋は延長130m、高さ25mの威容を誇り、幅員2mで歩道橋としては県下最大級の吊り橋である。神川大滝を中心とする神川大滝公園のシンボルとして平成元年2月に着工し、平成2年3月に竣工した。橋上からは移り変わる山々の大自然の景観と大滝の全容を目の当たりに知ることができる。

荒平天神  鹿屋市天神町

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荒平天神  鹿屋市天神町

ふるさと元気風ネットによる説明は、次のとおり。

荒平天神  鹿屋市天神町

夕日と砂丘が美しい荒平天神!
県道68号線の鹿屋市天神町にある荒平神社は、海に突き出た岬の小高い岩上に建立されている。創建は天文年間(1532年〜1554年)と伝えられ菅原道真を祀る学問の神様として地元で親しまれている。社は大正12年に炎上したが木像の御神体は、大正の火災の際、奇跡的に残ったものといわれている。この一帯は海岸線が美しく、開聞岳と桜島が見渡せ、南は大隅半島南端から北は鹿児島市まで180度のパノラマを眺望できる景勝の地にある。特に夕日に映える荒平天神は美しく神秘的でさえある。

回廊パーク「荒平天神」
鹿屋八景の一つに選ばれているこの地は、桜島から開聞岳まで見渡せる景勝の地にある。波の浸食でできた赤褐色の岩はだの奇岩、透き通る海水、満潮時に浮かぶ天神島の勇姿は、見る人に感動を与えてくれる。平成7年3月、この景勝の地を選んで大隅線廃止の駅の跡地やトイレ・休憩所・展望所が整備され、回廊パーク「荒平天神」がつくられた。

映画「チェスト!」撮影地
「チェスト」の映画に出てくる学校は「清水原小学校の6年2組」。この学校のロケの舞台になったのが「菅原小学校」。菅原小学校の好意で水泳練習のロケで使われた4コースの小さなプールや自顕流特訓場所の海岸を撮影することができた。菅原小学校は高台にあるため錦江湾全体の美しい景色、開聞岳や桜島を一望できる風光明媚な場所にある。

噴火により埋没した鳥居,門柱  鹿児島市黒神町

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噴火により埋没した鳥居,門柱  鹿児島市黒神町

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

噴火により埋没した鳥居,門柱

【所 在 地】鹿児島市黒神町 262,204
【種別】県指定天然記念物
【指定年月日】昭和 33 年4月 28 日

大正3(1914)年1月の桜島火山大噴火は,大量の軽石・火山灰を放出し,大隅半島側に厚く積もったが,とくに桜島の東側にあたる黒神町には厚さ約5 m 降り積もった。このため地元住民は軽石大地上に新たに集落を建設したが,当時の東桜島村長野添八百蔵は,埋没した黒神神社の鳥居と長野氏の門柱だけは,噴火の記念物として後世に残すことにした。鳥居と門柱は継ぎ目のない斜長流紋岩の岩柱でつくられている。鳥居および門柱埋没の状況は,桜島火山の大正噴火の猛威を如実に実証している。

〈参考〉
桜島火山は,世界有数の活動的な複成火山として知られている。約2万5千年前,姶良カルデラの南縁に生まれ,その後,繰り返し噴火して次第に成長していった。確実な最古の噴火記録は天平宝字8(764)年で,噴火によって長崎鼻方向に溶岩が流れ,噴出した軽石が積み重なって鍋山ができた。この噴火で三島が誕生したが後に失われて,現在は見ることができない。
その後の大噴火は,文明3〜8(1471 〜 76)年,安永8(1779)年,大正3(1914)年,昭和 21(1946)年にあり,溶岩を流出した。安永の噴火では海底火山活動があり,新島(燃島)などの安永諸島が誕生している。これらの噴火に伴う溶岩は,それぞれ文明溶岩,安永溶岩,大正溶岩,昭和溶岩と呼ばれている。
桜島は昭和 30(1955)年 10 月に噴火活動を再開し,それ以降今日まで 50 年近くにわたり火山灰・火山砂・火山礫を放出し,時には巨大岩塊を噴きとばすなど活発な活動を続けている。

偶然だか、この記事アップのとき、27日午前11時53分、長野、岐阜両県境の御嶽山(おんたけさん)(3067メートル)が噴火したニュースがあっている。
噴煙が南側斜面を約3キロ流れ下ったことが確認され、同日夜も火口から高く噴煙を上げている。山頂付近にいた多くの登山客が噴火に巻き込まれ、長野県の地元消防や岐阜県警によると、28日午前0時現在、計12人が重傷を負っている。気象庁は、火口から半径4キロで大きな噴石が飛散する恐れがあるとして、警戒を呼び掛けている。(Yahoo!ニュース 読売新聞)

黒神ビュースポット(昭和溶岩地帯展望所)  鹿児島市黒神町

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黒神ビュースポット(昭和溶岩地帯展望所)  鹿児島市黒神町

鹿児島市観光サイト「よかとこ かごんまナビ」による説明及び現地案内板は、次のとおり。

3.黒神ビュースポット(昭和溶岩地帯展望所)
退避壕の上に作られた展望スペースは、昭和溶岩や昭和火口の観察に最も適しているビュースポット。
砂防施設も見学できます。

(現地案内板)
桜島・錦江湾 ジオパーク
地球の鼓動が聞こえますか 黒神ビュースポット
ここは、生きている火山・桜島 を体感できる場所。山頂部の左側に見える丸い火口が、昭和噴火(1946年)のときに溶岩が流れた場所で、2006年から活発な噴火が続いている「昭和火口」です。今、あなたに「ゴー」という低い音が聞こえていたら、火口から火山ガスなどが出ているとき。白い煙が上がっていたら、火口から火山ガスなどが出ているとき。火山灰が含まれた灰色の煙が上がっていたら、噴火しているときです。もし火口から何も出ていなかったら、火山ガスを溜めて次の噴火の準備をしているときです。桜島は、山腹に火口ができているので、頂上に上らなくても火口を見ることができる世界でも珍しい活火山。今まさに、生きている地球の鼓動を感じてください。
[写真]
ここ黒神は、昭和火口が望める地域。目の前で噴火をあげる世界的にみても珍しい光景が、桜島では、日常的に見ることができます。