噴火により埋没した鳥居,門柱  鹿児島市黒神町

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噴火により埋没した鳥居,門柱  鹿児島市黒神町

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

噴火により埋没した鳥居,門柱

【所 在 地】鹿児島市黒神町 262,204
【種別】県指定天然記念物
【指定年月日】昭和 33 年4月 28 日

大正3(1914)年1月の桜島火山大噴火は,大量の軽石・火山灰を放出し,大隅半島側に厚く積もったが,とくに桜島の東側にあたる黒神町には厚さ約5 m 降り積もった。このため地元住民は軽石大地上に新たに集落を建設したが,当時の東桜島村長野添八百蔵は,埋没した黒神神社の鳥居と長野氏の門柱だけは,噴火の記念物として後世に残すことにした。鳥居と門柱は継ぎ目のない斜長流紋岩の岩柱でつくられている。鳥居および門柱埋没の状況は,桜島火山の大正噴火の猛威を如実に実証している。

〈参考〉
桜島火山は,世界有数の活動的な複成火山として知られている。約2万5千年前,姶良カルデラの南縁に生まれ,その後,繰り返し噴火して次第に成長していった。確実な最古の噴火記録は天平宝字8(764)年で,噴火によって長崎鼻方向に溶岩が流れ,噴出した軽石が積み重なって鍋山ができた。この噴火で三島が誕生したが後に失われて,現在は見ることができない。
その後の大噴火は,文明3〜8(1471 〜 76)年,安永8(1779)年,大正3(1914)年,昭和 21(1946)年にあり,溶岩を流出した。安永の噴火では海底火山活動があり,新島(燃島)などの安永諸島が誕生している。これらの噴火に伴う溶岩は,それぞれ文明溶岩,安永溶岩,大正溶岩,昭和溶岩と呼ばれている。
桜島は昭和 30(1955)年 10 月に噴火活動を再開し,それ以降今日まで 50 年近くにわたり火山灰・火山砂・火山礫を放出し,時には巨大岩塊を噴きとばすなど活発な活動を続けている。

偶然だか、この記事アップのとき、27日午前11時53分、長野、岐阜両県境の御嶽山(おんたけさん)(3067メートル)が噴火したニュースがあっている。
噴煙が南側斜面を約3キロ流れ下ったことが確認され、同日夜も火口から高く噴煙を上げている。山頂付近にいた多くの登山客が噴火に巻き込まれ、長野県の地元消防や岐阜県警によると、28日午前0時現在、計12人が重傷を負っている。気象庁は、火口から半径4キロで大きな噴石が飛散する恐れがあるとして、警戒を呼び掛けている。(Yahoo!ニュース 読売新聞)