台場公園(薩英戦争砲台跡)  南大隅町根占辺田

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台場公園(薩英戦争砲台跡)  南大隅町根占辺田

南大隅情報発信ポータルサイトによる説明は、次のとおり。

薩英戦争砲台跡
・台場
台場公園(薩英戦争当時の砲台(大砲を設置する為の台座)跡地を展示している公園)は、南大隅役場から国道269号線に沿って佐多方面へ車で約10分の原集落にある。辺田海岸沿いにあり、天侯の良い日は、錦江湾、開聞岳をくっきりと見えることができる。
海岸線に沿って花崗岩の石垣が約60m築かれており、中間に、みかげ石(深成岩の一種)の台座の上に乗ったレプリカの大砲2門と、その説明板がある。その他に、島津第28代当主斉彬が巡検(見回って調べること)の際に使用した手洗鉢(手を洗う水を入れて置く鉢)もある。

この台場(台場公園)は文久2年8月21日(1862年9月14日)生麦事件※の翌年、文久3年4月(1863年5月)に、薩摩藩は、イギリスからの攻撃に備え、原集落に薩軍約400人を集め大砲を拡張構築した。山手には、火薬庫を作り、作業隊の兵士はそこに寝泊まりしていた。
薩摩藩は、台場を薩摩半島南端にも、7ヵ所作っている。南大隅町内には、瀬脇台場(津柱神社の裏側)と上ノ山にも作られた。現在の瀬脇台場は、わずかに面影を残す(根占郷土誌より)

文久3年7月2日(1863年8月15日)鹿児島湾で薩英戦争が始まった。暴風雨の中、同3年7月2日〜4日(1863年8月15日〜17日)の3日間、英国艦隊と薩摩の陸上砲台の間で激しい砲戦が展開された。ここの台場は、イギリス海軍が大隅半島沿いに逃げる場合を想定し建てられたが、この戦争では使用されることはなかった。
約150年前のみかげ石の台座等が現存するのはここだけであり、鹿児島県内の貴重な史跡となっている。この台場は、昭和43年12月10日に町指定文化財に指定されている。

※文久2年8月21日(1862年9月14日)相州生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区)で薩摩藩主島津久光の部下が、大名行列に割り込んできたイギリス商人チャールズ・レノックス・リチャードソンら4人を殺傷した事件。