投稿者「misakimichi」のアーカイブ

本宮神社のイチョウ  対馬市上対馬町鰐浦

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本宮神社のイチョウ  対馬市上対馬町鰐浦

国道382号線が上対馬町へ入り、上対馬高の手前となる大浦からか、比田勝港まで行って泉経由で対馬最北端の鰐浦まで行く。鰐浦トンネルのところが集落の入口となる。
「本宮神社」は、トンネルのすぐ近くにあり、社殿右の広場にイチョウがある。
対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」リストによると次のとおり。

2 本宮神社のイチョウ  イチョウ(雌)  幹回り 5.12m  樹高 34m

(2015年11月3日 追 記)
コメントどおり指摘があり、「木宮神社」ではなく、「本宮神社」(ほんぐうじんじゃ)が正しいとのことで、本記事を修正した。

豊砲台跡  対馬市上対馬町鰐浦  

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豊砲台跡  対馬市上対馬町鰐浦

「豊砲台跡」は第2次世界大戦の遺物。朝鮮海峡が戦略上重要であったことから、旧陸軍により5年の歳月と巨費を投じ、昭和9年に完成した。終戦によって米軍により解体された。
砲塔部のコンクリート厚さは3mあまり、砲を操縦する動力は水圧を利用したといわれ、先進的な技術がうかがえる。実戦は行われることなく、「まぼろしの砲台」となったが、兵舎・台座・地下室は当時の姿に復し、見学できる。

比田勝港から県道182号線により泉を経由して鰐浦方面へ向かう。鰐浦へ出る前に旧道のトンネルが見え、案内標識により山手へ登って行くと「豊砲台跡」へ着く。
現地説明板は次のとおり。
豊 砲 台 跡

豊砲台は、朝鮮海峡に面し、当時、軍事上要衛の地にあり、日本海及び朝鮮海峡の制海権を確実にするため、昭和四年五月に起工、五ヶ年の歳月を費やし完成したものである。 この砲台は、大正十年国際連盟軍縮条約により、戦艦「長門」が廃艦となり、その主砲を移管改造したもので、一般的に四十五口径四十センチ加農砲といわれ、長さ十八メートル五十センチの砲身ニ門が構築された。
昭和九年三月、付帯施設を含む全ての工事が完了し、同時に試験射撃も行われ、名実ともに世界最大の巨砲であった。
発射指令(観測所)は、現在の海上自衛隊上対馬警備所、西泊権現山、上県町棹崎にあって、潮の干満、潮流の速度、距離など測定され、また砲撃指令は空中、地下、海底の三方方式で伝達されていた。
砲塔部及び地下室は、鉄筋コンクリート造りで、天井、脚壁の厚みは、爆撃に耐えられるよう二メートル以上、特に砲塔部は、三メートルの擁壁で保護されている。地下室は、操作用機械室、水圧用水槽などと区画され、往時の面影がしのばれる。
この砲台も、実戦には、一発の弾丸も発射することなく終戦を迎え、昭和二十年十月米軍の爆破班により解体された。
このような施設が二度と再び造られる時代のこないよう、人類永遠の平和を切望し、昭和五十九年十二月現状に復した。                  上 対 馬 町

三宇田浜  対馬市上対馬町泉

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三宇田浜  対馬市上対馬町泉

比田勝港から県道182号線により泉を経由して鰐浦方面へ向かう。泉隧道を出て「三宇田海水浴場」への案内標識により右折し、約1km行くと「三宇田浜」へ着く。
平成8年に「日本の渚・百選」に選ばれた白砂の海浜。
HP「対馬から 来てみんね!上対馬町」観光名所による説明は次のとおり。

三宇田海水浴場&キャンプ場

比田勝港より車で約5〜7分  ■ルート案内→①比田勝〜②古里〜③三宇田
三宇田海水浴場の海辺は日本渚百選に入る見事な景観です。特に砂浜の砂は貝殻成分が
大部分を占めて、きめの細かな白砂と成っています。
素足での感触と綺麗な海水をお楽しみ下さい。
三宇田浜を形成する岬にはキャンプ場と、温泉施設「渚の湯」が有ります。

塔の首遺跡  対馬市上対馬町古里

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塔の首遺跡  対馬市上対馬町古里

比田勝港から県道182号線により泉を経由して鰐浦方面へ向かうと、すぐのところの古里地区の左方高台に「塔の首遺跡」がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

塔の首遺跡  史跡(国指定)

指定年月日 昭和52年2月17日  所在地 上県郡上対馬町大字古里字在所陽
管理団体 上対馬町
上対馬町比田勝港の北東、西泊湾をのぞむ低い旧岬上にある弥生後期の墓地で、箱式石室4基からなる。銅釧(どうくしろ 腕輪)・各種の玉類、8000個におよぶガラス小玉・広形銅矛・方格規矩文鏡(青銅鏡)・小鉄斧等、多数の遺物が棺の内外から発見された。
特に注目されるのは、第3号棺から発掘資料としては初例の広形銅矛2点があり、しかも弥生式土器および韓国陶質土器とともに発見されたことである。このことは、広形銅矛の年代が明確になったこと、韓国の土器と日本の土器の年代比較が可能になったことを意味し、日韓文化の交流を如実に示すものとして注目される。

網代の漣痕  対馬市上対馬町網代

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網代の漣痕  対馬市上対馬町網代

「網代の漣痕」は比田勝港入口の南海岸にあり、比田勝町の中心通りを行き、比田勝川河口の公園角から右折して、比田勝ベイセブンブリッジの大橋を渡り網代漁港へ向かう。
網代漁港の前に轟島を繋いだ防波堤があり、この付け根の裏側海岸部に「網代の漣痕」が広がる。堆積構造の「流痕」との見方もあり、今後の検討を要すると言われている(厳原町誌第4編文化財1173頁)。
現地説明板は次のとおり。

町指定天然記念物  網代の漣痕

1 指定年月日 昭和49年2月1日 指定第5号
2 指 定 地 上対馬町大字網代字吉野□392番地(山林413㎡)
3 説   明
対馬の地質は主に、黒灰色をした泥岩と砂岩の互層よりなり、約3000万年前に堆積した地層で、対州層群とよばれる。
他の多くの場所でも砂岩の上面が漣痕が、また下面には流痕がある。
この漣痕は水流の作用により砂層の表面に形成された水流漣痕とよばれるもので、地層が堆積したあとの水の流れの方向(古流向)を知るうえで、学術的に貴重な資料である。
この漣痕があらわれている地層は、高さ10m〜15mで、約30度の傾斜をなし、延長約140mにわたる。きわめて広大で、美しく、景勝地として町民に親しまれている。
昭和57年2月1日  上対馬町教育委員会

上対馬の鳴滝  対馬市上対馬町浜久須

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上対馬の鳴滝  対馬市上対馬町浜久須

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町浜久須までかなり北上する。
浜久須から県道は比田勝に向けて登りにかかり、高台へ登ったところに「鳴滝自然公園」の案内板がある。比田勝からがもう近い。車で7分のところ。

ここが鳴滝の入口。植林地の鳥居道を行くと、渓流の上に出て遊歩道の眼鏡橋を渡り、滝の上から下の滝壺まで坂段を下って行く。入口から約200m歩いて着く。
鳴滝の下は傾斜滝となって岩面を流れ落ち、滝壺はその下にある。
現地案内板は次のとおり。
鳴滝自然公園

高さ15m、対馬一の滝で春秋の増水期には滝の音が周囲の山に響きわたりその眺めは壮観である。

朝日山古墳群  対馬市上対馬町大増  

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朝日山古墳群  対馬市上対馬町大増

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町舟志までかなり北上する。比田勝からがもう近い。
舟志の先に大増の集落があり、舟志湾のもう一方の奥となる。海に突き出た場所に「霹靂(いかづち)神社」があり、この丘は朝日山と呼ばれている。

県道から入ると神社の左横へ出る。海に面して石の鳥居が建っている。拝殿裏の石段を登ると本殿があり、本殿上の低い丘に「朝日山古墳群」がある。
現地説明板は次のとおり。

町指定史跡  朝日山古墳群

1.指定年月日 昭和49年2月1日  2.指定地 上対馬町大字大増1073番地
3.説   明
この椎の古木が生い繁った丘の上に霹靂神社がありこの丘は俗に朝日山と呼ばれている。本殿の裏側に石室墓の群集があり昔盗掘をうけている。
昭和23年調査が行われ漢武鏡一面・勾玉・鉄製剣・刀・斧・鎌・鋤・紡鐘車・釘・須恵器・土師器が出土した。
この古墳の須恵器はわが国の祝部土器の中で最も古い形式とされている。
九州の祝部土器の形式を分類してその編年をつくる研究の動機となったのがこの朝日山の古式祝部であった。
また金海式土器が学界で問題になったのもこの朝日山出土器が知られてからである。
考古学上朝日山古墳を標準として中期古墳と後期古墳と類別している。
昭和57年4月1日  上対馬町教育委員会

舟志川の紅葉林  対馬市上対馬町舟志

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舟志川の紅葉林  対馬市上対馬町舟志

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町琴までかなり北上する。
「琴の大イチョウ」を過ぎると琴川を遡り、横坂を越すと小白岳麓の舟志川上流に出、渓谷沿いに県道は下る。
この辺りは対馬一の紅葉林らしい。現地説明板は次のとおり。

対馬一の紅葉

私達は、舟志川渓流周辺に自生する、イロハモミジ、コハウチワカエデ、ナナカマド、ケヤキ、モミ等の樹木があみだす美しい景色の保護、育成に努めています。
このような、自然環境をいつまでも保続させ、樹々へのやさしい心と地域環境の美化にご協力をお願いします。
平成4年11月3日  長崎県  上対馬町舟志区

対馬琴のイチョウ  対馬市上対馬町琴

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対馬琴のイチョウ  対馬市上対馬町琴

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町琴までかなり北上する。
対馬市役所琴出長所や琴郵便局を過ぎた県道沿いの左手に広場があり、「日本一樹齢 琴の大銀杏」の看板を付けた大イチョウがある。

根元の空洞の大きさに驚かされる。右後の墓地に大きなスギや別のイチョウの木があった。 
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明、及び対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

対馬琴のイチョウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和36年11月24日  所在地 下県郡上対馬町大字琴657
所有者 上対馬町ほか
琴は、対馬北部の東海岸にある。このイチョウは、集落の路傍にそびえる雄株で、昔から対馬全島によく知られていた。幹のまわりは12.50m、樹高およそ40mで、全国有数のイチョウの巨樹である。
記録によると寛政10年(1798)、落雷のため樹幹が裂け、火災が起って幹に空洞ができた。空洞内部は、火災で焼けたあとが黒く残っているが、樹勢は悪くない。

28 琴のイチョウ 県 (上対馬町琴)

日本一の推定樹齢1500年を誇り、対馬の親木とも言われる巨樹で、幹回り12.5mで日本第6位の太さと言われています。樹勢も良好な雄株で、落雷により焦げた樹肌や樹形に風格があります。
28 琴のイチョウ    イチョウ(雄)  幹回り12.5m  樹高 20m

六御前神社のイチョウ  対馬市豊玉町千尋藻

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六御前神社のイチョウ  対馬市豊玉町千尋藻

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。千尋藻トンネルを出て集落への道を下る。
千尋藻大橋を渡り、川沿いの集落内の路地へ行くと右手奥に「六御前神社」があり、大イチョウが立つ。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明、及び対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

六御前神社のイチョウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和47年8月15日  所在地 下県郡豊玉町大字千尋藻338
所有者 六御前神社
六御前神社は、対馬中部の東海岸の集落千尋藻にある。このイチョウは、神社の境内にそびえる雌株で、目通り幹まわり5.60m、高さ約10m、四方に枝を出し、枝張りは東西南北とも8.50mないし10mほどで、イチョウ特有の美しい樹形である。また、数個の小さな乳柱も見られる。
51 六御前神社のイチョウ 県 (豊玉町千尋藻)

幹回り6.65m、樹高24mの雌株です。老木と言うよりも若々しい精気さえ感じられる巨樹です。若葉と黄葉の頃、美しい樹形が背後の山と静かな集落のたたずまいに良く映えます。
51 六御前神社のイチョウ イチョウ(雌) 幹回り 6.65m 樹高 24m