投稿者「misakimichi」のアーカイブ

虚空蔵山鳥兜岩近くのアカガシ  東彼杵郡東彼杵町

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虚空蔵山鳥兜岩近くのアカガシ  東彼杵郡東彼杵町

五島の巨木調査をされた針本氏(現在は大村市に在住)から、虚空蔵山の鳥兜岩近くにアカガシの大木があると教えてもらい、10月15日訪ねた。広域林道の岩屋登山口から登る。虚空蔵山(標高608.5m)の山頂まで約980m、40分の案内標識がある。犬の墓を過ぎ登って行くと、山頂まで後205mの地点に「鳥兜へ」の標識があり、右に分岐する道へ入る。

3分ほど木立の尾根道を少し下ると、景色が良い岩場に出る。鳥兜岩はその先にあるが、危険な道となるためロープが張られて、先は立入禁止となっている。
アカガシの大木は、景色が良い岩場へ出る直前の林間道脇右に立っている。幹囲3.3mほど。元気なアカガシである。「鳥兜へ」の標識がある地点の奇妙な木もアカガシである。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の長崎の山による説明は次のとおり。
後ろの写真は、虚空蔵山の山頂を鳥兜岩手前から振り返った場合と、一方の木場登山口近くの広域林道から。

川棚町の虚空蔵山(609m)に登ってみた。佐賀県嬉野町との県境にある。写真では頂上は台形になっているが、見る場所によっては、三角形にもなり、九州のマッターホルンとも言われている山。登山口は木場登山道と岩屋登山道がある。
岩屋口に車を停め、登る。案内板によると、頂上までは40分ほどかかるらしい。私の足だと1時間は覚悟しよう。二次林のスギ林の中を登っていくと、所々にシャクナゲが見えてくる。昔はツクシシャクナゲが自生していたらしいが、今では絶滅し、植栽されたものである。スギ林を過ぎると、シイやカシの森に変わる。アオキ、ヤブツバキ、ヒサカキ、ネズミモチ等などの照葉樹の森。キハギも見かけた。

カシはアカガシが目についた。アカガシの大木もあった。巨木ではないが、風格が漂う。さらに登ると「犬の墓」塚がある。東彼杵町川内への分岐点である。そこからはさらに急な登りとなり、頂上に近づいていることが実感される。ここまでで40分は経っている。それにしても、すれ違ったのは若いアベックだけだった。鎖場の急な石段を登る。登山道の中でも最も急な場所だが、鎖があるので苦にならない。さらに登ると頂上に着いた。…  

東彼杵町に残るアーチ式石橋「通山橋」  川内郷で見つかる

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東彼杵町に残るアーチ式石橋「通山橋」  三根郷で見つかる

東彼杵郡東彼杵町に残るアーチ式石橋は、すでに玉簾橋・花房橋・大音琴橋の3橋を次に載せている。  https://misakimichi.com/archives/685
川内郷にも「通山(とうりやま)橋」が残っているのが新しくわかった。場所は所在地図のとおり。
国道34号線が東彼杵IC前を過ぎ、嬉野方面へ俵坂峠を越えるため向かう。坂の登りにかかるまだ手前で長崎自動車道のガード下をくぐる。この左方の谷間である。

きのう虚空蔵山の巨木調査に行くため、この道を通った。広域林道の岩屋登山口に出るには近道となる。長崎自動車道のガード下からでなく、国道の手前から彼杵川の上流川内川沿いに左の旧道へ入った。ガード下からの道とすぐ合流する地点に支流が流れ、新橋「通山第二橋」が架かり、アーチ式石橋がその脇に残っていた。

石橋は幅員5.0m、長さ5.5m、橋高2mほど。第一橋の名の橋は近くの川になく、この石橋を第一橋として考えて、新橋の第二橋は命名されたのではないだろうか。従って石橋の名は「通山橋」としておく。なお、川内川の近辺は他に石橋は見当たらない。先の支流の上流部、家前の溝に小さな桁石橋2つを見ただけである。

その後、HP「長崎県の石橋を訪ねて」の安元様が調べてくれた。同HPによる説明は次のとおり。明治以降の橋と思われるが、昔の虚空蔵山愛宕神社の参道道となるので、長崎自動車道のガード下、彼杵川向いにある一の鳥居と、国道入口にある登山口の案内柱の写真を追加する。

第 208 番   通 山 橋      長崎県東彼杵郡東彼杵町川内郷

虚空蔵神社の一の鳥居からの参道にあたる道に架かる橋だが、見た限りでは明治以降の橋としか見えない。長さ5.5m 幅員5.0m 径間4.7m
現在は直ぐ上流に通山第二橋が架かっていているが、いまでもしっかりとした現役の橋だ。まだ、こんな石橋が眠っていたとは、まだまだ未確認の石橋が有るようで楽しみが増えた。(10/19/2009)

この石橋から国道34号線を越えて彼杵川の向こうには長崎街道に沿って虚空蔵山愛宕神社の一の鳥居が建っている。この鳥居は案内に寄れば、公共工事の為に多少場所が変わっているとはいえ、延宝5(1,677)年に大村藩主の武運長久を祈願して建立されたものだという。ここから改めて通山橋に向かってみよう。

高速長崎道の高架と国道34号線を越える。登山道の案内にしたがって少し上れば、現在の道路に架かる通山第二橋の左手に通山橋が見える。手前のアスパラハウスの御主人に聞いても「子供の時から架かっとる」と言われるばかり。おいおい役場にでも行って調べてみよう。
環厚0.35m・拱失1.6m・拱失比2.7(やや扁平の石橋)

長崎の西の空の夕日  09−21

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長崎の西の空の夕日  09−21

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成21年10月11日の17時50分頃から
写真  4〜 6  平成21年10月12日の17時37分頃から
参考に前年同じ日の同時刻頃
写真  7〜 8  平成20年10月12日の17時30分頃から

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (2)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (2)  平成21年10月

平成21年10月11日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”。 参加スタッフとも16人。「みさき道」の前半コース。
午前9時新地湊公園集合。十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首大山祗神社(昼食)ー深堀ー女の坂ー大籠ー三和行政センター午後4時50分着。(徒歩約17km)

山野歩きに爽やかな日和。二本松やダイヤランド団地下り、深堀城山に趣きがある街道跡の山道が残っている。奥深い深堀善長谷には女の坂の首なし地蔵がある。本日は途中で「みさき道」道塚5本と、新小が倉で南佐嘉領境界石1本を見た。
長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。

江川河口から深堀に入り行厨後、八幡山峠(大籠の新田神社あたりか?)を越え、蚊焼へ至った一部文を紹介する。
○…小渚アリ一二小魚アリ且ツ一ノ烏賊ヲ見ル 同行ノ人直ニ入リ刀ヲ以テ切テ得タリ 自ラ携テ午飯ノ料トス
○迂路シテ深堀ニ出ズ 入口ノ峠アリ直ニ下リ深堀二至ル 小港アリ荷船四五個アリ且ツ佐賀公ノ船数十艘アリ此ノ処ハ佐賀ノ臣深堀某ノ居ナリ 戸数百口許 一ノ家二至リ芠餅ヲ喫ス 且ツ温熱忍ヒザルニ由テ草鞋ヲトリテ襟ヲ開キ汗ヲ去ル一快ヲ取ル后行厨ヲ開キ 且ツ鯛一尾ヲ調ヘ煮テ行厨ノ料トス 共ニ手取ノ烏賊ヲ供ス味極テ佳
○午時発途ス 二十丁許ニシテ八幡山峠アリ 上リノ中央ニテ異船ヲ見ル 望遠鏡ヲ用ユルニ竪ニ赤白青ノ旗号アリ 日午殊ニ峠ユヘ 炎熱蒸スカ如ク 汗ヲ以テ単物ヲ儒スニ至ル 三丁許ニシテ蚊焼ノ入リ口ノ芧店ニテ…

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21606297.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8176013.html#8176013
後半コース、蚊焼ー脇岬観音寺間は18日(日)に実施。開帳の日でみさきの観音像と天井絵が見られる。学さるく参加予約申込はまだできる。

深堀「女の坂」地蔵の伝承は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/412

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (1)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (1)  平成21年10月

平成21年10月11日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”。 参加スタッフとも16人。「みさき道」の前半コース。
午前9時新地湊公園集合。十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首大山祗神社(昼食)ー深堀ー女の坂ー大籠ー三和行政センター午後4時50分着。(徒歩約17km)

山野歩きに爽やかな日和。二本松やダイヤランド団地下り、深堀城山に趣きがある街道跡の山道が残っている。奥深い深堀善長谷には女の坂の首なし地蔵がある。本日は途中で「みさき道」道塚5本と、新小が倉で南佐嘉領境界石1本を見た。
長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。

ダイヤランド入口源ネン茶屋から土井首大山祗神社前鹿尾川渡りへ至る一部文を紹介する。
○子ケ倉ノ入口ニテ少憩ス 右ニ笠山ケ岳アリ此ヨリ加能峠ノ麓ニシテ良ゝ登ル五六町二シテ平地アリ 望遠鏡ヲ用ユルニ最モ佳景ナリ 真下ハ子ケ倉港内ノ小島眼前ニ見ヘ西南ハ西海緲々タリ ○加能ノ下リ口ハ海面ニ張出シ 望ム尤好シ 両岸ノ砲台 或ハ隠レ或ハ顕ル 両岸ハ湾アリ張出アリ ○下リテ一湾ニ出テ岸上ノ危岩ヲ渡リ一ノ間路ヲ行ク

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21606297.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8176013.html#8176013
後半コース、蚊焼ー脇岬観音寺間は18日(日)に実施。開帳の日でみさきの観音像と天井絵が見られる。学さるく参加予約申込はまだできる。 

釣れた? 釣具店の釣人 (5)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (5)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

9月13日頃から秋バージョン。カップルの男性は鎌と刈り取った稲穂を持ったのに変わっている。

三井楽・玉之浦  スケアン・長崎鼻灯台・頓泊海水浴場ほか  五島市三井楽町ほか

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三井楽・玉之浦  スケアン・長崎鼻灯台・頓泊海水浴場ほか  五島市三井楽町ほか

五島市三井楽町・玉之浦町の風景・史跡。
長崎鼻から嵯峨島を望む、スケアン(石干見漁法遺跡)、三井楽長崎鼻灯台、玉之浦町頓泊海水浴場、荒川温泉と記念碑、大宝から津多羅島を望む。
五島市観光協会「五島市観光情報サイト 五島」四季春による三井楽町のスケアンの説明は次のとおり。「スケ」網のことで、塩水はこのあたりの地名である。

三井楽町のスケアン

三井楽町塩水にスケアンという原始漁法が今なお残っている。豊かな海の幸に恵まれた五島ならではの漁法だ。スケアンは満潮になると水没する石垣を入江に築き、潮が引いて石垣の内側に取り残された魚類を採取する漁法。石干見(いしひみ)とも呼ばれ、遠い南方のミクロネシア方面が発祥地ともいわれる。

三井楽にあるスケアンの構築年代は不明だが、底部で幅1・5メートル、高さ1メートルほどあり、約80メートルにわたって入江を遮断する大規模なもの。昔はクロやミズイカなどが獲れ、大漁の時は長崎の市場に出荷したそうだ。
今でも入札で漁業権を貸し出しているが、最近では漁獲量が減り、観光や小学校の漁業体験などで利用されたりしている。

五島氏庭園心字が池と明星院の桁石橋  五島市池田町・吉田町 

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五島氏庭園心字が池と明星院の桁石橋  五島市池田町・吉田町

石田城跡五島氏庭園心字が池と明星院の桁石橋。五島高校第2校門内のアーチ式石橋「石田城本丸眼鏡橋」や国道沿い堀端前「蹴出門」の桁石橋は、すでに以前紹介している。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。風景・史跡の項も参照。
「石田城跡五島氏庭園」は、 https://misakimichi.com/archives/2050
「明星院」は、 https://misakimichi.com/archives/2033

写真  1〜  8  第 k-052 番 心字が池の石橋  五島市池田町石田城内五島氏邸

安政5(1858)年に庭園が造られたとあるので、その時の架橋であろう。蹴出門の石橋を渡って石垣に沿って場内に入り左手に門構えが見える。三十代盛成公の隠殿として城内に築かれた石田邸。この邸内に心字が池と呼ばれる林泉式の庭園が有名。この庭園は安政5年、京都の僧善章が金閣寺の丸池を模して造られたと言う。(08/07/2008)

忍び通路を見てから庭園に向う。大きな楠木には諫早の者は驚かないが、大谷渡やビロウ等が茂る庭園は趣が違う。正面左手に見えるのが一番上の写真の石橋。なんでも盛成公が亀が好きとかで亀の形を模したという築島。左手の石橋が尾に成って右手の上を向いた石が頭のようだ。
反時計回りに庭園を廻る。さっそく小さな橋を渡って左手には一番上の築島の対を成す築島がある。ここのも同様の石橋が架かっている。
母屋の対岸に見えていた石塔は、朝鮮の役の際に第二十代当主純玄公が加藤清正と共に戦った際に持ち帰ったと記されているが、純玄公は文禄の役に小西勢の一番隊に兵700名で参戦し陣中で疱瘡に罹り亡くなって酒樽に浸されて帰国したはずである。この時に持ち帰ったとしても持ち帰ったのは陣中で第二十一代当主となった玄雅公であったはず。
もしくは慶長の役の出陣の時であったかもしれない。どちらにしても私の見る限り韓国で見かける五重の塔に酷似していることは確かだ。
もう少し進むと池の排水を行う水路にも橋と言うか暗渠がある。まぁこれも石橋と言えるかもしれない。その先では最初に紹介した築島に到着する。

写真  9〜 14  第 k-051 番 明星院の石橋  五島市吉田町

文化7年(1810)3月架橋とある。
弘法大師空海が唐での修業の後、福江島に立ち寄り大宝寺や此処、明星院の開基に関わった事は有名だが、この明星院に石橋が架かっていることは案外紹介されていない。
境内の案内板には「泮池(ばんち)、池の中央に橋をかけ池を半分にした形式で中国の造園思想から生まれ日本では平安鎌倉時代の庭園形式で橋を渡れば、そこは仏の世界を現している」と書かれ、橋の架橋に関しては「奉寄進、御倉奉行、杉 東蔵、大浜清蔵、築瀬友八、二十一世大恩代、文化七年庚午三月」と記されていた。(07/31/2008)

福 江  石田城跡・五島氏庭園・五島高校  五島市池田町

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福 江  石田城跡・五島氏庭園・五島高校  五島市池田町

五島市観光協会「五島市観光情報サイト 五島」史跡・名勝などによる説明は次のとおり。

写真  1〜  3    石田城(福江城)跡    種 別 県指定史跡
指定年月日 昭和41年9月30日 所在地 五島市池田町1番1号 管理責任者 五島典昭
寛政年間から文化、文政、天保、弘化へと続く幕末、ロシア、アメリカ、イギリスの黒船が来航し、鎖国政策をとっていた日本に開国を迫る。文化5年(1808)イギリス軍艦が長崎港に侵入、オランダ人を拉致し、当時の長崎奉行が責任を取って切腹するという、いわゆるフェートン号事件もあった。幕府は嘉永2年(1849)7月、五島藩に「城を築き海岸防衛を厳重にせよ」との築城許可を与え、ここに五島氏の半世紀にわたる築城への願望が成就した。15年の歳月、工費2万両を使って、文久3年(1863)石田陣屋の跡に福江城が完成した。石田という地名にちなみ石田城ともいわれる。
城郭は、東西160間(約291m)、周囲740間(約1346m)、野面積みで堅牢な石垣を持ち、城郭の三方を海に囲まれ、日本民族、日本国を守るという使命を持った海城である。
現在、本丸跡には五島高校、三の丸には福江文化会館、五島観光歴史資料館、市立図書館、五島家始祖家盛公らを祀る城山神社がある。

写真  4〜 15    石田城五島氏庭園    種 別 国指定名勝
指定年月日 平成3年11月16日  所在地 五島市池田町1番7号  所有者 五島典昭
嘉永2年(1849)8月、幕府の命令により福江城(石田城)の築城が始まった。完成間近となった安政5年(1858)30代盛成公は家督を子息盛徳公に譲り、藩校「育英館」を北の丸小松原(現福江裁判所一帯)に移し、その跡に隠殿と庭園を造った。
心の字をかたどった池にちなみ、心字が池庭園ともいわれる。この庭園の作庭者は、京都の浄土宗の僧、全正であり、彼は、和歌、茶事、囲碁、作庭に堪能で、五島藩の御庭方を命ぜられていた。庭園は、平成元年から同3年まで奈良国立文化財研究所が池の水を抜き、浚渫して調査を進めてきた。
その結果、江戸時代以来の伝統的日本庭園の地方伝播を示す好例であり、溶岩や南方系植物など地方の特色ある風土が加味された貴重な庭園である。また、作庭時期が明確で、建物も一体となって保存されていること、保存例の少ない城郭内の庭園で、庭園文化史上高い価値があるとして、平成3年、国の名勝に指定された。
「五島氏庭園のクスノキ」は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2037

写真 16〜 19    長崎県立五島高等学校 (学校HPから)
躍進〜夢を紡ぐ城跡(まなびや)〜 明治33年(1900)に五島中学校として開校し,平成12年(2000)に創立100周年を迎えた。普通科と衛生看護学科の2学科を設置。生徒総数632名,教職員数66名(平成21年4月現在)。
五島高校は福江城(石田城)の城跡にある。したがって校門は福江城の門ということになる。第1校門は外堀から入る門になり,国道に面している。第2校門は内堀を渡る前に入る門になり,この第2校門の内側が五島高校の主な敷地になる。五島高校の生徒は毎日この2つの門をくぐって登校している。

写真は第2校門内のモニュメントと石田城本丸眼鏡橋。五島ただ1つのアーチ式石橋。嘉永6年(1857)架設。長さ8.6m、幅員約4.7m。

保食神社のスギ  五島市玉之浦町小川

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保食神社のスギ  五島市玉之浦町小川

福江港ターミナルから国道384号線大荒交差点まで行き、県道27号線により二本楠まで行く。交差点は左折して玉之浦方面への県道164号線に入る。中須へ出て中川トンネルを抜けすぐ左折する。玉之浦中学校があり奥の集落が小川である。

集落内の小川バス終点から先へまだ進むと大きな橋があり、ビニールハウスの右道へ入る。川を渡ると左方に小川神社がある。大スギは鳥居と本殿の間に立つ。
五島市堤町諏訪神社のスギと幹囲は同じで、福江島2位のスギにランクされている。
本殿右横には、木で作った船型の小さいものが多く祀られていた。

2003年福江市針本氏作成資料「福江島の巨木達」1スギによる説明は次のとおり。
保食神社  ス  ギ  3.24m  風格の有る杉。痛みも無くまだまだ成長できるだろう。