投稿者「misakimichi」のアーカイブ

式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

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式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

長崎市の式見地区、向町に小さなアーチ式石橋が残っていた。長崎バス式見バス停から下向集落の中へ入る。バスが通る県道112号線の式見トンネルへ登る里道があり、登り口の川に石橋が架かっているのを、11月17日夕方、通りかかって見かけた。

この道は、手熊町とを結ぶ昔の重要な街道だったと思われる。写真のとおり小さいながら見事なアーチ式石橋。橋長:1.8m、橋幅:1.8m、拱矢:1.5mほど。
橋名はわからない。式見郷土史にも何も記録がなかった。仮称「下向橋」としたい。

式見〜手熊間トンネル工事は、昭和3年4月24日竣工。式見隧道より海岸に至る県道は大正15年より5ヶ年で昭和4年完成。長崎バスが城山〜式見線の運行を開始したのは昭和29年4月1日からと郷土史年表は記す。

トンネルを抜けた隣町の長崎市手熊町にも「杉の上橋」という小さなアーチ式石橋が残っている。年代は不明だが、同時期頃に架橋されたのではないだろうか。
手熊町の「杉の上橋」は、 https://misakimichi.com/archives/614

最後の2枚の写真は、蝶ヶ崎トンネル上の岩場ピーク。眺望が良く、古いコンクリート製の台座があった。正体を目下、調査中。

鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

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鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

平成22年11月14日(日)晴。土井首から八郎岳林道を車で行き、鹿尾尾根から熊ヶ峰(標高569m)・八郎岳(同590m)・兜岳(同462m)の一周縦走。参加8人。みさき道歩会の例会。
土井首バス停9時30分発ー車で移動ー鹿尾尾根ー鹿尾河原ー熊ヶ峰ー電波塔ピーク(昼食)ー八郎岳ー兜岳ー北兜岳ー鹿尾林道15時20分着(徒歩距離約12km)

本年の春、4月25日実施した八郎岳一周縦走の逆コース。前回の様子は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2321
土井首バス停から八郎岳林道を車2台で、鹿尾尾根の大カーブ地点まで行く。ここは標高300m近くあり、登山に随分と助かる。ドッグラン先に車を置き、鹿尾河原へ一旦下る。水量が本日はない。ここから展望岩を経て熊ヶ峰へ急登する。熊ヶ峰11時30分着。八郎岳縦走コースへ入り、NTT電波塔が立つピークまで行って昼食。12時15分着。

昼食後13時発。35分かかって八郎岳山頂へ13時35分着。黄砂できょうは見晴らしがパッとしない。登山者は少なく、式見の同級生グループだけだった。
八郎岳を14時発。縦走路を少し戻り、兜岳・北兜岳の方へ下る。植林が大きく育ち、快い山道となっているが、兜岳・北兜岳とも山頂は展望がきかない。車を置いた八郎岳林道の鹿尾尾根地点にちょうど15時20分着いた。
このコースは見事な八郎岳一周コースとなるが、健脚向きの難路。経験者の同行が望ましい。私の体調や気候のせいもあったが、前回より今回の逆コースの方が楽に感じた。

釣れた? 釣具店の釣人 (15)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (15)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

8月からあまり変化なし。まもなくクリスマス。サンタさんになっていた。

長崎外の古写真考 目録番号:6741 会 食

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6741 会 食

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6741 会 食

■ 確認結果

目録番号:6741「会食」で特徴的なのは、大広間に「?雨香雲」の大きな額が掲げられている。
群馬県渋川市の伊香保温泉に「香雲館」という立派な旅館がある。平成6年に新館に建て替えられているが、文久年間に「香雲館 塚越屋七兵衛の宿」として創業した由緒ある旅館。高橋是清や竹久夢二と親交があったらしい。

目録番号:6741「会食」の作品は、「?雨香雲」の額から見ると、伊香保温泉のこの宿「香雲館」だった可能性が考えられる(旅館には未確認)。
なお、この作品は、明治彩色写真アルバム(2) の1枚。同アルバムから近い番号、目録番号:
6747に「伊香保温泉(6)」があるので、参考のため掲げる。

道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

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道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

八郎岳・小八郎岳の下山路に良く利用される道。千々峠(乙女峠)から平山町へ方へ5分ほど下る。正しい道は尾根を右側へ極端に巻いて曲がるが、大木の後ろとなり先が見えない。おまけに下山路中央に小ケルンが積んであった。
ここはガレ場の上部。ケルンが反対の意味に取られ、踏み跡があるガレ場へ下り、道を間違えたという、特に市外から初めて来た登山グループの話を聞いていた。
付近に樹木の赤マークやテープもない。登りには間違うことはないが、下りでは私らも昔、間違った所だ。ガレ場へ下る踏み跡を小石を積んで塞ぎ、道中央のケルンは除き、道標プレートを付けてきた。

次は稲佐山からの南尾根、飽の浦峠へ下る道。立神山・天門峰への縦走には、飽の浦峠手前の「入船が丘」バス停に出なければならないが、稲佐山南尾根からの分岐に道標がない。そのまま下って行くと、飽の浦峠先の「木鉢入口」バス停へ出てしまう。この間の山行で、私らははぐれてしまった。
「入船が丘」バス停に出る稲佐山南尾根からの分岐は、九電の「三菱重工向島線2号」鉄塔が真下に見える展望の良い岩場にある。ピークに付けるべきところ、脇道があったので、すぐ先の雑木に道標プレートを付けてきた。ネームランドの印字は、日射に弱い。
ただし、「入船が丘」バス停に出る道は、急斜面で難路である。十分注意して下ってもらいたい。

十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

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十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

平成22年10月31日(日)晴。十郎岳(標高248m)から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳(標高
252m)へ。参加6人。みさき道歩会の例会。
かきどまり総合運動公園9時30分発ー十郎岳ー岩屋山分岐ー九州自然歩道(昼食)ー舞岳ー式見14時20分着(徒歩距離約12km)

十郎岳は、かきどまり総合運動公園前バス停のすぐ上にある岩峰。最初の写真が手熊側から見た十郎岳。20分ほどで登り、展望を楽しむ。岩屋山の方へ向けて尾根道を1時間30分たどり、林道が九州自然歩道へ出合った所で昼食。

午後は、岩屋山南西尾根の九州自然歩道を下る。舞岳鞍部に30分で着き、いよいよ舞岳へ。急登で20分要する。山頂の説明板にあるとおり、舞岳は大村郷村記が記す中世期の山城跡である。下りはテープを伝って行ったら、約1時間で式見向町の新道へ出た。

せっかく良い天気だったのに、なぜかデジカメはモードが違い、さえない色調の写真となった。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26398598.html

長崎外の古写真考 目録番号:5426 日光浦見の滝(1)ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5426 日光浦見の滝(1)ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5426 日光浦見の滝(1)   関連作品 目録番号:6683 日光浦見の滝(2)

■ 確認結果

目録番号:5426「日光浦見の滝(1)」と目録番号:6683「同(2)」の、正しい滝名は「裏見滝」であろう。データベース上には「日光裏見滝」で、同じような写真の目録番号:285(1)など8作品があり、タイトルの集合が必要。
修学旅行のための日光ガイドHPによる「裏見滝」の説明は次のとおり。現在の写真も同HPから。
裏 見 滝

奥日光三大名瀑(華厳滝・裏見滝・霧降滝)のひとつ。高さ45メートル 幅2メートル 落差19 メートルの滝。滝を裏側から見ることができたことからこう呼ばれています。滝の裏には不動明王が祀られ、お参りもできるがかなりせまい。資料が確認できなかったのですが、崩落があったと記憶しています。江戸時代にはもっと広かったのでしょう。

この不動尊は寛永元年(1624年)奥州の出羽三山から荒沢不動尊が迎えられ、天海大僧正の命により、裏見滝に安置されたといいます。そして男体山、太郎山、大真名子山への信仰登山のための修行場となっていたそうです。
駐車場から徒歩10分で滝までいけますが、木の橋を渡ったり岩場を歩いたりとハードな行程ですので、運動靴は必須です。滝裏には不動明王の像がありますが、飛沫がかかりますのでそれなりの格好をしていくと良いでしょう。また滝裏は非常にせまく足下も悪いので気をつけてください。

奥の細道で、芭蕉は次のように書いています。
廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめて入て滝の裏よりみれば、うらみの瀧と申傳え侍る也。
暫時は瀧に篭るや夏の初(げのはじめ)

長崎の西空の夕日  10−14

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長崎の西空の夕日  10−14

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成22年10月 9日の17時58分頃
写真  4〜 6  平成22年10月10日の17時50分頃
写真  7〜 9  平成22年10月17日の17時36分頃
写真 10〜12  平成22年10月24日の17時26分頃

稲佐山南尾根を縦走し塩浜町へ  平成22年10月

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稲佐山南尾根を縦走し塩浜町へ  平成22年10月

平成22年10月17日(日)快晴。稲佐山南尾根を縦走し、あと岩瀬道方面への新ルート山道の確認。岩瀬道ではなく、塩浜町宮地獄神社へ出た。参加11人。みさき道歩会の例会。最初の写真が、本日のコース。朝、対岸の出島ワーフから写している。
水の浦公園9時30分発ー天狗岩ー稲佐山(標高340.3m)ー南尾根ー展望岩(昼食)ー飽の浦峠ー九電作業道ー塩浜町宮地獄神社15時着(徒歩距離約10km)

水の浦公園からすぐ先右手の斜行ゴンドラが設置された石段を上がり、墓地内を通ってホテル清風先の稲佐山中腹道市道へ出る。水の浦トンネル入口まで行くと右手に石段があり、昔の登山道が残る。「天狗岩」は水の浦トンネルの真上なので、畑小屋から往復する。

登山道はあと尾根をほぼ直登。天狗岩から約50分ほどで、稲佐山展望台真下の車道カーブ地点へ出る。この道は歩く人はほとんどいない。今は荒れ気味で、車道へ出る直前がかわりにくい。
稲佐山山頂は省略。車道を少し下って南尾根の縦走にかかる。30分ほどで展望の良い岩場へ出たので昼食とした。ちょうど12時前。

南尾根はここから痩せ尾根が続く。写真を撮りながら行くと、遅れて先頭から4人がはぐれてしまった。岩をくぐって右手急斜面を下って行くと、飽の浦峠の先へ出た。岩をくぐる直前が分岐。岩をくぐらず左尾根へ下らないと峠の手前に出ないそうだ。分岐には道標が必要だ。
峠の手前「入船ヶ丘」バス停で合流。立神山・天門峰への本来の縦走路へ入る。

飽の浦峠から登って行くと、すぐ九州電力「三菱重工向島分岐線4号鉄塔」がある。本日の目的は、鉄塔すぐ下から九電作業道を歩き、岩瀬道へ出る新ルートの確認。歩きやすい山腹の道を九電標識により伝うと6号鉄塔手前で、入船町・塩浜町町境谷間の人家へ出たので、そのまま飽の浦公園前バス停へ下り解散した。

私のみルート確認があり山道へ戻って、6号鉄塔へ上がり7号鉄塔まで伝うと、7号は塩浜町山手の「宮地獄神社」境内脇だった。入船側から6号鉄塔へはまったく難解な道。誰でも歩けないだろう。
宮さんの参加ブログは、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26275050.html

新長崎漁港の水準点  長崎市三重町翡翠ヶ丘公園下

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新長崎漁港の水準点  長崎市三重町翡翠ヶ丘公園下

長崎市神の島町、四郎ヶ島西側の小島に見かけた建設省第四建設局「四建水準点」の2009年3月の記事を、次により紹介している。
https://misakimichi.com/archives/1665

今回は、長崎市三重町、翡翠ヶ丘公園下の海岸岩場で見かけた長崎県「基本水準標石」である。刻面は2面。正面「昭和六十年九月 基本水準標石」、右面「長崎県」。根元の岩にはプレートがあり、「基本水準面上6.857m」。
三重海岸変成鉱物の産地は、 https://misakimichi.com/archives/2406
「新長崎漁港」の、ウィキペディア フリー百科事典による説明は次のとおり。

長崎漁港(ながさきぎょこう)は、長崎県長崎市にある特定第3種漁港である。かつては長崎港内に位置していたが、1989年(平成元年)に主な漁港機能を長崎市北西部の畝刈・三重地区に移転した。長崎港と区別するために新長崎漁港(しんながさきぎょこう)と呼ばれることもある。
沿 革
・1951年9月7日 – 特定第3種漁港に指定。
・1972年 – 畝刈・三重地区の新漁港建設が竣工。三重浦の遠浅の海岸に埋立・浚渫を施し、湾口に防波堤を建設した。周囲は加工場・住宅地の造成も進められ、都市化が進んだ。
・1987年8月末 – 台風12号により、完成間近の新漁港が大きな被害を受けた。
・1989年 – 漁港機能を畝刈・三重地区へ移転した。

標石刻面の「昭和六十年九月」は、1985年当時のこと。「新長崎漁港」は建設途中である。長崎県がこの工事に関係して設置した水準点と思われる。