四建水準点  長崎市神の島町四郎ヶ島東側の小島

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四建水準点  長崎市神の島町四郎ヶ島東側の小島

長崎市神の島町、四郎ヶ島西側の小島に見つけた「四建三角点」を、2007年7月の記事で、次のとおり紹介している。
「四建三角点」写真は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/99

神の島の突端から海道を渡ると、佐賀藩が築いた「四郎ヶ島台場跡」である。西側が四郎ヶ島で、東側には2つのピークがある小島がすぐあり、この間も埋立て台場としている。
小島の左の低いピークに「長崎要塞第一地帯標 第二号」を見つけたので、念のため手前右の高いピークの方へも登ってみたら、小さな標石「四建三角点」があった。
ここは長崎港口に当たり、灯台のある沖防波堤が香焼側に突き出ている。この港湾工事のため当時の建設省第四建設局が設置した三角点と思われる。

2009年3月29日、久し振りに四郎ヶ島台場跡の現況調査に行った。小島の方の現地に、当時の建設省第四建設局が「四建水準点」も設置しているのがわかった。
海道へブルドーザーが入って新しい道ができている。ほしなべ氏ブログに沖波止に最近、エコ灯台ができたニュースがある。ブル道が何のための工事かわからないが、四郎ヶ島東側の小島へと続いた道を歩いてみた。

島の間の埋立て台場には、明治9年「地理局測点」を設置した記録があり、前から探していた。小島現地に測点の痕跡はなかったが、「四建水準点」と刻んだ珍しい石柱を見つけた。
20cmの角柱。頭部に直径6cmの丸型突起がある。場所は、外側海岸近く堤防のつけ根付近。以前の道を挟んで「四建三角点」と同じ距離ぐらいの反対側である。前の道のすぐ近くにありながら、これまで竹薮に覆われてわからなかった。

設置年代は、長崎外港計画により沖波止を建設したときと思われる。昭和30〜40年頃か。
HPに表われないので、確認できない。コンクリート製でそんな古い年代ものではない。
丸型の珍しい突起があり、竹薮に隠れていた「四建水準点」が、ブルのお蔭で伐り開かれ現われた。小さな標石「四建三角点」も再度、確認に行ったが、場所がもうわからなく、この日は探しきれなかった。