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国分寺跡・六面十二菩薩と顎掛け石・へそ石  壱岐市芦辺町国分本村触

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国分寺跡・六面十二菩薩と顎掛け石・へそ石  壱岐市芦辺町国分本村触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面に進む。芦辺町亀石交差点から右折し、県道174号線により芦辺港へ向かうと、ほどなく「鬼の窟古墳」があり、すぐ先に「国分寺跡」と「六面十二菩薩と顎掛け石」「へそ石」がある。

「へそ石」とあるとおり、この辺りが壱岐島の真ん中の地点。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

国 分 寺 跡    場所 ● 芦辺町国分本村触  アクセス ● 芦辺港から車で10分

国片主神社裏手。741年(天平13)に全国に国分寺創建の詔が発せられた。壱岐では新たに建立せず島司壱岐直の氏寺を「島分寺」とした。その後、釈迦堂を残すだけとなったが、1738年に中野郷の阿弥陀堂と合し、「国分寺」と改名。現在は数個の礎石が残る空き地になっている。発掘調査では平城宮と同じ瓦が出土して注目された。

へそ石と顎掛け石  場所 ● 芦辺町国分本村触  アクセス ● 芦辺港から車で10分

県道脇に木の柵で囲まれた大小2個の丸い石がある。『壱岐名勝図誌』には国分石とあり、壱岐の中心の道標にしていた。まさしくここは壱岐のど真ん中、“へそ石”の由来である。その隣に立つ石柱には、上部に六面十二菩薩の仏塔が乗っている。壱岐島の中心を定めた心の御柱であるとか、あるいはドルメン(巨石信仰)ともいわれる。柱の中ほど、ちょうど大人の顎が掛かるくらいの位置に、謎の切れ込みがある。足元を見ると子ども用であろうか、足踏台が置いてあって、思わず顎を乗せてみたくなる。でも、なぜ顎を乗せるのか不思議。

住吉神社のクスノキ  壱岐市芦辺町住吉東触

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住吉神社のクスノキ  壱岐市芦辺町住吉東触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面に向かう。ちょうどその中間くらい、国道右脇に「住吉神社」の大きな鳥居が見え、鳥居の先に神社へ下る車道がある。
明治4年、国幣中社に列格。壱岐唯一の官社となった。境内にはクスノキの大木のほか、サクラ・スギ・ヒノキの古木が神社を囲み、原の辻の広大な平野を潤す幡鉾川の源流となる。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第9章芦辺町の文化財939〜940頁及び971頁による説明は次のとおり。
住吉神社のクスノキ(2本)  町指定天然記念物

昭和51年(1976)1月1日指定   住吉東触470番地 住吉神社所有
クスノキは、暖地に多く自生する常緑高木で、非常に大形の木となり、多数の年月を経るものがある。葉は互生し、卵形で光沢があり、側脈が明らかでやや3主脈状にみえる。5月ごろ小さな花を開き、11月になると、果実をつける。木全体によい香りがあり、材に用いて種々の器具を作り、また樟脳を採り薬用とする。
この境内の鏡池のほとりに繁茂しているクスノキは神木として住民から慕われている。『壱岐名勝図誌』によれば、「此楠に現人神鎮坐せり。枝葉ことに繁茂せり」と記してあり、壱岐で一番大きなクスノキと思われる。
またもう1本のクスノキは、儀式殿の前にあり、地上すぐのところから2幹に分かれ、古くから、夫婦楠として住民から喜ばれてている。
鏡池のほとりのクスノキ    目通り 5.20m
儀式殿前のクスノキ       目通り 4.00m  目通り 3.40m

住吉神社のスギ  未指定文化財

…このスギは、本殿の左前に、まっすぐに幹がそびえ、根元から1m余りは、腐葉土に埋まっているが、樹勢もよく安国寺のスギに次いで大きいスギとして、見学者も多い。

龍養寺のスギ   壱岐市芦辺町住吉後触

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龍養寺のスギ   壱岐市芦辺町住吉後触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面に向かう。芦辺町住吉神社に着く手前に、国道左側に見える寺が「龍養寺」。参道上にスギの大木が立つ。
幹囲は4.3m、樹高は20mほど。端正な姿から壱岐の名木に数えたい。

祥雲寺の山門(石造)   壱岐市郷ノ浦町牛方触

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祥雲寺の山門(石造)   壱岐市郷ノ浦町牛方触

郷ノ浦町の中心街から勝本方面へ国道382号線により同町北はずれの「柳田」交差点まで行き、左折して猿岩へ向かう県道59号線に入ると、まもなく右手に「祥雲寺」入口を示す石柱があるので、寺まで坂を下って行く。
現地説明板は次のとおり。

市指定 有形文化財   祥雲寺の山門(石造)

所在地 壱岐市郷ノ浦町牛方触904 祥雲寺  指定 昭和53年3月19日
寺院の山門としては特異な意匠である。これがどのような考えによって設計されたのかは、伝えも資料等もなく不明であるが、明治42年(1907)に、祥雲寺5代、蓬莱広信和尚(昭和17年没)によって建てられている。当寺ではその翌年に江湖会(こうこえ 曹洞宗で四方の僧侶並びに檀信徒を集めて修行を行うこと)が催され、これを機に建立されたものといわれている。
石工は布気(ふけ 現 勝本町百合畑触)の茶屋本初蔵(慶応元年生、大正4年没)で、初蔵44歳の年の制作である。用石は俗に布気石と呼ばれる玄武岩である。
初蔵の作品はほかに柳田触の忠魂碑、住吉神社の石垣、水神社の石燈籠などがある。
ところで当寺のような石燈籠の上に鯱を載く山門は島内にはなく、おそらく広信和尚の考案であったろうが、これを彫刻した初蔵は、自身の代表作をもって応え、独創性に富んだ山門を築いたのである。それは明治期における壱岐の石工の技術の高さを示す逸品を残すことともなった。
初蔵は50歳で世を去った。惜しまれた死であったと伝えられている。
山門の総高 4m75cm
平成19年5月     壱岐市教育委員会

猿  岩  壱岐市郷ノ浦町新田触

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猿  岩  壱岐市郷ノ浦町新田触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入り、黒崎半島の先端部まで行くと「猿岩」の展望所駐車場に着く。
山上にも展望台と案内板があり登ってみたが、歩き損。木立が高くなり、伐ってもらわないと展望がまったくきかない。
半島の先へ回ると「壱岐出会いの村」。観音岩は最後の写真のではないだろうか。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

猿    岩  場所 ● 郷ノ浦町新田触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で20分

黒崎半島の先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。そっぽを向いた猿にそっくりで、気紛れな自然の造形に驚かされる。壱岐島誕生の神話によると、「壱岐の国は生き島である。神様が海の中でこの島をお産みになったとき、流されてしまわないようにと八本の柱を立てて繋いだ。その柱は折れ残り、今も岩となって折柱といわれている」とある。その八本の柱のひとつが猿岩である。駐車場脇には郷ノ浦町のアンテナショップ「お猿のかご屋」がある。

黒崎砲台跡  壱岐市郷ノ浦町新田触

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黒崎砲台跡  壱岐市郷ノ浦町新田触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入る。猿岩展望所駐車場に着くすぐ手前に地下要塞「黒崎砲台跡」の入口があり、砲台の穴を上から覗くには猿岩展望所売店横から少し上がる。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

黒崎砲台跡  場所 ● 郷ノ浦町新田触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で20分

猿岩の展望所から1分。昭和3年8月から6年かけて完成。口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km、同じ規模の砲台が韓国釜山と対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射することがなかった。巨大な地下要塞であるが、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。

爾自神社の東風石と石燈籠  壱岐市郷ノ浦町有安触

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爾自神社の東風石と石燈籠  壱岐市郷ノ浦町有安触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入る。沼津中学校まで来ると、角に「鬼屋窪古墳」の案内標識があり、左折してこの道を行く。
同古墳までの途中に「爾自神社」の案内標識があり、左の坂道を上がって行くと神社に着く。本殿後ろに割れた東風石が祀られ、石燈籠とともに町指定有形民俗文化財である。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

爾自神社  場所 ● 郷ノ浦町有安触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で20分

爾自神社の本殿裏に祀られている高さ2.7m、玄武岩の「東風石」。神功皇后が三韓出兵のとき出航の順風を祈ったところ、この石が二つに割れ、そこからさわやかな東風が吹き出したという故事による。さらに江戸時代、平戸藩は朝鮮通信使の接待を勝本浦でおこなった。しかし風待ちで逗留が続くと藩の財政が逼迫するので、必死でこの東風石に順風を祈願したという。東風石前に寄進された石灯篭は「寛文十一」(1671)と刻まれ、お伊勢参りの道中安全祈願と成就の献納だという。

鬼屋窪古墳  壱岐市郷ノ浦町有安触

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鬼屋窪古墳  壱岐市郷ノ浦町有安触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入る。沼津中学校まで来ると、角に「鬼屋窪古墳」の案内標識があり、左折してこの道を行く。最後は標識に従い細い農道へ入る。田と池のある谷間に出、右手に「鬼屋窪古墳」がある。

墳丘の封土が取り除かれて、石室だけが露出しこんな姿となっている。長崎県内で初めて発見された装飾古墳という。線刻画らしいのは確認できたが、よく写せなかった。
(線刻画は、壱岐の自然と文化遺産研究保存会HP「ようこそ 壱岐へ」を参照)
郷ノ浦町「郷ノ浦町史」平成10年刊、第三編文化財254頁による説明は次のとおり。

鬼屋窪古墳  町指定文化財 一基

鬼屋窪古墳は、形状は円墳で、古墳時代後期(7世紀)の古墳である。当墳は捕鯨の線刻画をもつ装飾古墳である。線刻画は第一袖石部南側の西側壁と東側袖石部の2ヶ所にみられる。
西側壁は壁面のほぼ中央部に舳先を南に向け8本の櫂をつけた一隻の舟が描かれている。舟の前方には鯨が描かれ、捕獲してある。東側袖石部は6隻の舟がみられたが、現在は判別し難い。
石室は従来単室とされていたが、袖石の状態からみて、複室構造の横穴式石室と考えられている。石室の長さは4.11mである。

牧崎の鬼の足跡とゴリラ岩  壱岐市郷ノ浦町渡良東触

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牧崎の鬼の足跡とゴリラ岩  壱岐市郷ノ浦町渡良東触

郷ノ浦港から町の中心通りを北西の牧崎半島へ向けて進む。車で約15分。牧崎の先端に海食崖の大穴があり、「鬼の足跡」と呼ばれている。
右方断崖すぐ近くに「微笑むゴリラ岩」。海中に立つ大岩。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

牧崎・鬼の足跡  場所 ● 郷ノ浦町渡良東触牧崎  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

郷ノ浦町の西端、牧崎の先端にある。玄武岩の海蝕崖の絶壁上に広がる草原に、ぽっかり開いた周囲110mの大穴。これは途方もなく長い時間をかけて波浸食した海蝕洞の先端部が、陥没してできた穴である。壱岐を代表する景観で、地元では、大鬼のデイが鯨をすくい捕るために踏ん張ってできた足跡で「鬼の足跡」と呼ばれている。この時のもう片方の足跡は勝本町辰ノ島の蛇ケ谷にある足跡である。牧崎の海岸に突き出たにんまり笑うゴリラ岩が愉快だ。

微笑むゴリラ岩  場所 ● 郷ノ浦町渡良東触牧崎  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

牧崎公園の「鬼の足跡」の北側海岸にある玄武岩の大岩を眺めていると、巨大なゴリラの横顔に見えてくる。頭頂部の尖り具合など絶妙なバランスで、鼻や口元の造形が粗いのもご愛敬として見れば、ゴホゴホと肩を揺らして不敵に笑っているようにも見える。黒崎半島にある壱岐のシンボル「猿岩」に向かって、まるで話かけているように海中に立っている。

壱岐渡良のアコウ  壱岐市郷ノ浦町渡良東触

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壱岐渡良のアコウ  壱岐市郷ノ浦町渡良東触

郷ノ浦港から町の中心通りを北西の牧崎半島「鬼の足音」方面へ向かう。「鬼の足跡」は、渡良浦分岐から右の道へまっすぐ進むが、しばらく行くと道路沿いの墓地前を通る。
墓地の間に「渡良のアコウ」の案内標識があり、ここから右方の車道を200m下って行くと、半城湾に臨む小さな入り江に着く。

車道は海岸で行き止まり。右上の林内を見上げると「渡良のアコウ」がすぐ近くにある。隣に空家があった。案内標識がある墓地は、渡良浦分岐と鬼の足跡のちょうど中間くらいの地点。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐渡良のアコウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和33年6月5日  所在地 壱岐郡郷ノ浦町渡良東触字美鹿崎858
所有者 郷ノ浦町
あこうは南方系のクワ科の樹木で、同科のイチジクやイタビ類に近く、その北限の一つは佐賀県の高串で、そこがあこう北限地として国の指定を受けている。
壱岐は、九州本島からはるかに離れた玄海に浮かぶ島であるが、この島の西海岸、半城湾に臨んだ海辺に指定のあこうがある。自生か植えたものかの判断は困難であるが、もし植えたものとしても貴重である。
指定は2本であるが、そのうち1本は指定前に途中から切られている。残りの1本は根回り4m、生育は旺盛である。