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金色の鯱? ホテル清風の玄関前  長崎市大鳥町

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金色の鯱? ホテル清風の玄関前  長崎市大鳥町

金色に輝く大きな鯱。稲佐山中腹のホテル清風玄関前。同ホテルHPによる説明は次のとおり。

鯱太鼓[しゃちだいこ]
(流金[るきん]出世鯉[しゅっせごい])
長崎くんちは寛永11年(1634)鎖国実施の年に始まりました。以後年毎にこの祭礼は盛んになり、今日まで受け継がれています。この「鯱太鼓」は1984年に銀屋町の新しい出しものとして小崎侃[こざきかん]氏によって製作されたものの原型です。金色の出世鯉が水面より踊り上がらんとして頭は龍に変じた姿で、別名「流金出世鯉」と名づけられた縁起物であることから当ホテルのシンボルモニュメントとして玄関前に展示しています。

鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。城などの大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという。
長崎くんち「銀屋町鯱太鼓」HPによる説明は次のとおり。

鯱太鼓は、古い時代の中国に伝わる「蓬莱鯱(ほうらいこ)伝説」を、据太鼓と山車により表現したものです。昭和60年の長崎くんちに初めて奉納しました。
「蓬莱鯱伝説」とは、古代中国において、東の方向大海中には神仙の住む国があり、そこは不老長寿の世界なり」という伝承があります。そして「その大海中に棲む神仙の鯱が、海原を裂き天空をめざして昇る時「蓬莱の鯱」となり、さらに蒼天に至ると「黄金の龍」となって人々に吉祥を招く」という言い伝えです。

烏岩神社と天狗岩  長崎市大鳥町・水の浦町

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烏岩神社と天狗岩  長崎市大鳥町・水の浦町

丸尾公園から烏岩神社一の鳥居の「お栄さんの道」へ入り、石段を登って行く。長崎港の見晴らしの良い所に「烏岩神社」はある。神体の烏岩には神社外囲いのフェンス道をさらに登る。
1枚目のお栄のホテル古写真は、丸尾公園内「旧渕村の歴史を顕彰する会」の説明板にある。
次の記事と写真も参照。 https://misakimichi.com/archives/1919

長崎Webマガジン「歌で巡るながさき」宮川密義氏文は次のとおり。
(5) 烏岩神社
「お栄さんの道」の碑の前から烏岩神社の鳥居をくぐり、細い階段を約10分上り続け、赤い鳥居が見える所、人家が途切れる最後の平屋建てが“お栄さんの居宅跡”。その右上の公園には滑り台と鉄棒があり、眼下に長崎港が広がります。
さだまさし原作「解夏」のドラマ版「愛し君へ」の第1話で“俊介が最後に見た長崎の景色”として取り入れられ、ロケも行われました。

「天狗岩」は、ホテル清風前のバス通りへ出て、先の「水の浦トンネル」上を見上げると、トンネル右上にある。岩とはわからないが、かつて対岸地区において有名な岩。展望が素晴しいのに、忘れ去られた。トンネル入口右に坂段の山道登り口がある。
稲佐山へ直登する尾根道も残っているが、荒れはじめていた。

大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (2)  平成21年8月

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大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (2)  平成21年8月

平成21年8月2日(日)晴れ。大浜登山口から稲佐山(標高340.3m)へ。下りは東尾根を天狗岩と烏岩神社の方へ道を探す。参加4人。うっかりして市民大清掃日と重なった。
マリナシティ長崎前バス停9時半発ー大浜登山口ー稲佐山公園ー稲佐山(昼食)ー東尾根ー天狗岩ー烏岩神社ー旭町桟橋前バス停15時着(約8km)

大清掃を前日などにを済ませ、都合がついた4人だけの参加となった。稲佐山は手軽な山だが、大浜登山口や天狗岩のルートはほとんど知られていない。大浜の住宅奥から沢沿いに登る。せせらぎを聞きながら緩やかな登山道。堤は戦後の三菱大浜社宅用。林間は夏向きである。
稲佐山公園の駐車場隅に出る。下山路案内がこれまでなかったが、新しく設置されていた。シカ園・サル園・稲佐山神社祠を見て、稲佐山展望台の地階回廊で昼食

東尾根天狗岩ルートは、昔の記憶により下る。だいぶん荒れているが、尾根を下れば道を間違うことはなく、快適なコースで今後もっと利用してよい。水の浦トンネル上が天狗岩。展望が良いので、薮をかき分け頂へ登った。下るとホテル清風の横に出る。
丸尾中学校と朝日小学校の間の車道を通り、烏岩神社を訪ねる。烏岩も長崎港の展望が良く、イタリア観光船が出港中だった。稲佐お栄が稲佐崎のホテルヴェスナーのあと、神社近くにもホテルを開業したが、案内坂がなくホテル跡がどこにあるのか、場所がよくわからなかった。
天狗岩と烏岩の展望は、風景で別項とする。

なお、長崎Webマガジン「歌で巡るながさき」宮川密義氏文に次があった。
(5) 烏岩神社
「お栄さんの道」の碑の前から烏岩神社の鳥居をくぐり、細い階段を約10分上り続け、赤い鳥居が見える所、人家が途切れる最後の平屋建てが“お栄さんの居宅跡”。その右上の公園には滑り台と鉄棒があり、眼下に長崎港が広がります。
さだまさし原作「解夏」のドラマ版「愛し君へ」の第1話で“俊介が最後に見た長崎の景色”として取り入れられ、ロケも行われました。

大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ  (1)  平成21年8月

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大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (1)  平成21年8月

平成21年8月2日(日)晴れ。大浜登山口から稲佐山(標高340.3m)へ。下りは東尾根を天狗岩と烏岩神社の方へ道を探す。参加4人。うっかりして市民大清掃日と重なった。
マリナシティ長崎前バス停9時半発ー大浜登山口ー稲佐山公園ー稲佐山(昼食)ー東尾根ー天狗岩ー烏岩神社ー旭町桟橋前バス停15時着(約8km)

大清掃を前日などにを済ませ、都合がついた4人だけの参加となった。稲佐山は手軽な山だが、大浜登山口や天狗岩のルートはほとんど知られていない。大浜の住宅奥から沢沿いに登る。せせらぎを聞きながら緩やかな登山道。堤は戦後の三菱大浜社宅用。林間は夏向きである。
稲佐山公園の駐車場隅に出る。下山路案内がこれまでなかったが、新しく設置されていた。シカ園・サル園・稲佐山神社祠を見て、稲佐山展望台の地階回廊で昼食

東尾根天狗岩ルートは、昔の記憶により下る。だいぶん荒れているが、尾根を下れば道を間違うことはなく、快適なコースで今後もっと利用してよい。水の浦トンネル上が天狗岩。展望が良いので、薮をかき分け頂へ登った。下るとホテル清風の横に出る。
丸尾中学校と朝日小学校の間の車道を通り、烏岩神社を訪ねる。烏岩も長崎港の展望が良く、イタリア観光船が出港中だった。稲佐お栄が稲佐崎のホテルヴェスナーのあと、神社近くにもホテルを開業したが、案内板がなくホテル跡がどこなのか、場所がよくわからなかった。
天狗岩と烏岩の展望は、風景で別項とする。

長崎の西の空の夕日  09−15

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長崎の西の空の夕日  09−15

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真 1〜 6  平成21年 7月29日の18時28分頃から
写真 7〜10  平成21年 7月31日の17時43分頃から

長崎の古写真考 目録番号:6040 高鉾島 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6040 高鉾島 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6040 高鉾島

目録番号:6046 高鉾島と貨物船

■ 確認結果

高鉾島を撮影した作品は、50点以上あった。この古写真はこれまでHPのデータベースで見たことがなく、本年6月新しく追加された作品と思われる。撮影場所の説明がない。
目録番号:6040「高鉾島」は、高鉾島が近く、これは現在、埋め立てられ陸続きとなっている鼠島(皇后島)から撮影されている。外国人の野外パーティーが行われた高台下の海岸であろう。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1873
「神功皇后御旧跡」の石碑があるし、神の島の聖母像岩場も見える。高鉾島の背後は、左が香焼島、右が伊王島となる。

次の目録番号:6046「高鉾島と貨物船」も、同じく鼠島の場所を少し変えて、高鉾島と貨物船を撮影されたと考えられる。海岸を埋め立てた岸壁から写したので、高鉾島と香焼島の重なりや形は、古写真と少し異なる。神崎鼻からは高鉾島の浜が対岸とならない。

長崎の古写真考 目録番号:6032 松の森神社側より本河内を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6032 松の森神社側より本河内を望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6032 松の森神社側より本河内を望む

■ 確認結果

古写真には「松の森神社」は写っていなく、どのあたりかわからないが、同じ光景を探した。この辺りも住宅が建て込み、写真を写すことができなくなっている。
諏訪幼稚園の上部あたりで、やっと景色が広がる。右下の木立の中にクレーン車のアーム。その下が松の森神社の屋根で、神社は工事中であった。
古写真の撮影場所がここということではない。参考のため見てもらう。

長崎の古写真考 目録番号:1003 新地蔵と出島(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1003 新地蔵と出島(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:1003 新地蔵と出島(1)
〔画像解説〕
日本で発行された英字新聞”The Far East”紙の明治4年(1871)7月1日号に掲載された写真で、撮影時期もその直前とみてよい。十人町の丘上から出島と新地、旧市街を望んでいる。いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の出島新橋、中島川河口部の長さ27間にも及ぶ新大橋、新地と梅香崎を結ぶ梅香崎橋がみえる。すべて木製の桁橋である。これらによって出島から大浦にかけての海岸通りは連結されて、そこには要所に街灯が立ち、居留地のバンド景観を形成し始めたのであった。出島のみならず、築町の地先(新大橋の左手)や新地の海側にも、和様折衷的な初期洋館が建てられていたのがわかる。しかし旧市街地には、出島の上の樹叢の中に旧奉行所西役所時代の家屋が残るのをはじめとして、在来の日本家屋が立ち並ぶばかりで、まだ洋館は一切みられない。遠く立山の裾には本蓮寺や福済寺の甍が見え、左手には湾入した長崎港が望まれる。

目録番号:5711 梅香崎橋から新大橋を見る

■ 確認結果
いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の「出島新橋」、中島川河口部の「新大橋」、新地と梅香崎を結ぶ「梅香崎橋」を撮影している古写真。
目録番号:1003「新地蔵と出島(1)」は、撮影場所を「梅ケ崎の山手(中新町)からのアングル」と説明しながら、画像解説では「十人町の丘上から」望んでいるとしている。
撮影場所は、今の梅香崎郵便局角から坂段を上がる。梅香崎町寄りの十人町「天満宮」近くで写したと思われる。架橋年も「明治3年」でなく、画像解説のとおり「明治2年(1869)」である。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1539

次の目録番号:5711「梅香崎橋から新大橋を見る」。説明中の「出島橋」は上記のとおり「出島新橋」が正しい。参考のため、長崎市教育委員会「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の129頁から、出島新橋の位置図と別の古写真を載せる。
写真−15は、長崎大学附属図書館所蔵だが、HP上で見つけきれない。

長崎の古写真考 目録番号:5895 諏訪町の通り

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5895 諏訪町の通り

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5895 諏訪町の通り

■ 確認結果

画像説明は何も問題はないが、風頭山の関連で一応、現地へ行ってみた。中島川石橋群眼鏡橋の1つ上流、魚市橋から寺町通りへ出るのが「諏訪町通り」である。新校舎となった「長崎市立諏訪小学校」正門右の所に、ちゃんと長崎さるく説明板が設置されていた。長照寺の上が風頭山となる。

長崎の古写真考 目録番号: 657 風頭山(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 657 風頭山(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号: 657 風頭山(1)     関連作品 目録番号:1195 風頭山(2)
〔画像解説〕
横浜写真の50枚組(小川一真製作と思われる)の小型アルバムに収載され、鉛筆書きでNagasakiとキャプションがある。長崎旧市街の東部に位置する風頭山の物見遊山の情景。山の麓には長崎有数の寺院が並び、中腹から頂上付近までそれらの墓地が続いている。明治以前にはこの山に清遊を試みる者も多かった。この山頂から長崎港を望んだ写真も多い。この場所は現在でも残る風頭山頂横の古い石切り場の跡であり、切り立った岩はそのためである。切り出された石は墓石に使われた。和服を来た男女31人が思い思いのポーズで写されているが、中には子供も数人いる。服装は当時の普段着として興味深いが、16人ほどの男性成人のうち5人が丁髷を結い、残りの7人は散切り頭であり、女性には和傘と蝙蝠傘を持つものがあり明治初期の風俗をよくうかがわせている。左手背後の市街は立山方面で、海の奥に浦上新田の縁が見える。明治10年代頃か。

目録番号:6123 風頭山から見た長崎市街(2)

■ 確認結果
目録番号: 657「風頭山(1)」の撮影場所は、画像解説のとおり「風頭山山頂横の古い石切り場の跡」。現在、この左上に坂本龍馬像の広場があり、右上に少し高い展望台ができている。
古写真中央左下に写る切り立った岩は特徴がある。今も残っていて、撮影場所は展望台のところに間違いないことが確認された。坂本龍馬像広場の入口あたりの道から、先の展望台の方を撮影した写真となる。

次の目録番号:6123「風頭山から見た長崎市街(2)」は、すくっと立つ松の大木。右上のピークが金比羅山(標高366.3m)である。したがって、写真中央のこんもりしたところは諏訪の杜で、諏訪神社が写っている。2枚の古写真の松の大木と下の岩は同じもので、撮影場所を少し変えて撮影したことがわかるであろう。

最初の古写真に戻ると、中央上、松の枝の右にかすかに小さく頭が見えるのが、金比羅山の山頂となる。では、その手前右上に写る高いピークは何だろう。英彦山ではない。不思議に思ったが、写真写りでそう見えるだけで、実際は岩と松とピークは続いた地面なのである。ピークを削って現在、展望台やさくら園広場ができていた。
ここも地形が変り、遊歩道の周りは桜並木となって、古写真と同じ光景を写せない。それぞれカットした写真を載せるので、総合して考えていただきたい。諏訪神社の方は展望台から望める。