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長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(1) 平成22年3月

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長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(1) 平成22年3月

平成22年3月6日(土)曇り。居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり。参加16人。
湊公園9時30分発ー広場場ー館内ー東山手ー大浦天主堂ー南山手レストハウス(昼食)ーグラバー園ー東琴平ー浪の平ー南山手地区町並み保存センター15時着(徒歩距離約8km)

安政6年(1859)の長崎開港により長崎市内に外国人居留地が造られ明治32年まで存続した。大浦・東山手・南山手・浪の平などに残る居留地時代の主な保存洋館群と、居留地境や地番標の標石約80本を訪ねた。講師はさるくガイド西岡悟氏ほか。
各標石の写真と所在地図は、本ブログの「長崎の外国人居留地跡標石」の項を参照。

今回、新たに浪の平のドンドン坂の途中で、南山手「十七番」の地番標が見つかった。アパート入口の三角溝に渡した板石の下に隠れていた。
次回は3月14日(日)に”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”午前9時30分為石バス停集合。
宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23858267.html

長崎外の古写真考 目録番号:3097 西本願寺(5) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3097 西本願寺(5) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3097 西本願寺(5)
〔画像解説〕
知恩院経蔵を御影(ごえい)堂南側より石燈籠をはさみ東に望む。経蔵は元和5年(1615)の創建で、本瓦葺で二層の宝形造である。裳階部分には壁・扉・窓がなく吹放しで、柱が立ち並んで周りを取り巻く「周柱式」が用いられている。背後には華頂山が迫る。左方から御影(ごえい)堂の屋根が姿を見せる。

目録番号:1998 寺の広場
〔画像解説〕
知恩院境内を霊塔南東側より北東に望む。石畳の参道が前方より一直線に延び、左方の本堂の御影(ごえい)堂、右方の経蔵へと続く。背後に華頂山をいただく。御影堂前には洋服にステッキを持った男性の姿、経蔵前には2対の石灯籠が見える。御影堂は寛永16年(1639)の創建で、入母屋、本瓦葺の大堂である。

目録番号:1329 知恩院

■ 確認結果

目録番号:3097「西本願寺(5)」は、画像解説では「知恩院」としながら、タイトルが「西本願寺」となっている。
目録番号:1998「寺の広場」は、タイトルを他の作品にあわせ「知恩院( )」としてよいのではないか。
目録番号:1329「知恩院」も同じ。

長崎外の古写真考 目録番号:3046 寺(6) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3046 寺(6) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3046 寺(6)

目録番号:3062 寺(8)

目録番号:4382 黒谷金戒光明寺の石段(1)  関連作品 目録番号:4919(2),4953(3)
〔画像解説〕
黒谷金戒光明寺の石段を蓮池院(熊谷堂)北側の参道より東に望む。石段両側の斜面には数多くの墓石が建ち並び、親子連れが石段を登っていく。石段上には樹林でさえぎられた文珠塔がそびえる。石段中腹左に見える阿弥陀如来座像は移築され現存しない。 文珠塔は三重の塔で、寛永11年(1634)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立された。

■ 確認結果

目録番号:3046「寺(6)」と目録番号:3062「寺(8)」は、次の目録番号:4382 「黒谷金戒光明寺の石段(1)」の画像解説にあるとおり、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」である。
「金戒光明寺」は、知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つ。承安6年(1175)法然が比叡山より下りてこの地に庵を建てたのが寺の起こりと伝えられる。新選組発祥の寺で本陣も置かれた。

長崎外の古写真考 目録番号:2750 横浜からの富士山(3)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2750 横浜からの富士山(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2750 横浜からの富士山(3)
〔画像解説〕
地点は定かでないが、富士山の大きさや山容、その他の地形から見て、富士川の流域のように見える。

■ 確認結果

目録番号:2750「横浜からの富士山(3)」は、画像解説のとおり、「富士川」の流域ではないだろうか。タイトル・撮影地域とも調整要。
別作品として、目録番号:4409「富士川からの富士山(7)」などあるので参照。
現在の写真は、富士山周辺トラベルガイドから。撮影地不明。

長崎外の古写真考 目録番号:1485 滝(4)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1485 滝(4) 

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1485 滝(4)
〔画像解説〕
場所を特定する手掛かりはない。右手前、後ろ姿の男は髷を結っている。滝の上方に3人の男が点在しているが、その男たちと比べて、この滝はそれほど大きくはないことが分かる。

目録番号: 284 日光慈観滝(1)  関連作品 目録番号:2761(2)、2876(3)、4359(4)
〔画像解説〕
日光清滝の荒沢の上流には裏見の滝、初音の滝、さらに上に慈観の滝がある。慈観の滝は日光山の僧慈観により発見された。この滝は林道工事の為流れが変えられ、現在涸滝となっている。

■ 確認結果

目録番号:1485「滝(4)」は、目録番号: 284「日光慈観滝(1)」などにあるとおり、日光荒沢川の上流、裏見滝の上にかかる「慈観滝」であろう。高さ15m、幅3m。
日光市立図書館所蔵「版画日光名勝十二景」(発行年月日:明治14年)に、「11 慈観滝」が描かれている。 http://lib.nikkocity.jp/picture/doc.shtml?1131:1
現在の写真は、日光野鳥研究会HPの2001年5月観察会報告から。

長崎外の古写真考 目録番号:3945 箱根宿か

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3945 箱根宿か 

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3945 箱根宿か
〔画像解説〕
山の形や川の流れ、建物等から判断して、箱根で該当するところはないように思われる。博捜すれば、あるいは、どこか当てはまる場所があるかも知れないが、今現在不明である。

目録番号: 293 大山
〔画像解説〕
英語で「大山の景色」と記入されているが、丹沢山系の雨降山大山寺の近くの登山口のひとつ。この寺は修験の道場で、参拝者が多く、山麓には門前町が発達し、宿坊が立ち並んでいた。

■ 確認結果

目録番号:3945「箱根宿か」は、次と同じ写真である。目録番号: 293「大山」の画像解説が正しかったら、「丹沢山系の雨降山大山寺の近くの登山口のひとつ」となるだろう。神奈川県伊勢原市大山か。大山ケーブルカーの登山口、追分あたりの旅館と思われる。この川は大山鈴川。
現在の写真は、伊勢原市観光協会HPから。同説明は次のとおり。

大山阿夫利神社下社
創建は紀元前97年崇神天皇の頃と伝えられ、大山神(おおやまずみのかみ)、雷神(いかづちのかみ)、高おかみを祭神とし、海人たちの守り神、鳥石楠船神(とりいわくすぶねのかみ)を合祀しています。本殿は山頂にあり、中腹に下社があります。

長崎外の古写真考 目録番号:1230 寺(2) 

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1230 寺(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1230 寺(2)

目録番号:3098 知恩院三門(5)
〔画像解説〕
知恩院三門を南西側から北東に望む。門前南方の小高い松の木は風のためか少し横倒しになり、足下には伐採された松の木の丸太が無造作に置かれている。知恩院三門は5間3戸、重層、入母屋造、本瓦葺で、元和5年(1619)に徳川家忠によって建立された日本最大の楼門である。

目録番号: 827 知恩院三門(2)
〔画像解説〕
京都市東山区新橋通。知恩院は、法然上人の吉水禅房にはじまる、浄土宗総本山。三門は、徳川秀忠による日本最大の楼門である。元和5年(1619)着工、2年後完成している。写真は、正面から松の木々ごしに、三門の全容を仰ぎ見る。楼上の「華頂山」の額は霊元天皇宸筆という。軒先に三手先の垂木の木口が白く整然と並んでいる。石段の下、及び中程に人影が見える。

■ 確認結果

目録番号:1230「寺(2)」は、次の同じスチルフリード(?)の目録番号:3098「知恩院三門(5)」、A.ファサリ の「目録番号: 827「知恩院三門(2)」にあるとおり、京都市東山区林下町にある「知恩院三門」だろう。

現在の写真は、京都観光サイト「京都じっくり観光」から。同説明は次のとおり。
知恩院は浄土宗の総本山であり、鎌倉時代に法然上人が住まいし、念仏の教えを説いたところ。現在の寺域は、徳川家康、秀忠、家光によって形成された。五間三戸二階二重門という三門はわが国最大で、楼上には「華頂山」の額が掲げられている。

長崎外の古写真考 目録番号:3482 博覧会場の寺山門

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3482 博覧会場の寺山門

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3482 博覧会場の寺山門

■ 確認結果

目録番号:3482「博覧会場の寺山門」は、「撮影地域:未詳」「撮影時期:未詳」で画像解説がない。寺山門の柱に掲げられた看板の字を拡大すると、たしかに「博覧会」とある。
この寺は京都府下京区にある「西本願寺」で、明治4年(1871)に開かれた日本初の博覧会の会場となった写真である。
この項は次のウェブに記事がある。 http://www.tanken.com/kyoto.html

観光都市「京都」誕生

明治2年(1869)に東京へ都が移ると、京都は人口が急減し、産業も衰退の一途をたどってしまいました。
そこで、京都復興の手段として考案されたのが、博覧会の開催でした。明治4年(1871)に開かれた日本初の博覧会は好評で、翌年には、「第1回京都博覧会」としてさらに大がかりのものが開催されたのです。当時のビラにはこう書いてありました。

《西洋諸国に博覧会とて、新発明の機械古代の器物等を普(あまね)く諸人に見せ、智識を開かせ、新機器を造り、専売の利を得さしむる良法に倣ひ、一会を張らんと、御庁に奉願、和漢古器を書院に陳列し、広く貴覧に供せんことを思ふ……》(原文カタカナ)

西本願寺で開催された博覧会。右は入口部分の拡大写真(明治4年)…

長崎外の古写真考 目録番号: 912 海岸の風景(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 912 海岸の風景(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 912 海岸の風景(1)
〔画像解説〕
場所未詳の海岸の漁村。干潮の海岸に漁船と思われる和船が10艘近く置かれ、中央には砂浜で人が写されている。漁村のほとんどの屋根が藁葺きで、僅かに瓦屋根が混じっている。横浜の近くと思われる

■ 確認結果

目録番号: 912「海岸の風景(1)」は、かなり大きな漁村の港で、背後に高い山が写っている。
横浜で発刊された英字新聞「ザ・ファー・イースト」の掲載写真とわかった。九州大学デジタルアーカイブを見ていたら、同じ写真がVol.2 No.6 1871/8/16 にあった。「指宿付近からの開門岳」と説明している。

新聞掲載写真の下には、「ODOMIWARRA-NEAR  CAPE  CHICHAKOFF」の解説英文がある。「NEAR CAPE」は「近く 岬」だろうか。「ODOMIWARRA」「CHICHAKOFF」がわからない。
「指宿付近からの開門岳」では、手前に池田湖があると景色は似るが、海岸とすると指宿の浜あたりとなり、開門岳から遠くなる。参考のため指宿からの写真を、鹿児島県総合観光サイトから載せた。九州大学に撮影場所の見解があれば、教えていただきたい。

この項は、次記事も参照。  https://misakimichi.com/archives/3108