長崎外の古写真考 目録番号:1230 寺(2) 

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1230 寺(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1230 寺(2)

目録番号:3098 知恩院三門(5)
〔画像解説〕
知恩院三門を南西側から北東に望む。門前南方の小高い松の木は風のためか少し横倒しになり、足下には伐採された松の木の丸太が無造作に置かれている。知恩院三門は5間3戸、重層、入母屋造、本瓦葺で、元和5年(1619)に徳川家忠によって建立された日本最大の楼門である。

目録番号: 827 知恩院三門(2)
〔画像解説〕
京都市東山区新橋通。知恩院は、法然上人の吉水禅房にはじまる、浄土宗総本山。三門は、徳川秀忠による日本最大の楼門である。元和5年(1619)着工、2年後完成している。写真は、正面から松の木々ごしに、三門の全容を仰ぎ見る。楼上の「華頂山」の額は霊元天皇宸筆という。軒先に三手先の垂木の木口が白く整然と並んでいる。石段の下、及び中程に人影が見える。

■ 確認結果

目録番号:1230「寺(2)」は、次の同じスチルフリード(?)の目録番号:3098「知恩院三門(5)」、A.ファサリ の「目録番号: 827「知恩院三門(2)」にあるとおり、京都市東山区林下町にある「知恩院三門」だろう。

現在の写真は、京都観光サイト「京都じっくり観光」から。同説明は次のとおり。
知恩院は浄土宗の総本山であり、鎌倉時代に法然上人が住まいし、念仏の教えを説いたところ。現在の寺域は、徳川家康、秀忠、家光によって形成された。五間三戸二階二重門という三門はわが国最大で、楼上には「華頂山」の額が掲げられている。