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雲仙の高岳と絹笠山へ  平成22年11月

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雲仙の高岳と絹笠山へ  平成22年11月

平成22年11月23日(火 勤労感謝の日)快晴。雲仙の高岳(標高771.7m)と絹笠山(同
879m)へ。参加13人。みさき道歩会の例会。
広河原林道入口9時40分発ー広河原池ー天望岩ー高岳11時35分着ー絹笠山12時50分着(昼食)ー白雲の池ー広河原林道入口14時42分着(徒歩距離 約10km)

雲仙の高岳はあまりポピュラーでない。絹笠山の背後にあり、小浜入口の谷奥右上に見える。
車3台で長崎を8時出発。小浜から雲仙へ上がる国道57号線の途中、籠立場から1kmほど先に「広河原林道」の標識がある。チェーンをした入口に駐車し、林道を緩やかに20分歩くと広河原池へ着く。林道を更に20分、高岳と絹笠山の鞍部近くまで続き終点となる。

林の中の尾根道へ上がり、高岳は左へ進む。すぐ「天望岩」という岩場があるらしいが、景色が見えないので、どの岩かわからない。尾根道を15分ほど登ると、一番高度のある道脇に大きな石があり、上に小石と神皿が置かれていた。まっすぐ進むと絶壁へ出て、一部展望がきく。

高岳山頂はここではない。絶壁への道で左方に見えるピークが三角点のある高岳山頂のようだ。神皿の石の所まで戻ると、西方へ下るあまり明瞭でない踏跡の道がある。テープを頼りに50mほど下り、植林沿いに570mほど尾根を登ると、小さな広場となって高岳三角点を見つけた。展望は九千部岳や富津方面が望まれる。

高岳三角点を見つけたし、いよいよ絹笠山へ。近くに見えながら広河原林道入口まで戻るのは、時間の無駄となる。林道終点の鞍部まで下り、絹笠山への道を探した。うまい具合に山腹を左へ巻く旧道があった。あまり巻き過ぎるので適当な谷間で上へつき上がると、絹笠山山頂がすぐ近くの原生沼からの遊歩道へ出た。

絹笠山山頂12時50分着。昼食。雲仙の紅葉は過ぎたが、快晴できょうは展望が良い。白雲の池へ下り国道で車を置いた広河原林道入口まで戻った。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26603171.html

昭和19年の海難 近海丸殉難者之碑  長崎市向町淡島神社境内

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昭和19年の海難 近海丸殉難者之碑  長崎市向町淡島神社境内

長崎市式見地区、向町の淡島神社は、蝶ヶ崎トンネルを出たすぐ右手。上の境内まで車が入る。戦時下の痛ましい海難事故で、死亡・行方不明者実に273人を出した「近海丸殉難者之碑」がある。ほとんどが式見、三重地元の人である。
近海丸事故は、式見郷土史170頁にもあるが、簡略なため現地碑文を次に記す。像の制作者は、山﨑和國氏。風頭公園の坂本龍馬像で有名である。

近海丸遭難50周年忌追悼の記

太平洋戦争熾烈な昭和19年12月24日午後1時頃、長崎交通船株式会社の連絡船近海丸(26t)が当時、西彼杵郡福田村小浦沖合いに差しかかった際、激浪を受けて転覆沈没した。近海丸は三重式見から長崎市大波止に帰航中、乗客、乗組員は疎開学童婦女老人らを含め計338人。戦争故に殊のほか食糧欠乏の時局下、乗客の殆どは食糧買い出しで乗船していた。家族肉親のため幾許かの食糧を背負い、夕餉の楽しさに心はずませ、ひとときの夢を抱いていたであろう。まして歳末のこと、正月を迎える喜びを分かち合う御心情の程は察しても、なお余りある。しかるに夢は一瞬にして消えた。

嗚悲しいかな。救助者僅かに65人。死亡、行方不明者は実に273人にものぼった。長崎水上署、稲佐署、地元消防団の懸命の救助活動も遂に及ばない悪天候下のこと、まさに痛恨の極みというべき一大海難事故ではあった。原因は激浪のなかで定員の4倍もの乗客が背負い荷ともども右舷に傾いて均衡を失ったためとわかった。明けて昭和20年8月15日、戦争は終り、平和な時代を迎えて、現在に至っている。あの憎むべき戦争なかりせば碑名の遭難者の犠牲はあり得べきものではなかった。故に50周年忌に際し人命の尊さに思いを致しつつ天界の御霊に追悼の意を表し、心からなる御冥福を祈念するものである。
安らかにねむれ亡き人よ 波しずかなれとこしえに
平成6年12月24日   建立発起人  渡辺宗人 吉原源次 門口政治 山口 寛

(2014年12月5日 追 記)  この項は、本ブログ次の記事も参照。
防災情報新聞Webで公開された「昭和19年の海難 近海丸殉難者之碑」記事
https://misakimichi.com/archives/4302

式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

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式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

長崎市の式見地区、向町に小さなアーチ式石橋が残っていた。長崎バス式見バス停から下向集落の中へ入る。バスが通る県道112号線の式見トンネルへ登る里道があり、登り口の川に石橋が架かっているのを、11月17日夕方、通りかかって見かけた。

この道は、手熊町とを結ぶ昔の重要な街道だったと思われる。写真のとおり小さいながら見事なアーチ式石橋。橋長:1.8m、橋幅:1.8m、拱矢:1.5mほど。
橋名はわからない。式見郷土史にも何も記録がなかった。仮称「下向橋」としたい。

式見〜手熊間トンネル工事は、昭和3年4月24日竣工。式見隧道より海岸に至る県道は大正15年より5ヶ年で昭和4年完成。長崎バスが城山〜式見線の運行を開始したのは昭和29年4月1日からと郷土史年表は記す。

トンネルを抜けた隣町の長崎市手熊町にも「杉の上橋」という小さなアーチ式石橋が残っている。年代は不明だが、同時期頃に架橋されたのではないだろうか。
手熊町の「杉の上橋」は、 https://misakimichi.com/archives/614

最後の2枚の写真は、蝶ヶ崎トンネル上の岩場ピーク。眺望が良く、古いコンクリート製の台座があった。正体を目下、調査中。

鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

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鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

平成22年11月14日(日)晴。土井首から八郎岳林道を車で行き、鹿尾尾根から熊ヶ峰(標高569m)・八郎岳(同590m)・兜岳(同462m)の一周縦走。参加8人。みさき道歩会の例会。
土井首バス停9時30分発ー車で移動ー鹿尾尾根ー鹿尾河原ー熊ヶ峰ー電波塔ピーク(昼食)ー八郎岳ー兜岳ー北兜岳ー鹿尾林道15時20分着(徒歩距離約12km)

本年の春、4月25日実施した八郎岳一周縦走の逆コース。前回の様子は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2321
土井首バス停から八郎岳林道を車2台で、鹿尾尾根の大カーブ地点まで行く。ここは標高300m近くあり、登山に随分と助かる。ドッグラン先に車を置き、鹿尾河原へ一旦下る。水量が本日はない。ここから展望岩を経て熊ヶ峰へ急登する。熊ヶ峰11時30分着。八郎岳縦走コースへ入り、NTT電波塔が立つピークまで行って昼食。12時15分着。

昼食後13時発。35分かかって八郎岳山頂へ13時35分着。黄砂できょうは見晴らしがパッとしない。登山者は少なく、式見の同級生グループだけだった。
八郎岳を14時発。縦走路を少し戻り、兜岳・北兜岳の方へ下る。植林が大きく育ち、快い山道となっているが、兜岳・北兜岳とも山頂は展望がきかない。車を置いた八郎岳林道の鹿尾尾根地点にちょうど15時20分着いた。
このコースは見事な八郎岳一周コースとなるが、健脚向きの難路。経験者の同行が望ましい。私の体調や気候のせいもあったが、前回より今回の逆コースの方が楽に感じた。

釣れた? 釣具店の釣人 (15)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (15)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

8月からあまり変化なし。まもなくクリスマス。サンタさんになっていた。

長崎外の古写真考 目録番号:6741 会 食

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6741 会 食

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6741 会 食

■ 確認結果

目録番号:6741「会食」で特徴的なのは、大広間に「?雨香雲」の大きな額が掲げられている。
群馬県渋川市の伊香保温泉に「香雲館」という立派な旅館がある。平成6年に新館に建て替えられているが、文久年間に「香雲館 塚越屋七兵衛の宿」として創業した由緒ある旅館。高橋是清や竹久夢二と親交があったらしい。

目録番号:6741「会食」の作品は、「?雨香雲」の額から見ると、伊香保温泉のこの宿「香雲館」だった可能性が考えられる(旅館には未確認)。
なお、この作品は、明治彩色写真アルバム(2) の1枚。同アルバムから近い番号、目録番号:
6747に「伊香保温泉(6)」があるので、参考のため掲げる。

道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

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道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

八郎岳・小八郎岳の下山路に良く利用される道。千々峠(乙女峠)から平山町へ方へ5分ほど下る。正しい道は尾根を右側へ極端に巻いて曲がるが、大木の後ろとなり先が見えない。おまけに下山路中央に小ケルンが積んであった。
ここはガレ場の上部。ケルンが反対の意味に取られ、踏み跡があるガレ場へ下り、道を間違えたという、特に市外から初めて来た登山グループの話を聞いていた。
付近に樹木の赤マークやテープもない。登りには間違うことはないが、下りでは私らも昔、間違った所だ。ガレ場へ下る踏み跡を小石を積んで塞ぎ、道中央のケルンは除き、道標プレートを付けてきた。

次は稲佐山からの南尾根、飽の浦峠へ下る道。立神山・天門峰への縦走には、飽の浦峠手前の「入船が丘」バス停に出なければならないが、稲佐山南尾根からの分岐に道標がない。そのまま下って行くと、飽の浦峠先の「木鉢入口」バス停へ出てしまう。この間の山行で、私らははぐれてしまった。
「入船が丘」バス停に出る稲佐山南尾根からの分岐は、九電の「三菱重工向島線2号」鉄塔が真下に見える展望の良い岩場にある。ピークに付けるべきところ、脇道があったので、すぐ先の雑木に道標プレートを付けてきた。ネームランドの印字は、日射に弱い。
ただし、「入船が丘」バス停に出る道は、急斜面で難路である。十分注意して下ってもらいたい。

十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

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十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

平成22年10月31日(日)晴。十郎岳(標高248m)から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳(標高
252m)へ。参加6人。みさき道歩会の例会。
かきどまり総合運動公園9時30分発ー十郎岳ー岩屋山分岐ー九州自然歩道(昼食)ー舞岳ー式見14時20分着(徒歩距離約12km)

十郎岳は、かきどまり総合運動公園前バス停のすぐ上にある岩峰。最初の写真が手熊側から見た十郎岳。20分ほどで登り、展望を楽しむ。岩屋山の方へ向けて尾根道を1時間30分たどり、林道が九州自然歩道へ出合った所で昼食。

午後は、岩屋山南西尾根の九州自然歩道を下る。舞岳鞍部に30分で着き、いよいよ舞岳へ。急登で20分要する。山頂の説明板にあるとおり、舞岳は大村郷村記が記す中世期の山城跡である。下りはテープを伝って行ったら、約1時間で式見向町の新道へ出た。

せっかく良い天気だったのに、なぜかデジカメはモードが違い、さえない色調の写真となった。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26398598.html

長崎外の古写真考 目録番号:5426 日光浦見の滝(1)ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5426 日光浦見の滝(1)ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5426 日光浦見の滝(1)   関連作品 目録番号:6683 日光浦見の滝(2)

■ 確認結果

目録番号:5426「日光浦見の滝(1)」と目録番号:6683「同(2)」の、正しい滝名は「裏見滝」であろう。データベース上には「日光裏見滝」で、同じような写真の目録番号:285(1)など8作品があり、タイトルの集合が必要。
修学旅行のための日光ガイドHPによる「裏見滝」の説明は次のとおり。現在の写真も同HPから。
裏 見 滝

奥日光三大名瀑(華厳滝・裏見滝・霧降滝)のひとつ。高さ45メートル 幅2メートル 落差19 メートルの滝。滝を裏側から見ることができたことからこう呼ばれています。滝の裏には不動明王が祀られ、お参りもできるがかなりせまい。資料が確認できなかったのですが、崩落があったと記憶しています。江戸時代にはもっと広かったのでしょう。

この不動尊は寛永元年(1624年)奥州の出羽三山から荒沢不動尊が迎えられ、天海大僧正の命により、裏見滝に安置されたといいます。そして男体山、太郎山、大真名子山への信仰登山のための修行場となっていたそうです。
駐車場から徒歩10分で滝までいけますが、木の橋を渡ったり岩場を歩いたりとハードな行程ですので、運動靴は必須です。滝裏には不動明王の像がありますが、飛沫がかかりますのでそれなりの格好をしていくと良いでしょう。また滝裏は非常にせまく足下も悪いので気をつけてください。

奥の細道で、芭蕉は次のように書いています。
廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめて入て滝の裏よりみれば、うらみの瀧と申傳え侍る也。
暫時は瀧に篭るや夏の初(げのはじめ)