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真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉

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真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉

無動寺から県道654号を西真玉へ下って行く。県道左にこんもりした木立が見える。案内板の「真玉体育センター」の道へ左折する。体育センター横に鳥居があり、裏が「真玉八幡社」である。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。一覧の名称は「21.真玉八幡神社の森」なのに、明細の「21.浦津江神社大杉の森」は誤り。上津江村の浦宮神社をミス字している。

特別保護樹林    21.真玉八幡神社の森
所在地 : 豊後高田市西真玉
所有者 : 真玉八幡神社
来  歴
神域面積およそ3.6ha。そのうち樹林は3.1ha。県指定特別保護樹林。
主林木は、イチイガシで、アラカシ、コジイ、タブノキなどを混成する。植栽の由来については、拠るべき資料がないが、社庭周辺の単木的に配置された大木は社殿造営後の植栽と思われる。
祭神は、足仲彦命ほか2神。また、山積神社ほか4社が合祀されている。神社の由来は、約1300年前までに遡る。養老4年(720)元正天皇の時代に、大隅日向両国の隼人が叛逆を企ててた。これに対し、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を立て、これを討伐した。この時に、真玉庄のの住人で大神源内というものが出陣して功を立てた。源内は陣中での夢で八幡宮を真玉庄に祭るべき旨の霊宣を受けた。凱旋の源内は、今の社地に霊璽を勧誘したというのがこの神社の由来である。

無 動 寺  豊後高田市黒土

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無 動 寺  豊後高田市黒土

天念寺前の県道546号から山越えし、「おべんの柿」を見て、真玉方面の県道654号へ出た。合流したところから少し下った、県道右側に「無動寺」がある。
山門横の空地に、ガラス越しに「鬼会面」など展示されていて珍しかった。本堂裏に「石仏公園」があるが、見る時間がなかった。無動寺側からも「天念寺無明橋」が見え、登りやすいそうだ。

無 動 寺     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無動寺(むどうじ)は、大分県豊後高田市(旧真玉町)黒土にある天台宗の寺院。山号は威王山(いおうざん)。(小岩屋山?)

概 要 養老2年(718年)に仁聞によって開かれたと伝えられる古刹で、六郷満山の中山本寺として栄え、最盛期には末寺が12あったという。
本堂には本尊の不動明王像をはじめ、大日如来座像、薬師如来座像などの平安時代から鎌倉時代にかけての16体の木造の仏像が安置されており、すべてが大分県の有形文化財に指定されている。このうち、本尊の不動明王像は、桧の一木造で、像高115.8cm。12世紀中頃の作とされる。
本堂の裏には、十六羅漢像をはじめとする石仏や石塔が並ぶ石仏公園がある。寺院の背後には、黒土耶馬(くろつちやば)と呼ばれる、耶馬渓に似た奇岩から成る絶壁がそびえる。国東六郷満山霊場第十番。

真玉のおべん柿  豊後高田市黒土

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真玉のおべん柿  豊後高田市黒土

「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」先の、長岩屋川沿い県道543号をしばらく進む。「黒土・真玉方面」の案内板があり左折する。山越えして下って行くと、車道左側に「おぺん柿」の説明板がある。この車道は下ると、県道654号へ出る。

歩道フェンス下のやや広い草地に柿の古木が2本見える。元祖の指定木は、奥の方の木。根元に倒れた標柱があった。今年、実がなったか確認できない。手前の木には、実が残っていた。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。おべん柿のたわわな実の写真は、説明板から写した。

特別保護樹木    4.真玉のおべん柿
樹種名 : カ キ
樹  齢  : 230年
樹  高  : 16m
幹  周  : 1.7m
所在地 : 真玉町大字黒土上前田
所有者 : 富山寿満
来  歴
真玉町大字黒土、所有者富山寿満家の旧屋敷跡に植えられている名木。県指定特別保護樹木。
おべん柿の由来については、西高国語サークル編「仏の里の民話を訪ねて」第55話、河野繁文作の民話がある。それによると、昔みすぼらしい旅の修行僧が水を求めて施しを乞うたが、誰も見向きもしなかったとき、おべんという婆さんが水を与えた。僧はお礼に柿の実3個を渡した。その柿の種が芽生えて成長したのが、この「おべん柿」の元祖木になったのだと伝えられている。

カキは、日本・中国・韓国及び北米の原産で、わが国で品種改良されて、日本を代表する果樹となった。県内に分布する渋柿系統には、川底(下毛郡と玖珠郡の一部)・ジージョ(前津江村)・田夫時(朝地町)・甚吉(朝地町、玖珠郡、大分郡)・祇園坊(安心院町)とおべん柿が代表的なものとされる。
県内に現存する古木では、庄内町阿蘇野の「えぶくろ柿」(推定樹齢200年)が知られているが、おべん柿はこれと同年代か、それより古く、幹周り、樹高ともに大きい。
おべん柿の元祖木は、2本並んで立っているが、指定木は入り口からみて奥の方である。大きさ、樹型、活力に差はない。秋から冬にかけて枝もたわわに実をつけている姿は、近所の名所となっている。

天念寺耶馬 無明橋一周 (2)  豊後高田市長岩屋

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天念寺耶馬 無明橋一周 (2)  豊後高田市長岩屋

豊後高田市から都甲川沿いの県道29号により東へ向かう。途中から県道543号の長岩屋川の方へ左折して行くと、「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」がある。
「無明橋」は、天念寺耶馬と呼ばれるこの上の岩峰修験道に見える天空の橋。橋長:3.0m、橋幅:1.2m、環厚:38cm、架設:大正初期頃?の単一アーチ式石橋。

「鬼会の里」建物後ろ側から登山道がある。無明橋まで約1km。往復では、登り40分、下り30分くらいかかるだろう。ただし、危険な道。注意書きが「危 険 この岩峰は、転落の恐れがある危険な箇所があります。事故等が発生した場合でも、責任は一切負えません。関係者以外の登山は、ご遠慮ください」とあった。

私は、無明橋からまだ東上の霊場まで行き、別の住宅地内下山路へ下った。撮影しながら一周したので、2時間ほどかかった。
写真(1)が、鬼会の里から無明橋の直前まで、(2)が無明橋と、それから別の下山の様子。詳しく載せる。

天念寺耶馬 無明橋一周 (1)  豊後高田市長岩屋

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天念寺耶馬 無明橋一周 (1)  豊後高田市長岩屋

豊後高田市から都甲川沿いの県道29号により東へ向かう。途中から県道543号の長岩屋川の方へ左折して行くと、「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」がある。
「無明橋」は、天念寺耶馬と呼ばれるこの上の岩峰修験道に見える天空の橋。橋長:3.0m、橋幅:1.2m、環厚:38cm、架設:大正初期頃?の単一アーチ式石橋。

「鬼会の里」建物後ろ側から登山道がある。無明橋まで約1km。往復では、登り40分、下り30分くらいかかるだろう。ただし、危険な道。注意書きが「危 険 この岩峰は、転落の恐れがある危険な箇所があります。事故等が発生した場合でも、責任は一切負えません。関係者以外の登山は、ご遠慮ください」とあった。

私は、無明橋からまだ東上の霊場まで行き、別の住宅地内下山路へ下った。撮影しながら一周したので、2時間ほどかかった。
写真(1)が、鬼会の里から無明橋の直前まで、(2)が無明橋と、それから別の下山の様子。詳しく載せる。

川中不動  豊後高田市長岩屋

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川中不動  豊後高田市長岩屋

豊後高田市から都甲川沿いの県道29号により東へ向かう。途中から長岩屋川沿いの県道543号へ左折して行くと、「天念寺」手前の川の巨岩に「川中不動」が刻まれている。
すぐ先に、豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」と休憩所がある。
現地説明板は、次のとおり。「川中不動」は、江戸時代中期、天念寺の水害除けに刻まれたとしたものもある。

川中不動
安土・桃山時代に不動明王と制吁迦童子(せいたかどうじ)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)の両脇侍が刻まれた。かつて護摩堂が存在していた。

豊後高田市の主な石橋  朝平橋・天念寺無明橋・真玉八幡社橋

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豊後高田市の主な石橋  朝平橋・天念寺無明橋・真玉八幡社橋

豊後高田市(真玉町も含む。香々地町は前掲)の石橋のうち、朝平橋・天念寺無明橋・真玉八幡社参道橋・同社護国神社前橋。天念寺無明橋は後の記事でも再掲する。豊後高田市役所近く若宮八幡社参道橋は訪ねなかった。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  4    朝 平 橋
豊後高田市梅ノ木  市指定有形文化財  都甲川
橋長:10.0m  橋幅:3.0m  径間:8.0m  拱矢:4.0m
架設:明治38年
県道29号線、県道655号線との合流点から、県道29号線を400m東進。
佐屋ノ元バス停より右折、200m先現橋の右下に架かっています。
奥に見えるのは現橋。自然石の壁石が見えます。
現橋の傍ら、一段低いところに架かっています。
(写真4は、上流の並石ダム)

写真   5〜  7    天念寺無明(むみょう)橋
豊後高田市長岩屋
橋長:3.0m  橋幅:1.2m  環厚:38cm
架設:大正初期?
県道29号線から県道543号線へ、2.8Km先左手にあります。

写真   8〜  9    真玉八幡社参道橋
豊後高田市西真玉
橋長:3.0m  橋幅:2.1m
単径間円弧桁橋
旧真玉町役場から国道213号線を300m南下、県道654号線へ。
900m先右折、460m先左折300m先にあります。

写真  10        真玉八幡社護国神社前橋
豊後高田市西真玉
橋長:4.4m  橋幅:1.1m  桁厚:15cm
2径間桁橋
鳥居には「護国神社」とあります。

ゆずりは両面板碑  豊後高田市梅木

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ゆずりは両面板碑  豊後高田市梅木

富貴寺先の県道655号の奥まで行き、山越えして県道29号まで下る。下る途中、梅木集落内の橋際に、「ゆずりは板碑」が立つ。
現地説明板は、次のとおり。

県指定有形文化財  ゆずりは両面板碑
時代−鎌倉末期
総高161cm、碑身143.5cm、巾72.5cm、角閃石安山岩。
両面板碑は当地方では珍しく、全面中央部にキリーク(弥陀)少し下がって両脇にカ(地蔵)イー(地蔵)が、背面には釈迦を主尊とする種子が夫々刻まれている。

冨 貴 寺  豊後高田市蕗

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冨 貴 寺  豊後高田市蕗

豊後高田市から桂川沿いの県道34号により東へ向かう。田染真中から県道655号へ左折して行くと、「富貴寺」がある。
富貴寺HPによる説明は、次のとおり。

国宝冨貴寺
四季折々に美しく表情を変えるみほとけの里、国東蓮華山冨貴寺(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ。天台宗に属しています。寺伝によると、養老二年(718)仁聞菩薩の開基といわれています。
昔この地に、高さ970丈もある榧(かや)の大木がありました。その影は数キロを越えにもおよんだそうです。竹田番匠が、この榧の木一本で大堂を造り、仏像を刻んだといいます。その余材で牛を刻み、それでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなりました。その地に建てたお堂が、真木の大堂であると言い伝えられています。

国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は日本の四大壁画の一つに数えられています。
境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像梵字石などが多数あります。
とどまらむ 時の流れにすぐられて 今に残れるだにも尊し    田吹 繁子

大堂への入り口である、山門の両端に地石ををつかった仁王様が入門する人々に睨みをきかしている
仏像 本尊は阿弥陀如来坐像で、高さ約85センチの榧(かや)材寄木造り。螺髪(らほつ)で、二重円光を背負っています。現在は素木のままですが、もとは華麗な漆箔像であったらしく、螺髪にそのあとが見られます。
伏し目がち、半開きのまなだし、ふくよかな相貌をしており、藤原時代末期の作と推定されています。本堂には阿弥陀三尊像が安置されており、阿弥陀如来坐像は高さ約88センチ観世音菩薩と勢至菩薩はともに立像で約108センチ。藤原時代末期の秀作で、現代は県指定有形文化財になっています。

笠塔婆 (柱上の塔身上に笠石、宝珠を置く)も五基あります。鎌倉時代の僧侶広増によって建立され、最も古いのは仁治二年(1241)のものです。(昭和40年県指定有形文化財)
国東塔は国東地方に特有の形式だということで、天沼博士が命名された由緒あるものです。大小二基のうち、大は無銘、小は慶長八年(1603)と墨書の銘があります。

元宮磨崖仏   豊後高田市真中

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元宮磨崖仏   豊後高田市真中

真木大堂から北へまっすぐ進む。真中で豊後高田市方面の県道34号と交差するが、そのまま県道655号に入り、富貴寺方面へ直進する。すぐ左側崖に「元宮磨崖仏」がある。

国指定文化財等データベースによる「熊野磨崖仏 附 元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏」の説明は、次のとおり。いずれもこの地方彫像における一環の関連性をもつものとして価値を有する。
「元宮磨崖仏」は、熊野磨崖仏に付帯し、鍋山磨崖仏とともに国指定史跡となっている。

名称: 熊野磨崖仏 附 元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏
ふりがな: くまのまがいぶつつけたりもとみやまがいぶつおよびなべやままがいぶつ
種別1: 史跡
指定年月日: 1955.02.15(昭和30.02.15)
追加年月日: 1996.03.28(平成8.03.28)
指定基準: 三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県: 大分県
所在地(市区町村): 豊後高田市大字平野・大字真中・大字上野
解説文:
字登尺と称せられる地域にあり、鋸山の山懐中に存する熊野権現社の境内にあたる岩壁に南面して造顕されている。東方に存する仏像は如来仏の像容を示すもので、上半身のみ露呈しているに過ぎないが、現長約6.80mを有し螺髪をいただき相■もまた雄偉森厳の趣を示し、頭上の後背光の上部に三種の梵字曼荼羅が刻されている。西方約12.5m離れて不動明王像あり現長約8.30mを有し、豪毅な彫風を示し、いずれも平安時代の製作とみなされる。 豊後地方は優秀な磨崖仏の多数分布していることによって顯著であるが殊に本仏像の如きは最も雄大なものであり、頭上の曼荼羅もまた他に類例を見ぬ特異なものであり、この種の磨崖仏としてその価値は高い。

鍋山磨崖仏は同市大字上野にあり、不動明王像及び二童子が刻され、元宮磨崖仏大字眞中にあり、天部像三体童子像一体が刻され、いずれもこの地方彫像における一環の関連性をもつものとして価値を有する。