長崎県」タグアーカイブ

赤土海岸にクジラ打ち上げられる  長崎市大籠町 ( 長崎県 )

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赤土海岸にクジラ打ち上げられる  長崎市大籠町

きょう2016年4月8日(金)11:57配信、KTNテレビ長崎のみんなのニュースは、次のとおり。現地は長崎市南部の大籠町赤土海岸、製塩工場跡がある砂浜のところ。自宅近くであり、午後2時頃に見学に行った。
ブルーシートで覆われ、腐敗の臭いがすでに酷かった。明日以降、重機を入れ処分される。

長崎半島にクジラ打ち上げられる

きょう午前7時半ごろ、長崎半島の西海岸に体長およそ7mのクジラの死骸が打ち上げられているのが見つかりました。死後数日経っているとみられます。
クジラが打ち上げられていたのは、長崎市南部の大籠町の海岸です。きょう午前7時半ごろ、通行人から「クジラが打ちあがっているようだ」と警察に通報がありました。長崎大学水産学部の研究員も現場に駆けつけ調べたところ、クジラは体長7mほどの子供のザトウクジラで、死後数日経っているとみられますが、強い臭いを発しているものの腐敗は進んでいません。ザトウクジラがこの周辺の海で打ち上げられるのは珍しいということです。
長崎大学水産学部 海棲哺乳類研究室 塩﨑彬さん「群れ自体がこの辺に来ているのか単なる偶然なのかその辺を調査したい」「喉の部分が膨らんできていないので比較的まだ新鮮な状態。今すぐこれが爆発することはない」
長崎大学は今後、県や市とクジラの処理方法を検討することにしています。

旧出島橋 再び 江戸時代の石材発見、復元へ ( 長崎県 )

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旧出島橋 再び 江戸時代の石材発見、復元へ

きよう2016年4月6日(水)付朝日新聞長崎地域版の記事は、次のとおり。

長崎)江戸時代の石材出土 旧出島橋を復元へ 長崎市

長崎市江戸町で2015年度まで2年間行われた発掘調査で、江戸時代に出島と対岸を結んだ旧出島橋の石材が大量に見つかった。市はこの石を使って旧出島橋を復元することを決め、今年度から仮組みに向けた調査に取りかかる。鎖国の時代に、多くの西洋の文物が渡った旧出島橋が、120年以上の時を経てよみがえる。…

この項は、本ブログ次などを参照。
・長崎の幕末・明治期古写真考 ドイツが観た幕末日本 169頁 ⅤⅠ−47 出島橋
https://misakimichi.com/archives/3573
・出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった
https://misakimichi.com/archives/3978
・出島表門橋デザイン再考を  長崎新聞「声」欄から
https://misakimichi.com/archives/4318

長崎市や文化庁が行うこれまでの出島表門橋の復元計画は、今更、何だったかと感じる。私たちは、プロセイン・ドイツが観た幕末日本の記事で、「このフォトリトグラフの存在を知っているのだろうか。川岸には橋が架かっていた場所の石材のような石がまだ散乱している」と、現況写真を載せ2013年2月当時から指摘していた。

長崎市深堀町「深堀陣屋跡」の貴重な遺構も、カトリック教会建設のため無残に壊された。その上、「海側の石垣が崩落し、修理を「急傾斜地対策事業」の補助を受けるらしいです。コンクリで固めてしまうのではないかと思われます。海側の石組みに文化財的な価値が存在していないならよいのですが、価値があるなら、どんな修復になるか心配です」との危惧も聞いている。
長崎市の文化財行政は、価値認識と先見性が足りなく、無駄な公費ばかり使っているのではないだろうか。

野母半島の桜名所へ花見(2)  樺島灯台公園・権現山公園 ( 長崎県 )

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野母半島の桜名所へ花見(2)  樺島灯台公園・権現山公園

2016年4月2日(土)快晴。午後から野母半島の桜名所へ妻らと花見。(1)は、布巻町の元宮公園と黒浜町の黒浜ダム。(2)は、野母崎樺島町の樺島灯台公園と野母町の権現山公園の様子(各9枚ずつ。妻撮影も含む)。
桜は今が満開、山桜も綺麗だった。黒浜ダムは、一周ウオーキング(約1.8Kⅿ)。

野母半島の桜名所へ花見(1)  元宮公園・黒浜ダム ( 長崎県 )

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野母半島の桜名所へ花見(1)  元宮公園・黒浜ダム

2016年4月2日(土)快晴。午後から野母半島の桜名所へ妻らと花見。(1)は、布巻町の元宮公園と黒浜町の黒浜ダム。(2)は、野母崎樺島町の樺島灯台公園と野母町の権現山公園の様子(各9枚ずつ。妻撮影も含む)。
桜は今が満開、山桜も綺麗だった。黒浜ダムは、一周ウオーキング(約1.8Kⅿ)。

香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(2)  長崎市香焼町 ( 長崎県 )

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香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(2)  長崎市香焼町

2016年3月21日(月 振り替え休日)夕方、香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ妻らとウォーキング。長崎市HPイベント情報によると、本年度のチューリップまつりは来週から開催となるが、チューリップはほとんど開花し見頃となっていた。

香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(1)  長崎市香焼町 ( 長崎県 )

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香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(1)  長崎市香焼町

2016年3月21日(月 振り替え休日)夕方、香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ妻らとウォーキング。長崎市HPイベント情報によると、本年度のチューリップまつりは次のとおり。来週から開催となるが、チューリップはほとんど開花し見頃となっていた。花壇の写真は主に妻撮影。

第9回 香焼チューリップまつり開催!

今年も、香焼地区の春の風物詩「香焼チューリップまつり」を開催します。安保地区花壇では、40種類、5万本の色鮮やかなチューリップが咲き誇り、皆様を歓迎します。「綺麗な花のまち香焼」にお越しいただき、春の訪れを感じませんか。

オープニングイベント 平成28年3月27日(日曜日) 午前10時から午後3時 (予定)
場所(アクセス)
香焼安保地区花壇(地図参照)
長崎バス「香焼恵里行き」に乗り、「安保」で下車。
長崎駅より車で約30分(駐車場はありません。) ※イベント期間は臨時の駐車場有

岳路海岸の風景  長崎市蚊焼町岳路 ( 長崎県 )

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岳路海岸の風景  長崎市蚊焼町岳路

2016年3月7日(月)夕方、岳路方面へウォーキング。折山バス停からホテルパルコ、産廃処分場前を通る市道により、岳路集落と海水浴場に下り、国道へ上がった。
目的は、国道499号改良工事による岳路海水浴場入口バス停下付近の「岳路みさき道」道塚の所在確認。前記事のとおり道塚は無事だったが、途中の岳路海岸の風景を写してきた。

「岳路みさき道」の道塚は無事だった  3月7日現地確認 ( 長崎県 )

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「岳路みさき道」の道塚は無事だった  3月7日現地確認

長崎市三和地区の蚊焼町岳路付近で現在、一般国道499号(長崎・野母崎線)道路改良工事が各所で行われている。急なカーブが多く、バスなど離合が困難な区間の拡幅工事である。
私たちがこの工事で心配だったのは、岳路海水浴場入口バス停下にある「岳路みさき道」を示す貴重な道塚1本(今魚町建立)の所在である。この区間は第16工区で、昨年8月から本年3月までの工事期間となっている。

そろそろ工事が完成に近づき、きのう夕方、この道塚がどうなっているか、現地確認に行った。上の新国道歩道側からも望めるし、工事関係者に了解をもらい、現地を訪ね写真を写してきた。道塚はまったく移設されてなく、無事だった。
バス停から集落へ下る里道は新しく広い道となるようだか、その折り返しカーブ途中にこれからはなる。
永一尾の山の稜線を行く「みさき道本道」に対し、蚊焼・岳路・黒浜・尻喰坂・以下宿へと続く海岸回りの「岳路みさき道」もあったことを示す貴重な道塚である。長崎市の方には史跡指定と説明板をお願いしたい。

岳路の道塚については、本ブログ次を参照。
岳路回りのみさき道(岳路みさき道) https://misakimichi.com/archives/135?type=folderlist
岳路「みさき道」の踏査と草刈り整備 2013年4月 https://misakimichi.com/archives/3650

「岳路みさき道」の私たちの考察は次のとおり。みさき道歩会研究レポート「江戸期のみさき道 第1集」平成17年発行の81〜82頁に掲載。

H 岳路回りのみさき道(岳路みさき道)

1 なぜ「岳路みさき道」というか
岳路に今魚町の道塚があることから、岳路回りのみさき道のコースがあったことが推定される。蚊焼から永一尾の山の稜線を行きゴルフ場の道塚から高浜へ出るいわゆる「みさき道本道」に対する、海沿いの蚊焼・岳路・黒浜・以下宿の集落を通って、高浜毛首の延命水の手前で本道と合流するもう一つの「みさき道」である。私たちが道を区別したり書きものをするとき、そう呼んでいるだけで、正式な名前でないし認知はされていない。

2 「岳路みさき道」とはどういった道か
蚊焼から先の永一尾の稜線に、道塚が見あたらないのは不思議なことであったが、妙道尼信女墓の所に道塚があったと記憶されている人(蚊焼桑原氏)はおり、徳道とゴルフ場にある道塚を結ぶと、この稜線の道が「みさき道」であったことは間違いない。関寛斎は「長人」を通っている。
しかし、このコースを外れて岳路に1本だけ、しかも同じ今魚町の道塚が離れてある。なぜか。わかったいきさつや詳しいコースは後に述べるが、これは海沿いに岳路を回るもう1本の「みさき道」であった。生活道として集落を結ぶ道がまずあったことは、当然なことである。本道との分岐は蚊焼西大道の道塚であることは往路で説明している。この道は実際歩いて楽なのである。
元禄十四年「肥前全図」に描かれている赤線の道は、この道のようであり、明治の後半期に入り栄上から蚊焼に抜ける道が整備されると、かえってこのコースの道が利用されたと考えられる。長崎—野母間の船便が運航され、外海が荒れたときは蚊焼まではなんとか船で来られたが、後は歩いて家に帰ったという体験談を聞く。

3 岳路の道塚とはどこにあるか
岳路グランドの先にある岳路海水浴場入口バス停留所から、岳路の集落へコンクリート舗装をされた道を100mほど下ると左手に電柱があり、斜面の上5m位のところにある。普段は蔓と棘に覆われわかりにくいが、電柱にプレートがあり踏み跡がある。地元の人はよく知っている。
すぐ上は国道で、左に傾いて立っている。正面「みさき道」左側面「今魚町」。下から見るので「今魚町」が正面に見える。

4 岳路の道塚はどこへ続く道か。「尻喰坂」(しっくいさか)とはどこか
道塚の周りは藪で道から離れた場所にあり、向きがおかしい。これまで発表された資料にあまりこの道塚はふれられず、疑問だった。岳路グランド駐車場の公衆便所上に地蔵祠があり、地蔵を関連づけて町境を登りみさき道の本道に合うほどよい道や、黒浜ダムの右尾根を上がり徳道に出る山道が見つかり、これではないかと一時考えた。しかし遠回りである。
無駄足を踏みながら、地図で以下宿に「尻喰坂」(しっくいさか)なる名前の道があることを知った。岳路から黒浜・以下宿と今の国道は海岸の断崖が続く。海岸は通れなかったはずと思い、この坂に分け入った。立派な街道が残り、以下宿の南の谷を上り高浜毛首の延命水へ道は続いていた。
「尻喰坂」とは、黒浜トンネルの手前から以下宿の老人ホーム「永寿園」先の地蔵堂に抜ける峠越えの坂である。厳密には以下宿側をいい、以下宿から上るのがきつく、その状態を言うという。延命水の地点は、往路において「のもざきの漫歩」の民話が紹介したとおり「野中の一本松」があり、黒浜のこどもたちが高浜の学校へ通うのにいつまでも使われた道であった。

5 岳路の道塚は位置を動いてないか
この道塚は、黒浜方面に行く国道とバス停から岳路集落へ下る細道の中間斜面に立っており、国道の路側、法面(のりめん)と思われるところである。しかも左へ大きく傾いている。国道の工事のとき土砂で流された可能性がある。岳路グランド上の地蔵と下の集落へ下る道ともあまり続かない地点である。なぜこの場所なのか、ずっと考えていた。
わかったのは三和町の字名全図を役場で見せてもらった時である。字名でいえば「岳路首」「葉山」「樫木原」の三つの入り組んだ字の境点であった。字の境が街道や古道であったことが多いのは、平山台上長崎道分れから蚊焼峠間ですでに学習をしていた。やはりこの道塚は動いていないし、字の境がここでは街道だったのである。後で明治地図や蚊焼村図を手に入れ見てみても、この地点であった。
ただし、この推定が通用するのは、あくまで道塚や文献など証拠物があるときと考えている。
この岳路あたりも、字境はみごとに古道である。三和町だけの図しか持たないが、蚊焼から岳路を通り野母崎町の町境まで、次の「岳路みさき道」のコースは、ほとんど字境である。海水浴場入口の次のバス停は「岳路」で浦岡商店がある。この家の裏を街道が通っていたと主人が話したが、正にそのとおりであった。そして先に「東道上」「西道上」とも街道に関係すると思われる字名が出てくる。

6 蚊焼から岳路までの道はどうなるか
岳路の道塚とその先高浜延命水につながる道はわかったが、蚊焼から岳路まではどうなるか。これは、蚊焼西大道の道塚から道塚の指す「みさき道」の左道でなく、分岐の右道を試しに歩いていてほぼわかっていた。畑の中を下りながらいったん晴海台へ行く車道を突っ切り、墓地の脇からまっすぐ下ると蚊焼小学校の正門前に出る。途中に地蔵が多い。
蚊焼の大川沿いに左を行き、蚊焼浄水場先は左に折れる上流でなく、古葛根農地造成工事中の右脇を回って国道を横切り、松永建設に上る横の車道に入る。竹林となり先は畑道が続き、しばらく行くとエホバの証人のところで国道に出る。これが昔の街道である。鯨浜へ回る道や今の国道ではないのである。ここで畑をしていた人は元郵便配達で、自転車で毎日この道を通ったと聞かせてくれた。
後は岳路グランドへそのまま行き、駐車場上の地蔵を越して岳路海水浴場入口バス停に出る。

春の草花  河津桜とこぶしなど ( 長崎県 )

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春の草花  河津桜とこぶしなど

雛祭りの2016年3月3日(木)快晴。やっと暖かくなり、長崎に春が来た。ウオーキングで妻が歩いている長崎市布巻町と平山町のサイクリング道路沿いに見た河津桜とこぶし。河津桜はみのり園奥にもあったらしい。
それに我が家の庭のクリスマスローズ、桜草、トサミズキ、ビオラ。いずれも妻の撮影。

伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回  2016年2月 ( 長崎県 )

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伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回  2016年2月

伊能忠敬は、文化10年8月19日から9月19日までの1か月に亘って長崎やその周辺を測量しているが、今日、長崎に於いて伊能の足跡を記す史料は極めて乏しい。僅かに『長崎志続編(続長崎実録大成)』に「8月19日、測量御用の為に、天文方高橋作左衛門手附伊能勘解由着。旅宿炉粕町大同庵。9月18日当地出立す」とあるのみである。
…そこで、伊能忠敬の測量日記、遠山景普日記、長崎オランダ商館日記(五)などをもとに、伊能の測量隊が長崎に到着し滞在していた頃の長崎の様子を明かにし、その理由を考察してみることにする。…

2016年2月20日(土)、長崎街道ネットワークの会主催により”伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回(沿海)”が実施された。元伊能忠敬研究会入江正利氏とみさき道歩会の共催。
午前10時にJR長崎駅かもめ広場に集合、日記等から追跡図のとおり要所を訪ね、新地町市民病院前(運上所跡)で解散した。参加35人。参加料各回1000円は、資料代と伊能顕彰碑に充てる。
1月23日(土)に実施した第1回(市中)、桜馬場天満宮から炉粕町大同庵跡(現立正佼成会長崎教会の地)までの状況は、次を参照。  https://misakimichi.com/archives/5074

前記は、講師の長崎街道ネットワークの会会長江越弘人先生稿「伊能忠敬の長崎測量と長崎奉行」から主旨のみ抜粋。詳しい資料と説明は省き、実施状況を写真によって報告する。
後ろの3枚は、私が帰りに寄った新地湊公園”長崎ランタンフェスティバル”会場の様子。

この項は、本ブログ次なども参照。長崎市観光政策課からは新年度予算がつけば、同地にさるく説明板を設置したいとの回答はあっている。
伊能忠敬長崎測量の止宿は、諏訪神社下の地
https://misakimichi.com/archives/4394
伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑  杵築市杵築
https://misakimichi.com/archives/4909
伊能忠敬の足跡伝承 熱海・伊豆山の老舗旅館に標柱新設  静岡新聞NEWS(2015/12/2)
http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/175572.html