出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった ( 長崎県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった

朝日新聞長崎地域版2014年7月25日の記事は、次のとおり。

「旧出島橋」橋台の一部出土 8月2日に見学会
国指定史跡「出島和蘭(オランダ)商館跡」の復元を進めている長崎市は24日、出島表門と対岸を結ぶ旧出島橋の取り付け部分「橋台(きょうだい)」の一部が出土したと発表した。
橋台は、橋を架けるため両岸から突き出た埋め立て部分。それぞれ先が三角形になり、その頂点のあたりに橋が架けられる。江戸時代の出島には、30メートル弱隔たった両岸から橋台が突き出し、長さ約4・5メートルの橋がかかっていたという。
出土したのは、出島の対岸側の橋台と護岸の計3カ所の石垣で、長さは2〜8メートル程度。対岸側にあった建物の撤去に伴い、6月から発掘調査を進め、7月上旬に出土した。橋台の幅が約14メートルだったこともわかったという。…

新聞記事では良くわからないが、この項は、本ブログ次を参照。出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった。「プロセイン・ドイツが観た幕末日本」169頁  ⅤⅠ−47 長崎、出島橋、1861年、ベルグによるスケッチに基づくフォトリトグラフも残されている。
https://misakimichi.com/archives/3573

出島復元「2050年目標」は、長崎市に整備審議会が提言をしている(朝日新聞2014年3月5日)。「出島表門橋架橋プロジェクト」は、長崎市HPを参照。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/792000/792600/p025477.html
「3 架橋の課題」を次のとおり記している。現在のところプロポーザルで提案された表門橋デザインを見ると、アーチ式石橋の復元は困難なようであるが、「ミニ出島」模型くらいは、正しい石橋で展示してもらいたい。

1.明治以降の中島川変流工事により、出島は扇形の内側が約15m削り取られ、川幅が当時と異なるため、石橋の復元ではなく出島へのルートを復元するための架橋事業となります。
2.河川の管理、防災面の配慮が必要です。
3.出島側は国指定史跡なので、史跡を削り橋台の設置することができません。
4.架橋は、旧出島橋の歴史的考証を行った上で事業を進め、架橋する橋が“復元”と混同されないようなデザインにする必要があります。

長崎・アトリエ ウララブログに、明治初期にオーストリア人写真家スチルフリードによって撮影された出島表門橋の貴重な古写真があったので、次を参照。出典は不明。
(長崎新聞から引用) 当初木製だった表門橋は、1678年にアーチ型石橋(全長4,5m)へ架け替えられたそうである。 http://blog.livedoor.jp/aqua8288/archives/2013766.html