「岳路みさき道」の道塚は無事だった  3月7日現地確認 ( 長崎県 )

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「岳路みさき道」の道塚は無事だった  3月7日現地確認

長崎市三和地区の蚊焼町岳路付近で現在、一般国道499号(長崎・野母崎線)道路改良工事が各所で行われている。急なカーブが多く、バスなど離合が困難な区間の拡幅工事である。
私たちがこの工事で心配だったのは、岳路海水浴場入口バス停下にある「岳路みさき道」を示す貴重な道塚1本(今魚町建立)の所在である。この区間は第16工区で、昨年8月から本年3月までの工事期間となっている。

そろそろ工事が完成に近づき、きのう夕方、この道塚がどうなっているか、現地確認に行った。上の新国道歩道側からも望めるし、工事関係者に了解をもらい、現地を訪ね写真を写してきた。道塚はまったく移設されてなく、無事だった。
バス停から集落へ下る里道は新しく広い道となるようだか、その折り返しカーブ途中にこれからはなる。
永一尾の山の稜線を行く「みさき道本道」に対し、蚊焼・岳路・黒浜・尻喰坂・以下宿へと続く海岸回りの「岳路みさき道」もあったことを示す貴重な道塚である。長崎市の方には史跡指定と説明板をお願いしたい。

岳路の道塚については、本ブログ次を参照。
岳路回りのみさき道(岳路みさき道) https://misakimichi.com/archives/135?type=folderlist
岳路「みさき道」の踏査と草刈り整備 2013年4月 https://misakimichi.com/archives/3650

「岳路みさき道」の私たちの考察は次のとおり。みさき道歩会研究レポート「江戸期のみさき道 第1集」平成17年発行の81〜82頁に掲載。

H 岳路回りのみさき道(岳路みさき道)

1 なぜ「岳路みさき道」というか
岳路に今魚町の道塚があることから、岳路回りのみさき道のコースがあったことが推定される。蚊焼から永一尾の山の稜線を行きゴルフ場の道塚から高浜へ出るいわゆる「みさき道本道」に対する、海沿いの蚊焼・岳路・黒浜・以下宿の集落を通って、高浜毛首の延命水の手前で本道と合流するもう一つの「みさき道」である。私たちが道を区別したり書きものをするとき、そう呼んでいるだけで、正式な名前でないし認知はされていない。

2 「岳路みさき道」とはどういった道か
蚊焼から先の永一尾の稜線に、道塚が見あたらないのは不思議なことであったが、妙道尼信女墓の所に道塚があったと記憶されている人(蚊焼桑原氏)はおり、徳道とゴルフ場にある道塚を結ぶと、この稜線の道が「みさき道」であったことは間違いない。関寛斎は「長人」を通っている。
しかし、このコースを外れて岳路に1本だけ、しかも同じ今魚町の道塚が離れてある。なぜか。わかったいきさつや詳しいコースは後に述べるが、これは海沿いに岳路を回るもう1本の「みさき道」であった。生活道として集落を結ぶ道がまずあったことは、当然なことである。本道との分岐は蚊焼西大道の道塚であることは往路で説明している。この道は実際歩いて楽なのである。
元禄十四年「肥前全図」に描かれている赤線の道は、この道のようであり、明治の後半期に入り栄上から蚊焼に抜ける道が整備されると、かえってこのコースの道が利用されたと考えられる。長崎—野母間の船便が運航され、外海が荒れたときは蚊焼まではなんとか船で来られたが、後は歩いて家に帰ったという体験談を聞く。

3 岳路の道塚とはどこにあるか
岳路グランドの先にある岳路海水浴場入口バス停留所から、岳路の集落へコンクリート舗装をされた道を100mほど下ると左手に電柱があり、斜面の上5m位のところにある。普段は蔓と棘に覆われわかりにくいが、電柱にプレートがあり踏み跡がある。地元の人はよく知っている。
すぐ上は国道で、左に傾いて立っている。正面「みさき道」左側面「今魚町」。下から見るので「今魚町」が正面に見える。

4 岳路の道塚はどこへ続く道か。「尻喰坂」(しっくいさか)とはどこか
道塚の周りは藪で道から離れた場所にあり、向きがおかしい。これまで発表された資料にあまりこの道塚はふれられず、疑問だった。岳路グランド駐車場の公衆便所上に地蔵祠があり、地蔵を関連づけて町境を登りみさき道の本道に合うほどよい道や、黒浜ダムの右尾根を上がり徳道に出る山道が見つかり、これではないかと一時考えた。しかし遠回りである。
無駄足を踏みながら、地図で以下宿に「尻喰坂」(しっくいさか)なる名前の道があることを知った。岳路から黒浜・以下宿と今の国道は海岸の断崖が続く。海岸は通れなかったはずと思い、この坂に分け入った。立派な街道が残り、以下宿の南の谷を上り高浜毛首の延命水へ道は続いていた。
「尻喰坂」とは、黒浜トンネルの手前から以下宿の老人ホーム「永寿園」先の地蔵堂に抜ける峠越えの坂である。厳密には以下宿側をいい、以下宿から上るのがきつく、その状態を言うという。延命水の地点は、往路において「のもざきの漫歩」の民話が紹介したとおり「野中の一本松」があり、黒浜のこどもたちが高浜の学校へ通うのにいつまでも使われた道であった。

5 岳路の道塚は位置を動いてないか
この道塚は、黒浜方面に行く国道とバス停から岳路集落へ下る細道の中間斜面に立っており、国道の路側、法面(のりめん)と思われるところである。しかも左へ大きく傾いている。国道の工事のとき土砂で流された可能性がある。岳路グランド上の地蔵と下の集落へ下る道ともあまり続かない地点である。なぜこの場所なのか、ずっと考えていた。
わかったのは三和町の字名全図を役場で見せてもらった時である。字名でいえば「岳路首」「葉山」「樫木原」の三つの入り組んだ字の境点であった。字の境が街道や古道であったことが多いのは、平山台上長崎道分れから蚊焼峠間ですでに学習をしていた。やはりこの道塚は動いていないし、字の境がここでは街道だったのである。後で明治地図や蚊焼村図を手に入れ見てみても、この地点であった。
ただし、この推定が通用するのは、あくまで道塚や文献など証拠物があるときと考えている。
この岳路あたりも、字境はみごとに古道である。三和町だけの図しか持たないが、蚊焼から岳路を通り野母崎町の町境まで、次の「岳路みさき道」のコースは、ほとんど字境である。海水浴場入口の次のバス停は「岳路」で浦岡商店がある。この家の裏を街道が通っていたと主人が話したが、正にそのとおりであった。そして先に「東道上」「西道上」とも街道に関係すると思われる字名が出てくる。

6 蚊焼から岳路までの道はどうなるか
岳路の道塚とその先高浜延命水につながる道はわかったが、蚊焼から岳路まではどうなるか。これは、蚊焼西大道の道塚から道塚の指す「みさき道」の左道でなく、分岐の右道を試しに歩いていてほぼわかっていた。畑の中を下りながらいったん晴海台へ行く車道を突っ切り、墓地の脇からまっすぐ下ると蚊焼小学校の正門前に出る。途中に地蔵が多い。
蚊焼の大川沿いに左を行き、蚊焼浄水場先は左に折れる上流でなく、古葛根農地造成工事中の右脇を回って国道を横切り、松永建設に上る横の車道に入る。竹林となり先は畑道が続き、しばらく行くとエホバの証人のところで国道に出る。これが昔の街道である。鯨浜へ回る道や今の国道ではないのである。ここで畑をしていた人は元郵便配達で、自転車で毎日この道を通ったと聞かせてくれた。
後は岳路グランドへそのまま行き、駐車場上の地蔵を越して岳路海水浴場入口バス停に出る。