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入来麓周辺の「石敢当」調査(概略図⑤〜⑪分)  薩摩川内市入来町浦之名

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入来麓周辺の「石敢当」調査(概略図⑤〜⑪分)  薩摩川内市入来町浦之名

今回訪ねたのは、サイト「近世以前の土木・産業遺産」に関係した鹿児島県リストの入来麓武家屋敷群周辺の「石敢当」調査である。
薩摩川内市文化課から後で入手した日本ナショナルトラスト資料「清色城と入来麓武家屋敷群」178頁「(5)石敢当」と、「所在概略図」は、ズームで見てもらいたい。末尾に市パンフレット図も追加した。
石敢当は詳細を省き、現地確認写真のみ掲載する。(⑤⑦⑪は、調査不明や未済)

⑨「元文4年(1739)」の年代銘があるのが、入来では一番古い石敢当となり、全国でも5番目に古いという。
私が薩摩川内市入来支所を訪ねたとき、この石敢当は支所の方では所在がわからなかった。後日、文化課資料により、小路地区で所在確認をして、画像を送ってもらった。
武家屋敷群は、船瀬橋手前の小路地区もその一部である。したがって、小路地区の石敢当は、入来支所の提供写真である。市文化課職員も再度、小路地区へ出向き、石敢当の年代銘は確認した。
(写真7〜8が、小路地区馬場の石敢当⑨ 元文4年)

入来麓周辺の「石敢当」調査(概略図①〜④分)  薩摩川内市入来町浦之名

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入来麓周辺の「石敢当」調査(概略図①〜④分)  薩摩川内市入来町浦之名

今回訪ねたのは、サイト「近世以前の土木・産業遺産」に関係した鹿児島県リストの入来麓武家屋敷群周辺の「石敢当」調査である。
薩摩川内市文化課から後で入手した日本ナショナルトラスト資料「清色城と入来麓武家屋敷群」178頁「(5)石敢当」と、「所在概略図」は、ズームで見てもらいたい。末尾に市パンフレット図も追加した。
石敢当は詳細を省き、現地確認写真のみ掲載する。

⑨「元文4年(1739)」の年代銘があるのが、入来では一番古い石敢当となり、全国でも5番目に古いという。
私が薩摩川内市入来支所を訪ねたとき、この石敢当は支所の方では所在がわからなかった。後日、文化課資料により、小路地区で所在確認をして、画像を送ってもらった。
武家屋敷群は、船瀬橋手前の小路地区もその一部である。したがって、小路地区の石敢当は、入来支所の提供写真である。市文化課職員も再度、小路地区へ出向き、石敢当の年代銘は確認した。

清色城跡と入来麓伝統的建造物群保存地区  薩摩川内市入来町浦之名

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清色城跡と入来麓伝統的建造物群保存地区  薩摩川内市入来町浦之名

鹿児島県教育委員会HPによる説明は、次のとおり。

清色城跡
【所在地】薩摩川内市入来町浦之名字庵之坂
【種 別】国指定史跡
【指定年月日】平成16年9月30日平成21年7月23日追加指定

標高50〜98mの台地上に位置し,周囲3㎞で三方を清色川が流れる。シラス台地特有の切り立った空堀を有し,本丸・中之城・西之城・求聞持城・物見之段・松尾城等16の曲輪からなる縄張りは特筆である。
中世薩摩地方の在地豪族として活躍した入来院氏の城跡で,武家社会研究に資している文書が残り,かつ麓の居館地域の重要伝統的建造物群保存地区と一体となった景観を呈する山城跡である。

薩摩川内市入来麓伝統的建造物群保存地区
【所在地】薩摩川内市入来町大字浦之名
【種 別】国選定重要伝統的建造物群保存地区
【選定年月日】平成15年12月25日

入来町は鹿児島県の北西部の薩摩郡南部に位置し,町域は三方を山に囲まれ,川内川に合流する樋脇川の沖積地に市街地が展開する。鎌倉時代中期,相模国御家人渋谷定 心が惣地頭となり,その末裔は入来院と称し,明治維新に至るまでほぼ一貫して領主として存続する。江戸時代,鹿児島藩は鹿児島城を本城として,領内各地に外城と呼ぶ行政区画を設けて統治にあたり,入来はその外城の一つである。外城には行政庁である領主居館とそれを中心とする麓とよばれる武家屋敷地が設けられるが,入来ではそれ以前の文亀元年(1501)に清色城の裾野に屋敷を配し,麓と称していた。入来町入来麓伝統的建造物群保存地区は,近世に武家屋敷地として整備された麓のほぼ全域で,中世の山城である清色城跡の東面山裾と樋脇川に囲まれた東西約750m,南北約550m,面積約19.2haの範囲である。保存地区の北半は緩やかに湾曲する街路に沿って不整形に屋敷割されるのに対して,領主居館跡の東に位置する南半は東西路4本と南北路2本を骨格とした整った街路構成をとり,それに沿って整形に屋敷割される。現在でもその地割が旧態をとどめ,屋敷割もよく残る。保存地区内では江戸時代末期の武家屋敷の主屋およびその形式を継承して明治期から昭和初期までに建てられた主屋をはじめ,表門や付属屋,さらに街路に面して築かれた石垣などが伝統的建造物として特定され,保存の措置が講じられている。これらの伝統的建造物群と石垣上の生垣や庭園,植木等が緑豊かな独特の歴史的風致を形成している。
入来町入来麓伝統的建造物群保存地区は,鹿児島藩の旧武家屋敷地で,中世の麓集落を基盤として,近世になって整備された街路構成と地割をよく残すとともに,武家屋敷を構成する主屋やこれを囲む石垣や生垣などが周囲の環境と一体となって,麓の特色ある歴史的景観を現在によく伝え,我が国にとって価値が高い。

この項は、本ブログ以前の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/2089

世界一?郷水車  薩摩川内市祁答院町藺牟田 

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世界一?郷水車  薩摩川内市祁答院町藺牟田 

サイト「Look 鹿児島」による説明は、次のとおり。大水車は、岡山県・埼玉県・岐阜県にもあり、直径24メートルのものもできている。祁答院の水車は、直径13.2メートル。規模も造りもとても及ぶまいが、「郷水車」という意味が、下記のようなことがあるのかも知れない。

世界一郷水車

薩摩川内市祁答院町藺牟田地内竜仙郷にある世界一郷水車です。祁答院町を代表する有名な水車です。水車の特徴は、川の流れによって回るものではなくて、サイホン式で水を上まで吸い上げそこから水を落下させて回転させています。
水車の後方には、粉引き小屋もあり、そば引きもできるようになっていますが、現在は使われていません。

山王岳環状列石  薩摩川内市祁答院町藺牟田

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山王岳環状列石  薩摩川内市祁答院町藺牟田

現地説明板は、次のとおり。藺牟田池一周道路の途中に入口案内板があった。

山王岳環状列石

山王岳山麓の斜面にあり、ひとかかえほどの大きさの自然石の根元を数個の小石で支え、さらにその周囲を環状に直径30〜40センチの自然石を並べて囲んだものである。
直径は1.4メートル〜2メートルくらいで、このような環状列石が上部に1基、中部に2基、下部に3基、計6基ある。
考古学上これを環状列石基あるいは支石基と呼んでいるが、年代や造立意趣は不明である。恐らく古代人の祭祀遺跡と思われる。
平成12年度設置  薩摩川内市 教育委員会

藺牟田池の泥炭形成植物群落  薩摩川内市祁答院町藺牟田

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藺牟田池の泥炭形成植物群落  薩摩川内市祁答院町藺牟田

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

藺牟田池の泥炭形成植物群落
【所在地】薩摩川内市祁答院町藺牟田 1994
【種 別】国指定天然記念物
【指定年月日】大正 10 年3月3日

藺牟田池は,飯盛山や愛宕岳などの外輪山に囲まれた火口湖である。湖面の標高は海抜295m で,池の直径約1 km,周囲約 3.3km のほぼ円形をしていて,深さは最も深い所で約 3.5m ほどである。
この池の西方と北方岸の一帯には低層湿原が発達しており,ジャヤナギやヨシ,マコモ,フトイ,アンペライなどの挺水植物が群生している。これらの植物は枯れると堆積し,炭化して泥炭層を形成する。さらにこの一部が湖底から離れて水面に浮かび上がったのが浮島で,大小無数(約 300)の浮島が各所に点在している。これらの浮島は渇水期には池の底に定着しているが,増水期になると湖面に浮かび,風によって移動する状態を観察することができる。またこれら浮島上には上記の他,サンカクイ,アシカキ,ススキ,ヤマアワ,コブナグサ,カリマタガヤ,ヒトモトススキ等の植物も観察できる。さらに近年,池
の周囲に北アメリカ原産のラクウショウ(ヌマスギ)が数本植栽され増殖している。この木は,水没しても呼吸できる呼吸根が発達している。
浮島は北方の寒冷な高層湿原では普通に見られるが,低層湿原では極めて珍しく,泥炭形成植物群落として天然記念物に指定され,保護されている。またこの池は,ベッコウトンボの生息保護地区としても貴重である。

蒲生のクス  姶良市蒲生町上久徳

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蒲生のクス  姶良市蒲生町上久徳

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。最後の写真は、神社本殿右前のカヤの大木。蒲生のクスは、本ブログ以前の記事も参照。
https://misakimichi.com/archives/2081

蒲生のクス
【所在地】姶良市蒲生町上久徳 2258 蒲生八幡神社
【種 別】国指定特別天然記念物
【指定年月日】昭和 27 年3月 29 日(国指定天然記念物 大正 11 年3月8日)

わが国にはクスノキの巨木が多く,国の天然記念物に指定されたものが 30 本もあり,そのうち3本は県内にある。蒲生町八幡神社境内のクスノキはその中でも最大で,根回り33.57m,目通り周囲 24.22m,高さ約 30m で,昭和 63(1988)年の環境庁(現環境省)の調査で日本最大の巨樹と認められた。また幹の基部は凹凸が多く,内部は直径 4.5m の空洞になっており,枝葉も繁茂して眺めは壮観である。
このクスノキの樹齢は不明であるが,保安4(1123)年蒲生舜清が居を蒲生に定め,同年2月 21 日,この地に八幡神社を建立した当時,すでに神木として取り扱ったことが伝えられているので,少なくとも千数百年を経たものと推定される。
近年,樹勢の衰えが目立ったため,樹木医による診断を受け,薬剤の注入や,根幹の踏みつけ防止等,各種の処置が施され,樹勢の維持・回復を図っている。

鹿児島市西佐多町の吉田貝化石層 鹿児島市西佐多町

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鹿児島市西佐多町の吉田貝化石層 鹿児島市西佐多町

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

鹿児島市西佐多町の吉田貝化石層
【所在地】鹿児島市西佐多町4281(指定地はこの一部)
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】平成20年4月22日

吉田貝化石層は,琉球列島に分布する琉球層群(石灰岩)の分布最北部の地層である。
化石は,おもにフジツボの破片からなり,二枚貝,巻貝,サメの歯,カメの甲羅等が見つかっているが,このような化石構成種は珍しく,日本では他に報告されておらず学術上貴重である。

指定地場所がわかりにくいが、鹿児島市の北西部。県道20号と合流する県道40号桑之丸交差点のだいぶん手前、永盛温泉前バス停の橋のところから東側の谷間へ入る。
すぐ「ガイアテック吉田工場」が見える。ここが西佐多浦鉱山吉田貝化石の加工場である。化石層は工場敷地内で立ち入り禁止。操業中は見学できないだろう。駐車場内にそれらしき鉱物を展示していたので、写してきた。会社HPによると、次のとおり紹介していた。

ガイアテック吉田工場 貝化石工場

吉田工場アラゴナイト天然貝化石
鹿児島市西佐多町に広がる山稜の一隅に厚い火砕流堆積物に覆われた地層の下部に、昔から吉田貝層として知られた鉱物で約10万年〜40万年前の堆積鉱床です。当工場はこの貝化石を農業、水産業、畜産業、養鶏業の健全な経営にお役に立てねばならない思いこの度、生産、販売に着手致しました。

●貝化石事業部
■面積 約3ヘクタール
■生産量 5,000T/年
■生産品目 貝化石
アラゴマリーン(水産飼料)
アラゴマリーン(水質・底質改良材)
アラゴファーム(農業用肥料)
アラゴフィード(畜産飼料)
アラゴフィード(養鶏飼料)
■吉田工場 住所 鹿児島県鹿児島市西佐多町4364

明治35年建「鹿児島県里程元標」  鹿児島市東千石町

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明治35年建「鹿児島県里程元標」  鹿児島市東千石町

この標石は、中央公園(元鹿児島県庁跡)の東側、西本願寺別院角に残る。HP「かごしまデジタルミュージアム」による説明は、次のとおり。大正8年の道路法制定による「道路元標」とは違う。

資料名:県里程元標
分 類:文化財−史跡等
制作年:明治
地 域:鹿児島市東千石町
キーワード:明治三五年 基点 
解 説:(本情報は、「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」から掲載しています。下記のとおり)

県里程元標   所在地 東千石町西本願寺別院角
1902(明治35)年10月にたてられたもので、ここを起点にして県内各地へ至る距離がしるされています。

明治6年の太政官布告などによる建立の経過は、次ブログを参照。鹿児島市立美術館(元鹿児島市役所跡)角にも、里程標があるとのこと。 
http://blogs.yahoo.co.jp/naidraugopak/24106120.html
私が見たのは、後ろの写真どおり志布志市志布志町関屋口あたりの市街地。古江港(鹿屋港)や宮崎県境までの距離を示す里程標があった。場所はもう思い出せない。

世界で初めて精子が発見されたソテツ  鹿児島市城山町

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世界で初めて精子が発見されたソテツ  鹿児島市城山町

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。後ろの写真は、手前の鹿児島県立博物館正門脇の屋外展示化石など。
なお、鹿児島県立博物館考古資料館の石造建築も、国登録有形文化財である。

世界で初めて精子が発見されたソテツ
【所在地】鹿児島市城山町1-1
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】平成20年4月22日

植物細胞学者,遺伝学者の池野成一郎は,ソテツの受精した胚珠を観察して精子を発見した。これは世界で初めてソテツの雄の生殖細胞が精子であることを発見した偉業である。
このとき,池野に観察材料となる胚珠を提供したソテツが,現在,鹿児島県立博物館の旧考古資料館前に植栽されているソテツ群である。

鹿児島県立博物館考古資料館
【所在地】鹿児島市城山町 1− 1
【種 別】登録有形文化財
【登録年月日】平成 10 年 12 月 11 日

明治 16(1883)年,県の興業館として建設され鹿児島の産業振興に大きな役割を果たした。その後市役所,県立博物館,県立博物館考古資料館として使われてきた。現存する鹿児島の石造建築としては,尚古集成館(重要文化財)についで2番目に古い。
石造アーチ橋の文化圏にある鹿児島ならではの石造建築で,左右対称を重視し,両側端に入口を設け,洋風を基調としながら,随所に和風モチーフの細部,それにインドのスツーパ風の高欄の擬宝珠を混在させた特異な建造物として知られる。