月別アーカイブ: 2016年10月

宜野座村のカチバ  宜野座村松田・漢那 ( 沖縄県 )

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宜野座村のカチバ  宜野座村高松・漢那

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。猪垣とは、方言「カチバ」と呼ばれ、宜野座地域では明治以前からどこの集落も、集落周辺の畑と山の間に廻らせていた。現在、確認できるのは、「宜野座村の文化財分布地図」によると、松田地区と漢那地区の3箇所に表示されている。
私が訪ねたのは。村の東部・松田地区「高松の猪垣(カチバ)」。国道329号宜野座大橋を過ぎて、左上高台へ上がる町道に入り、松田地区高松の交差点手前に史跡説明板があった。赤線の猪垣跡を神社手前まで辿った。
村の西部・漢那地区は、漢那原平松原ハウス団地組合の高台農道脇に残るようなので、これが猪垣か断定できないが、農道沿い左側の主な土盛り跡を写してきた。漢那福地川右岸のは、はっきり確認できなかった。

高松のカチバ たかまつ(カイクン)
(国頭)宜野座村 松田地区 猪垣(土塁) 約2.3㎞→ 1.2㎞,高約1m 琉球王国時代 市教委/
WEB(みさき道人) 猪垣→保安林 土塁の上にテーブルサンゴ石や竹槍を刺し、島竹を植え、猪が土塁を越えないよう工夫されていた 2 B

漢那のカチバ かんな
(国頭)宜野座村 猪垣(土塁) 集落全体,高さ約1m 琉球王国時代 市教委/WEB 集落内なので途切れ途切れに残る 低い土塁と密生した木だけの簡単な構造 3 C

名古川の泉(ナコウガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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名古川の泉(ナコウガー)  金武町金武

国道329号金武大橋を渡り、金武町中川区の中川バス停まで行く。右側にローソンあり、左右どちらの町道から入ってもよいが、合流するところの草原奥に「名古川の泉(ナコウガー)」の井泉がある。
現地説明板には「国頭方東宿道に隣接した井泉は、往時の役人や旅人が労を癒したところであったと伝えられている」とある。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

ナコウガー(名古川)の泉 [記念物(遺跡)]
中川区名古川原10408番地に位置し、部落の先人達が生活の中で造り利用した掘り下げの井泉で、南西約350mの地内に背からの集落が多く見受けられます。近年まで地域住民の飲料水であり、元旦の若水を汲み、産水として利用された井泉です。井泉の下方には野菜・芋・農具の洗い場や牛馬の洗い場などがあり、近くの子供たちの遊び場でもありました。
花城文進氏(83才)によれば、泉の近くの畑に花城、屋比久両家の藍つぼがあり、付近の畑では昭和初期頃まで藍の栽培が営まれ、藍つぼは昭和50年代までその跡をとどめていたそうです。昭和37年に上水道が地域に普及し、生活様式の変化と共に泉も生活用水として利用されなくなり、今日まで至っています。
指定年月日 :平成6年4月28日
所在地 :金武町字金武10408番地

茶 川 (サーガ)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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茶 川 (サーガ)  金武町金武

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。慶武田川(キンタガー)から離れた東側にあるが、場所がわかりにくいから、国道329号にいったん戻る。金武大橋の手前、県道104号入口の金武交差点から反対側の南へまっすぐな町道に入る。
しばらく進むと広い四つ角あり、左折して谷間へ下ると左奥にうなぎ養殖場のハウスが見える。「茶川 (サーガ)」がこの養殖場の水源となっているので、場内に入れてもらい奥に行くと「茶川(サーガ)」の湧水がある。
所在図㉟のところ。坂段上はヤブとなって道から入れない。

茶川 サーガ
(国頭)金武町 湧水 琉球王国時代? 町史跡 WEB 四角の囲いはコンクリート製 石灰岩基盤の多孔質より湧出る水を、囲いに引いた井戸 3 C

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

茶川(サーガ) [ 記念物(遺跡)]
茶川(サーガ)の泉は、琉球石灰岩基盤の多孔質より湧出る自然的な古い形態をとどめた囲い井泉です。金武の古謡に「神人来りて、福蔵の水清し・・・」とあり、水清しは茶川の泉からの清流を謡ったのではないかと暗示されています。
豊富な湧水は、茶川の水田から水田へ送る「田越灌漑」により、福花原の水田に利用されていました。
また、イジュイダカリや美里原の地域住民の飲料水として昭和38年頃まで利用され、地域住民の生活と深い関わりを持った泉です。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武12041番地2

慶武田川(キンタガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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慶武田川(キンタガー)  金武町金武

国道329号金武町の中心部、金武町役場入口の交差点まで行き、南東へ町道の坂道を下る。並里公民館の右下に「金武大川(ウッカガー)」の井泉である。この町道をまだ下って行くと、並里部落南東の端に「慶武田川(キンタガー)」の井泉がある。
現地に案内標識や説明板は特にない。「金武大川(ウッカガー)」にある所在図から参照㉞

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

慶武田川(キンタガー) [ 記念物(遺跡)]

慶武田川の泉は並里部落南東の端に位置し武田原を前に控えた大きな井泉です。森を背にした井泉は夏場でも渇水することがなく、慶武田川の水は底から湧出ると伝われるくらい、豊富な水量を有しています。昔は樋からあふれ出る水を利用して、「もやし作り」が行われていた時期もありました。
昭和38年頃に各家庭に水道が普及するまでは、泉は地域住民の飲料水として、また洗濯・水浴場・農産物洗い場として利用され、地域住民の日常生活に欠くことのできない井泉でした。地域住民の生活感情や風習との関わりを持ち、長い歴史をとどめた希有な井泉です。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武919番地

金武大川(ウッカガー)  金武町金武 ( 沖縄県 )

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金武大川(ウッカガー)  金武町金武

国道329号金武町の中心部、金武町役場入口の交差点まで行き、南東へ町道の坂道を下る。並里公民館の右下に大川児童公園がある。この前が「金武大川(ウッカガー)」の井泉である。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

ウッカガー(金武大川) [ 記念物(遺跡)]
ウッカガー(大川)は、並里部落の中央に位置する部落共同井泉で、カーヤマを背に湧出る清水は、県下に知られた井泉です。大正12年に衛生上の見地から改修計画金武並里両区で経費を負担し、大正13年1月に竣工されました(金武町史より)。
コンクリートで用途別に区切り、道路を境に泉口の堰を飲料水、近くに男女の水浴場を設け、道路下方を洗濯、芋洗場、更に下方に牛馬の水浴せ場をして構築されました。水道が普及するまで金武並里住民の飲料水の汲み場であり、元日の若水を汲み、もやしを作り、夏の水浴を楽しむ語らいの場で朝に夕に人々が絶えない場でした。
豊富な水量は、かんばつ時にも変わることなく、余水は武田原に注ぎ用水として稲・水芋の産地を形成しています。生活様式や地域社会の変化の中で幾度か変遷を重ねながらも、「長命の泉」を象徴するように湧き続ける井泉は、先人達よりの文化遺産です。
指定年月日 : 平成4年5月7日
所在地 : 金武町字金武640番地

屋 川(ヤゴー)  与論町麦屋 ( 鹿児島県 )

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屋 川(ヤゴー)  与論町麦屋

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。与論町役場から県道623号を南回りし与論小学校角まで向かい、南の町道へ右折すると「屋川」の洞井(湧水)はあるようである。
画像提供は、(社)ヨロン島観光協会。「奄水」(アマンジョウ)とも所在図も、同協会「ヨロン島まるごとマップ」から。

屋川 ヤゴー
(大島)与論町(与論島) 洞井(湧水) 永正9(1512) 町史跡 WEB 非現役 与論世之主(又吉按司)による与論城跡築城の際、来朝した沖縄の石積工が発見したという伝承/昭和45頃まで、城集落の飲料用水として利用されていた 2 C

与論町教育委員会HPの文化財による説明は、次のとおり。

屋川(ヤゴー)
この地下のわき水は、与論世之主が築城時代より使用されたという説があり、城集落の生活用水として利用されていたが、水道施設がなされてからは使用されていない。 ちなみに、この流水は南海岸のウジジ浜に流れ出ている。

観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武 ( 沖縄県 )

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観音寺のフクギ・観音寺・日秀洞  金武町金武

国道329号金武町金武の中心部から、奥の通りの「金武観音寺」へ入る案内標識がある。「日秀洞」は、観音寺境内にある鍾乳洞。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

観音寺のフクギ [天然記念物]
観音寺のフクギは、正門礼拝道を下った17m左側に位置し、その樹根・樹枝の大きさは、沖縄本島各地の樹木(フクギ)調査の中でもひときわ大きいフクギの木で、各地の調査と比較した結果によると樹齢約350年と推定された希少な巨木です。
幾年代の歴史を積み重ね成長し強く根を張り、高く、どっしりとそびえるその樹影に愛郷のこころを育む巨木です。
近年、金武町に於いても宅地の整地、土地造成事業等による緑の破壊が進む中で、自然的な景観と緑に対する町民の認識を深める上からも、このような稀有な巨木は町の遺産だと考えています。
指定年月日 : 平成3年12月24日
所在地 : 金武町字金武222番地

観音寺 [建設物]
観音寺は、16世紀に日秀上人によって創建されました。 現存する観音寺は、昭和17年に再建されたものですが、建築手法には近世社寺の手法が取り入れられています。 沖縄県下の社寺建築の多くは、今次大戦で焼失しましたが、幸い観音寺は戦災を免れ、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築として今日に至っています。
指定年月日 : 昭和59年6月1日
所在地 : 金武町字金武222番地

伊芸のガジュマル  金武町伊芸 ( 沖縄県 )

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伊芸のガジュマル  金武町伊芸

国道329号金武町伊芸の中心集落から、伊芸地区公民館へまっすぐ北に入る道がある。このすぐの左角の先にがじまる公園があり、大きなガジュマルの木「伊芸のガジマル」が生える。

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

伊芸のガジマル [天然記念物]
伊芸旧区事務所跡の「がじまる」の樹は金武町地内の熟成木の中でも樹齢約300年と云われる稀な名木で、その毅然と立つがじまるの樹は部落の多くの出来事を見守り、村芝居や綱引き等部落の行事を興し、農作業の労を癒し人々の語らいの場を提供しています。
また、年輪を重ねる毎に部落の歴史を刻み地域の風土を語り、部落の風景を創り出します。
この名木の「がじまる」の樹を町文化財として保護・育成する事により、町民の郷土に対する認識と理解を深め、文化の高揚に資することを目的としています。
指定年月日 : 平成3年7月12日
所在地 : 金武町字伊芸33番地

屋嘉の大井戸  金武町屋嘉 ( 沖縄県 )

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屋嘉の大井戸  金武町屋嘉

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道329号沿い金武町屋嘉の中心集落から、底森御嶽神社へまっすぐ北に入る道がある。この2つ目角から右折すると、屋根付き「屋嘉の大井戸」の石積井(湧水)がある。所在図のとおり。

屋嘉の大井戸 やか・ウフカー
(国頭)金武町 石積井(湧水) 琉球王国時代? 町有形民俗 WEB 屋根は後付け周囲の囲いもコンクリート製 屋嘉の村カーとして構築(石積みの掘り下げ井戸) 3 C

金武町HPの金武町指定文化財による説明は、次のとおり。

屋嘉のウフカー(大井戸) [民俗文化財(有形)]
ウフカー(大井戸)は、部落の中央に位置する石積みの掘り下げ井戸で、屋嘉の村カーとして構築されたと伝承されています。
ウフカーは往時より人々の生活に欠くことのできない生命の水であり、カミカー(神井戸)として部落の祭司と深い関わりを持っています。
部落の長い歴史とともに、民俗信仰行事が今日まで継承されているカミカー(神井戸)です。
指定年月日 : 平成5年4月27日
所在地 : 金武町字屋嘉14番地

カンジャガー  恩納村恩納 ( 沖縄県 )

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カンジャガー  恩納村恩納

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道58号により恩納村役場前まで行く。国道対面のまっすぐな村道に入り、恩納公民館先から左折、カトリック教会から下の急坂へ下ると、「カンジャガー」の石積井(流下式水源)がある。
8枚目以降の写真は、散策ルート説明板にあった①の場所の「カマラガー」。琉球泡盛古酒「萬座」が、酒造所の近くにある嘉真良井(カマラガ—)の湧き水を仕込み水として使用した、恩納酒造所を代表する商品とある。

カンジャガー
(国頭)恩納村 石積井(流下式水源) 琉球王国時代 村有形民俗 WEB コンクリートの覆いと鉄柵付き 石造の小型井戸(流し場を伴う)/住民の信仰の対象 3 −

じゃらんnetによる説明は、次のとおり。

カンジャガー
民家の密集する位置に今でも残る石造りの井戸。古くから産井(ウブガー)として地元の人々が生活の中で利用してきた。琉球王朝時代から正月の村拝みの時には村の有志が集まり、このカンジャガーを拝む習慣は現在にも伝わっている。名称の由来は、近くに鍛冶屋があったためにつけられたと言われている。
人々に親しまれ続ける村人たちの貴重な井戸。