月別アーカイブ: 2015年5月

乙丸馬頭観音のクロガネモチ  南関町大字細永 ( 熊本県 )

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乙丸馬頭観音のクロガネモチ  南関町大字細永  

くまもと緑・景観協働機構サイトの老樹名木めぐりによるデータは、次のとおり。国道443号南関町関東交差点から県道23号に入り町の中心、関下交差点の少し先まで行く。金光教南関教会の案内板のある町道へ左折する。金光教南関教会の手前にクロガネモチ標識があり、右折して南の山手へ上がって行くと、乙丸集落奥に馬頭観音堂がある。

乙丸の黐(おとまるのもちのき)

所在地・樹種・樹齢(推定)・幹囲・樹高
玉名郡南関町  クロガネモチ  300年   4.3m  27m
県内最大のクロガネモチ
馬頭観音の境内にあり、まっすぐに伸びた幹の上部にこんもりと枝葉が集中しています。クロガネモチとしては異例の樹高を誇っていましたが、台風で上部を失い現在の樹形となりました。町指定天然記念物です。
【場所】
迎町交差点から南へ徒歩15分。乙丸馬頭観音境内。

尾楢の追分道標  南関町大字細永字尾楢  ( 熊本県 )

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尾楢の追分道標  南関町大字細永字尾楢  

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道443号南関町関東交差点から県道23号に入り町の中心、関下交差点の少し先まで行く。金光教南関教会の案内板のある町道へ左折すると、これが旧豊前街道である。金光教南関教会を過ぎ、山手へ街道を上がって行くと、細永尾楢の分岐道に追分道標がある。

尾楢の追分道標 おなら
(玉名)南関町 <豊前街道/高瀬街道> 境界石(凝灰岩) 高1.25m,幅25,厚26㎝ 江戸期? 町教委 保存状態良好 「左やまか道」「右たかせ道」 2 C

現地説明板は、次のとおり。

追分の道しるべ  (南関町大字細永字尾楢)

追分とはもともと道路の分岐点を指すことばで、あわせてその周辺に形成される集落のなまえにもなりました。またそこには旅人が休息するための茶屋や飯屋ができ、物資の流通拠点に発展することもありました。
ここ南関町の追分は、豊前街道と高瀬往還の分岐点にあたり、街道を南に下る旅人のための道しるべが建てられました。石柱に「左やまか道」、「右たかせ道」と大きく文字が彫り込まれています。残念ながら建てられた年代はわかりません。
道しるべのうしろに、左から地蔵さん二体、早馬(ハユマ)神社、恵比須さんが祀られています。早馬神社は牛馬の神様として信仰されてきましたが、その源流は古代駅伝制の駅馬(ハユマ)にあるといわれています。
また、ここから旧豊前街道を関町方面へ250mほど進むと、沓掛(くつかけ)という地名の畑地が広がります。沓掛とは履き古した沓を道端の木に掛けて旅の無事を祈るということから、休泊場所や難所にさしかかる地点の意味に転化したことばです。
この沓掛一帯を、古代の南関地区に存在したとされる「大水(おほむつ・おおず)駅」跡の有力な候補地と考える研究者もいます。
平成21年6月10日
協同組合南関ショッピングセンター ビッグオーク  豊前街道顕彰会

大津山阿蘇神社  南関町大字関東 ( 熊本県 )

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大津山阿蘇神社  南関町大字関東

大津山阿蘇神社HPによる説明は、次のとおり。九州自動車道南関IC近く、国道443号南関町関東交差点のところに「大津山阿蘇神社」参道口がある。

由 来   大津山阿蘇神社 

この地方に住んでいた私たちの祖先が、阿蘇の神々様の御神徳を得る為に、正治元年(1199)一の宮阿蘇神社おり、二柱の神様を勧請し、郷土の発展を祈り、崇敬してきました。最初は、現在の南関第一小学校の椋の木の所といわれており、その地を「下つ宮」といいます。
その後、南北朝時代大津山氏が当地方の領主となり入国し、大津山城主も阿蘇の神々様を大変崇敬し、応永2年(1395)に三代城主大津山経稜(つねかど)公が、関町葉山現在の温泉施設「うから館」の地に改築し朝夕参拝したといわれています。

さらに、五代城主大津山資秋(すけあき)公が、朝夕参拝に不便なため、現在地大津山別名つららが岳に社殿を移したといわれています。
それより大津山大明神とか、大津山阿蘇神社と呼ばれるようになりました。 正治元年より800年以上を経ています。

大津山氏とは、もともと藤原氏より分かれて、日野氏と名乗り天皇家とも親せき関係を保ち勢力を伸ばしました。室町時代に特に有名なのは、五代将軍足利義政公の妻日野富子の一族であるといわれています。その後、足利尊氏公は後醍醐天皇と対立し足利氏(北朝)側の勝利により、親交のあった日野資名(すけな)大津山城主第一代の父の功労により、足利四代将軍義持公が肥後の国南の関を資名の子八男日野資基(すけもと)に与えたといわれております。
又、地元の人々はつららが岳を別名大津山と呼んでおり、日野氏から大津山氏と姓をあらためたといわれています。

麻扱場(おこんば)橋  南関町大字関東 大津山公園 ( 熊本県 )

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麻扱場(おこんば)橋  南関町大字関東 大津山公園

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。九州自動車道南関IC近く、国道443号沿いに「大津山公園」の入口があり、園内に「麻扱場橋」が移設されてある。

麻扱場橋 おこんば
(玉名)南関町 大津山公園/<内田川> 石アーチ橋 (凝灰岩) 長11.9m,S8.9m(A),幅2.8m 江戸末期? 町有形 町教委 移設/保存状態良好 種山石工の流れを組む地元の作/中央部が迫石だけの、太鼓型のアーチ 2 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,675  麻扱場(おこんば)橋

玉名郡南関町大字関東
橋長:9.3m  橋幅:2.85m  径間:9m  拱矢:4.25m  環厚:45cm
輪石数:35
南関インター近く、「大津山自然公園」内にあります。

麻扱場(おこんば)橋
「おこんば橋は、南関町大字下坂下、北辺田の内田川に架かっていたアーチ式の石橋で、平成5年にほ場整備にともなう河川改修により、解体撤去のやむなきにいたり、ここ大津山公園内の太閤水の地に移転復元されました。
建造年代は不明ですが、江戸末期か明治の初期と考えられています。石工名も残念ながらわかっていません。
橋名は、昔内田川で麻のさらしが行われていて、橋の近辺を「麻(お)扱(こ)き場」と呼んだことによるものです。
撤去前は農道として近隣の人々が利用する程度でしたが、昔は肥猪方面から高瀬に出るには、この橋を渡り、上坂下、三ツ川を抜けるのが最短でしたので、多くの人々が利用する大事な橋でした。
おこんば橋は、やむをえず移転復元されましたが、これからもずっと町の文化財として大切にしていきましょう。
[測定値]
橋長11.9m 幅員2.77m スパン8.9m 拱矢4.7m 輪石数35」
南関町 南関町教育委員会

栗林の道標  八女市黒木町土窪字栗林 ( 福岡県 )

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栗林の道標  八女市黒木町土窪字栗林

八女市の指定文化財一覧(PDFファイル)による説明は、次のとおり。3基のうち、八女市黒木町土窪字栗林の道標は、笠原川左岸を行く旧矢部街道が、現在の田代へ行く県道127号と交差する少し手前にある。
町指定当時の看板が、やや離れたところに設置されておりわかりにくいが、道標は現地写真黄囲線どおり、木工所角の杉の植え込みに隠れてある。

85 黒木 道標 市 3基 有形民俗文化財 八女市黒木町大淵無田・本田 土窪字栗林 八女市

ブログ「千寿の楽しい歴史」による説明は、次のとおり。

矢部往還後半(黒木町・矢部村)  平成25年3月9日(土)
昨年(平成24年3月10日)は柳川の札の辻から七里石(八女市黒木町土窪串毛)までを回りました。今回も柳川市から出発して七里石入口から矢部の方向へ進みました。
栗林の道標  
七里石から約2km行ったところにある。この石柱には西面に「左大淵」、「右田代」と刻まれています。
「八里石」は木屋町原の土中に埋まって分かりません。「猫尾城跡公園」で休憩する。

打越の儲開記念碑と隧道古酒  八女市上陽町打越 ( 福岡県 )

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打越の儲開記念碑と隧道古酒  八女市上陽町打越

八女市の上陽町から黒木町へ出る県道70号の途中で見かけた。県道脇打越の儲開記念碑と、その谷間の隧道古酒。
「儲開記念碑」は説明板のとおりだが、遺構がどこに残るかわからなかった。隧道古酒「須々許里」は、旧矢部線の中原トンネルを利用している。黒木側の入口にも柵がしてあって、「古久蔵」ていう看板があるらしい。
HP「ふる里の蒸気機関車」VOL36 による説明は、次のとおり。

もちろん矢部 まで行くつもりやったケン「矢部線」

矢部線は、終戦直後の昭和20年(1945)12月26日に、鹿児島本線の羽犬塚駅(福岡県筑後市)から黒木町までの19.7kmば結んで開業した。なんと終戦から4ヶ月目で開業ていう早業。
日本の鉄道では終戦後初めて開通した記念すべき路線やった。矢部線の目的は、戦後の復興に必要な木材ば矢部から運び出すこと。そやケン、矢部村まで延長する計画やったし、そやケン、名前も矢部線やったとタイ。 しかも、矢部から鯛生金山ば経由して、宮原線の小国まで繋ぐ夢もあったらしかケン、凄か。

ちょっと待って

矢部線のでける前は、ほぼ同んじルートば、明治36年に開業した軽便鉄道が走りよったらしか。この軽便鉄道は南筑鉄道いうて、羽犬塚〜山内で営業ば開始しとる。その後山内〜黒木ば開業しとった黒木軌道いうとば合併して、羽犬塚〜黒木の路線ば運行しよったとゲナ。この路盤があったケン、矢部線はたったの4ヶ月で走らせることがでけたとタイ。

県境ば越えて小国まで走ろうかていう壮大な計画も、実現せんまま矢部線は赤字路線になってクサ、国鉄再建法の第1次特定地方交通線に指定され、昭和60年にとっとと廃止されてしもうた。
赤字になるたぁ当たりまえ。人間は並行して走るバスのほうが便利やし、山ん中から伐りだした材木もトラックで運ぶごとなったけんタイ。廃止後は全線がバスに転換され、廃線跡はバイパスとして利用されるごとなったていう訳よ。

中原トンネル
トンネルの北側入口には「隧道古酒・須々許里」ていう看板と柵があって、とうせんばっちょしとる。
須々許里(すすこり)いうとは、もともとは古事記に登場する酒造りの名人の名前バッテン、いまは、このトンネル内で5年間長期低温熟成させた純米古酒の銘柄のこと。
廃線のトンネル内は光が全く入らず、夏でも18度以下で貯蔵できるケン、酒はまろやかで、香りも上々ゲナ。いつも約2万本が眠っとるていう。

寄 口 橋  八女市上陽町北川内-上横山 ( 福岡県 )

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寄 口 橋  八女市上陽町北川内-上横山

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,042  寄口橋

八女市上陽町北川内-上横山
星野川
橋長:44.0m  橋幅:3.6m  径間:16.5m  拱矢:4.3m
架設:大正9年(1920)
2連アーチ
八女市役所支所から県道52号線を200m東進、県道70号線へ左折すぐのところに架かっています。

大瀬眼鏡橋  八女市上陽町北川内 ( 福岡県 )

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大瀬眼鏡橋  八女市上陽町北川内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,040  大瀬眼鏡橋

八女市上陽町北川内
星野川
橋長:45.5m  橋幅:3.7m  径間:12.0m  拱矢:3.0m
架設:大正6年(1917)
石工:萩本卯作
3連アーチ

八女市役所支所から県道52号線を200m西進。県道798号線へ右折してすぐのところに架かっています。
見たかったのは最右岸側の拱頂部。要石に文字が刻んであります。
業務代人 秋山與吉  石工棟梁 萩本卯作 川口竹次郎

大瀬(だいぜ)眼鏡橋
「所在地 八女市上陽町大字北川内大瀬
竣工 大正6年(1917)5月
材石 阿蘇凝灰岩(生駒野産出)
形式 石造 三連式アーチ型
法量 長さ 45.5メートル
幅員 3.7メートル
径間 12.0メートル
請負人 川口竹次郎(八女都下横山村)
石工棟梁 萩本卯作(八女郡北川内村)
北川内村 村長 倉員団蔵
横山村 村長 井上金吾
この大瀬橋は北川内村と下横山村を結ぶ主要幹線郡道として都衛の事業により江戸時代から架設された木橋を取り壊わし新に大正6年(1917)石造り眼鏡橋が星野川の大瀬に架設され、昭和50年(1975)車社会の増加により橋の路面を削り両側をコンクリートで拡幅し、昭和53年(1978)新しく下流側に隣接して、フレシネー工法によるコンクリート橋が架設されて現在に至っている。」
八女市教育委員会

長岩山のサザンカ自生地  久留米市草野町吉木 ( 福岡県 )

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長岩山のサザンカ自生地  久留米市草野町吉木

久留米市HPの「郷土の文化財」による説明は、次のとおり。久留米市草野町から県道798号により耳納スカイライン耳納平へ登った途中、長岩山の峠に説明板があった。
「さが名木100選 53 千石山のサザンカ  神埼郡吉野ヶ里町松隈」は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/899

37 長岩山のサザンカ自生地

種 別:天然記念物(昭和60年5月28日 県指定)
所在地:久留米市草野町吉木
アクセス:草野町から南へ約2.5km

サザンカ(山茶花)は、ツバキ科の植物で、わが国では九州、琉球諸島、四国や中国地方の温暖な山地に自生し、11月頃に平たく開いた直径5〜8cmの白い五弁花をつけます。
椿と良く似ていますが、サザンカは花びらがばらばらに散るのに対し、椿は花ごと落ちます。また、子房に白い毛が密生し、葉の主脈や若枝に細かい毛が出るのもサザンカの特徴です。
長岩山には、2ヘクタールに平均樹高4m、幹の直径が7、8cmのサザンカが数千本群生し、自生地としては佐賀県東背振村の「千石山サザンカ自生北限地帯」に次ぐ規模を誇っています。