打越の儲開記念碑と隧道古酒  八女市上陽町打越 ( 福岡県 )

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打越の儲開記念碑と隧道古酒  八女市上陽町打越

八女市の上陽町から黒木町へ出る県道70号の途中で見かけた。県道脇打越の儲開記念碑と、その谷間の隧道古酒。
「儲開記念碑」は説明板のとおりだが、遺構がどこに残るかわからなかった。隧道古酒「須々許里」は、旧矢部線の中原トンネルを利用している。黒木側の入口にも柵がしてあって、「古久蔵」ていう看板があるらしい。
HP「ふる里の蒸気機関車」VOL36 による説明は、次のとおり。

もちろん矢部 まで行くつもりやったケン「矢部線」

矢部線は、終戦直後の昭和20年(1945)12月26日に、鹿児島本線の羽犬塚駅(福岡県筑後市)から黒木町までの19.7kmば結んで開業した。なんと終戦から4ヶ月目で開業ていう早業。
日本の鉄道では終戦後初めて開通した記念すべき路線やった。矢部線の目的は、戦後の復興に必要な木材ば矢部から運び出すこと。そやケン、矢部村まで延長する計画やったし、そやケン、名前も矢部線やったとタイ。 しかも、矢部から鯛生金山ば経由して、宮原線の小国まで繋ぐ夢もあったらしかケン、凄か。

ちょっと待って

矢部線のでける前は、ほぼ同んじルートば、明治36年に開業した軽便鉄道が走りよったらしか。この軽便鉄道は南筑鉄道いうて、羽犬塚〜山内で営業ば開始しとる。その後山内〜黒木ば開業しとった黒木軌道いうとば合併して、羽犬塚〜黒木の路線ば運行しよったとゲナ。この路盤があったケン、矢部線はたったの4ヶ月で走らせることがでけたとタイ。

県境ば越えて小国まで走ろうかていう壮大な計画も、実現せんまま矢部線は赤字路線になってクサ、国鉄再建法の第1次特定地方交通線に指定され、昭和60年にとっとと廃止されてしもうた。
赤字になるたぁ当たりまえ。人間は並行して走るバスのほうが便利やし、山ん中から伐りだした材木もトラックで運ぶごとなったけんタイ。廃止後は全線がバスに転換され、廃線跡はバイパスとして利用されるごとなったていう訳よ。

中原トンネル
トンネルの北側入口には「隧道古酒・須々許里」ていう看板と柵があって、とうせんばっちょしとる。
須々許里(すすこり)いうとは、もともとは古事記に登場する酒造りの名人の名前バッテン、いまは、このトンネル内で5年間長期低温熟成させた純米古酒の銘柄のこと。
廃線のトンネル内は光が全く入らず、夏でも18度以下で貯蔵できるケン、酒はまろやかで、香りも上々ゲナ。いつも約2万本が眠っとるていう。