尾楢の追分道標  南関町大字細永字尾楢  ( 熊本県 )

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尾楢の追分道標  南関町大字細永字尾楢  

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道443号南関町関東交差点から県道23号に入り町の中心、関下交差点の少し先まで行く。金光教南関教会の案内板のある町道へ左折すると、これが旧豊前街道である。金光教南関教会を過ぎ、山手へ街道を上がって行くと、細永尾楢の分岐道に追分道標がある。

尾楢の追分道標 おなら
(玉名)南関町 <豊前街道/高瀬街道> 境界石(凝灰岩) 高1.25m,幅25,厚26㎝ 江戸期? 町教委 保存状態良好 「左やまか道」「右たかせ道」 2 C

現地説明板は、次のとおり。

追分の道しるべ  (南関町大字細永字尾楢)

追分とはもともと道路の分岐点を指すことばで、あわせてその周辺に形成される集落のなまえにもなりました。またそこには旅人が休息するための茶屋や飯屋ができ、物資の流通拠点に発展することもありました。
ここ南関町の追分は、豊前街道と高瀬往還の分岐点にあたり、街道を南に下る旅人のための道しるべが建てられました。石柱に「左やまか道」、「右たかせ道」と大きく文字が彫り込まれています。残念ながら建てられた年代はわかりません。
道しるべのうしろに、左から地蔵さん二体、早馬(ハユマ)神社、恵比須さんが祀られています。早馬神社は牛馬の神様として信仰されてきましたが、その源流は古代駅伝制の駅馬(ハユマ)にあるといわれています。
また、ここから旧豊前街道を関町方面へ250mほど進むと、沓掛(くつかけ)という地名の畑地が広がります。沓掛とは履き古した沓を道端の木に掛けて旅の無事を祈るということから、休泊場所や難所にさしかかる地点の意味に転化したことばです。
この沓掛一帯を、古代の南関地区に存在したとされる「大水(おほむつ・おおず)駅」跡の有力な候補地と考える研究者もいます。
平成21年6月10日
協同組合南関ショッピングセンター ビッグオーク  豊前街道顕彰会