大津山阿蘇神社  南関町大字関東 ( 熊本県 )

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大津山阿蘇神社  南関町大字関東

大津山阿蘇神社HPによる説明は、次のとおり。九州自動車道南関IC近く、国道443号南関町関東交差点のところに「大津山阿蘇神社」参道口がある。

由 来   大津山阿蘇神社 

この地方に住んでいた私たちの祖先が、阿蘇の神々様の御神徳を得る為に、正治元年(1199)一の宮阿蘇神社おり、二柱の神様を勧請し、郷土の発展を祈り、崇敬してきました。最初は、現在の南関第一小学校の椋の木の所といわれており、その地を「下つ宮」といいます。
その後、南北朝時代大津山氏が当地方の領主となり入国し、大津山城主も阿蘇の神々様を大変崇敬し、応永2年(1395)に三代城主大津山経稜(つねかど)公が、関町葉山現在の温泉施設「うから館」の地に改築し朝夕参拝したといわれています。

さらに、五代城主大津山資秋(すけあき)公が、朝夕参拝に不便なため、現在地大津山別名つららが岳に社殿を移したといわれています。
それより大津山大明神とか、大津山阿蘇神社と呼ばれるようになりました。 正治元年より800年以上を経ています。

大津山氏とは、もともと藤原氏より分かれて、日野氏と名乗り天皇家とも親せき関係を保ち勢力を伸ばしました。室町時代に特に有名なのは、五代将軍足利義政公の妻日野富子の一族であるといわれています。その後、足利尊氏公は後醍醐天皇と対立し足利氏(北朝)側の勝利により、親交のあった日野資名(すけな)大津山城主第一代の父の功労により、足利四代将軍義持公が肥後の国南の関を資名の子八男日野資基(すけもと)に与えたといわれております。
又、地元の人々はつららが岳を別名大津山と呼んでおり、日野氏から大津山氏と姓をあらためたといわれています。