月別アーカイブ: 2015年5月

稲数天満宮参道橋  大刀洗町栄田稲数 ( 福岡県 )

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稲数天満宮参道橋  大刀洗町栄田稲数

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。大刀洗町の東部。大刀洗町役場から県道743号により北へAコープ先まで行き、東への県道509号へ入る。栄田橋を渡った先が、大刀洗町稲数地区である。県道をはさんで北が上稲数、南が下稲数という集落。
後ろの写真は、天満宮県道側にあった銘文不明の石柱。新しく国境石ではないようだ。それと県道反対側民家の庭の道標。

№5,076  稲数天満宮参道橋

三井郡大刀洗町栄田 稲数(いなかず)
橋長:2.9m  橋幅:1.9m
2径間円弧桁橋
架設:明治34年

稲数天満宮。周辺が広々とした参道の途中に架かっています。
親柱。
東側に「明治丗四年・・・」、西側 「三月吉日・・・」と刻む。

稲数の国境石と控石  大刀洗町稲数   ( 福岡県 )

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稲数の国境石と控石  大刀洗町稲数  

HP「筑前 国境石散歩」筑前・筑後 兼用(朝倉市・大刀洗町)による説明は、次のとおり。大刀洗町の東部。大刀洗町役場から県道743号により北へAコープ先まで行き、東への県道509号へ入る。栄田橋を渡った先が、大刀洗町稲数地区である。県道をはさんで北が上稲数、南が下稲数という集落。

国境石と控石は、信号から右折したすぐの下稲数のそれぞれの民家庭に移設されてある。昭和の終わり〜平成の初め、栄田橋西の圃場整備の際、掘り出されたものを、一部は大刀洗町中央公民館前に、一部を地元立ち会った方の民家に移設したようである。場所は所在図のとおり。写真番号を付記する。
Dは上部が欠損した国境石で、近くの民家庭で新しい1本を確認した。(所在図 D 写真 11〜15)

南北方向

大刀洗町稲数(民家1)  (所在図 B 写真 6〜8)

文 字  筑前)従是東筑前國  筑後)從是西北筑後國
場 所  大刀洗町稲数の民家です。
備 考
サイズ  高さ 105×横 21×奥行き 15.5(cm)

大刀洗町稲数(民家2)  (所在図 C 写真 9〜10)

文 字  筑前)従是東筑前國  筑後)從是西筑後國 
場 所  大刀洗町稲数の民家です。
備 考
サイズ  高さ 113×横 23×奥行き 15.5(cm)

南北方向 控石

大刀洗町稲数(民家)  (所在図 B 写真 1〜5)

文 字  表)百七番境杭  右)百六番境杭  左)百八番境杭 天保十五年甲辰  裏)控石 三月建立
場 所  大刀洗町稲数の民家、Hさんのお宅です。
備 考
サイズ  高さ 91×横 31×奥行き 28(cm)

倉吉の国境石  朝倉市倉吉 ( 福岡県 )

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倉吉の国境石  朝倉市倉吉  

HP「筑前 国境石散歩」筑前・筑後 兼用(朝倉市・大刀洗町)による説明は、次のとおり。朝倉市の南西部。県道584号により朝倉市倉吉の倉吉橋南まで行く。西へ市道の小橋を渡り、すぐ左折して路地奥の住宅地に入ると、原野宅奥庭にこの国境石が建っていた。裏面文字は写し忘れた。
3枚目写真は、たしかこのあたりだろう。近くの二又川で見た水刎。

朝倉市倉吉(民家)

文 字  筑前)従是東南筑前國  筑後)從是西北筑後國 
場 所  朝倉市倉吉の民家です。
備 考  筑前側後ろに×印を付けていますが、元々国境の溝がその辺りを走っており、
この石はその溝の中に建っていた(埋まっていた)そうです。
サイズ  高さ 104×横 22.5×奥行き 15.5(cm)

高食若宮八幡宮の国境石  大刀洗町高食 ( 福岡県 )

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高食若宮八幡宮の国境石  大刀洗町高食

HP「筑前 国境石散歩」久留米・筑前国境による説明は、次のとおり。大刀洗町の東部。大刀洗町役場から県道14号により東へ朝倉市との境「桂川橋」近くまで行き、土手の県道から北の市道へ下って進む。
この辺りが大刀洗町高食地区で、少し先の路地右奥に「若宮八幡宮」の鳥居が見える。境内横に「高食農業研修所」があった。

高食(太刀洗町)

文 字  従 是 南 筑 後 以下不明 
場 所  大刀洗町高食(こうじき)の若宮八幡宮内にあります。
備 考  太刀洗・甘木のもやいの国境石とは違って、白鳥の国境石と同タイプです。
(高食と甘木市白鳥は国境を挟んで隣り合う)
この地域には、この石と対となるべき筑前の石も含めてこのタイプの国境石がいくつかあったのでしょうね。
サイズ  高さ 88×横 36×奥行き 22(cm)

うきは市生涯学習センター前庭にある国境石  うきは市吉井町 ( 福岡県 )

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うきは市生涯学習センター前庭にある国境石  うきは市吉井町

うきは市生涯学習センター前庭に移設され展示している国境石6基。HP「筑前 国境石散歩」による説明は、次のとおり。
現地写真は、向かって左側手前からそれぞれを上面とも撮影してきたので、そのまま掲載する。資料と対比すると、写真の番号となるようである。民家の分は、あとの記事とする。

うきは市(吉井)

吉井町(2005/03/20よりうきは市)に現存する国境石は、全て昭和28年の大水害の後とスポーツアイランド造成時に、現スポーツアイランドの敷地から掘り出されたものだそうです。スポーツアイランドはその名の通り筑後川の中洲に作られており、洪水で流された国境石がちょうどこの地で堆積していったものと推測されます。
したがってこれらの国境石は元々どこにあったのか(スポーツアイランドより上流であることは確実ですが)不明ですし、年代も確定できません(年代はばらばらのはずです)。

吉井町(現 うきは市)とその周辺の石については吉井町郷土史会の方に大変お世話になりました。

2009年正月に再訪したところ、千年小学校の国境石2基が公民館の前庭に移設されていました。写真を撮り直して来ましたので、現在公民館にある6基についてはは全面的に書き換えをいたしました。 
尚、そのうちの3基は筑後の石ですので、筑後のページへ移設します。(2009/01/10)

現在は公民館前に6基が揃う 6基のうち1基は銘文不明の石

現在うきは市吉井町に現存する国境石のうち、「從(従)是+方角+国名」が読み取れるのは、筑前3基(公民館2基・民家1基)と筑後2基(公民館1基・民家1基)ですが、全てが筑前「從」・筑後「従」で統一されています。(公民館2は「筑後領」のみが判読可能、公民館3は「従是西」のみが判読可能。)

筑前石は全て「從」  公民館1  公民館5  民家1
筑後石は全て「従」  公民館4  民家2
古毛の控石は、筑前国 村境石にあります。

公民館 1 (写真 5.6)
文 字  從 是 東南 筑 前 (以下不明)
場 所
備 考
サイズ  高さ 88×横 47×奥行 33(cm)

公民館 5 (写真 14,15)
文 字  從 是 北東 筑 前 領
場 所
備 考  千年小学校内に設置されていた石です。   千年小にありし頃
サイズ  高さ 119×横 30×奥行 21(cm)

(以下、3基は筑後の石で、筑後のページへ移記されたもの(2009/01/10))

公民館 2 (写真 7.8)
文 字  (上部不明) 筑 後 領
場 所
備 考
サイズ  高さ 84×横 33×奥行 29(cm)

公民館 3 (写真 9.10)
文 字  従 是 西
場 所  この石は「西」以降が地中に潜っており「筑前」「筑後」が読めませんが、上記のようにこの地域の国境石は筑前=從・筑後=従で統一されていることから、この石が筑後石であることは間違いありません。
備 考
サイズ  高さ 73×横 36×奥行 23(cm)

公民館 4 (写真 11〜14)
文 字  従 是 南西 筑 後 領 
筑後筑前の国境石で現浮羽郡吉井町大字千年 字丹通の東方に、二本とも同所に建てられていたものである。
別の石に文化十二年乙亥三月(百五十年前)と記されていた。
横に彫られている案内文です。文化15年は1815年です。
場 所  千年小学校から移設されてきた石です。並び立つ筑前石はこちらに。
備 考
サイズ  高さ 142×横 42×奥行 43(cm)

公民館 銘文不明 (写真 16)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

吉井町の国境石1 よしい
うきは市 市生涯学習センター・前庭 境界石(花崗岩) 高119㎝,幅30㎝,厚21㎝ 文化12(1815) WEB(筑前国境石散歩) 移設(もと、千年) (正面)「從是、北/東、筑前領」/筑前国〜筑後国/下記の「吉井町の国境石2」と一対の可能性 2 C

吉井町の国境石2 よしい
うきは市 市生涯学習センター・前庭 境界石 高142㎝,幅42㎝,厚43㎝ 文化12(1815)? WEB(筑前国境石散歩) 移設(もと、千年)/右面に昭和42の移設経緯の追刻 (正面)「従是、南/西、筑後領」/筑後国〜筑前国/上記の「吉井町の国境石1」と一対の可能性→建立年は推定 3 C

吉井町の国境石3 よしい
うきは市 市生涯学習センター・前庭 境界石 高88㎝,幅47㎝,厚33㎝ 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「從是、東/南、筑前…」/筑前国〜筑後国 2 C

吉井町の国境石4 よしい
うきは市 市生涯学習センター・前庭 境界石 高84㎝,幅33㎝,厚29㎝ 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「従是西 筑後領」/筑後国〜筑前国 2 C

吉井町の国境石5 よしい
うきは市 市生涯学習センター・前庭 境界石 高73㎝,幅36㎝,厚23㎝ 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設/下部埋設 or 折損滅失 (正面)「従是西 …」(「従」が使用されているので筑後領)/筑後国〜筑前国 3 –