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都志八幡神社のナギ  兵庫県洲本市五色町都志大宮

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都志八幡神社のナギ  兵庫県洲本市五色町都志大宮

洲本市HPの歴史・文化による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道46号により五色町都志へ向かう。大宮から都志川沿いの方へ入ると都志八幡神社がある。

■名  称  都志八幡神社のナギの大木
■指定種目  市指定 記念物
■指定年月日 平成3年12月25日
■文化財種類 天然記念物
■樹  齢  約450年
■所 在 地  洲本市五色町都志大宮63
■所 有 者  都志八幡神社
■管 理 者  都志八幡神社
■概  要
ナギは本州南岸、四国九州など比較的温暖な地方に分布しています。「ナギ=凪」と考えられ船乗りに信仰されています。
自生としては県下では稀で、樹高22.3m、根廻り3.45m、幹廻り2.96mで、このような大木は非常にめずらしいものです。樹齢約450年とされています。

五 色 浜  兵庫県洲本市五色町鳥飼浦

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五 色 浜  兵庫県洲本市五色町鳥飼浦

現地説明板は、次のとおり。
洲本市街から県道472号により五色町鳥飼浦まで行き、県道31号により五色浜まで南下する。

五 色 浜

五色浜は瀬戸内海国立公園内に約2キロメートルに渡って五色の鮮やかな小石が敷きつめられた美しい海岸です。
この浜の石は、薄く層状の結晶片岩と珪岩(チャート)からできており、美しい艶がある珪岩が一般に天然記念物といわれる五色石です。
白い波が色とりどりの浜を洗う風情に誘われて、古来より文人墨客が訪れては、ため息を洩らしたそうです。
夏は海水浴で賑わい、秋から冬にかけては美しいサンセットを見ることができます。
近畿自然歩道  環境庁・兵庫県

鳥飼八幡宮のイブキ  兵庫県洲本市五色町鳥飼中

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鳥飼八幡宮のイブキ  兵庫県洲本市五色町鳥飼中

HP「巨樹と花のページ」兵庫県による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道472号により五色町鳥飼へ向かう。鳥飼川の側で鳥飼小学校横に鳥飼八幡宮がある。

鳥飼八幡宮のイブキ

説明板がないので推定ですが、幹周約3m。
随神門のそばに立っていますが、大きな幹のねじれと、左に大きく伸びた枝が特徴。
天然記念物の指定はありませんが、ビャクシンの巨木としてはなかなかのものです。
本殿は江戸時代初期の慶長8年(1603年)に建てられており県の重要文化財。

● 名 称:鳥飼八幡宮のイブキ
● 所在地:兵庫県洲本市五色町鳥飼中314
● 指 定:なし

鳥飼八幡宮葉境内の由緒書きによれば、平安時代前期の貞観元年(859年)に京都の石清水八幡宮の別宮として淡路島の八幡宮として造られたそうです。ご祭神は石清水八幡宮と同じで、応神天皇、神功皇后、比売大神の三神です。
イブキ(ビャクシンともいいます)は参道から石段を登った随神門のそばにあり、水平に大きく伸びた枝が特徴です。ビャクシンによくある幹のねじれもありなかなかの巨木です。参道にあるホルトノキが市の天然記念物で有名ですが、こちらのイブキにも注目をしてほしいものです。

鳥飼八幡宮のホルトノキ  兵庫県洲本市五色町鳥飼中

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鳥飼八幡宮のホルトノキ  兵庫県洲本市五色町鳥飼中

洲本市HPの歴史・文化による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道472号により五色町鳥飼へ向う。鳥飼川の側で鳥飼小学校横に鳥飼八幡宮がある。

■名   称 鳥飼八幡宮のホルトノキの巨木
■指定種目 市指定 記念物
■指定年月日 昭和62年11月20日
■文化財種類 天然記念物
■樹   齢 約600年
■所 在 地 洲本市五色町鳥飼中314
■所 有 者 鳥飼八幡宮
■管 理 者 鳥飼八幡宮
■概   要
ホルトノキは千葉県以西の温暖な地方に生える常緑高木で、県下では淡路島にのみ自生するといわれています。高さ17.1m、根廻り8m、幹廻り4.1mの巨木で、樹齢約600年といわれています。

白巣城跡  兵庫県洲本市五色町鮎原

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白巣城跡  兵庫県洲本市五色町鮎原

洲本市HPの歴史・文化による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道46号により五色町鮎原へ向う。鮎原交差点に出る手前左に、「白巣城跡」の案内標識があり、南側の山中へ入る。駐車場までの道のりと遊歩道の登りもかなり険しい。

■名  称 白巣城跡 (しらすじょうせき)
■指定種目 市指定 記念物
■指定年月日 平成24年3月29日
■文化財種類 史跡
■時  代 戦国時代
■所 在 地 洲本市五色町鮎原三野畑
■所 有 者 個人 外
■管 理 者 三野畑町内会
■概  要
白巣城は戦国時代の山城で、淡路島の有力国人であった安宅(あたぎ)氏の居城であったといわれており、安宅八家衆の城のひとつに数えられています。天正9年(1581)に羽柴秀吉の淡路攻めの際に、秀吉軍の火責めにより炎上し落城したと伝えられています。
堀切、土塁、竪堀(たてぼり)などの遺構が良好な形で残っています。また本丸・東の丸・西の丸、米倉などが堀切などにより郭 (くるわ)として独立しており、往時の姿を見ることができます。
淡路島の戦国時代を語るうえで欠くことのできない、淡路島内を代表する山城です。

大 城 池  兵庫県洲本市鮎屋

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大 城 池  兵庫県洲本市鮎屋

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
国道28号の広田西交差点から案内標識により、鮎屋川の上流に向かう。前の記事「鮎屋川ダム」の上流にある。

淡路島近代化遺産 17 大城池

■ 基礎データ
名 称:大城池
分 野:農業(灌漑)施設
所在地:洲本市鮎屋字六の瀬
設計者:伊藤 真雄
構 造:中心刃金式土堰堤
竣工年:昭和3(1928)年

■ 概要説明
淡路の中でも特に水不足が深刻であった洲本市大野では、6アール毎に井戸を掘り、尽力により1日400回もの汲み上げをしていたと言われている。
大野125haを灌漑してきたこの溜め池は、壮大で城郭の如く、また堅固、緻密で大丈夫の意から、「大城池」と命名された。堤高30.6m、堤長148.0m、貯水量104万7千トン、満水面積8.1haの規模を持つ、当時としては一級の灌漑施設である。明治45年に計画が持ち上がったこの池の特徴は、水利権の調整に多大な努力が払われたことであり、完成後の5年後に早くも実施された増築工事も、水利権の調整に因るところが大きい。

鮎屋川ダム  兵庫県洲本市鮎屋

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鮎屋川ダム  兵庫県洲本市鮎屋

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明は、次のとおり。
国道28号の広田西交差点から案内標識により、鮎屋川の上流に向かう。前の記事「鮎屋の滝」の上流600mにある。

鮎屋川ダム

鮎屋川ダム(あゆやがわダム)は兵庫県洲本市の、洲本川水系鮎屋川上流部付近に建設されたダム。ダムの近くには鮎屋の滝がある。 滝周辺には遊歩道も敷設されており、そこを訪れる観光客も多い。
読み
地元でも「あゆや」と「あいや」に分かれるとされるが、地名である鮎屋は「あいや」、鮎屋の滝は「あいやのたき」である。

鮎屋の滝  兵庫県洲本市鮎屋

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鮎屋の滝  兵庫県洲本市鮎屋

現地説明板は、次のとおり。駐車場から滝まで、遊歩道を3分。
国道28号の広田西交差点から、「鮎屋の滝」の案内標識により鮎屋川の上流へ向う。鮎屋ダムの下流600mに滝はある。

鮎屋の滝と周辺の森

鮎屋の滝は、落差14.5mを誇る淡路島随一の滝です。鮎屋の滝の周辺には、高さ20mをこえるコジイ、スタジイ、ヒメユズリハ、モチノキ等の常緑広葉樹からなる太古の森がみられます。この森には、全国的にも珍しく貴重な南方系植物が多く生育しています。南方系植物とは、沖縄、九州、四国地方に生育する植物のことで、近畿地方の淡路島に生育することは、大変珍しいことです。
この貴重な南方系植物が生育しているのは、鮎屋の森が地域の方たちから大事にされてきたあかしといえます。

鮎屋(楠大明神)のクスノキ  兵庫県洲本市鮎屋

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鮎屋(楠大明神)のクスノキ  兵庫県洲本市鮎屋

HP「人里の巨木たち」全国巨樹探訪記による説明は、次のとおり。資料によって名称を「楠大明神のクスノキ」とするのもある。
国道28号の広田西交差点から、「鮎屋の滝」の案内標識により進む。広い道路を横切る手前の左手高台に白い建物が見える。鮎屋多目的集会施設で、その敷地内に楠大明神のクスノキがある。

名称 鮎屋のクスノキ (あいやのくすのき)
樹種 クスノキ
樹高 25m(注1 環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による) 
実際はもっと低い
目通り幹囲 9.0m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 兵庫県洲本市鮎屋
天然記念物指定 なし

洲本市と南あわじ市の境界線近く、鮎屋川右岸高台に立つクスノキ。
クスノキの前にはコンクリートの祠があり、その手前には「楠大明神」の石額を掲げた鳥居がある。それらの位置関係から想像すると、このクスノキそのものが神格化されている可能性もありそうだ。(WEB上の地図中には「楠神社」としているものもあるが、兵庫県神社庁のデータに同名の神社は登録されていない)
2012年3月現在、環境省巨樹データベースによれば、淡路島内で最大幹囲を持つ樹木である。ただし、詳細に見ると、数本の合体木のようだ。しっかり密着していて、根の近くには隙間はないけれども。主幹と呼べるようなものがなく、そのため樹高も低いのは、元来が合体木だからだろうと思う。
しかし、合体木ではあっても、傍に立って感じる迫力は相当なものである。「大明神」の形容に違和感はない。隣は鮎屋多目的集会施設。広い駐車スペースもあり、自動車で訪ねるには便利な場所である。

戸町4丁目で、アーチ式石橋が見つかる  長崎市戸町4丁目24街区

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戸町4丁目で、アーチ式石橋が見つかる  長崎市戸町4丁目24街区

2013年10月20日(日)、みさき道歩会例会で長崎市南部の山、大久保山(標高233.7m)に登り、女神大橋魚見岳トンネル上部尾根から戸町切通バス停へ下った。その下りの途中、M氏とK氏が気付いた。私はこの道を2,3回通っているが、今まで全然、覚えがない。

場所は長崎市戸町4丁目24街区角。国の税務職員などのアパートが建っていたところ。現在は民間駐車場となり、郵政職員アパートA棟のみ残っているその登り口手前である。
地元の人に聞くと、潜伏キリシタン「金鍔次兵衛」にちなみ、このあたりも金鍔谷というようで、この川も金鍔川(正しくは「岩井浦川」か)としておこう。

山に囲まれたかなり広い谷間。昔は田が一帯に広がっていたが、戦時中まで「火薬庫」の建物が建っていたと言う。石橋の造りは立派で、やや新しい時代に軍道?の橋として架橋されたと思われる。架橋年代・橋名とも不明。
橋下からも調査したが、その状況は写真のとおり。念のため、周辺一帯も調査した。駐車場を越した南側の小川にも、桁石橋が見つかった。

メジャーを持参しておらず、2つの橋の正確な調査と計測は、石橋HPの宮崎市贄田氏にお願いする。「ねじりまんぼ」形式といい、たいへん珍しい興味深い石橋らしい。

(2013年10月31日 追記)  石橋上部の「長崎税関戸町火薬庫の歴史と標石」

2013/10/31(木) [ JOKAMOTO ] 氏コメントがあった、大蔵省関税局編「税関百年史 上巻 」日本関稅協会昭和47年発行197頁は、次のとおり。
火薬庫場所は、地元松林氏の記憶によると、現在ここにある郵政職員アパートや民間駐車場一帯で、2棟の煉瓦造り平屋建物が建っていたが、大戦中はもう使用されていなかったということである。
コメントどおり、近辺には欠損した標石2本(1本は「長崎…」と刻む)が現存しているのを確認したが、火薬庫境界石とは断定できない。
税関と火薬庫との関係は、輸入品だったなら火薬類一時保管庫をここに設置したのだろうと言う長崎税関の話である。
税関の火薬庫で、私が「軍道?の橋」と説明したのは、間違いがあるようなので訂正したい。

「…火薬類の保管については、旧幕時代のものが引きつづき使用されたが、明治五年正月、西泊郷に新しく一棟が新築され、これが利用されることになった。その後、二八年五月には、西彼杵郡戸町村の岩井浦に、新しく火薬庫が新築されたので、これに移転している。
また、(註 以下は梅香崎税関建物の記述のよう)上屋の施設についても、六年四月、梅ケ崎沿岸の海岸を埋立て、はじめて税関上屋一棟が建設されたが、翌七年八月、暴風雨によって倒壊したため、九年三月、これを再建している。しかし、日清戦争の時期には、これらの施設では狭隘となったので、三〇年二月には、あらためて吹抜上屋一棟の増設が実現した。…」

(2014年1月13日 追 記)
追加の写真は、同じく[ JOKAMOTO ] 氏からの火薬庫跡の追加情報。近くの民家庭に「長崎爆發物貯庫」と刻む標石が保存されていたので、標石を確認した。
不在だったので、もともとこの標石がどこにあったかは不明。