月別アーカイブ: 2013年10月

半 鐘 台  兵庫県南あわじ市阿万上町

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半 鐘 台  兵庫県南あわじ市阿万上町

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
福良から県道25号により阿万上町へ向かう。県道76号との交差点は直進。本庄川に出て上流へ進む。商店街の慈眼寺角(まんじゅう岸上堂前)から亀岡八幡宮に入る。
川沿いの車道、上町公会堂先に赤い半鐘台が見える。

淡路島近代化遺産 18 半鐘台

■ 基礎データ
名 称:半鐘台
分 野:防災施設
所在地:南あわじ市阿万上町
設計者:不明
構 造:鉄骨造
竣工年:不明

■ 概要説明
淡路島内においても、現在ではほとんどの“半鐘台”は姿を消し、正確な数字は不明であるが、わずか数基を残すのみとなっている。一般的にこの“半鐘台”には“屯所”がセットになって設置されるが、“だんじり”祭りが盛んに行われる南淡路では、それに“だんじり”を収納するための小屋が加わり、3点セットになって設置されている。“半鐘台”は、櫓というその形状から必然的に地域のシンボルになる要素を備えているが、これに“だんじり小屋”という伝統文化的要素が加わることで、この3点セットは、南淡路地域固有の風景を創出する存在となっている。

亀岡八幡宮と六師橋  兵庫県南あわじ市阿万下町

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亀岡八幡宮と六師橋  兵庫県南あわじ市阿万下町

福良から県道25号により阿万下町へ向かう。県道76号との交差点は直進。本庄川に出て上流へ進む。商店街の慈眼寺角(まんじゅう岸上堂前)から亀岡八幡宮に入る。
亀岡八幡宮は、春季大祭に奉納される各町内の淡路だんじりが有名。

境内社と結ぶ本庄川に、大きな桁石橋「六師橋」が架かっていた。
川沿いの車道先に赤い半鐘台(次の記事)が見える。本庄川を覗くと、断層のような川床のところがあった。

吹 上 浜  兵庫県南あわじ市阿万吹上町

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吹 上 浜  兵庫県南あわじ市阿万吹上町

兵庫県HP「淡路島百景」による説明は、次のとおり。
福良から県道25号により、南の海岸まで向かうと吹上浜である。

97 吹上浜 (ふきあげはま)

所在地 南あわじ市阿万吹上町
淡路島の南端に位置し、南に紀伊水道(紀伊半島西岸と四国東岸との間に通じ、太平洋と瀬戸内海をつなぐ水域)、西に鳴門海峡を望むことができる海岸です。吹上浜の西部には、日本の白砂青松100選に選ばれた松林が約2km にわたって続いています。
吹上浜は、海浜植物をはじめ、貴重な植物や昆虫、水生生物、鳥類などの生息場所にもなっています。また、南あわじ市2例目の海底の波跡の化石である「蓮痕」が発見され、高さ約10m、幅約5mにわたり、海底であったことを思わせる、やわらかい凹凸模様が見られます。
吹上浜の豊かな自然環境を活かしたオートキャンプ場が開設されており、夏場の海水浴シーズンには、島内外から多くの人々が訪れています。

阿那賀公園  兵庫県南あわじ市阿那賀

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阿那賀公園  兵庫県南あわじ市阿那賀

兵庫県立人と自然の博物館HP「淡路の地層観察スポット」による説明は、次のとおり。
福良から県道25号により阿那賀に向かう。阿那賀港を過ぎ、弁天島が見えるあたりの県道沿い海岸に阿那賀公園がある。

3 阿那賀公園
淡路島最西端近くに位置する丸山漁港からさらに南に車を走らせると、阿那賀公園が見えてきます。この付近はアンモナイト化石の産地としてよく知られていて、公園の駐車場には淡路島産として有名な異常巻きアンモナイト(ディディモケラス・アワジエンゼ)のオブジェと解説もあります。また、付近の海岸では引き潮の時に和泉層群の泥岩・砂岩の互層を観察することができます。運が良いと貝やアンモナイトの化石が採れるかも知れません。

沖ノ島古墳群  兵庫県南あわじ市阿那賀伊毘

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沖ノ島古墳群  兵庫県南あわじ市阿那賀伊毘

南あわじ市HP(埋蔵文化財事務所)による説明は、次のとおり。
福良から県道25号により阿那賀の方へ向かう。神戸淡路鳴門自動車道の上を過ぎたあたりから、下の海に沖ノ島が見える。伊毘港の手前。

沖ノ島古墳群(おきのしまこふんぐん)

鳴門海峡を眼下に望む阿那賀伊毘の沖ノ島に所在する古墳群
昭和35年と昭和36年に、13基の古墳と1基の祭祀遺構(さいしいこう)が発掘調査されました。調査の結果、横穴式石室2基と竪穴式石室11基で構成され、古墳から出てきた須恵器(すえき)などから、今から約1,400年〜1,500年前の6世紀頃を中心に造られたことがわかりました。

漁具関係の遺物が出土
阿那賀伊毘の沖ノ島に所在する古墳群は、昭和35年と昭和36年の発掘調査で、須恵器(すえき)などの土器のほかに鉄製の釣針・軽石製の浮子(うき)・土錘(どすい)・蛸壺形の土器や棒状石製品といった漁具関係の遺物が出土しています。これらの出土遺物から古墳の被葬者は、立地も合わせて考えると、海に関係が深い人物が想定されます。

大鳴門橋とうずしお  兵庫県南あわじ市福良丙

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大鳴門橋とうずしお  兵庫県南あわじ市福良丙

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による説明及び現地説明板は、次のとおり。
福良から県道25号うずしおラインにより、鳴門岬まで行く。

大鳴門橋

大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋である。1985年(昭和60年)6月8日に開通した。
本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの1つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっている。
概要
橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。ただし、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので、淡路島より本州方面への鉄道整備に関しては紀淡海峡トンネル等別途トンネル建設ないし架橋が必要となる。…

うずしお

鳴門海峡は鳴門市大毛島と淡路島を隔てる約1.3キロメートルの狭い海峡で、太平洋と瀬戸内海の潮の干満によって潮流の向きが、約6時間ごとに変化し、その落差は2メートルにも達します。そして潮流がこの狭い海峡を通過するときに激しい流れと、緩るやかな流れとの境目に渦が生じるのです。
また、海峡の海底が複雑な地形をしているために、上下にも潮の流れが起こり、大小様々な渦が生じます。渦の中には、直径30メートルに達するものもあります。
近畿自然歩道  環境庁・兵庫県

福良八幡神社本殿  兵庫県南あわじ市福良甲

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福良八幡神社本殿  兵庫県南あわじ市福良甲

現地説明板は、次のとおり。福良港から市街地すぐ北方に八幡神社がある。

県指定文化財 八幡神社本殿
指定年月日 昭和35年5月12日
所有者・管理者 八幡神社

社殿は天正3年(1575年)建立後、寛永(1624〜44年)以降現在まで数次にわたり小修理されたようであるが、全体に創建当時の建築様式をよく残している。
社殿の造りは「三間社流れ造り」、元の屋根は「檜皮葺」といってヒノキの皮を葺いてあった。
柱の上部に「ちまき」のあるのも珍しく、木の組み方や各部の細工等もたいへん優れている。また、内部には極彩色をほどこしたあとがうかがえる。
この本殿は桃山時代の特色をよく示す淡路島で最古の建築物として貴重である。
平成7年2月   兵庫県教育委員会

河上神社のイブキと神橋  兵庫県洲本市五色町鮎原南谷

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河上神社のイブキと神橋  兵庫県洲本市五色町鮎原南谷

洲本市HPの歴史・文化による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道46号により五色町鮎原南谷へ向かう。鮎原小学校近くに河上神社がある。イブキは拝殿手前左にある。
後ろの写真は、山門先にある「神橋」(しんばし)。昭和54年台風被害で架け替え、下はコンクリート橋?。

■名   称 河上神社のイブキ
■指定種目 県指定 記念物
■指定年月日 平成2年3月20日
■文化財種類 天然記念物
■樹   齢 約500年
■所 在 地 洲本市五色町鮎原南谷562-1
■所 有 者 河上神社
■管 理 者 河上神社
■概   要
イブキは本州、四国、九州に分布しています。指定のイブキは高さ16.5m、胸高周3.34m、根廻り3.35mの巨木で、樹齢約500年と推定されています。
河上神社には、菅原道真公の伝説が残っており、道真公が植樹した、あるいは道真公が置き忘れた杖が芽をふき成長したなどの伝説が残っています。江戸時代中期の享保2年(1717年)に河上神社拝殿改修の際、ご神木のイブキが拝殿に倒れ掛かり「明日切り除かん」と翌朝見に行くと、1mほど立ち直っていたという伝説が残っており、それを物語るように拝殿の方向に傾いています。

川池井堰  兵庫県洲本市五色町都志大宮

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川池井堰  兵庫県洲本市五色町都志大宮

淡路地域ビジョン社会基盤分科会HP「淡路島近代化遺産マップ」による説明は、次のとおり。
洲本市街から県道46号により五色町都志へ向かう。都志に入る手前、県道カーブが都志川の岸に進むので、右下に川池井堰が見える。案内標識があったが、川には下れなかった。

淡路島近代化遺産 10 川池井堰

■ 基礎データ名 称:川池井堰
分 野:農業(灌漑)施設
所在地:洲本市五色町都志大宮
管理者:縄手 田主
構 造:石塁
竣工年:文政6(1823)年

■ 概要説明
日露和平を導いた幕末の豪商高田屋嘉兵衞翁(55才の時)は都志川の流れを止め、用水確保のため土と石で大きな堰を築きました。翁が郷土開発に力を注いだ最初の事業でした。地域の生産力高揚に大きく貢献した。昭和6年大干ばつがあった翌年に近代式のダムに改修。下部石組みは、今も水をがっしり受け止めている。続いて都志港防波堤、次の年塩田港の改修が始まりました。