月別アーカイブ: 2011年3月

長崎外の古写真考 目録番号:1262 外国の風景(1) ほか 

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1262 外国の風景(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1262 外国の風景(1)
〔画像解説〕
写真下端縁に “”Cantonment Bellary “”とある。「ベラリー宿営地」である。ベラリーはインド南部の町、鉄道の要衝。むき出しの大きな岩、左側の古い円形の要塞跡と散在する白い近代的な兵舎が対照的である。英国軍の駐屯地であろう。

目録番号:3090 外国の風景(2)  

■ 確認結果

目録番号:1262「外国の風景(1)」、目録番号:3090「外国の風景(2)」とも、インドの「ベラリー宿営地」なら、「撮影地域:インド」で良いのではないか。

釣れた? 釣具店の釣人 (18)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (18)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

釣人カップルもひな祭り。選抜高校野球、波佐見ガンバレ。

長崎外の古写真考 目録番号: 406 清盛塚 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 406 清盛塚 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 406 清盛塚
〔画像解説〕
平清盛が没したのは1181年。遺体は愛宕で荼毘に付され、清盛が大輪田泊(後の兵庫津)に築いた人工島である経が島に納められたという。正確な位置は不明だが、現在の兵庫区・築島寺は、同島造築の際に人柱となった従者を弔うものとされている。

目録番号:2806 兵庫和田寺
〔画像解説〕
和田岬 にある和田神社(神戸市兵庫区)の、明治初期から中期の景観。社殿は、寛文2(1662) 年に領主の尼崎藩主青山幸利 (よしとし) によって造営された。ことに海上鎮守の神として名高く、兵庫へ入港する船は必ず参詣して航海の安全を祈願したという。三菱造船所の建設のため、明治35 (1902) 年に少し北の現在地へ移転。

目録番号:5932 須磨の浦  

■ 確認結果

目録番号: 406「清盛塚」、目録番号:2806「兵庫和田寺」、目録番号:5932「須磨の浦」は、なぜか「撮影地域:兵庫」として整理されている。「撮影地域:神戸」で良いのではないか。
目録番号:6648「播州高砂」(掲載略)は、撮影場所不明。

「撮影地域から探す」検索では、他の地域でも同じような例が見られ、入力基準が一定していない。タイトル・撮影者・キーワードも同じ。
「撮影者から探す」検索に載っていない撮影者が10作品ほどにある。目録番号:4937 から目録番号:5036 までは、撮影者が空白。「撮影者:撮影者未詳」と入力が必要。

長崎外の古写真考 目録番号:2647 藤棚のある茶店(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2647 藤棚のある茶店(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2647 藤棚のある茶店(1)
〔画像解説〕
東京で藤の名所と言えば亀戸天神である。石灯籠が亀戸天神の写真4511の右端に写るものと酷似していること、背後には池があるように思えることなどから、亀戸天神境内の茶店と思われる。しかし確証はない。明治中期の撮影であろう。

目録番号:4511 亀戸天神の藤棚(16)
〔画像解説〕
心字池に張り出した藤棚の下で、藤を眺めながらお茶で寛ぐ。大宰府と亀戸は共に菅原道真を祭神とするが、梅の大宰府天満宮に対し藤の亀戸天満宮と呼ばれる。菅原道真は学問の神様として受験生に最も頼りにされ、受験シーズンには境内は絵馬で溢れる。

目録番号:4261 亀戸天神の藤棚(13)    目録番号:6689 同(16)は同じ作品  
〔画像解説〕
昔この地は亀に似た形状の島だった。やがて陸続きになり「亀村」ができ、そこに掘られた井戸が「亀ノ井」と呼ばれた。その後、亀村と亀ノ井が混同され「亀井戸村」と呼ばれるようになった。江戸期には井が抜けて「亀戸村」となったそうだ。亀が付くので亀を放つ人が多かったらしい。現在池には亀が多く、外国産のアカミミガメが大勢を占めている。

■ 確認結果

目録番号:2647「藤棚のある茶店(1)」は、「石灯籠が亀戸天神の写真4511の右端に写るものと酷似していること、背後には池があるように思えることなどから、亀戸天神境内の茶店と思われる。しかし確証はない。…」と画像解説している。

「石灯籠」は、2枚目の目録番号:4511「亀戸天神の藤棚(16)」右端のとおり。あと1つ、確証となるようなもの。目録番号:2647「藤棚のある茶店(1)」の左側にある「木橋」。
3枚目の目録番号:4261「亀戸天神の藤棚(13)」が、同じような造りの「木橋」で、しかも「石灯籠」が同じ場所に立っているようだ。

長崎外の古写真考 目録番号:2575 皇室離宮

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2575 皇室離宮

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2575 皇室離宮

目録番号:4540 芦ノ湖(16)
〔画像解説〕
芦ノ湖の堂ヶ島山頂の箱根離宮。明治19年(1886)に明治天皇の離宮として建設された。この地は古く箱根権現の塔が建っていたため堂ヶ島(塔ヶ島)と呼ばれた。離宮造営の理由は、ここが芦ノ湖に映る逆さ富士の見える絶景の地で、東京に近く、避暑にも適しているからである。現在は恩賜公園となっている。

目録番号:5902 箱根離宮全景
〔画像解説〕
表門の整備が完了したのが明治22年なので、その頃の写真と思われる。

■ 確認結果

目録番号:2575「皇室離宮」は、目録番号:4540「芦ノ湖(16)」や目録番号:5902「箱根離宮全景」のとおり、明治19年(1886)に建設された芦ノ湖の堂ヶ島山頂の「箱根離宮」である。「撮影地域:箱根」となる。

長崎外の古写真考 目録番号:2522 僧侶たち(3) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2522 僧侶たち(3) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2522 僧侶たち(3)
〔画像解説〕
横浜写真の一枚もの。「大聖院」における何かの法要の記念写真か。多数の仏教の僧侶全員が豪華な袈裟を着けて勢ぞろいし、信徒とおぼしき人たちがこれを取り巻いている。

目録番号:4402 僧侶たち(6)  掲載略
〔画像解説〕
作者未詳の横浜アルバムに収載された一枚。目録番号2522と同じ写真である。「大聖院」における何かの法要の記念写真か。多数の仏教の僧侶全員が豪華な袈裟を着けて勢ぞろいし、信徒とおぼしき人たちがこれを取り巻いている。

■ 確認結果

目録番号:2522「僧侶たち(3)」と、目録番号:4402「僧侶たち(6)」は同じ写真。横浜アルバムに収載。左上の幟に赤で「大聖院」とある。横浜には「大聖院」という寺は、3寺あるが、横浜市磯子区東町の「根岸山 大聖院」と思われる。「撮影地域:横浜」として良いのではないか。

HP「横浜市政レポート」2010/05/24大聖院の記事は、次のとおり。現在の寺の写真は、HP「万歩計 散策点描」から。

元禄時代の彫刻「雨乞いの龍」が現存。明治初期には根岸小学校の前身にも。
開創500年近い「大聖院」(磯子区東町6−20)

今回は、JR根岸駅の正面に見える大聖院を探訪しました。正式名称は「根岸山・大聖院・覚王寺」で、南区堀の内に今もある宝生寺の住僧が天文5年(1536)に開創、500年近い歴史のある寺院です。ちなみに、『磯子の史話』には、「室町時代のものと思われる長さ63㎝ほどの板碑(板石でつくった卒塔婆)が境内に3基あり、阿弥陀の梵字がはっきり表れていて当寺は真言宗ですが、本尊は阿弥陀如来ですから、当時の板碑。」と記され、大聖院が室町時代にあったということがわかります。
時代は下って、幕末期には大聖院には寺子屋も開設されました。その後、明治6年に根岸小学校の前身「志敬学舎」が誕生したときは大聖院の本道を借用し、児童およそ30名で授業が始められ、校舎が新築される明治13年まで続けられました。大正12年の大震災の時は、門は倒れ、本堂や庫裏は破損し、昭和9年に再建しました。

本堂の欄間には「雨乞いの龍」という極彩色の彫刻があり目を引きますが、これについてご住職の鷲尾興春師にお伺いをしたところ、「この彫刻は元禄時代に本堂にあったものを改築するときにはめ込んだもので、実際に明治の末までこの欄間を海中に浸して雨乞いの儀式をしていましたが、保存状態は良好で、ひび割れなどの破損箇所は一切ありません。また、本堂天井に描かれた躍動する『赤龍』は、日本画家を代表する奥田元宋画伯の作で、昭和56年に龍子夫人の七回忌供養に奉納されたものです。赤色の龍は、おそらく全国でも大聖院だけでしょう。」とお話しをいただきました。

境内には「お砂踏み」といって、20枚の敷石の下に、先代のご住職が四国八十八ヶ所を巡り、自ら持ち帰った砂が埋まっている小庭があり、一巡りすると「四国巡拝」をしたことになるといわれ、私も巡ってきました。大聖院では、四国八十八ヶ所の第四十七番「八坂寺」の仏様を預かっていることから、東国八十八ヶ所霊堂の第四十七番になっています。(他に、横浜観音三十三ヶ所霊場の第二十一番、横浜弘法大師二十一ヶ所霊場の第十五番となっている。)
また昨年は、能と新劇が一緒になった「朗読の夕べ」が杉田劇場との共催で開かれ、本堂に
100名以上の参加があり超満員だったとお聞きし、新しい息吹を感じました。

長崎外の古写真考 目録番号:2058 寺の参道

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2058 寺の参道

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2058 寺の参道
〔画像解説〕
典型的な参道風景である。左側にお参り前に手を清める手水所があり、中央には参拝客が見られる。服装や日傘から判断するに季節は夏であろう。

目録番号:2059 浅草寺本堂(2)
〔画像解説〕
浅草寺の境内でくつろぐ3人の外国人。右側の日傘をさした人物はカメラが珍しくて寄ってきたところで偶然に画面に入ってしまったのだろう。

目録番号: 159 浅草寺仁王門(1)
〔画像解説〕
木立に挟まれて見える浅草寺仁王門(宝蔵門)。東南にあった弁天池(整理番号4-11)から撮影されたもの。門の手前、中央やや左に二尊仏の後姿が見える。左手前に弁天池の一端と、仲見世通りに続く橋が見える。

■ 確認結果

目録番号:2058「寺の参道」は、次の目録番号:2059「浅草寺本堂(2)」の前に撮影した写真だろう。目録番号:2059「浅草寺本堂(2)」が間違いないとすると、浅草寺の本堂側まで行って、参道と「仁王門」を振り返って撮影したと思われる。
上下白い洋服の外国人は、同一人であろう。立木も向きを変えたら同じようだ。

目録番号: 159「浅草寺仁王門(1)」も参照。戦前の浅草寺仁王門と戦後再建された現在の浅草寺宝蔵門(旧仁王門)は、HP「私の昭和史ー忘れ得ぬ人びと 人生一期一会」から。

長崎外の古写真考 目録番号:2046 洋傘をさす二人の女性

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2046 洋傘をさす二人の女性

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2046 洋傘をさす二人の女性
〔画像解説〕
現代のスナップ写真と同じである。住宅地の一画で、外出姿の2人の中年女性を気軽に撮影した、日常性を感じさせる写真である。着物や髪型から見て昭和に入ってからの写真と思われる。

目録番号:2025 田圃の畦道を歩く紳士と淑女
〔画像解説〕
田圃の畦道を歩く紳士と婦人を撮影する。田圃は田植えが行われて日が浅く、水田には小さな苗が整然と植えられている。帽子をかぶり上着を左手に抱えた洋服姿の紳士と、黒のコウモリ傘を陽傘かわりに差した着物姿の女性が手前に向かって歩いて来る。背後の山並みから考えると、撮影場所は南山城か山科の田園地帯と想像される。

目録番号:2037 春日大社参道(5)
〔画像解説〕
参道を歩く和服姿の女性。同一人らしき人物が整理番号46-125(注 目録番号:2031「神社の境内(1)」掲載略)の写真に見える。

目録番号:2045 伊勢神社参道
〔画像解説〕
「お伊勢さん」の名で知られる伊勢神宮は、天照大御神を祭神とし、3種の神器の1つ八咫鏡を神体とする皇大神宮(内宮)と、豊受大神宮(外宮)から成る。伊勢参りは、庶民の観光の1つとして人気が高かった。

■ 確認結果

目録番号:2046「洋傘をさす二人の女性」は、この写真だけ見たら、画像解説はそうなる。「昭和に入ってからの写真と思われる」と説明しているのだろう。
洋傘を持つ「二人の女性」は、目録番号:2025「田圃の畦道を歩く紳士と淑女」、目録番号:2037「春日大社参道(5)」などに、同一人らしい女性が写されている。

撮影者とその友人の近畿旅行に案内同行した女性と思われる。二人の帯や着物の色が変わっている点は、その前が目録番号:2045「伊勢神社参道」であり、「住宅地の一画」ではなく、伊勢志摩などの旅館前で撮影された可能性がある。

整理番号46番台の写真(データベース目録番号:1907から目録番号:2097まで197作品)は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真。そのため前記事によりふれたが、一連の作品として見ることが必要だろう。
撮影年代は未詳。撮影者の旅行がいつだったかによる。カラー写真や洋傘も明治時代からあったようである。「明治時代の傘の広告」は、HP「傘物語」洋傘の歴史から。

長崎外の古写真考 目録番号:2041 町の風景

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2041 町の風景

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2041 町の風景
〔画像解説〕
家々の屋根が重なり合うように接する古い町並が見える。

目録番号:2149 三井寺から望む琵琶湖(8)
〔画像解説〕
西国三十三所観音霊場の第14番札所、三井寺(みいでら、正式名:園城寺)観音堂から望む大津の風景。中央の水路は飲料水・発電・物資輸送などを目的として、明治23年(1890)に完成した琵琶湖疏水(びわこそすい)。疏水周辺の様子から、完成間もない頃に撮影されたものと考えられる。

■ 確認結果

整理番号46番台の写真(データベース目録番号:1907から目録番号:2097まで197作品)は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真。撮影年代は未詳だが、ほぼ時系順に日本も旅行風景が写されている。
「神戸」とされる作品で、長崎大学側はまだ存知ないと思うが、「長崎」の貴重な写真7点を確認している。 https://misakimichi.com/archives/2218

整理番号46番台の写真は、目録番号では京都「清水寺」、滋賀「石山寺」、奈良「春日大社」あたりが、バラバラに整理されている。
目録番号:2041「町の風景」は、京都「清水寺」からではない。写真の上部に写っているのは、大きな川か、湖か。滋賀県琵琶湖の瀬田川に東大門がある「石山寺」から見た町の風景とも考えたが違う。

現在の展望写真から探すと、大津近く「三井寺からの琵琶湖の眺め」の小さな写真が、少し状景に合う。三井寺観音堂「高観音」からの眺望。古写真でいうと、目録番号:2149「三井寺から望む琵琶湖(8)」。
琵琶湖疏水の完成は、明治23年(1890)。目録番号:2041「町の風景」は、疏水が写っていない。それ以前の撮影か。整理番号46番台に、「三井寺」の写真はない。
撮影者は「三井寺」にはたして行ったのか。「撮影地域:奈良」とはどこだろう?

現在の「石山寺境内図」と「東大門」の写真は、HP「さらえのすしのホームページ 石山寺から延暦寺」から。「三井寺からの琵琶湖の眺め」は、HP「神戸|ニンニク唐辛子の平凡日記」から。 

長崎外の古写真考 目録番号:2029 奈良公園(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2029 奈良公園(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2029 奈良公園(1)
〔画像解説〕
写真名から春日大社境内であるであることがわかる。

目録番号:2030 神社の参道(2)
〔画像解説〕
木立の間に古い灯籠が並んでいる。

目録番号:2030 春日大社参道の鹿(10)
〔画像解説〕
春日大社参道を歩く牡鹿一頭を撮影する。二の鳥居から西へ350メートルほどの地点から東へ向かって撮影している。鹿の毛が夏毛であり、樹木も繁っているが一部に紅葉しているので晩夏から初秋の撮影であろう。

■ 確認結果

目録番号:2029「奈良公園(1)」は、「写真名から春日大社境内であるであることがわかる」なら、タイトルを「春日大社」に、キーワードの「寺/公園」も変更が必要である。
掲載を略したが、目録番号:2031「神社の境内(1)」は、奈良「春日大社」でなく、滋賀「石山寺」だろう。  https://misakimichi.com/archives/2245

目録番号:2030「神社の参道(2)」は、木立の間に並んでいる「古い灯籠」が、前の目録番号:
2029「奈良公園(1)」、及び次の目録番号:2030「春日大社参道の鹿(10)」と同じ形のようなので、写真の続きからも「春日大社の参道」と思われる。