月別アーカイブ: 2009年10月

彦山神社のイチョウ  雲仙市千々石町丙

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彦山神社のイチョウ  雲仙市千々石町丙

国道57号線の千々石海水浴場前あたりから、左方の田奥の高台集落を眺めると、一際高い木が見える。上峰川沿いの道に左折して上がって行くと、これが平和自治会館横の彦山神社で、イチョウの大木であった。
幹囲4.6m、樹高18mほど。長崎市天然記念物「大音寺のイチョウ」が幹囲3.9mとあるから、これより大きい。

釣れた? 釣具店の釣人 (6)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (6)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

秋バージョンだが3日ほど前から、カップルの男性と女性の位置が反対となった。不明なのは女性が持つ幟。「アジ子手当て!!」。どういう意味だろう。子育て手当?

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (2)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (2)  平成21年10月

平成21年10月18日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ”。 参加スタッフとも22人。「みさき道」の後半コース。
三和行政センター前午前9時半発ー蚊焼峠ー永一尾ー徳道ー野母崎ゴルフ場構内(昼食)ー延命水ー高浜ー古里ー堂山峠ー脇岬観音寺15時45分着。(徒歩約15km)

三和公民館展示ホールの当時の蚊焼村図や明治県道の脇岬・高浜標石など見て出発。秋葉山口の郷路八幡では栗拾い休憩となった。永一尾の長い稜線歩き。中間のベンチ所で展望を楽しむ。徳道の三叉路に出ると「長崎ヨリ五里」「御崎ヨリ二里」の里程道塚がある。
ゆうこうの木の実を観察。野母崎ゴルフ場構内で昼食。ここはみさき道と川原道の分岐点となり、珍しい地蔵彫墓石兼用の道塚がある。

午後からは、ゴルフ場内はみさき道が喪失しているので外周市道を歩き、高浜延命水に出る。海水浴場まで下り、古里から最後の難所、堂山峠を越える。草刈りのお蔭で歩きやすく予定より早く脇岬観音寺に着いた。
開帳の日だが、夕方となれば国宝観音像はカーテンが閉められていて残念。

長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感した。
徳道から脇岬観音寺へ至った覚斎記録の一部文を紹介する。
○下リテ高濱ニ至ル 此ノ処漁処ナリ水際ノ危石上ヲ通ル 凡ソ二十丁此ノ処ヨリ三サキ迄一里ナリト則チ堂山峠ナリ 此ノ峠此ノ道路第一ノ嶮ナリ 脚疲レ炎熱蒸スカ如ク困苦言ベカラス 下リテ直ニ観音堂アリ清人ノ書ニテ海天活佛ノ額アリ ○三四丁ニシテ脇津ニ至リ…(この日脇津泊)

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21740190.html 
のりさんのは、  http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8488797.html ほか 
次回は、11月9日(月)午前9時30分諏訪神社一の鳥居前集合。”城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく”。講師は長崎街道ネットワークの会 江越弘人先生。

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (1)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (1)  平成21年10月

平成21年10月18日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ”。 参加スタッフとも22人。「みさき道」の後半コース。
三和行政センター前午前9時半発ー蚊焼峠ー永一尾ー徳道ー野母崎ゴルフ場構内(昼食)ー延命水ー高浜ー古里ー堂山峠ー脇岬観音寺15時45分着。(徒歩約15km)

三和公民館展示ホールの当時の蚊焼村図や明治県道の脇岬・高浜標石など見て出発。秋葉山口の郷路八幡では栗拾い休憩となった。永一尾の長い稜線歩き。中間のベンチ所で展望を楽しむ。徳道の三叉路に出ると「長崎ヨリ五里」「御崎ヨリ二里」の里程道塚がある。
ゆうこうの木の実を観察。野母崎ゴルフ場構内で昼食。ここはみさき道と川原道の分岐点となり、珍しい地蔵彫墓石兼用の道塚がある。

午後からは、ゴルフ場内はみさき道が喪失しているので外周市道を歩き、高浜延命水に出る。海水浴場まで下り、古里から最後の難所、堂山峠を越える。草刈りのお蔭で歩きやすく予定より早く脇岬観音寺に着いた。
開帳の日だが、夕方となれば国宝観音像はカーテンが閉められていて残念。

長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感した。
蚊焼峠入口から徳道へ至った覚斎記録の一部文を紹介する。
○…三丁許ニシテ蚊焼峠ノ入リ口ノ芧店ニテ喫水シテ汗ヲ拭フ ○西北ハ港内ニテ其ノ西岸ハ遥ヘ絶ヘ高野木嶋 マゴメ嶋 硫黄嶋 高嶋 遥ニ松嶋ノ瀬戸(岩礁の図)高サ六七間見ユル 之レ相撲ノ瀬ト言フ ○四郎カ嶋 カミノ嶋 右二嶋ハ佐賀公ノ砲台二シテ最モ勝ルノ由 ○蚊焼峠ノ上三十丁許ヲ長(ナガヒ)人ト言フ 此ノ処東西狭クシテ直ニ左右ヲ見ル 東ハ天草 島原アリ遥ニ其ノ中間ヨリ肥後ヲ見ル

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21740190.html 
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8488797.html ほか 
次回は、11月9日(月)午前9時30分諏訪神社一の鳥居前集合。”城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく”。講師は長崎街道ネットワークの会 江越弘人先生。

あづまの里から鉢巻山へ  平成21年10月

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あづまの里から鉢巻山へ  平成21年10月

平成21年10月17日(土)曇り。あづまの里から裏雲仙の「鉢巻山」(標高631.8m)に登り、九州自然歩道へ下る。コース見のため単独行。最後は千々石の景観。下りのルートは宮さんの先日の記事あり、次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21631276.html

愛野から裏雲仙田代原方面を見ると、右側が九千部岳、左側が吾妻岳となるが、吾妻岳の手前に少し高いピークがある。これが「鉢巻山」である。
愛野展望台手前の交差点から県道58号線に入る。愛野ゴルフ場や風力発電風車前を通りそのまま進むと、「あづまの里」の案内標識があり、牧場入口の駐車場まで行って歩き出す。

牧場内の高台に有名な「万里の長城」がある。展望台から奧の終点まで長城の道を行く。「鉢巻山へ」と書いたプラスチック標識が枝に下がり、ここが登山道の入口となる。
正面に鉢巻山の山頂が見え、「千々石断層」の上を登って行く道となる。先の標識が至る所に付けられ、道を間違うことはないが、雑木林の尾根道で途中は展望がほとんどきかない。

小さなアップダウンを越すと、最後の急な登りとなる。やっと山頂近く100m手前の地点で、ロープに沿って右へ入る。奥の岩場上が絶景のポイントとなっており、高度感がある場所で諫早湾や橘湾が一望できる。今日は曇りのうえ霞んで多良連山が見えなかったのは残念だった。
ここは必ず立ち寄らないと、木々に囲まれた山頂は、三角点のみで景観はまったく望めない。「あづまの里」から約1時間で鉢巻山の山頂へ着いた。

帰りは吾妻岳方向への道に下る。急傾斜の道でわかり難いが、テープに注意し吾妻岳との鞍部植林地の「大だまり」まで下ると、朝霧の「←吾妻岳 自然歩道→」標識がすぐ右方の道にある。猪垣を越え、鉢巻山の山腹を巻き気味に20分ほど下って行く。あづまの里入口駐車場の弘法原ー田代原間の九州自然歩道中間位に出る。鉢巻山の山頂からこの道を下りに取ると、駐車場まで約1時間半を要するが、経験者の同行が望ましい。

虚空蔵山鳥兜岩近くのアカガシ  東彼杵郡東彼杵町

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虚空蔵山鳥兜岩近くのアカガシ  東彼杵郡東彼杵町

五島の巨木調査をされた針本氏(現在は大村市に在住)から、虚空蔵山の鳥兜岩近くにアカガシの大木があると教えてもらい、10月15日訪ねた。広域林道の岩屋登山口から登る。虚空蔵山(標高608.5m)の山頂まで約980m、40分の案内標識がある。犬の墓を過ぎ登って行くと、山頂まで後205mの地点に「鳥兜へ」の標識があり、右に分岐する道へ入る。

3分ほど木立の尾根道を少し下ると、景色が良い岩場に出る。鳥兜岩はその先にあるが、危険な道となるためロープが張られて、先は立入禁止となっている。
アカガシの大木は、景色が良い岩場へ出る直前の林間道脇右に立っている。幹囲3.3mほど。元気なアカガシである。「鳥兜へ」の標識がある地点の奇妙な木もアカガシである。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の長崎の山による説明は次のとおり。
後ろの写真は、虚空蔵山の山頂を鳥兜岩手前から振り返った場合と、一方の木場登山口近くの広域林道から。

川棚町の虚空蔵山(609m)に登ってみた。佐賀県嬉野町との県境にある。写真では頂上は台形になっているが、見る場所によっては、三角形にもなり、九州のマッターホルンとも言われている山。登山口は木場登山道と岩屋登山道がある。
岩屋口に車を停め、登る。案内板によると、頂上までは40分ほどかかるらしい。私の足だと1時間は覚悟しよう。二次林のスギ林の中を登っていくと、所々にシャクナゲが見えてくる。昔はツクシシャクナゲが自生していたらしいが、今では絶滅し、植栽されたものである。スギ林を過ぎると、シイやカシの森に変わる。アオキ、ヤブツバキ、ヒサカキ、ネズミモチ等などの照葉樹の森。キハギも見かけた。

カシはアカガシが目についた。アカガシの大木もあった。巨木ではないが、風格が漂う。さらに登ると「犬の墓」塚がある。東彼杵町川内への分岐点である。そこからはさらに急な登りとなり、頂上に近づいていることが実感される。ここまでで40分は経っている。それにしても、すれ違ったのは若いアベックだけだった。鎖場の急な石段を登る。登山道の中でも最も急な場所だが、鎖があるので苦にならない。さらに登ると頂上に着いた。…  

東彼杵町に残るアーチ式石橋「通山橋」  川内郷で見つかる

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東彼杵町に残るアーチ式石橋「通山橋」  三根郷で見つかる

東彼杵郡東彼杵町に残るアーチ式石橋は、すでに玉簾橋・花房橋・大音琴橋の3橋を次に載せている。  https://misakimichi.com/archives/685
川内郷にも「通山(とうりやま)橋」が残っているのが新しくわかった。場所は所在地図のとおり。
国道34号線が東彼杵IC前を過ぎ、嬉野方面へ俵坂峠を越えるため向かう。坂の登りにかかるまだ手前で長崎自動車道のガード下をくぐる。この左方の谷間である。

きのう虚空蔵山の巨木調査に行くため、この道を通った。広域林道の岩屋登山口に出るには近道となる。長崎自動車道のガード下からでなく、国道の手前から彼杵川の上流川内川沿いに左の旧道へ入った。ガード下からの道とすぐ合流する地点に支流が流れ、新橋「通山第二橋」が架かり、アーチ式石橋がその脇に残っていた。

石橋は幅員5.0m、長さ5.5m、橋高2mほど。第一橋の名の橋は近くの川になく、この石橋を第一橋として考えて、新橋の第二橋は命名されたのではないだろうか。従って石橋の名は「通山橋」としておく。なお、川内川の近辺は他に石橋は見当たらない。先の支流の上流部、家前の溝に小さな桁石橋2つを見ただけである。

その後、HP「長崎県の石橋を訪ねて」の安元様が調べてくれた。同HPによる説明は次のとおり。明治以降の橋と思われるが、昔の虚空蔵山愛宕神社の参道道となるので、長崎自動車道のガード下、彼杵川向いにある一の鳥居と、国道入口にある登山口の案内柱の写真を追加する。

第 208 番   通 山 橋      長崎県東彼杵郡東彼杵町川内郷

虚空蔵神社の一の鳥居からの参道にあたる道に架かる橋だが、見た限りでは明治以降の橋としか見えない。長さ5.5m 幅員5.0m 径間4.7m
現在は直ぐ上流に通山第二橋が架かっていているが、いまでもしっかりとした現役の橋だ。まだ、こんな石橋が眠っていたとは、まだまだ未確認の石橋が有るようで楽しみが増えた。(10/19/2009)

この石橋から国道34号線を越えて彼杵川の向こうには長崎街道に沿って虚空蔵山愛宕神社の一の鳥居が建っている。この鳥居は案内に寄れば、公共工事の為に多少場所が変わっているとはいえ、延宝5(1,677)年に大村藩主の武運長久を祈願して建立されたものだという。ここから改めて通山橋に向かってみよう。

高速長崎道の高架と国道34号線を越える。登山道の案内にしたがって少し上れば、現在の道路に架かる通山第二橋の左手に通山橋が見える。手前のアスパラハウスの御主人に聞いても「子供の時から架かっとる」と言われるばかり。おいおい役場にでも行って調べてみよう。
環厚0.35m・拱失1.6m・拱失比2.7(やや扁平の石橋)

長崎の西の空の夕日  09−21

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長崎の西の空の夕日  09−21

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成21年10月11日の17時50分頃から
写真  4〜 6  平成21年10月12日の17時37分頃から
参考に前年同じ日の同時刻頃
写真  7〜 8  平成20年10月12日の17時30分頃から

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (2)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (2)  平成21年10月

平成21年10月11日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”。 参加スタッフとも16人。「みさき道」の前半コース。
午前9時新地湊公園集合。十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首大山祗神社(昼食)ー深堀ー女の坂ー大籠ー三和行政センター午後4時50分着。(徒歩約17km)

山野歩きに爽やかな日和。二本松やダイヤランド団地下り、深堀城山に趣きがある街道跡の山道が残っている。奥深い深堀善長谷には女の坂の首なし地蔵がある。本日は途中で「みさき道」道塚5本と、新小が倉で南佐嘉領境界石1本を見た。
長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。

江川河口から深堀に入り行厨後、八幡山峠(大籠の新田神社あたりか?)を越え、蚊焼へ至った一部文を紹介する。
○…小渚アリ一二小魚アリ且ツ一ノ烏賊ヲ見ル 同行ノ人直ニ入リ刀ヲ以テ切テ得タリ 自ラ携テ午飯ノ料トス
○迂路シテ深堀ニ出ズ 入口ノ峠アリ直ニ下リ深堀二至ル 小港アリ荷船四五個アリ且ツ佐賀公ノ船数十艘アリ此ノ処ハ佐賀ノ臣深堀某ノ居ナリ 戸数百口許 一ノ家二至リ芠餅ヲ喫ス 且ツ温熱忍ヒザルニ由テ草鞋ヲトリテ襟ヲ開キ汗ヲ去ル一快ヲ取ル后行厨ヲ開キ 且ツ鯛一尾ヲ調ヘ煮テ行厨ノ料トス 共ニ手取ノ烏賊ヲ供ス味極テ佳
○午時発途ス 二十丁許ニシテ八幡山峠アリ 上リノ中央ニテ異船ヲ見ル 望遠鏡ヲ用ユルニ竪ニ赤白青ノ旗号アリ 日午殊ニ峠ユヘ 炎熱蒸スカ如ク 汗ヲ以テ単物ヲ儒スニ至ル 三丁許ニシテ蚊焼ノ入リ口ノ芧店ニテ…

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21606297.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8176013.html#8176013
後半コース、蚊焼ー脇岬観音寺間は18日(日)に実施。開帳の日でみさきの観音像と天井絵が見られる。学さるく参加予約申込はまだできる。

深堀「女の坂」地蔵の伝承は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/412

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (1)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ” (1)  平成21年10月

平成21年10月11日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅰ”。 参加スタッフとも16人。「みさき道」の前半コース。
午前9時新地湊公園集合。十人町ー二本松ーダイヤランドー土井首大山祗神社(昼食)ー深堀ー女の坂ー大籠ー三和行政センター午後4時50分着。(徒歩約17km)

山野歩きに爽やかな日和。二本松やダイヤランド団地下り、深堀城山に趣きがある街道跡の山道が残っている。奥深い深堀善長谷には女の坂の首なし地蔵がある。本日は途中で「みさき道」道塚5本と、新小が倉で南佐嘉領境界石1本を見た。
長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感する。

ダイヤランド入口源ネン茶屋から土井首大山祗神社前鹿尾川渡りへ至る一部文を紹介する。
○子ケ倉ノ入口ニテ少憩ス 右ニ笠山ケ岳アリ此ヨリ加能峠ノ麓ニシテ良ゝ登ル五六町二シテ平地アリ 望遠鏡ヲ用ユルニ最モ佳景ナリ 真下ハ子ケ倉港内ノ小島眼前ニ見ヘ西南ハ西海緲々タリ ○加能ノ下リ口ハ海面ニ張出シ 望ム尤好シ 両岸ノ砲台 或ハ隠レ或ハ顕ル 両岸ハ湾アリ張出アリ ○下リテ一湾ニ出テ岸上ノ危岩ヲ渡リ一ノ間路ヲ行ク

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21606297.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8176013.html#8176013
後半コース、蚊焼ー脇岬観音寺間は18日(日)に実施。開帳の日でみさきの観音像と天井絵が見られる。学さるく参加予約申込はまだできる。