長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (2)  平成21年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ” (2)  平成21年10月

平成21年10月18日(日)快晴。長崎学さるく幕末編行事 “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ”。 参加スタッフとも22人。「みさき道」の後半コース。
三和行政センター前午前9時半発ー蚊焼峠ー永一尾ー徳道ー野母崎ゴルフ場構内(昼食)ー延命水ー高浜ー古里ー堂山峠ー脇岬観音寺15時45分着。(徒歩約15km)

三和公民館展示ホールの当時の蚊焼村図や明治県道の脇岬・高浜標石など見て出発。秋葉山口の郷路八幡では栗拾い休憩となった。永一尾の長い稜線歩き。中間のベンチ所で展望を楽しむ。徳道の三叉路に出ると「長崎ヨリ五里」「御崎ヨリ二里」の里程道塚がある。
ゆうこうの木の実を観察。野母崎ゴルフ場構内で昼食。ここはみさき道と川原道の分岐点となり、珍しい地蔵彫墓石兼用の道塚がある。

午後からは、ゴルフ場内はみさき道が喪失しているので外周市道を歩き、高浜延命水に出る。海水浴場まで下り、古里から最後の難所、堂山峠を越える。草刈りのお蔭で歩きやすく予定より早く脇岬観音寺に着いた。
開帳の日だが、夕方となれば国宝観音像はカーテンが閉められていて残念。

長崎医学伝習所生 関覚斎「長崎在学日記」(北海道陸別町資料館所蔵)の紀行をもとに、文久3年(1861)彼ら一行がたどった道を推定し、実際に歩いて体感した。
徳道から脇岬観音寺へ至った覚斎記録の一部文を紹介する。
○下リテ高濱ニ至ル 此ノ処漁処ナリ水際ノ危石上ヲ通ル 凡ソ二十丁此ノ処ヨリ三サキ迄一里ナリト則チ堂山峠ナリ 此ノ峠此ノ道路第一ノ嶮ナリ 脚疲レ炎熱蒸スカ如ク困苦言ベカラス 下リテ直ニ観音堂アリ清人ノ書ニテ海天活佛ノ額アリ ○三四丁ニシテ脇津ニ至リ…(この日脇津泊)

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21740190.html 
のりさんのは、  http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/8488797.html ほか 
次回は、11月9日(月)午前9時30分諏訪神社一の鳥居前集合。”城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく”。講師は長崎街道ネットワークの会 江越弘人先生。