勘定場の井戸 平戸市大島村神浦
大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
島の中心地神浦港で降りて、海岸沿いを行くとすぐ「天降神社」があり、参道石段の左脇に「勘定場の井戸」はある。
捕鯨で栄えていた頃の鯨組勘定場付きの井戸跡である。大島村指定文化財。
この道先にも同じく井元鯨組が寄進した「真教寺の六角井戸」があり、これは現在もポンプをつけて使われているそうである。
勘定場の井戸 平戸市大島村神浦
大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
島の中心地神浦港で降りて、海岸沿いを行くとすぐ「天降神社」があり、参道石段の左脇に「勘定場の井戸」はある。
捕鯨で栄えていた頃の鯨組勘定場付きの井戸跡である。大島村指定文化財。
この道先にも同じく井元鯨組が寄進した「真教寺の六角井戸」があり、これは現在もポンプをつけて使われているそうである。
ポットホール公園の甌穴 佐世保市吉井町前岳
国道204号線の佐世保市吉井行政センター前から右折し、アーチ石橋「樋口橋」を渡り、世知原町方面への県道54号線に入る。松浦鉄道の高架下をくぐると、左手に佐々川が流れ、対岸に吉井中学校や吉井南小学校が見える。
この学校の通りの橋を「校門橋」といい、橋手前にポットホール公園の駐車場がある。
ポットホール公園は平成3年、ここから上流の赤い「観音橋」(御橋観音の入口歩道橋)までの佐々川河畔に遊歩道ができ整備された。
ポットホールとは「甌穴」(おうけつ)のこと。ここは「立石の甌穴(おうけつ)」と言われていた所である。全長500mのこの公園には、640あまりのポットホールが確認されているそうだ。
ところが駐車場の公園案内図には、肝心の甌穴のある場所を消したのか消えたのか、よくわからないようになっている。この前、来た時は時間がなく、よく探さなかった。
参照 https://misakimichi.com/archives/920
今回、一番川べりの遊歩道を歩くと、大小の甌穴がいたるところにあった。
残念なのは今HPを調べると、直径・深さとも最大2mを越えるものがあるらしい。知らなかったので、これは探さなかった。Yahoo地図によると、観音橋のすぐ下流側に「立石の甌穴」と表示している。ここかどうかわからないが、また出かけなければならない。
だれでもポットホールを目的に寄るのだから、公園案内図やパンフレットに、もう少し詳しく最大なものの写真とある場所を示していいのではないか。
HP「西海圏webサイト」佐世保市吉井町の観光による説明は次のとおり。
ポットホール公園
ポットホールとは、河川床の岩盤にできる円筒状の穴のことで、流れの早い河川の川底岩盤の割れ目やくぼんだところに渦流が生じ、そのエネルギーで浅い小さな穴ができ、そこに小石が入って削られて長い年月の間に円筒状の穴となったもので、悠久の自然の営みによる珍しいものです。
佐々川の清流と渓谷、奇岩を生かした公園は町の中央にあり散策に最適の場所となっています。公園内には大小640あまりのポットホールが見られ、最大のものは直径、深さとも2mを超えるものがあります。
長崎の西の空の夕日 その8
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下続く。
写真 1〜 5 平成20年 7月17日の19時40分過ぎ。
写真 6〜 7 平成20年 8月 1日の19時15分過ぎ。
写真 8〜 9 平成20年 8月 6日の19時15分過ぎ。
佐世保市相浦・高島・黒島の風景
平成20年7月15日、佐世保市相浦港から黒島へ渡る。相浦教会、松浦鉄道跨道橋、九州電力相浦火力発電所、相浦港、高島寄港、黒島入港、黒島から見た高島、女瀬ノ鼻、黒島出港などの風景。
串ノ浜岩脈 佐世保市黒島町
佐世保市黒島は、相浦港の西方12kmの沖合いにある島。黒島旅客船で渡り、黒島港から島の西方、女瀬ノ鼻に向かう。案内標識により進み、串ノ浜まで車道を下り、海岸へ歩いて行くと岩脈が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
串ノ浜岩脈 県指定天然記念物
指定年月日 平成10年2月18日 所在地 佐世保市黒島町5242番地の地先
管理責任者 佐世保市
黒島の西端の海岸部に位置し、干潮時に砂及び粘板岩の広い波食台(はしょくだい)が現れ、この地層に縦に貫通入した玄武岩の岩脈がみられる。この岩脈は3本あり、東列は幅平均約2m、全長約120mで崩壊崖から現れ、走向はN34°Wを示す。中央列は最大幅2m、長さ55mであり、東列とほぼ並行している。西列はN10°Wの方向に、最大幅1.5m、長さは100mに及ぶが、一部は崩落岩石が被覆して見えなくなる。
岩脈はすでに固結している岩盤の割れ目に、後から溶岩が貫入して固まったものである。岩脈となる岩石は、主に安山岩や玄武岩のような火山岩が普通であり、周囲の岩石より硬いために浸食されずに残って突出することが多い。
県の天然記念物として指定されている他の岩脈と比較しても、串ノ浜の岩脈は最大級であり、保存状態も良好である。
黒島神社社叢 佐世保市黒島町
佐世保市黒島は、相浦港の西方12kmの沖合いにある島。黒島旅客船で渡り、黒島港に面しているのが黒島神社である。
黒島みどころマップには、「黒島天然の森(金毘羅神社)」とあった。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」中の街路樹による説明は次のとおり。
黒島神社社叢
黒島港近くにあリ、神社の左側は海に面している。小高い森で、スタジイを優占種として、タブノキ、ヤブニッケイ、モチノキ、ハマビワ、ヤブツバキ、サンゴジュ、タイミンタチバナなどが茂っている。
神社という霊域の為、人の手が入らず、黒島では唯一の自然林であり、縄文の森の面影を残していると言われる。
森の中には、南方系のモクタチバナが十数本あり、国内自生地の北限と言う。
黒島のアコウとマキノキ 佐世保市黒島町
佐世保市黒島は、相浦港の西方12kmの沖合いにある島。黒島旅客船で渡り、町中心部高台にある黒島天主堂から案内標識により島の東方へ約700m進むと、道路左方の民家入口坂道の上にアコウの大木が見える。
市指定天然記念物大サザンカがあるところのすぐ先、道路反対側である。
地元の話では、これより大きなアコウが島内の西方、県指定天然記念物「串の浜岩脈」に行く途中の蕨地区の民家にあると聞いたが、時間が取れなかった。
アコウの後の写真は、島の東端の道で見かけたアコウの別の大木。
黒島天主堂の左手路地奥に、マキノキの大きいのがあると聞いたので、これは写してきた。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」中の街路樹による説明は次のとおり。
黒島のアコウ
根谷地区には、移住してきた頃に植えられたというサザンカの大木がある。その近くには、アコウの巨木がある。
すこし先の道沿いにある。多くの気根が垂れ下がっていて圧巻。長崎鼻近くの蕨(わらべ)地区にもアコウの巨木がある。
黒島のサザンカ 佐世保市黒島町
佐世保市黒島は、相浦港の西方12kmの沖合いにある島。黒島旅客船で渡り、町中心部高台にある黒島天主堂から案内標識により島の東方へ約700m進むと、道路右の橋本宅下となる斜面地にある。
大アコウがあるところのすぐ手前、道路反対側である。市指定天然記念物。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。
黒島の大サザンカ
九十九島のひとつ黒島(黒島町・根谷)にある。民家の近くにある。幹周り1.8m、根周り4m、樹高10m。樹齢350〜400年と言う。佐世保市の天然記念物に指定されている。
11月初旬。サザンカの花がいっぱい咲いていた。幹の途中には、着生したトベラが生えていた。
寛政年間(1800年頃)に移住してきた当時から、潜伏キリシタンの生活の一部を支えた由緒ある木と言われている。
黒島天主堂 佐世保市黒島町
黒島(くろしま)は、長崎県北部の北松浦半島西沖合にある島。全島が佐世保市に属し、キリシタンの島として知られる。
相浦港ターミナル(相浦桟橋)から黒島旅客船(ニューフェリーくろしま)を利用して行く。相浦港ー黒島港(高島経由)は所要時間約50分、1日3往復運航。運賃は片道700円。
黒島天主堂は島の中心地となる中央部の高台にある。国指定重要文化財。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
黒島天主堂 重要文化財(国指定)・建造物
指定年月日 平成10年5月1日 所在地 佐世保市黒島町3333番地イ
所有者 カトリック長崎大司教区
黒島は、江戸時代にキリシタン弾圧を逃れた多数の信者が潜伏していた所である。明治30年(1897)、マルマン神父がそれまでの小規模な木造教会堂に代わる新たな教会堂の建設の命を受けてフランスから来島し、その指導のもとで本格的な教会堂の建設が開始され、明治35年(1902)に竣工したのが現在の黒島天主堂である。
正面中央部に鐘塔を付設し、円形アーチを基調としたリブ・ヴォールト天井を有する。内部立面構成は、アーケード、トリフォリウム、クリアストリーの三層構成であり、祭壇部は珍しい半円形の平面をなし、有田焼のタイルが貼られ、地方的特色を有する。
学術研究によって、長崎県内はもとより近隣の地域で後世建てられた教会堂建築に与えた影響が大きいことが明らかにされており、我が国を代表する明治期に建てられた三層構成の教会堂のひとつとして貴重である。
亀川ダムの上流にある桁石橋
本渡市街から国道266号線により牛深の方へ向かう。市街を過ぎた谷間に亀川ダムがあり、カーブの多い山手へ上って行くと、下田温泉への県道24号線の分岐がある。
牛深へは長平峠越となり、現在はトンネルがあるが、この亀川ダムの上流にある桁石橋2つは、長平峠越えのその旧道に架かっていた橋である。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 熊本県の石橋」による説明は次のとおり。
写真2の橋は、私が見かけた。位置図の場所でアーチ石橋「蓮河橋」の手前にあった。
写真 1 №2,239 亀川ダム上流橋 2006.11.
天草市枦宇土町 径間:1.4m 桁厚:45cm 2径間桁橋
亀川ダムから国道266号線を少し南下した大きくカーブしているところ。
この民家の横です、旧道でしょうか。
写真 2 蓮河橋の手前の橋
天草市枦宇土町