月別アーカイブ: 2008年6月

山野のサザンカ  平戸市主師町

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山野のサザンカ  平戸市主師町

平戸市街から生月島に通じる県道19号線により主師町の山野集落へ向かう。この県道は平戸島の西側を通る。坊方町「一の宮池」を上った鞍部に、「山野教会」「山野のサザンカ」の案内標識があり左折して入る。

山野集落は安満岳(標高514m)のもう真下。県道入口からかなり登る。山野教会の手前にスクールバスの広場があり、サザンカはこの奥に見える。
集落の道路先にシイのかなりの大木があった。教会の堂内も写してみた。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中(街路樹)による説明は次のとおり。

山野のサザンカ

安満岳の麓の山野地区にあるサザンカ。樹齢300年ほどで、幹周り2.3mある大木。サザンカとしては貴重であり、平成3年市の天然記念物に指定された。
案内板によると、昭和初期までは、実から油を取り、灯明や食用に利用されていたとある。10月。サザンカの花が咲き始めている。

栄西の茶畑「冨春園」  平戸市木引町

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栄西の茶畑「冨春園」  平戸市木引町

平戸市街から生月島に通じる県道19号線により木引町へ向かう。この県道は平戸島の西側を通る。川内峠のちょうど真下あたりが木引町。同町の次のバス停が「千光寺前」だった。
栄西禅師の遺跡は、寺とは県道反対側にあり、案内標柱と説明板がある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中(街路樹)による説明は次のとおり。

栄西の茶畑「冨春園」

平戸市木引町の千光寺傍に「日本禅宗発祥之地 冨春庵跡」がある。
栄西禅師が1191年(建久2年)、宋から平戸にたどり着き、「冨春庵(ふうしゅんあん)」を建て禅宗を広めた。茶種を裏山に蒔き、製茶や喫茶(抹茶)の法を教えた。
その後、茶は栂尾から宇治をへて全国に広まった。茶はすでに日本の高貴階級に伝えられていたが、栄西禅師によって庶民にも伝わっていったという。
平戸・松浦家の茶道「鎮心流」は冨春庵との関わりのなかで創られた。

川内峠  平戸市川内町・大野町

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川内峠  平戸市川内町・大野町

平戸市街から生月島に通じる県道19号線により川内峠へ行った。途中から総合運動公園の道へ入り、その先から木立の中の登山道路となった。
標高約200m。県を代表する30haほどの草原。景観がよく東に平戸大橋、西に古江湾を見渡せる。草原の峠ピークまで歩きたかったが、時間がなかった。

マテばやしの小径  平戸市川内峠

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マテばやしの小径  平戸市川内峠

平戸市街から生月島に通じる県道19号線により川内峠(風景の項参照)へ行った。途中から総合運動公園の道へ入り、その先から木立の中の登山道路となった。
マテばやしの小径は、峠近く小駐車場のところに案内板があった。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中(街路樹)による説明は次のとおり。

川 内 峠

市街地から島の中央を通って川内町に向かう峠。草原になっていて川内峠自然公園になっている。景観がよく東に平戸大橋、西に古江湾を見渡せる。峠の途中には、マテバシイが多く、「マテばやし」と呼ばれている。マテバシイの萌芽林を見ることができる。

平戸の六角井戸  平戸市浦の町

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平戸の六角井戸  平戸市浦の町

松浦史料博物館の正門入口石段前から左方横へ遊歩通りを行くと、県指定史跡「六角井戸」がある。
その先には樹齢400年ほどといわれる大ソテツ(名木の項参照)がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸の六角井戸  県指定史跡

指定年月日 昭和50年1月7日  所在地 平戸市鏡川町6−2
管理責任者 平戸市浦之町
県指定の福江市の六角井戸とともに、井戸の型が六角であり倭寇関係、唐船貿易関係の遺跡として伝承されている。しかし直接中国の工人の指導によってこの井戸がつくられたものとは考えられないが、平戸という唐船貿易のあった港の遺跡の一つとして保存されている。

平戸のソテツ  平戸市浦の町

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平戸のソテツ  平戸市浦の町

松浦史料博物館の正門入口石段前から左方横へ遊歩通りを行くと、県指定史跡「六角井戸」の先に大ソテツを見る。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大ソテツ

市街地の六角井戸近くにある。江戸時代初期の貿易商・川崎屋の庭に植えられてあった。樹齢400年ほどになるらしい。

平戸市に残るアーチ石橋  (2)

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平戸市に残るアーチ石橋 (2)

平戸市(田平町を除く)に残るアーチ石橋は、4橋である。国指定重要文化財「幸(オランダ)橋」は、(1)を参照。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  2  第  24 番  法音(報恩)寺橋    紺屋町の鏡川に架かる。
元禄10(1697)年頃     長さ 5.3m  幅員 3.3m程度
平戸小橋と聞いていたが、法音寺橋と言う名前であった。
藩主に願い出て幸橋の幸(オランダ)橋を請負った平戸の石工達が、事前の習作として架けた橋だと伝えられる。橋の名前はこの地にあった寺の名前によるとのこと。

写真  3  第  25 番  誓 願 寺 橋     紺屋町の鏡川に架かる。誓願寺入口。
嘉永元(1848)年頃      長さ5.3m程度  幅員 3.3m程度
法音寺橋のすぐ上流にあたる。
幸(オランダ)橋から、150年程は下った後に作られた橋。しかし加工は幸橋どころか法音橋より劣るような気がする。
布積みの石の加工は一般的、また楔となる石の周辺の石にも隙間が見られる。石工の技術はなかなか伝授は難しいものかもしれない。

写真  4  第 166 番  安満川の橋(大越の橋) 平戸市内から紐差に向かう旧県道に架かる。
明治37?38(1904?1905)年との地元の方の情報  長さ 約 2.5m  幅員 約3.8m+拡幅
紐差に向かって大越の峠から下り始めてすぐ右側(市役所付近からは10km程度)
橋を実際に見てみると切石の精度も高く加工の様子から、県内に多く残る戦後の県道整備時代の架橋と思われる。(下記の記事で修正が必要?)
橋の上流側は木柱で50cmほど拡幅されている事から、現在の道路が出来るまで使われていた様子がしのばれる。

平戸市に残るアーチ石橋  (1)

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平戸市に残るアーチ石橋 (1)

平戸市(田平町を除く)に残るアーチ石橋は、4橋である。
まず最初に幸(オランダ)橋。国指定重要文化財。平戸城の正面口となる平戸市役所横の裏手に架かる。側にオランダ船錨実物展示と英国商館遺址之碑があった。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。後は長崎県HP「長崎県の文化財」から。

写真   1  第   3 番  幸(オランダ)橋     平戸市岩の上町
元禄15年(1702) 国指定有形文化財  長さ 18.6m  幅員 5.1m
藩主が架橋を長崎の石工に依頼しようとしたところ、地元の石工たちが面目に掛けてと嘆願して工事を請け負ったといわれる。
長崎の中島川石橋群が1634〜1700年に続々と架橋された、ちょうどその後に続く時期に架橋されたのだから、長崎の石工に指導して貰えば簡単なのに、自分達の面目に掛けてと嘆願してまで工事を請け負った石工達の心意気が小気味よい。
【オランダ橋の由来】
平戸に大工の棟梁で、豊前(とよさき)なるものがおり、オランダ屋敷の工事を請け負った際に入口を石造りのアーチ型にするよう指示され、その際にオランダ人からアーチの石組みの技術を学び、模型まで作って習得したと言う。この技術を地元の石工達にも伝授していたので、オランダ屋敷の門構えの技術が生かされたから、オランダ橋と呼ぶとか?
高欄の細工も素晴らしいし、枠石の接点の布積みの加工も工夫が見られる。

幸   橋  重要文化財(国指定)・建造物

指定年月日 昭和53年1月21日  所在地 平戸市岩の上町亀岡  所有者 平戸市
松浦公30代雄香棟(ゆうこうたかし)が元禄15年(1702)に架けた石橋。はじめ26代法印鎮信(しげのぶ)が亀岡に日の出城を築いたのは慶長4年(1599)であったが、平戸港と鏡浦のため、城と城下町との往来は渡船にたよった。寛文9年(1699)29代天祥鎮信がここに初めて木橋を架けたので、人呼んで幸橋といったという。以来この名は、石橋に改架された後も残された。
また、別名をオランダ橋ともいったのは、慶長14年(1609)平戸にオランダ商館が設置されて、石造建物が建築された時、その工事に関与した石工豊前(とよさき)がアーチ式の技術を会得し、これを伝承した石工達が架けたからであるという。

平戸城(亀岡城)のマキノキの並木  平戸市岩の上町亀岡

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平戸城(亀岡城)のマキノキの並木  平戸市岩の上町亀岡

平戸城天守閣に登る途中の亀岡神社参道の広場両脇にマキノキの大木の並木がある。樹齢は400年といわれ、県指定天然記念物。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

亀岡のまき並木  県指定天然記念物

指定年月日 昭和29年12月21日  所在地 平戸市岩の上町亀岡
管理責任者 平戸市
平戸は松浦氏の城下町で、慶長4年(1599)に、平戸瀬戸を望む丘の上に日の出城が築かれた。指定のまき並木は、このころ植えられたものと思われる。
このまき並木は隣合って二列に並んでいる。その一つは大小12本が、カギ形に並び、そのうちの最大のものは幹まわり5.5mもある。もう一つの列は12本が直線に並び、そのうちの最大のものは、幹まわり3.6m、まきの並木としては、他に類のない立派なものである。