平戸市に残るアーチ石橋  (1)

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平戸市に残るアーチ石橋 (1)

平戸市(田平町を除く)に残るアーチ石橋は、4橋である。
まず最初に幸(オランダ)橋。国指定重要文化財。平戸城の正面口となる平戸市役所横の裏手に架かる。側にオランダ船錨実物展示と英国商館遺址之碑があった。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。後は長崎県HP「長崎県の文化財」から。

写真   1  第   3 番  幸(オランダ)橋     平戸市岩の上町
元禄15年(1702) 国指定有形文化財  長さ 18.6m  幅員 5.1m
藩主が架橋を長崎の石工に依頼しようとしたところ、地元の石工たちが面目に掛けてと嘆願して工事を請け負ったといわれる。
長崎の中島川石橋群が1634〜1700年に続々と架橋された、ちょうどその後に続く時期に架橋されたのだから、長崎の石工に指導して貰えば簡単なのに、自分達の面目に掛けてと嘆願してまで工事を請け負った石工達の心意気が小気味よい。
【オランダ橋の由来】
平戸に大工の棟梁で、豊前(とよさき)なるものがおり、オランダ屋敷の工事を請け負った際に入口を石造りのアーチ型にするよう指示され、その際にオランダ人からアーチの石組みの技術を学び、模型まで作って習得したと言う。この技術を地元の石工達にも伝授していたので、オランダ屋敷の門構えの技術が生かされたから、オランダ橋と呼ぶとか?
高欄の細工も素晴らしいし、枠石の接点の布積みの加工も工夫が見られる。

幸   橋  重要文化財(国指定)・建造物

指定年月日 昭和53年1月21日  所在地 平戸市岩の上町亀岡  所有者 平戸市
松浦公30代雄香棟(ゆうこうたかし)が元禄15年(1702)に架けた石橋。はじめ26代法印鎮信(しげのぶ)が亀岡に日の出城を築いたのは慶長4年(1599)であったが、平戸港と鏡浦のため、城と城下町との往来は渡船にたよった。寛文9年(1699)29代天祥鎮信がここに初めて木橋を架けたので、人呼んで幸橋といったという。以来この名は、石橋に改架された後も残された。
また、別名をオランダ橋ともいったのは、慶長14年(1609)平戸にオランダ商館が設置されて、石造建物が建築された時、その工事に関与した石工豊前(とよさき)がアーチ式の技術を会得し、これを伝承した石工達が架けたからであるという。