月別アーカイブ: 2008年6月

八幡宮の御神木(クスノキ)  天草市八幡町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

八幡宮の御神木(クスノキ)  天草市八幡町

天草市本渡の中心通りから国道324号線により鬼池港がある五和町の方へ向かう。八幡町は本渡市街の北はずれになるが、新興住宅と大型店舗ができ、新しい道路が次々整備されつつあり、八幡宮の道は説明しにくい。
要するに、苓明高校のまだ手前で、国道沿いナフコの国道反対側の住宅に囲まれたところにあるので、住宅地の中の道を探すしかない。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No. 79  登録 昭和57年12月1日
八幡宮の御神木(クスノキ)
所  在  地  本渡市本渡町字木戸馬場2877
登録時の状況  樹齢 600年  幹の太さ 5.2m  樹高 16m
枝張り 南北16m×東西16m  樹幹 太枝分岐  樹勢 良
本戸馬場八幡宮は、約600年程前の正和2年(1313年)、地頭志岐景弘が八幡宮を勧進し、現在地の西方にある丸尾ヶ丘の山麓東面の地に創建したのが始めである。その後、志岐氏の衰えやキリシタン一揆、小西行長の天草攻略などにより兵火の厄にあってしまったが、天和元年(1681年)、現在地に再建されている。
この樹は推定樹齢600年とされているが、この地にもともとからあったのか、もとの社殿から移されたのか定かでない。ただ、天草の中心地本渡をめぐっての志岐氏と天草氏との争いや、宇土城普請をめぐる小西行長との天草合戦など、天草歴史上の合戦を数多く体験していることになる。

延慶寺の兜梅  天草市浜崎町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

延慶寺の兜梅  天草市浜崎町

天草市本渡の中心通りから県道44号線により天草空港の方へ向かう。天草切支丹館などがある殉教公園の登り口の先が浜崎町であり、「馬場」交差点から右へ入るとすぐ延慶寺がある。
県指定天然記念物「兜梅」は寺の裏庭にあり、順路により庭へ進む。戸はいつも開けられ見学自由のようである。
熊本県の熊本観光サイトHP「なごみ紀行 くまもと」による説明は次のとおり。
この梅はなぜか「ふるさと熊本の樹木」登録樹になってなかった。開花写真は現地説明板から。
延 慶 寺

樹齢500年以上の臥龍梅の古木があります。この臥龍梅は本戸城の落城を前にして、客将・木山弾正の奥方であるお京の方が奮戦のさなか、この梅に兜をひっかけたため、討ち取られたという伝説が残っています。彼女の「花は咲いても実はならぬぞ」という恨みから、花は見事に咲きながら実はつかないとされています。”延慶寺の兜梅”と呼ばれています。
梅の木は、高さ約4メートル、幹回り1.8メートルの巨木で、龍が臥した姿に似ていることから臥竜梅と呼ばれます。

鈴木神社の森  天草市本町本

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

鈴木神社の森  天草市本町本

天草市本渡の中心通りから県道44号線により天草空港の方へ向かう。市街を抜けた下河内から左折し本渡苓北線の県道44号線へ入る。東向寺裏を過ぎ本町小学校前の分岐は右方の県道を進むと、鈴木神社の標柱と鳥居がある。
登録のイチイガシなどの古大木は、説明とおり鈴木神社敷地内の「本村神社」の方にあるので、駐車場道を登って行くと途中に見られる。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No. 99  登録 昭和58年12月10日
鈴木神社の森
所  在  地  本渡市本町本671
登録時の状況  幹の太さ 2.7m  樹高 26m
枝張り 南北8m×東西10m  樹幹 通直
鈴木神社は、天草石高半減に努力し割腹した鈴木代官をまつる神社である。その敷地内には、鈴木重成が天草の村々に建てた15社官の一つ「本村神社」がある。
本村神社を含めたこの一帯には、古大木が残っているが、その中でもイチイガシやモッコクの大きさが目をひく。20年頃前に大木の松は枯れたが、残っている古大木は神社が創建された当時からのものと推定される。

薬師寺のナギ  天草市河浦町今田

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

薬師寺のナギ  天草市河浦町今田

河浦町へ入って崎津天主堂を過ぎ、羊角湾の最奥部から福連木へ行く県道35号線へ入る。天草市河原支所前など中心部を過ぎ、今田まで北上する。集落の先に石橋「轟橋」があり、この新橋のところから右折する道へ入る。高台の数軒の農家を回り込むと薬師寺がある。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No.222  登録 平成10年7月10日
薬師寺のナギ
所  在  地  天草郡河浦町今田2816
登録時の状況  樹令 238年  幹の太さ 3.0m  樹高 12m  枝張り 南北13.0m×東西16.0m
宝暦の頃お伊勢参りをすまし伊勢講の人参宮のしるした「鐘や、すず」等神社に奉納していた事が神社に記録されている。薬師寺のなぎは参宮一行が帰り路を奈良の春日神社にとり、ここで「なぎ」の種子を拾い持ち帰り、神社と薬師寺に蒔いたのが、薬師寺の分だけが成長したものでないかと考えられる。
宝暦十年参宮者に試算すると、平成10年で238年となる。

古江大神宮の森  天草市河浦町久里

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

古江大神宮の森  天草市河浦町久里

河浦町へ入って崎津天主堂を過ぎ、羊角湾を回り牛深へ行く国道266号線へ入る。広い干拓地先の九重越をし、下ったところが河浦町久里である。「古江」バス停から左折すると前国道脇に「古江大神宮 5.4km」とあった。
標高342mの古江岳まで標識に従い登る。山頂直下に駐車場があり、あと参道坂段を3分歩けばよいが、放牧場先は車はあまり通っていない。
シイ科の大木が社殿の周りにあった。駐車場近くの「天下りの石」は、正徳享保の頃伊勢神宮の分身たる剣先金幣の降下せる巨石と伝えられ、霊光四海を照らしてその所在を誇示せし所にして古江大神宮発祥の地なりとある。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No.193  登録 平成3年11月11日
古江大神宮の森  (シイ科)
所  在  地  天草郡河浦町大字久里字峠2027
登録時の状況  樹令 200年
昔、大きな火の玉が飛来して古江岳で光っていた。古江岳に登ってみると金の御幣が落ちていたので、古江岳の頂上に祠を建て金の御幣をご神体として祭った。それが古江大神宮の始まりだと伝承されている。

都呂々のアコウ  天草郡苓北町都呂々

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

都呂々のアコウ  天草郡苓北町都呂々

長崎・天草ライン富岡港フェリー乗り場から下田温泉の方へ向かう。志岐近くから国道389号線に入り、九州電力苓北火力発電所の先が苓北町都呂々だが、登録樹のアコウは、まだ先の「妙見の滝」手前となる小松集落の民家にある。国道から左手の高台に見える。根元の不動明王は見忘れた。
最後の3枚は、本集落の都呂々小・中学校の校庭にあるアコウ。この木も大きかった。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No.  3  登録 昭和57年12月1日
都呂々のアコウ
所  在  地  天草郡苓北町都呂々1899
登録時の状況  樹令 300年  幹の太さ 4.9m  樹高 10.0m
枝張り 南北8.0m×東西8.0m  樹幹 太枝分岐  樹勢 中
アコウは、クワ科の常緑高木で亜熱帯樹木の代表的な樹種の一つであり、枝を折ったり、幹を傷つけたりすると粘り気のある白色の浮液を出す。天草には海岸線に点在して見られ、防風用として海辺の集落周辺に植栽されたものが多い。この木もその1本であるが、幹や枝から木根を垂らしており、いかにも熱帯らしい景観を呈している。
この樹の皮を風呂に浮かして入ると傷をいやすと伝えられ、かつては附近の人々が傷薬としてもらいに来ていたそうである。また、樹の下部はくり抜かれており、庭の方を向いて不動明王(縦50cm×横20cm)が祀ってある。これは60年程前に故木山道彦氏が祀ったものである。  

富岡小学校のアコウ  天草郡苓北町富岡  

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

富岡小学校のアコウ  天草郡苓北町富岡

富岡小学校は、長崎・天草ライン富岡港フェリー乗り場から国道324号線を行ったすぐ近くとなる。アコウは校庭南側に植えられている。
熊本県自然保護課「ふるさと熊本の樹木」資料による説明は次のとおり。

登録番号  No.145  登録 平成2年2月14日
富岡小学校のアコウ
所  在  地  天草郡苓北町富岡2670
登録時の状況  樹令 150年  幹の太さ 2.9m  樹高 5m
富岡小学校開校当時(明治3年頃)、子供達の涼を求める憩の場として、三文字屋旅館の小林いくま氏により植樹されたものである。   

シシトキ川銀屋町の橋名は「稲荷橋」  長崎手帖に記録

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

シシトキ川銀屋町の橋名は「稲荷橋」  長崎手帖に記録

前の記事は次を参照。  https://misakimichi.com/archives/810

(追 記 平成20年6月19日)

銀屋町公民館角のこのレンガ造橋の名前がわかった。史料はまた長崎楽会西山3丁目中尾氏が見つけてくれた。長崎手帖社「長崎手帖 No.13」昭和33年7月10日発行5頁の「茶のみ話」の中に次のとおりあった。長崎手帳編集者の田栗杢作氏文と思われる。
長崎手帖によると、この橋名は「稲荷橋」と出てくる。川端に稲荷神社があり平成7年、鯱太鼓倉庫を兼ねた公民館をここに新築したため、稲荷神社は屋上へ祀り直したことを、私は職務上から記憶していた。
一 目 七 橋

これは橋好きの私に、岩永さんがわざわざ明治二十一年刊行の長崎年表を見せて下さったものです。昔は編笠橋附近から川下の眼鏡橋の方を眺める石橋風景を「一目七橋」と言ったらしいので、見せて貰った年表の鍛冶屋町裏の屠鹿川に架った七つの小さな橋も、昔は一目におさまったのではないかと思って、表題を借りました。
屠鹿川に架った橋は、その名はおろか姿すら薄くなっていますが、七橋とも鍛冶屋町に架って、上流から言いますと、磨屋町のは屠鹿(とろく)橋、銀屋町のが稲荷橋、東古川町のは川添橋、本古川町のは鍛冶橋、榎津町の孕(はらみ)橋、萬屋町のは斜(ななめ)橋、アーケードの下の東浜町から架っているのは浜口橋です。   (西古川町 金物店 岩永関夫氏)

多久市の「笑郷(わらいごう)橋」の橋名由来  多久市史に伝説話

イメージ 1

イメージ 2

多久市の「笑郷(わらいごう)橋」の橋名由来  多久市史に伝説話

前の記事は次を参照。  https://misakimichi.com/archives/950

(追 記 平成20年6月19日)

ところで、写真1の「笑郷(わらいごう)橋」は、橋名の由来を書き忘れていた。多久市商工観光課前田さんから送ってもらった「多久市史」778〜779頁にある伝説話。
西多久地区には「女山の女盗賊」にまつわる話(民話・言い伝え)が、次のとおりある。女盗賊が短刀の血を洗った場所が「洗い江」と呼ばれていた。それが「笑郷」になったのだろうということである。

西多久町              女山の女盗賊

伊万里に向かう女山峠には女盗賊が出没し、旅人から身ぐるみ剥ぎ取ったり命を奪い、大変恐れられていた。二重あたりで獲物(旅人)が往来するのを覗いて、谷から出て来て旅人を襲い、血のついた短刀を川で洗った。女盗賊が人の往来を見ていた場所を人見と呼び、よく出てくる所を出口、身ぐるみ剥がした所をはぎの原、短刀の血を洗った所を洗い江と呼び、血洗い橋と言う所もあった。また、時には赤子を背負って出て来て、旅人が通ると赤子の尻をつねって泣かせ、旅人が「どうしたのか」と尋ねると「病気にかかっている」といって同情を誘い、隙をみて強盗を働いた。子供をおぶって出てきた所を子峠とよんだ。…

以下は略。女強盗の名はおつる。最後は、おつるに小さいときから苦しい思いをさせた父親のじいさんが金をつくって折角迎えにきたが、それとは知らずに父を殺めてしまった話のようだ。