長崎の風景・史跡 (県 南)」カテゴリーアーカイブ

大瀬崎断崖(大瀬崎灯台)  五島市玉之浦町玉之浦

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大瀬崎断崖(大瀬崎灯台)  五島市玉之浦町玉之浦

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝からは井持浦教会・玉之浦への県道50号線に入り玉之湾の左岸沿いに進む。井持浦教会を過ぎ、玉之浦港がある町の中心へ出る手前に大瀬崎の展望台と灯台へ行く登山道路入口があり、これからかなり上ることとなる。
市指定天然記念物「大瀬崎粗粒玄武岩の平行岩脈群」は、この海岸であろう。 
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

必見の名所・大瀬崎灯台  ○福江から車70分

高さ100m〜160mの海蝕断崖が延々20kmも続く雄大な景観は絶品。その中心部に位置するのが大瀬崎灯台。明治12年に建設されたが、昭和46年に老朽化のため現在の灯台に建て替えられた。台場は海面から82mの高さにあり、長年、海の男たちを見守り続けている。
近くの展望台から一帯の断崖群を鑑賞すると、潮の流れや日光の具合によって海の表情が刻々と変わり、一日眺めていても飽きない。目を反対側に転じると、写し絵と詠われた玉之浦湾が眼下に広がり、柔と剛の景観を満喫できる。

井持浦教会  五島市玉之浦町井持浦

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井持浦教会  五島市玉之浦町井持浦

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝からは井持浦教会・玉之浦への県道50号線に入り玉之湾の左岸沿いに進む。丘を越したところで「井持浦教会」が見え、集落へ下りると教会は県道左手にある。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

井持浦教会  ○市街より車60分

明治32年(1899)に日本で初めて作られた「ルルドの洞窟」があり、信仰の聖地として全国から巡礼団が訪れる。ルルドとは南フランスの町の名。1858年、その地の洞窟で聖母マリアが少女ベルナデッタの前に現れるとともに、洞窟前に湧き出た霊泉で難病が治るなどの奇跡が起きたといわれる。その後世界各地でこの洞窟を模倣しマリア像を収めたルルドが造られるようになった。井持浦のルルドは五島各地の信徒が石を持ち寄って造り、本場ルルドの奇跡の泉から取り寄せた霊水が、洞窟脇の泉に注がれた。

大宝寺  五島市玉之浦町大宝

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大宝寺  五島市玉之浦町大宝

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝寺は集落の海岸部にあり、「西の高野山」といわれ、遣唐使渡航時代の空海ゆかりの古刹。寺は改築されていたが、古い梵鐘は県指定有形文化財である。
境内で長崎市鍛冶屋町清水寺にあるのと、まったく同じの「奇縁氷人石」を見た。
次を参照。  https://misakimichi.com/archives/277
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。写真は上のが県指定、下のは新しい梵鐘。

大宝寺の梵鐘(一口)  県指定有形文化財・工芸品

指定年月日 昭和39年3月16日 所在地 南松浦郡玉之浦町大宝郷633 所有者 大宝寺
鐘身をつつむ輪郭は肩からやや張りのある曲線の裾広がりになり、下方で垂直にくだって均整のとれた姿をみせる総高1mほどの鐘である。上帯は素文、乳区には円錐形の笠をつけた乳が4段4列に配されている。そして、撞座は八葉蓮弁で、竜頭の長軸方向へ配置されていて下帯も文様がない。
池の間と縦帯に銘文が陰刻されていて、「大日本国関西路利肥前州 五嶋珠浦弥勅山大宝寺」にはじまり、最後に「応安八年歳次乙卯二月十八日友瓚書之 大工豊前小蔵 藤原顕宗 十方檀那 院主 賢仙」とあり、豊前小倉の鋳造師藤原顕宗が作者であることが知られる。なお縦帯には「大願主幡州多賀郡西林寺住増信」ともあり、かかわりの人々の海の道を介してのつながりがしのばれる。

西の高野山・大宝寺  ▽福江から車45分
空海ゆかりの古刹
大宝寺は約1300年前の大宝元年に創建された。弘法大師が遣唐使と共に帰朝の途中、ここに立ち寄って真言宗最初の道場として布教した由緒ある古刹。西の高野山と云われている。大宝寺の梵鐘の鐘銘には播磨国多賀郡西林寺の僧が渡唐に際して、航海安全を祈願して大宝寺に寄進したと記されている。
鋳造した工匠は芦屋釜冶金工の流れをくんだ豊前小倉の藤原顕宗で応安8年(1375)の作。鋼製で、総高95・5cm、口径56cmある。貴重な工芸資料であり、日本と大陸との航海路の歴史の上からも重要な資料と評価され、県の文化財に指定されている。

山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

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山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。

この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、まず富江溶岩トンネル「井坑」の駐車広場があり、山崎の石塁(勘次が城)は、井坑からまだ2km先の海岸部となる。 
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江町・山崎の石塁  県指定天然記念物

指定年月日 昭和45年1月16日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 所有者 山本義夫
富江町南部の低い溶岩台地上の海岸部に構築された砦状の遺構。人頭大の火山礫によって構築され、複雑な平面構造をもち、蛸壺状の構築物を配している。狂人の大工、勘次が構築したともいわれ、「勘次が城」の称もある。
倭寇の根拠地であったという口碑もあるが明確ではない。明銭の出土例があり、後者の説をとる研究者もある。所在地「山崎郷」は松浦党の田尾氏の所領であり、田尾氏との関係ある構築物である可能性がある。

謎の石塁・勘次ケ城  ○福江から車30分

富江町山崎の海岸沿いにあり、町が園地化をすすめている。さんさんキャンプ村から約4Kmのサイクリング道路があり、同村でキャンプを張る方には、おすすめのコース。
勘次ケ城は富江町南部の低い溶岩台地の海岸に築された砦状の遺構。火山礫によつて構築かれた複雑な断面構造を持ち、たこ壷状の構築物を配している。
1850年前後に狂人大工勘次が、河童と共に築いたとの伝説によりその名があるが、明銭の出土例もあり倭寇の根拠地であったという口碑もある。所在地の山崎郷は、松浦党の田尾氏の所領であり、その砦ではないかともいわれ、定説はない。

富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  五島市富江町岳

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富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  五島市富江町岳

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。
只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。富江溶岩トンネル「井坑」は、この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、道路右脇に案内板と駐車広場がある。

井坑は現在、落石の危険があるため、周りはフェンスを張って立入禁止となっているので入口のみ写した。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  県指定天然記念物

指定年月日 昭和32年3月8日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 管理責任者 富江町
富江半島は、天保海岸や番所山の基盤岩の丘陵を除いて、標高40m以下の起伏に乏しい溶岩台地となっている。台地の上の只狩山(84m)は小さな噴石丘で、火山弾を含む岩滓層で構成され、火口は南に向けて開口する。この富江溶岩台地にはいくつかの溶岩トンネルがあり、最も大きい井坑が指定を受けている。
井坑の入口は大きく開き、幅6.5m、高さは3.5mある。井坑の入口附近の地表は約40m間が陥没して、トンネルの天井が崩落しているが、その先は再び全長85mの通り抜けの可能なトンネルに連続する。トンネルはゆるやかに屈曲しながらほぼ南に向けて徐々に下がるが、延長およそ400m地点で天井まで満水状態となり、先が不明となる。先端にたまる水には海水が混じる。
溶岩トンネル・井穴  ○福江港から車約30分

表面の溶岩が冷え、内部の溶岩が流れ去った後にできたトンネル。「岩の穴」がイワンアナとなまり、更にイアナに転訛したと思われる。富江熔岩台地(只狩山84m)には、いくつかの井穴が確認されているが、最大のものが県の文化財に指定された。入口は幅6.5m、高さ3.5mのアーチ状になっている。
延長約400m地点で水没し、先は不明。洞穴内の水は淡水に近い海水で、海の干満の水位と時間差があることから、奥は海とつながっていると考えられる。洞穴内には、学術的にも珍しい盲目魚「ドウクツミミズハゼ」が生息している。体長6cm内外で、鱗はなく、魚体は白色ですき透っている。眼は全く退化し皮下に埋設してケシ粒くらいの痕跡がある。生きたまま観察できるケースは世界的にも珍しい。
現在は落石のため進入禁止となっている。

只狩山展望所  五島市富江町富江

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只狩山展望所  五島市富江町富江

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。
只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行くと展望台へ着く。新田次郎「珊瑚の碑」は展望台脇にある。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江半島を一望・只狩展望所  ○福江港から車約30分

富江半島のほぼ中央部に位置する只狩山山頂(標高84m)にあり、眼下には富江の中心街が広がり、富江湾に浮かぶ多郎島などの島々や鬼岳を遠望できる。
三方に海が広がり、変化に富んだ海岸線を展望することができ、山頂付近は町民や観光客の憩いの場として整備されている。桜の名所としても知られ、毎年桜祭りが開かれている。
また、展望台付近には新田次郎さんの富江町を舞台にした海洋小説「珊瑚」の記念碑もある。

宮下貝塚  五島市富江町富江

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宮下貝塚  五島市富江町富江

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。富江港へ出て町の中心に着く手前、県道の右手路地奥に史跡説明板が見える。エオノスGSの少し手前である。
畑地であるため何もなかったが、五島市指定史跡のため写しておいた。
HP「長崎県の貝塚展」による説明は次のとおり。

宮下貝塚

宮下貝塚は福江島の南西に位置する富江町の富江港に面した浜堤および標高5〜10m溶岩台地末端部から発見されました。この貝塚は、縄文時代後期前葉〜中葉に営まれていて、最盛期の中葉期には50cmを越える貝層の堆積が見られました。この貝層中の貝類は、スガイを主体とした潮間帯岩礁性の巻貝類がおよそ99%を占めていました。
遺跡の内容については、ほぼ同時期で富江湾を挟んだ福江市大浜中島遺跡ときわめて類似していて、この時期の拠点遺跡と考えられます。

鬼岳火山涙山地  五島市上大津町

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鬼岳火山涙山地  五島市上大津町

福江港ターミナルから鬼岳麓の海岸沿い県道165号線により鐙瀬海岸の方へ向かう。約15ほど行った鐙瀬公園入口のところに鬼岳登山道路入口があり、中腹の展望台下まで行ける。福江市街からは直接、福江空港の方へ行き登る道がある。

山頂まで登るなり、火口底まで行けばよかったが、時間がなく写真は火口跡の遠景となった。中腹の展望台から鬼岳の山腹を一周するサイクリングロードがあり、途中に火口跡に登る山道の標識があったので、これから上って火口縁から写した。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

鬼岳火山涙(かざんるい)産地  県指定天然記念物

指定年月日 昭和29年12月21日 所在地 福江市上大津町鬼岳 管理責任者 福江市
福江市の市街地の背後には、鬼岳(標高315m)や火ノ岳(標高314m)が、低い丸味を帯びた頂きをもってそびえ、その南東の崎山町には箕岳(標高144m)と臼岳(標高125m)の小さな高まりがある。いずれも玄武岩質の岩滓の噴出により形成された噴石丘であり、火山体の底面積に比べて大きな火口をもつので、臼状火山ともよばれる。

鬼岳はこれらの中で最大の噴石丘で、底径1.5kmに及び、山頂には北に開口した大きな火口がある。火口内には紡錘形の火山弾が散在するほか、玄武岩質の粘性の低いマグマが、噴火の際に飛散って固結した粒状の火山涙も見受けられる。火山涙には、球状のもの、引き延ばされたもの、両端がふくらんだものなど種々の形のものがあるといわれる。火山涙は、ハワイの火山の噴出物にその例が多く、「ペレーの涙」といわれている。

鬼 岳  五島市上大津町・上崎山町

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鬼 岳  五島市上大津町・上崎山町

福江港ターミナルから鬼岳麓の海岸沿い県道165号線により鐙瀬海岸の方へ向かう。約15ほど行った鐙瀬公園入口のところに鬼岳登山道路入口があり、中腹の展望台下まで行ける。
福江市街からは直接、福江空港の方へ行き登る道がある。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

福江島観光の拠点・鬼岳周辺  ◎福江港、商店街から車15分

福江島南岸に吹き出た鬼岳火山群は、シンダーコンと呼ばれる珍しい火山です。500万年前に噴火した楯状火山(アスピーテ)の上に5万年前の臼状火山(ホマーテ)が重なり合ってできたもので、鬼岳、火ノ岳、城岳、箕岳、臼岳からなっています。
その中の鬼岳は、全山芝生に覆われ、古くから市民の行楽地として親しまれてきました。中腹にある展望所からは、眼下に福江市街、福江港外に点在する島々を望め、訪れる人たちの心を癒してくれる。周辺は観光施設が整備され、福江島観光の拠点になっています。

鐙瀬公園と熔岩海岸  五島市上崎山町  

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鐙瀬公園と熔岩海岸  五島市上崎山町

福江港ターミナルから鬼岳麓の海岸沿い県道165号線により崎山・鐙瀬海岸の方へ向かう。約15分ほどで鬼岳登山口に着き、この下の方に鐙瀬公園と熔岩海岸がある。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

鐙瀬公園

鬼岳火山から流出した溶岩が、青く澄み切った海に延々7Kにわたって流れ込み、変化に富んだ海岸線を形づくっている。温暖な無霜地地帯で、至る所に亜熱帯植物が繁茂し、情熱的な花木が咲き乱れ、美しい景観を呈している。
永正4年(1507)、第16代領主囲公が、妹婿の玉之浦納に攻められた際、馬でこの地まで逃げたが、鐙がきれ、小舟で沖にある黒島に落ちのびたが反逆党は黒島に迫り、公は自刃した。以来、鐙瀬と呼ばれるようになったという。
1969年、昭和天皇・皇后両陛下が御散策された。