長崎の風景・史跡 (県 南)」カテゴリーアーカイブ

青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

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青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。なお湾沿いに県道を行くと湾東部の右方高台に青砂ヶ浦教会がある。
国指定重要文化財。長崎県HP「長崎県の文化財」に掲載がもれているので、現地説明板から。
青砂ヶ浦天主堂  国指定重要文化財(平成13年11月14日)

青砂ヶ浦天主堂は、奈摩(なま)湾の中腹を見下ろすように正面を西に向けて建っている。設計施工は長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与助(てつかわよすけ)による。明治43年(1910年)8月に竣工し、同年10月献堂式が行われた。
煉瓦造の重層屋根構造である。重層の断面形式をそのままに現す正面は、煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇(ばら)窓や縦長アーチ窓によって飾られ、正面入口には台座と植物模様の柱頭飾(ちゅうとうしょく)を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ。内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰(しっくい)仕上げ4分割リブ・ヴォールト(コウモリ)天井、アーチは全てポインテッドアーチで造られている。
外観、内部とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れている。日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造にもとづく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった。

丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

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丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

新上五島町青方と有川の間、浦桑交差点から県道32号線により新魚目町へ入る。新上五島町新魚目支所前を過ぎて、津和崎への県道をしばらく進むと左方の高台に丸尾教会がある。
現地教会の碑「丸尾教会の歩み」による説明は次のとおり。

丸尾教会の歩み

上五島の信徒は西暦1800年頃大村領外海から移住した。
1899年頃まで丸尾には通称「家御堂」と呼ばれる信徒集会所があり礼拝堂をかねていた。その当時の戸数は約20戸だった。後日、青砂ヶ浦小教区主任大崎八重師の時代に丸尾の丘に白い教会が建設され正式の巡礼教会として歩み始める。
現在の教会は1972年9月22日に里脇大師教閣下によって祝別され、王たるキリストに貢献された。1975年2月には小教区として独立し今日に至る。現在の信徒数は約540名。

頭ケ島教会  南松浦郡新上五島町友住郷

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頭ケ島教会  南松浦郡新上五島町友住郷

新上五島町有川から県道62号線により頭ケ島大橋を渡り頭ケ島へ行く。上五島空港があるところで、高台の空港分岐から左折し海岸の集落へ下ると頭ケ島教会がある。
平成11年4月に国指定有形文化財に指定された。近くの浜にカトリック墓地があった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

頭ケ島教会  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 平成3年3月29日  所在地 南松浦郡有川町友住郷638番地1
所有者 カトリック長崎大司教区
頭ケ島教会は、明治43年に鉄川与助の設計・施工により着工し、7年の歳月をかけて大正6年に竣工した。
この建物は、全国的に数少なく、西日本では唯一の石造教会堂である。外観の意匠は、ルスティカとよばれる粗い石積みの壁で、窓や入口は上部を半円アーチとし、軒下にロンバルド帯をめぐらすというように重厚なロマネスク調を基調としている。
また、本教会附属の司祭館は、ベランダを配する木石混構造で、創建が教会堂と同時期で、かつ両者とも現存している例は少なく、貴重である。

崎戸ー江島ー平島ー友住航路の風景

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崎戸ー江島ー平島ー友住航路の風景

平成20年7月22日、上五島へ渡るため崎戸商船フェリーみしまに乗る。佐世保始発だが、崎戸(蛎浦)ー江島ー平島ー友住(上五島町有川)間を利用。所要時間2時間。運賃1640円。
大島大橋、崎戸橋、崎戸出港、小立島、大立島、江島入港、江島出港、平島入港、平島出港、平島相崎ノ鼻、友住入港など。

五島市・新上五島町の風景

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五島市・新上五島町の風景

平成20年6月27、28日、五島市・新上五島町へ行く。
福江入港、石田城(福江城)内、武家屋敷通り、崎山海岸、玉之浦への道、玉之浦港と教会、島山島瀬戸、浦頭教会、戸岐大橋、奈留島海岸、若松瀬戸と大橋、土井ノ浦教会と港などの風景。

寄神(よりがみ)貝塚  五島市岐宿町岐宿

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寄神(よりがみ)貝塚  五島市岐宿町岐宿

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町へに向かう。約25分で岐宿の中心へ着く。県道から五島市岐宿町支所の道に入り、岐宿小学校・岐宿郵便局前まで出ると、「巌立神社へ200m」の案内標識がある。
三叉路はまっすぐな細い路地に入り、六地蔵から左折すると巌立神社の正面鳥居前へ出る。

史跡「寄神貝塚」は、この神社の鳥居前の道をまっすぐに海岸の溶岩台地へ向けて行くと、風力発電の風車が近くに見えるあたりの草地にある。これが一番わかりやすい道。
史跡記念碑のみあり、別に何もないが、いかにも縄文・弥生人の住居跡があったと思いがするところ。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

寄神(よりがみ)貝塚  県指定史跡

指定年月日 昭和37年11月8日  所在地 南松浦郡岐宿町岐宿郷寄神ほか
管理責任者 岐宿町
岐宿町北端の低平な溶岩台地上にある貝塚で、厚い貝層の堆積をもつ。弥生前期および同中期にわたって形成され、岩礁性の貝類およそ50種、近海魚類、鹿などの陸獣骨を含んでいる。骨角器が若干出土しているが人骨の埋葬は認められない。
貝塚周辺には住居跡も認められており、長期間にわたる定住と漁労生活のあとをよくとどめている。出土土器からすれば、北部九州の文化圏内にあったことが知られるが、縄文時代の伝統である海洋依存の生活実態をとどめた地域性をよく物語っている。

水ノ浦教会  五島市岐宿町岐宿

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水ノ浦教会  五島市岐宿町岐宿

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町に向かう。約25分で岐宿の中心へ着き、そのまま県道を魚津ヶ崎方面への海岸へ下って行くと、途中に水ノ浦教会が見え案内標識による道へ入る。3枚目写真は鐘の鉄塔。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

水ノ浦教会  福江市街より車25分

風光明媚な水ノ浦の入江を望む丘に白亜の天主堂が立つ。明治13年(1880)パリ外国宣教会ザルモン師によって創建され、その後現在の天主堂が昭和13年(1938)に完成された。木造教会堂として最大の規模を誇る。
青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさだが、この地もまた明治期における迫害の舞台となった。天主堂からさらに坂道を上った場所には、キリシタン牢跡の記念碑が立ち、殉教の悲劇を伝えている。

ドンドン渕  五島市岐宿町河務

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ドンドン渕  五島市岐宿町河務

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町に向かう。岐宿の中心へ着く手前に「河務」バス停あり、右折して第一、第二河務橋を渡り、戸岐・奥浦の方への県道162号線に入る。
約2km行った谷間の「宗里橋」にドンドン渕入口の案内標識があり、これから林道へ入り、600m行った先の左側支流にドンドン渕がある。

県道162号線により堂崎教会がある奥浦の方から戸岐大橋を渡っても行かれるが、まだ悪路があり時間がかかる。実際はすぐ上に滝があり、2段滝となっているようである。
五島市HP「五島ウェブ 観光案内」による説明は次のとおり。

ドンドン渕

水が勢いよく流れ落ち、岩屋にあたって太鼓を打つようなドンドンという音がするのでこの名がついたといわれています。
滝の流れが枯渇することはなく、滝壺は格好の水遊びの場となっており、夏場は家族連れで賑わいます。清涼感にあふれ、持参のソーメン流しは最高です。

堂崎教会  五島市奥浦町堂崎

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堂崎教会  五島市奥浦町堂崎

福江港ターミナルから県道162号線により奥浦や堂崎教会方面へ向かう。福江市外から約15分。県道分岐に案内標識があり、奥浦湾の北先端へ行くと堂崎教会がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

堂崎教会  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和49年4月9日  所在地 福江市奥浦町堂崎
管理責任者 浦頭カトリック教会
西坂で処刑された26人の殉教者の1人、ヨハネ五島という五島出身の青年を記念して、日本26聖人殉教者聖堂と命名された。創立は明治12年(1879)であるが、現在の天主堂は、明治40年(1907)5月竣工。翌41年にペルー神父によって、献堂式が挙行された。
建造に当ったのは、長崎浦上天主堂建立を企画したフレノー神父ではないかと考えられている。設計施工は鉄川与助。煉瓦造、ゴシック風様式で、落着きと安定感のある、美しい外観を有し、五島内の他の同型天主堂のモデルとなっている。
内部は木造で、色ガラス窓、コーモリ天井は型の如くである。かつては全五島の布教の中枢基地であった。また、社会奉仕施設や修道院の草分けでもあり、キリシタン史上からも重要な位置を占めている由緒ある天主堂である。現在は巡回教会となっている。

堂崎教会  県指定有形文化財(昭和49年指定)  市街より車15分

明治12年(1879)、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立。キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を果たしてきた。赤レンガ造り、ゴシック様式の現在の天主堂は、明治41年(1908)に五島初の本格的洋風建造物として建てられたもの。信徒にとっては、長く厳しい弾圧時代の受難と勝利のシンボルであり、巡礼者が絶えない。
現在も月1回ミサは行われるが、その内部は資料館となっており、隠れキリシタンがマリアに見立てて礼拝したマリア観音など受難の歴史を物語る資料が展示されている。庭園にはこの教会を設立したマルマン神父と、現天主堂を建てたペルー神父、日本二十六聖人の1人であるヨハネ五島の像が、教会を見守るようにして立っている。

大曾教会  南松浦郡新上五島町青方郷

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大曾教会  南松浦郡新上五島町青方郷

九州商船長崎・五島フェリーなどで、五島中通島の「新奈良尾港」に上陸する。県道384号線により青方の中心へ行く。
大曾教会は、青方港北側入口の防波堤近くとなるので、西肥バス青方バスセンター前から左折し、漁協など通って海岸沿いの道を行く。
新上五島町HP「新上五島町」観光案内による説明は次のとおり。

大曾教会

大正5年、青方湾を見おろす木々に囲まれた丘の上に、建てられた赤レンガの教会。重厚な十字架をのせたドーム型の珠鐘楼、半円アーチの窓、花柄に組ませたステンドガラスなど大正ロマネスク様式の代表作にあげられます。大きく手を広げたキリスト像が信者たちを優しく迎えます。