長崎の古写真考 1」カテゴリーアーカイブ

長崎の古写真考 目録番号:3245 大音寺

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3245 大音寺

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3245 大音寺

■ 確認結果

目録番号:3245「大音寺」は、〔撮影者:上野彦馬〕であろう。座っている1人の人物が同じ。
長崎:江崎べっ甲店所蔵『上野彦馬撮影局ー開業初期アルバムー』中の写真。尼崎市総合文化センター編「アルバムに見る幕末・明治の写真 −上野彦馬撮影局 開業初期アルバム大公開ー 目録」2007年5月発行の71頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

36.大音寺              慶応2(1866)年頃
長崎の浄土宗名刹大音寺の本堂。間口11間半、奥行き10間の入母屋作り。幕末に荒廃したが元治元(1864)年に大改修が施された。この写真は大改修直後のため漆喰が新しい。同じころ相前後してベアトも何枚かこのアングルの写真を残している。

長崎の古写真考 目録番号: 669 老夫婦(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 669 老夫婦(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 669 老夫婦(1)
〔画像解説〕
白髪に髭を生やした夫と白髪の妻。人生の年輪を感じさせる目が輝いている。

目録番号:2375 老夫婦の肖像

■ 確認結果

目録番号: 669「老夫婦(1)」は、アルバムD「伝上野彦馬作品集」からの写真(整理番号15−9)。〔撮影者:上野彦馬〕であるかは、調査中のよう。
目録番号:2375「老夫婦の肖像」は、その参考資料の写真として掲げられている小川一馬撮影の「明治の老夫婦」。〔撮影者:小川一馬〕である。

長崎大学古写真研究会「古写真研究 第1号」1994年4月発行105〜107頁に掲載されている。同解説は次のとおり。
…このうち、「老夫婦」(15−9)は、幕末・明治にかけて変貌する時代世相を見てきた眼の輝きを見事に写し撮った、すばらしい写真といえよう(写真8)。これは小川一馬が父母を撮ったあの有名な「明治の老夫婦」に匹敵する傑作だといえよう(注2・写真9)

注2 斎藤多喜夫「横浜写真小史ーF.ベアトと下岡蓮杖を中心にー」(『F.ベアト幕末日本写真集』横浜開港資料館 1987年刊)ほか。

長崎の古写真考 目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)
〔画像解説〕
日本髪に着物姿の女性4人が琴・明笛・堤琴・月琴を演奏する写真。

■ 確認結果

目録番号: 531「和楽器で合奏する女性たち(1)」は、アルバムA「伝上野彦馬作品集」からの写真(整理番号12−1)。〔撮影者:上野彦馬〕であるかは、調査中のよう。
長崎大学古写真研究会「古写真研究 第1号」1994年4月発行100頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

1)楽器で合奏する女性たち(12−1)「人物」
日本髪の若い女性4人が琴、横笛、胡弓、月琴を弾き合奏している図。背景は布を張り、床にジュータンを敷く。長崎から始まって全国的に流行した明清楽の演奏風景を演出したもの。スタジオで撮影。いかにも長崎の風俗らしい演出といえよう。(写真2)

長崎の古写真考 目録番号:2901 南山手からの大浦と出島(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2901 南山手からの大浦と出島(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2901 南山手からの大浦と出島(1)

目録番号:2902 南山手からの大浦と出島(2)
〔画像解説〕
撮影者は不詳であるが、埋立地の様子(左手の第2期埋立地が造成されたばかりである)から撮影時期は文久2(1862)年であり、このアングルでは長崎大学が所蔵する最古の写真である。手前のベルビュー・ホテルがまだコの字型であり、東山手にはほとんど建物が見られない。

目録番号:6151 長崎のパノラマ(9)

■ 確認結果

目録番号:2901「南山手からの大浦と出島(1)」と、目録番号:2902「南山手からの大浦と出島(2)」も、〔撮影者:F.ベアト〕だろうか。パノラマ写真の中央部分である。
ベアトは文久3年(1863)春に来日した。撮影年代はその頃とならねばならない。

横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊24,25頁に、パノラマ風景「19.長崎全景」(クリック拡大)として掲載されている。同解説は次のとおり。

19.長崎全景
南山手からの眺望。中央は大浦外国人居留地、海を挟んで左手遠方に出島が見える。次頁左側の写真右手山の中腹にある塔を持つ建物は英国聖公会(文久2年10月竣工)、その右手前の甍は妙行寺。(C)

執筆は、斎藤多喜夫(横浜開港資料館)氏。(C)は、写真の出所。
「C;香港のシルベイラ(Silveira)なる人物が”Album du Japon”と名づけて売り出したアルバムだが、明らかに海賊版である。少なくとも日本の風景写真の大半はベアトの写真を複製したものと思われる。ベアト以外の写真家の作品が紛れ込んでいる可能性も無いとはいえない。海賊版のせいか画質も悪いが、歴史資料としての価値があるので、すべて収録した。(整理番号;Acl−216 横浜開港資料館の所蔵するアルバムの整理番号)」とある。

長崎大学附属図書館HP「古写真ボードインコレクション」によると、後ろの写真どおりF.ベアト撮影の目録番号:6151「長崎のパノラマ(9)」(クリック拡大)があり、同解説は次のとおり。
松ヶ枝海岸造成や東山手・大浦居留地建物の状況から見ると、前の目録番号:2901「南山手からの大浦と出島(1)」などの方が、撮影年代は早いようだ。

写真家ベアトが撮影した元治元(1864)年の長崎外国人居留地の鳥瞰写真です。撮影地点はグラバー邸あたりで、左奥には出島の家並みが写されています。すぐ前の大きなコの字型の木造建築は建設後間もないベルビューホテルで、右手の東山手の丘には、文久2(1862)年10月に建った日本最初のプロテスタント教会である英国聖公会教会(塔をもつ建物)とイギリス領事館が見えます。

本ブログ次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/2229

長崎の古写真考 目録番号:3234 諏訪神社の大鳥居(3)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3234 諏訪神社の大鳥居(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3234 諏訪神社の大鳥居(3)

■ 確認結果

目録番号:3234「諏訪神社の大鳥居(3)」は、〔撮影者:内田九一〕ではないだろうか。
企画展「長崎・冩眞傳來」が、長崎歴史文化博物館で7月8日まで開催中。企画展HPで展示作品の一部がめくって見れる。
これによると同じ写真が、〔撮影者:内田九一〕となっている。同博物館所蔵写真。諏訪神社入口の一の鳥居を写している。

企画展「長崎・冩眞傳來」 長崎歴史文化博物館で7月8日まで開催中

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企画展「長崎・冩眞傳來」 長崎歴史文化博物館で7月8日まで開催中

次は、JRおでかけネット 長崎イベント情報から。

長崎・冩眞傳來 知られざる日本写真開拓史
幕末の開国と時を同じくして、日本にもたらされた写真。その最先端の地が長崎でした。来崎した外国人写真師たちは、その風景や風俗や人びとを写真におさめ、彼らから写真術を学んだ日本人の中からは、上野彦馬に代表される日本人写真師たちが誕生します。同展覧会では、長崎における写真の伝来と普及の様相を中心とした日本写真史を、「であい」「まなび」「ひろがり」の三部構成で紹介。長崎初公開となる最古の上野彦馬肖像写真をはじめ、長崎大学附属図書館所蔵のボードインアルバム(登録有形文化財)など、約300点が展示されます。

開催日時 2011年6月11日〜7月8日 8:30〜19:00(入館は18:30まで) ※休館日は6月21日
開催場所 長崎市 長崎歴史文化博物館 3階企画展示室
料   金 大人500円、小中高生250円
主   催 長崎歴史文化博物館、長崎大学附属図書館、読売新聞社、美術館連絡協議会、NIB長崎国際テレビ
お問い合わせ先 長崎歴史文化博物館 095-818-8366
関連のホームページ http://www.nmhc.jp/koshashin/index.html

長崎の古写真考 目録番号:3803 中島川と編笠橋(4) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3803 中島川と編笠橋(4) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3803 中島川と編笠橋(4)

目録番号:5634 中島川と編笠橋(7)

■ 確認結果

目録番号:3803「中島川と編笠橋(4)」と、目録番号:5634「中島川と編笠橋(7)」は、同じ写真である。〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊95頁に、「99.中島川と編笠橋」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3803「中島川と編笠橋(4)」の作品だろう。

99.中島川と編笠橋
長崎やその周辺を撮影した風景写真。…No.99は長崎市内の中島川にかかる編笠橋を撮影した写真。編笠橋は中島川にかかるアーチ型の石橋の一つで、元禄年間に架橋された。その後、洪水で流出し、享和年間に再架橋されており、写真の橋は、享和年間に架けられた橋である。…No.99には「A 135 VIEW OF NAKAJIMA NAGASAKI」(長崎中島の眺望)の文字が見える。ともにNo.94・97と同一のアルバムに貼付されている。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2339
諏訪神社が奥に写っている。背後の高い山は金比羅山である。ながさき浪漫会編「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」長崎文献社平成11年刊82頁に、編笠橋の松は、昭和のはじめも写っている。

長崎の古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) (再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) (再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3809 高鉾島(16)
〔画像解説〕
神の島の海岸から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。

■ 確認結果

目録番号:3809「高鉾島(16)」は、〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊95頁に、「98.高鉾島」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3809「高鉾島(16)」の作品だろう。

98.高鉾島
長崎やその周辺を撮影した風景写真。No.98は長崎湾の高鉾島を写した写真。高鉾島は長崎湾口に位置し、長崎港入港の目印となってきた島である。
…No.98には「A 139 TAKABOKO NAGASAKI」…の文字が見える。ともにNo.94・97と同一のアルバムに貼付されている。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/1687
現在の神の島教会付近から撮影したものではない。「ドンク岩」(現在、白亜のマリア像が建つ)から続いた岩礁の先の方から、高鉾島を撮影しているだろう。

長崎の古写真考 目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

■ 確認結果

目録番号:3807「雲仙小地獄(1)」は、〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊94頁に、「97.雲仙小地獄」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3807「雲仙小地獄(1)」の作品だろう。

97.雲仙小地獄
雲仙小地獄は長崎県雲仙にある温泉地帯で、享保年間に湯治場として開かれた。「地獄」の名称は江戸時代にキリシタンなどに熱湯をかけて迫害したことに由来するとの説もある。明治以降も九州有数の湯治場として人気を集めた。この着色写真には「A 195 UNZEN KOJIGOKU AT NAGASAKI」と写し込まれている。No.94・98・99と同一のアルバムに貼付。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

長崎の古写真考 目録番号:3241 中島川の常夜灯(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3241 中島川の常夜灯(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3241 中島川の常夜灯(1)

目録番号:3250 中島川の常夜灯(2)     (同写真 掲載略)

目録番号:6666 中島川の常夜灯(4)

(常夜灯の場所作品)

目録番号:3802 中島川と上野彦馬邸(5)

目録番号:5640 中島川と上野彦馬邸(6)
〔画像解説〕
中島川上流、銭屋川の上野彦馬邸(左側の大木が見える白塀の家)前。石の常夜灯(昭和57年の長崎大水害で流失)の左が中島聖堂である。彦馬の家の河原は流水を調整するためか、井堰が見える。左の人物は人力車用に敷石で舗装された車道に立っている。後方のとがった山は豊前坊、稜線は右の英彦山へと続く。

■ 確認結果

目録番号:3241「中島川の常夜灯(1)」など3作品は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊93頁に、「96.中島川の常夜灯」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3241「中島川の常夜灯(1)」の作品だろう。

96.中島川の常夜灯
長崎市内を流れる中島川とその河畔に建つ常夜灯を撮影した着色写真。中島川は長崎市の中心を流れているが、上野彦馬邸もこの川の河畔に建てられていた。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

撮影場所は、次の目録番号:3802「中島川と上野彦馬邸(5)」と、目録番号:5640「中島川と上野彦馬邸(6)」に、同じ常夜灯と川の渡り石など写っている。上野彦馬邸前にあった石の常夜灯(昭和57年の長崎大水害で流失)を撮影したのであろう。
現在の写真は、中島川畔の「上野撮影局跡」モニュメントがある場所から写した。現在、桃渓橋近く「二股」の所に常夜灯があるが、ここの常夜灯ではない。