長崎市の石橋」カテゴリーアーカイブ

自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」が完成 (2)  八郎岳山系の沢

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」が完成 (2)  八郎岳山系の沢

自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」は、きのう完成した。長崎市平山町の長崎市民農園前を通り、「千々峠」(乙女峠)登山道入口まで車で行き、歩いて400歩で現地の沢に着く。
きのうの様子は(1)に。 https://misakimichi.com/archives/2862

宮さんはきのう午前中で帰り、石橋の完成を見ていないので、きょうも有志5人で、お神酒まきに現地へ行った。飛び石をきちんとし、残った丸太でベンチを作リたい。焼き鳥・から揚げ・巻き寿司・冷やしソーメン・缶ビールを用意し、沢へ納涼に行った。

できあがった飛び石と、丸太のベンチは写真のとおり。きょうは夫婦の登山者が1組通りかかり、石橋を珍しそうに見ていった。
宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/28280083.html

自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」が完成 (1)  八郎岳山系の沢

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」が完成 (1)  八郎岳山系の沢

長崎市平山町の長崎市民農園奥の谷間に、「千々峠」(乙女峠)登山道入口がある。200mほど登ると八郎岳(標高590m)から流れる1つの沢を渡る。小滝の渕尻を飛び石で渡っているが、増水時に渡りきれないときがある。
昨年夏、ここに自然石によるアーチ式石橋の架橋実験をしたが、あえなく落下した。
その様子は次に。  https://misakimichi.com/archives/2428

本年も夏となり、きょう再挑戦。みさき道歩会の例会で参加4人。現地に置いていた間伐材丸太は、腐ってなくそのまま使え、石も特別に川原から調達の必要がなかった。昨年の経験があり、石を慎重に積んでいく。作業は順調に進み、午後2時頃におおかた完成した。
アーチが持つか、丸太を慎重に上から1本ずつ抜く。見事に自然石によるアーチ式石橋「乙女橋」が完成した。

すべて現地調達の工法。実験石橋なので、もちろん人が渡れるような橋ではない。石が小さく、要石も完全な石が現地で見つからなかった。アーチが浮いて、写真を1枚でも撮れれば、私には満足なできばえである。
人手を多くし、大きな材石を使うと、人が渡れる石橋を造れる自信が、皆にできたことと思う。
橋名は乙女峠から「乙女橋」。橋長1.7m、橋幅0.7m位。見るからに貧弱な造りで危険。渡る人はいないだろうが、「実験石橋 危険 通行不可」の標識を付けてきた。

宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/28274625.html
宮さんは夜勤明け。眠たく12時に帰った。橋の完成を知らない。2日目は不要となった。

「まぼろしの石橋」が姿現わす(4)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

「まぼろしの石橋」が姿現わす(4)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

2011/05/03 17:41 の状況。先日からの雨の流れ込みにより、水位が少し上がっている。宮崎県から4日か5日に来訪予定があり、きょうの状況を報告。
(1)2011/04/17 は、 https://misakimichi.com/archives/2666
(2)2011/04/21 は、 https://misakimichi.com/archives/2671
(3)2011/04/30 は、 https://misakimichi.com/archives/2683

「まぼろしの石橋」が姿現わす(3)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

「まぼろしの石橋」が姿現わす(3)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

2011/04/30 10:05 の状況。石橋のアーチがだいぶん見えてきた。きょうは近くで写す。石橋を渡ってきた。
(1)2011/04/17 は、 https://misakimichi.com/archives/2666
(2)2011/04/21 は、 https://misakimichi.com/archives/2671

「まぼろしの石橋」が姿現わす(2)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

「まぼろしの石橋」が姿現わす(2)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

2011/04/21 10:48 の状況。石橋のアーチが浮きかけている。水位目盛板をアップ。
(1)は、 https://misakimichi.com/archives/2666

「まぼろしの石橋」が姿現わす(1)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

「まぼろしの石橋」が姿現わす(1)  本河内高部貯水池のダム底に眠る

長崎市本河内町にある。ダムの底から渇水期にだけ姿を現していた「まぼろしの石橋」。長崎市指定有形文化財に指定された。この石橋も平成18年春の新ダム完成により、ほとんど見ることはできなくなった。

その名のとおり「まぼろし」となった石橋。しかし、今までもこれからも、貯水池の中にたしかに存在する。石橋のHPによると、長さ8.0m、幅員2.8mの橋。
季刊「Web旅ムック」2007晩秋号 Ⅴol.7の16〜17頁の特集「石橋の旅 第4回」の記事は、 https://misakimichi.com/archives/405

何とこの「まぼろしの石橋」が、本河内高部貯水池できょう、上部だけではあるが写真のとおり見えていた。低部貯水池の改修工事が完成したため水を抜きはじめたのではない。ただ渇水のためとのことである。本河内高部貯水池の水位が今、非常に低くなっている。

石橋に関心がある方は、めったにない撮影のチャンスだろう。国道34号線「妙相寺入口」から入る。新日見トンネル高架橋の下あたりに石橋はある。
「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

本河内高部貯水池内石橋   市指定有形文化財
指定年月日:昭和53年12月20日  所在地:長崎市本河内3丁目 本河内高部貯水池内
一の瀬川の上流、妙相寺川には、自然石で築いたアーチ石橋が数多く見られた。これはその一つで、明治22年(1890)に造成された水源地にそのまま水没し、現在まで遺ったものである。石の隙間には小石を充填(じゅうてん)し、橋面には土かぶりを施したと思われるが、水没中に洗い流され、現在は骨格的石組だけとなっている。平時は水中に没し、渇水時にだけ姿を現わす。架橋の年代は不詳であるが、明治2〜3年(1869〜70)頃現川の住民が、本河内の野石造りアーチ石橋を真似て、現川にも架けたという記録があるから、恐らく幕末期のものであろう。

式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

式見でアーチ式石橋が見つかる  長崎市向町

長崎市の式見地区、向町に小さなアーチ式石橋が残っていた。長崎バス式見バス停から下向集落の中へ入る。バスが通る県道112号線の式見トンネルへ登る里道があり、登り口の川に石橋が架かっているのを、11月17日夕方、通りかかって見かけた。

この道は、手熊町とを結ぶ昔の重要な街道だったと思われる。写真のとおり小さいながら見事なアーチ式石橋。橋長:1.8m、橋幅:1.8m、拱矢:1.5mほど。
橋名はわからない。式見郷土史にも何も記録がなかった。仮称「下向橋」としたい。

式見〜手熊間トンネル工事は、昭和3年4月24日竣工。式見隧道より海岸に至る県道は大正15年より5ヶ年で昭和4年完成。長崎バスが城山〜式見線の運行を開始したのは昭和29年4月1日からと郷土史年表は記す。

トンネルを抜けた隣町の長崎市手熊町にも「杉の上橋」という小さなアーチ式石橋が残っている。年代は不明だが、同時期頃に架橋されたのではないだろうか。
手熊町の「杉の上橋」は、 https://misakimichi.com/archives/614

最後の2枚の写真は、蝶ヶ崎トンネル上の岩場ピーク。眺望が良く、古いコンクリート製の台座があった。正体を目下、調査中。

千々峠(乙女峠)への登山口にある桁石橋  長崎市平山町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

千々峠(乙女峠)への登山口にある桁石橋  長崎市平山町

長崎市平山町の八郎岳山系、千々峠(乙女峠)への登山口にある沢。大川の上流部となるが、ここにアーチ式の実験石橋づくりに通っていて気付いたが、道標のある登山口すぐ手前の左から支沢を渡る林道の下は、覗いて見ると桁石橋である。
場所は、平山バス停から長崎市民農園駐車場前を通り、砂防ダム上の林道の奥へしばらく進む。県有林があるため、造られた林道と橋と思われる。

(追 記 平成22年10月10日) 林道手前のも桁石橋

きょう、またこの長崎市民農園駐車場前林道を通った。砂防ダム手前でも林道は別の支沢を渡る。下を覗くとこれも桁石橋であった。写真6〜8枚目に追加する。

幻の「乙女橋」 自然石による石橋づくり  あえなく落下

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

幻の「乙女橋」 自然石による石橋づくり  あえなく落下

佐世保市吉井町の「吉井エコツーリズムふるさとの会」(末永暢雄会長(日本の石橋を守る会会員)、15人)は「日本一の石橋のある風景」づくりに取り組んでおられます。末永会長が、地元の石橋文化を継承しようと会に提案。自然石による石橋づくりを企画され、石橋は次のとおり完成しました。
次HPで地図上吉井町をクリック。 http://5.travel-way.net/~niemon/nagasaki/nagasakihasi.html
「夢 追 橋」  佐世保市吉井町立石
橋長:2.2m  橋幅:0.75m  径間:1.2m  拱矢:55cm  環厚:25〜30cm
架設:平成22年(2010年)3月21日  棟梁:末永暢雄

長崎市にも、本河内高部貯水池のダム底に残る自然石によるアーチ式石橋は、長崎市指定有形文化財となっている。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/405
現川焼で知られる東長崎の現川地区に、小さな自然石アーチ式石橋が少なくとも6橋あった。石橋群として長崎市指定有形文化財に指定されていたが、JR長崎本線の新線工事で2橋が消え、昭和57年(1982)7月の長崎大水害により4橋が流失、すべての石橋が消失している。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1433

吉井町「夢追橋」のことをにえもんさんHPで知り、私たちも石橋づくりに挑戦することとした。
場所は、長崎市平山町の八郎岳山系、千々峠(乙女峠)への登山口にある沢。大川の上流部となる。平山バス停から長崎市民農園先の林道を進み、登山道に入って約400歩。2つの小滝が合流し、滝つぼの落しを飛び石で渡るが、増水時にはやや危険である。
石橋づくりの実験のため、何よりも河原に石や間伐した材木があったことが、場所決定の理由。自宅近くでありすぐ通える。八郎岳は九州百名山の1つ。休みの日には市外の登山者や下山者が結構多い。

もとより最初から人が渡れるような強固な石橋をつくれるとは思っていない。アーチ形ができ、写真だけ写れば上出来だと考えていた。案の上、腹案(仮称)「乙女橋」は、状況写真のとおり、落下してあえなく失敗した。
近くの河原で適当な大きさと形をした石が揃わない。丸太とブルーシートでは完全なアーチができていない。径間を短くし、2回つくり直したが、バランスを崩し落下した。最も重要な要石となる石がまったく見当たらない。

末永先生の話のとおり、一番重要なことは、気力。「ま、いいだろう」では石橋は落ちる。こだわりを持ち、完璧に積み上げること。
自然石による石橋づくりの難しさを実感した。現川地区の昔の人はすばらしい。2回の失敗により私は気力喪失した。材料は現地に片付けて置いてあるので、どなたか挑戦をお願いしたい。
恥ずかしい記事となったが、にえもんさん、末永先生、そして長崎県の石橋を訪ねて〜の安元さん、見てください。
写真6以降、大石と小石との間でズレて、大石が少し落下し、アーチ形を崩し壊れかけた。

妙相寺奥の桁石橋と紅葉状況  長崎市本河内4丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

妙相寺奥の桁石橋と紅葉状況  長崎市本河内4丁目

本河内高部水源池の奥、瑠璃光山妙相寺へ11月15日夕方立ち寄る。不動の滝前の石橋撮影のためと紅葉状況を見る。モミジの紅葉にはまだ早い。
石橋は単径間桁橋。板石を斜めにカットしたものが中央にある。流された欄干の一部が近くに残されていた。滝の上は大きな砂防堤がそそり立ち、水を雨樋で引いていた。
岩永弘氏著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006春刊の25〜26頁による説明は次のとおり。

(8)不動の滝辺り
此の地までは80程の石段ですが、道も良いので老若労せずして来れます。小川沿いの石段を上り詰めた不動の滝一帯は霊域となり、数々の奉祀石仏が据えられています。手前左上方に戸隠権現続いて岩戸大明神、秋葉大権現、長崎西国十七、十八霊場等のお堂があります。
反った小型の石橋には欄干柱穴が残り、欄干は昔、豪雨で流されてしまったのでしょう。記録では亀井戸天満宮に擬し、精緻を極めたと記されています。5mほどの高さの滝も今では水量僅かのため、滝としての面影はありません。…

(註) 記録とは「長崎市史 地誌編」妙相寺の項。720頁は次のとおり。
天満天神祠  秋葉大権現祠の下手にある一石祠 高六尺、入貮尺貮寸、幅貮尺五寸五分 で享保二十酉年卯月吉祥日と刻してある。現時神體は妙相寺内不動堂に合祀してある。祠前の石橋と石階とは東京亀井戸天神に擬し精緻を極めたものであったけれども今は荒廃して居る。