投稿者「misakimichi」のアーカイブ

旧国鉄宮原線の橋梁とホーム跡  小国町国道387号沿い ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

旧国鉄宮原線の橋梁とホーム跡  小国町国道387号沿い

小国町北里の国道387号沿いで見た旧国鉄宮原線の北里橋梁・汐井川橋梁・堂山橋梁跡と北里ホーム跡。

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

宮 原 線
宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として1984年[1][2]に全線が廃止された。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の大字名である[3]。

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋による参考資料は、次のとおり。

北里橋梁
旧国鉄宮原(みやのはら)線
国登録有形文化財
小国町北里字北里
橋長:60m
コンクリート造5連アーチ橋
架設:昭和13年頃
幸野川橋梁から県道318号線を2.2Km東進。県道が国道387号線へ上がるところに架かっています。

北里橋梁
「久大本線の恵良駅から分岐し肥後小国駅に至る旧宮原線の施設。昭和10年着工,同29年全線開通した。いずれも単線仕様のアーチ橋で,設計は鉄道省熊本建設事務所,鉄材節約のため無筋コンクリート造である。径間長10mで11連のアーチが連続する菅迫橋梁が橋長136mと最大規模を誇る。幾何学形状の構造物が,山間部の近代化を象徴的に物語っている。」

汐井川橋梁
旧国鉄宮原(みやのはら)
国登録有形文化財
小国町北里字塩井川
橋長:36m
コンクリート造3連アーチ橋
架設:昭和13年頃
国道387号線北里の奴留湯温泉を過ぎて約600m先、右手町道へ。山川温泉方面へ200mほど進むと左手に汐井川橋梁、右手に堂山橋梁が見えます。

堂山橋梁
旧国鉄宮原(みやのはら)線
国登録有形文化財
小国町北里字塩井川
橋長:36m
コンクリート造3連アーチ橋
架設:昭和13年頃
国道387号線北里の奴留湯温泉を過ぎて約600m先、右手町道へ。山川温泉方面へ200mほど進むと左手に汐井川橋梁、右手に堂山橋梁が見えます。

光久寺門前橋  小国町西里上明星 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

光久寺門前橋  小国町西里上明星

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。国道387号から下った北里記念館下の橋脇や、国道戸井戸先の交差点に西里集落への案内標識があるので、これに従う。
廃校となった西里小学校の上流「明星橋」四叉路さらに上流に光久寺がある。腹巻地蔵尊の対面近く。

№7,551  光久寺門前橋

熊本県阿蘇郡小国町西里1096
橋長:2.8m  橋幅:1.7m  桁:5列
方杖桁橋
「石工
佐藤勝麿 穴見孝夫
大正十五年架換
平成七年十二月欄干修復
穴見深」

妙見貫(西里の岩清水)  小国町西里上明星 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

妙見貫(西里の岩清水)  小国町西里上明星

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道387号から下った北里記念館下の橋脇や、国道戸井戸先の交差点に西里集落への案内標識があるので、これに従う。
廃校となった西里小学校の上流「明星橋」真下に「妙見貫」の吐出口はあったが、車道敷下の角型しか確認できない。「素掘だが、石合掌のように山型に削られている」呑口は、どこにあるのかわからなかった。
後ろの3枚は、学校跡下流の集落、倉本の石清水。

妙見貫 みょうけんぬき
(阿蘇)小国町 湧水 長150-180m程度,幅1m,高50㎝ 19世紀前半 町教委 吐口はC化 施主:北里又右衛門父子の尽力/素掘だが、呑口は石合掌のように山型に削られている/現役 2 C

熊本県環境立県推進課HP「水の国 くまもと」水の名所による説明は、次のとおり。

妙見さん(みょうけんさん)

妙見さんの湧水も、阿蘇くじゅう国立公園の湧蓋山麓系の水源であると言われている。年間平均水温が22度と温かく、冬には湯気が立ち上る。地域に上水道が整備される前までは、地域の生活を賄う大切な水源であった。
湧水量が豊富で、湧き出た水は段々に5つに仕切られた水槽に流れ出ている。

その他(利用状況、水景・景観情報等)
山中の緑に囲まれ、苔がおおった石造りの水槽に湧出する水は透き通っており、まさに隠れた名水である。今も地区の2世帯が利用している。
アクセス  車=道の駅ゆうステーションから、国道387号を西里集落へ向かい約15分。
所在地   阿蘇郡小国町西里上明里

(2015年9月22日 追 記)
町教委の資料によると、「素掘だが、呑口は石合掌のように山型に削られている」とあり、この確認のため妙見貫を2015年9月14日再訪した。現在、この水を使用するシイタケ栽培と漬物工房の明石宅の主とちょうど会うことができた。
自分は6代目で、この水は素掘トンネルではなく、上段の底にある2箇所の岩の割れ目からの湧水である。水温が高く湯気が立つ。先代が年代は不明だが、下部の岩面を掘って5つの水槽を造り、壁面は当時のまま。今は底面だけコンクリート張りした。上段の水槽から飲料水、もやし生育のため藁敷き大豆漬け、野菜洗い、おしめ洗いなどと使い分けている。
末端に農業用水路はなく、対岸に渡ったパイプは廃校となった小学校のプール用だった。鋼製の渡り橋は、近所の3軒ほどが拠出して架けたという話だった。当日の写真を最後に2枚追加する。

(2015年10月13日 追 記)
場所はここの湧水に間違いないと思われるが、以上の状況からサイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、名称を次のとおり変更し登載された。

西里の岩清水 にしざと
(阿蘇)小国町 上明里 湧水 江戸期 WEB(みさき道人) 現役 下部の岩面を削って5つの水槽が造られている 1 C

手形野水路  南小国町満願寺大字手形野 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

手形野水路  南小国町満願寺大字手形野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道40号南小国町役場前の次の交差点から左折し満願寺のきよら手形野トンネルへ登る町道に入る。新トンネル手前左に旧道手形野隧道と、「あっぷるみんと 自然食レストラン 風のもり」へ上がる道がある。
手形野水路のことは、ここの経営者が詳しい。取水した水路は旧手形野隧道下に出て、店前を通り南小国町内へ下っているという。この旧道や左へ曲がった車道沿いに当初の姿を見ることができる。

手形野水路 てがたの
(阿蘇)南小国町 用水路 長約3㎞,幅約1m 江戸期? 町教委 部分的に当初の水路が残る 町内に残る最長の水路 3 C

野出越えの石畳道  熊本市西区河内町野出 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

野出越えの石畳道  熊本市西区河内町野出

金峰山の麓、県道1号熊本玉名線の追分バス停西側にある「草枕の道 野出越えの石畳道」。HP「旧街道を歩く」石畳道を歩くによる説明は、次のとおり。

漱石が歩いた石畳道

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許ばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶なお住みにくかろう。

夏目漱石「草枕」の冒頭である。熊本市内から金峰山山麓を越えて天水温泉への旅を描いたものである。
漱石が歩いた道には石畳があり、「鳥越の茶屋跡」の手前の鎌研坂(かまとぎざか)と「野出の茶屋跡」の手前の野出越えに残っている。

■鎌研坂の石畳道
鎌研坂の石畳は自然石がまばらに敷かれている。
鎌研坂の登り口にある石碑。
鎌研坂を登り切って、道路を渡った所にある鎌研坂公園の漱石句碑。
木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙(せつ)を守るべく
鎌研坂の登り口付近から見た熊本市内。阿蘇の山並みが見える。

■野出越えの石畳道
県道の追分バス停の西。右手に漱石「草枕」ハイキングコースの標識が出ている。
県道からの入口。
石畳道入口の漱石句碑。家を出て師走の雨に合羽哉
杉林、竹林、そしてみかん畑の中を行く。

天明(1785年頃)の銘がある地蔵を漱石も見ただろうか。
石畳道の出口付近。みかんの収穫は終わっていた。

鼓 ヶ 滝  熊本市西区河内町野出

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

鼓 ヶ 滝  熊本市西区河内町野出

熊本県環境立県推進課HP「水の国 くまもと」水の名所による説明は、次のとおり。県道101号岩戸観音入口橋のすぐ下流側にある。

鼓ヶ滝(つづみがたき)

滝から流れ落ちた水が洞内にこだまして、ポンポンと鼓のような音がしていたので、鼓ヶ滝という名がついたと言われている。鼓ヶ滝は、金峰山県立自然公園内を流れる河内川(2級河川)にある大岩(幅・高さともに約10m)から流れ落ちている。この景観は熊本市松尾町平山と同河内町野出地区境の県道沿いから間近に見ることができる。

鼓ヶ滝は金峰山カルデラの渓谷にあるため景勝地「肥後耶馬渓」の見所の1つとなっており、高低差はあまりないが、滝つぼの様子は、多くの写真愛好家の撮影ポイントとなっている。滝は熊本市の「水遺産」に登録されているほか、環境省認定の「平成の名水百選」に認定された金峰山湧水群にも近く、少し足を伸ばせば金峰山湧水群を訪ねることができる。

鮎 帰 橋  熊本市西区河内町河内 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

鮎 帰 橋  熊本市西区河内町河内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。雲巌禅寺から松尾町平山集落内を下り鮎帰橋へ出たが、細道で急坂である。九州自然歩道を県道101号岩戸観音入口まで下り、県道を河内町河内の平公民館手前まで下る方が良い。

№1,842  鮎帰(あゆがえり)橋

熊本市西区河内町河内
河内川
橋長:12.3m  橋幅:6.5m  径間:7.9m  拱矢:5.0m
架設:弘化3年(1846)

雲巌禅寺境内  熊本市西区松尾町平山 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

雲巌禅寺境内  熊本市西区松尾町平山

熊本市HPの熊本市の文化財による説明は、次のとおり。雲巌禅寺は熊本市西区、金峰山の西麓にあり、国道501号上松尾から金峰山周遊道路を上がって訪ねた。

県指定 記念物  史跡及び名勝  雲巌禅寺境内   松尾町平山

古くから岩戸観音として知られた由緒ある霊場で景勝の地である。既に平安時代の頃、霊巌洞には石体四面の観音が祀られて人々の尊崇の対象であったことは、清原元輔や桧垣の伝承によって知ることができる。雲巌禅寺が創設されたのは南北朝の頃で、開山は元僧東陵永璵である。室町時代には衰退したが、加藤氏・細川氏の庇護によって江戸時代には再び整備の手が加えられた。細川家の重臣沢村大学助吉重が深く信仰し、宮本武蔵も霊巌洞に籠って「五輪之書」を著したことはよく知られている。宝永5年(1708)にできた釈迦三尊と十六羅漢の石像、さらに安永8年(1779)から24年かかって奉納された五百羅漢も有名である。

呑吐堰・跡  熊本市南区富合町杉島 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

呑吐堰・跡  熊本市南区富合町杉島

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道3号緑川に架かる緑川橋から上流部に呑吐堰・跡はある。

呑吐堰・跡 どんどぜき
熊本市(南区) 緑川 石樋門 慶長8(1603) WEB 川の中に残骸が僅かに残るのみ 加藤清正/屈曲した緑川の洪水時の流下機能を高めるため、延長1,448m、幅127mの放水路を開削(堀川呑吐)→そこに造られた防潮用の樋門跡 5 C

HP「くまもとウォータライフ 熊本水遺産」土木・建設物による説明は、次のとおり。

66. 呑吐堰跡 (どんとぜきあと)
加藤清正の時代、緑川は富合町杉島で大きく北に湾曲しており、水はけが悪く大水害を引き起こしていた。そこで、杉島から緑川を直流させるため新川を堀削した。これが堀川呑吐と呼ばれるもので、緑川の放水路の役割をなした。ここに築かれた堰が呑吐堰であり、宇土一帯160町余の田畑を潤すと同時に、舟運のための砂防堰の役割も兼ねていた。
※写真は干潮で水が引いている時間に撮影したものです。
[場所]熊本市南区富合町杉島

中松尾橋  熊本市中央区南熊本5丁目 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

中松尾橋  熊本市中央区南熊本5丁目

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。JR豊肥本線南熊本駅の北西側に寺田児童公園はある。

№1,341  中松尾橋

熊本市中央区南熊本5丁目
橋長:7.5m  橋幅:1.7m  径間:6.7m
南熊本駅の北西250m寺田児童公園内にあります。
松尾地区から移築した石橋