投稿者「misakimichi」のアーカイブ

はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

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はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

「はらほげ地蔵」は、芦辺町の東、「左京鼻」のある八幡半島の八幡浦海岸岸壁の海岸にある。
芦辺からなら県道24号線、郷ノ浦港なら県道173号線、印通寺なら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点近くまで行き、「左京鼻」の方へ向かう。
八幡浦へ入って、八幡保育所先から漁港の岸壁へ出ると、「はらほげ地蔵」の六地蔵が海岸に祀られている。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

はらほげ地蔵  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分

六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵である。海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれている。何時、誰が、何のために祀ったかはっきりしたことはわからないが、遭難した海女の冥福のため、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられる。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われる。

壱岐長者原化石層 (2)  採集された化石の写真

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壱岐長者原化石層 (2)  採取された化石の写真

壱岐市芦辺町諸吉本村触の「壱岐長者原化石層」で採集された魚類や植物の葉の化石。
寄八幡神社が所蔵している化石の一部を写させてもらった。 

「イキウス」は、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。(長崎県HP「長崎県の文化財」の説明から)

壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

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壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

「左京鼻」は芦辺町の東、八幡半島の北先端にある。芦辺港から芦辺大橋を渡り、壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

「壱岐長者原化石層」は、「左京鼻」のちょうど反対側となる八幡半島の南先端部にある。「長者原崎」といい、八幡浦へ方へ回って屏風岩から漁港の寄八幡神社にかけて、この海岸部一帯に化石を多産する層がある。

従って、芦辺側なら「左京鼻」の園地を越えると、途中の道に「屏風岩」展望台があり、寄八幡神社へ着く。郷ノ浦・印通寺側なら「はらほげ地蔵」の方を通って寄八幡神社へ行く。化石層は神社の先から海岸部へ行くと見られる。後の写真が「屏風岩」
寄八幡神社が所蔵している化石を写させてもらったので、(2)はその写真集。 
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐長者原化石層  県指定天然記念物

指定年月日 昭和51年2月24日 所在地 壱岐郡芦辺町諸吉本村触 所有者 寄八幡神社
芦辺町八幡浦の南に突出した長者原崎に露出し、層理のよく発達した珪藻土質の地層であり、古くから植物の葉や魚の化石を多産することで名高い。含化石層は、長者原崎をはさんで東西に分かれ、100〜200mの延長をもって露出する。地層の走向はほぼ東西に分れ、南へ10〜14°傾斜する。西側の屏風岩の地層が指定されている。
本層の化石の研究は古くから断片的に行われているが、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
最近では、石田町林徳衛氏が、植物化石(葉化石)40科67属83種、昆虫化石7科10種、魚類化石4目6科12〜16種、蛇化石1種を報告した。魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。

七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

長者原化石層  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分、下車して徒歩5分
八幡半島の南端に、白い地層が露出している。手で触れると、まるでチョークのような感触で白い粉が手に残る。これは植物性プランクトンである珪藻の遺骸が堆積してできた土質で、古くから植物や魚の化石が産出する。大正8年に魚類化石の新種イキウス・ニッポニクスが発見された。魚類相は中国大陸のものに近い。かつて大陸と地続きで日本海が大きな淡水湖だった頃の記憶が、この地層には詰まっている。
県の天然記念物に指定されているので、化石採集はできない。

屏 風 岩    場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で20分

八幡半島南端に、屏風を倒したように白い岩が露出している。長者原化石層と同じ珪藻土層で、むき出しになった地層はまるでバウムクーヘンのよう。珪藻土層の間に、小石を包含した黒い地層が一本入っているが、火山の噴火による火砕流が火山灰の層であろう。

左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

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左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

「左京鼻」は芦辺町の東方、八幡半島の先端にある。芦辺港から県道24号線により芦辺大橋を渡り、大石トンネルは通らず壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

後の2枚の写真が、芦辺港から左京鼻に向かう途中の「清石浜」など。
奥に左京鼻のある八幡半島が写る。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

左 京 鼻   場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」である。海鵜のおびただしいフンに覆われているが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。

清 石 浜   場所 ● 芦辺町諸吉東触   アクセス ● 芦辺港から車で5分

芦辺港の南東海岸には約500mの美しい砂浜が広がる。海水浴の各種施設も充実している。背後には砂丘が広がる。冬には水鳥が乱舞して、また違った風情を見せてくれる。

椿山神社のイヌマキ  壱岐市芦辺町箱崎中山触

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椿山神社のイヌマキ  壱岐市芦辺町箱崎中山触

芦辺港から右方の県道23号線へ出て左折。国分方面へ少し向かうと、すぐ左手にあるのが「鏡山神社」である。
イヌマキは社殿前の広場左側に立ち、神社周りの林にもイヌマキの大木が数本あった。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第9章芦辺町の文化財972〜973頁による説明は次のとおり。町の未指定文化財。

椿山神社のイヌマキ  箱崎中山触  鏡山神社所有

暖かい地方の山村に自生している常緑高木で、枝は広がり老木ではしばしば下に垂れている。樹皮は灰白色で、浅い縦裂ができ薄片となって落ちる。葉はへんぺいな線形又は皮針形で、先端は鋭くとがり全緑で皮質表面は深緑色、裏面は淡緑色であり中央の葉脈が隆起している。雌雄別株で5月に開花する。マキは材として、床柱など建築器具用として広く利用されている。
鏡山神社のマキは雄株で、樹形はあまりよくないが、樹齢においても大きさにおいても壱岐のマキの中では最大のものである。
目通り  3.60m

龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触

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龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触

芦辺港から左方へ芦辺大橋を渡り、県道23号線により郷ノ浦方面へ向かう。大橋の先の2つのトンネルを抜け、しばらく行くと右手にある寺が「龍蔵寺」である。
イチョウは、本堂左横の建物の裏手となる墓地内に立つ。
観音堂の前にはイブキもある。地上1mのところから4つの大枝に分れている。またこの木はビャクシン(イブキと同種)の大木で、直立した木の上に針状の葉のみもつイブキである。木の姿勢もよく樹相mも美しいらしい。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第9章芦辺町の文化財969〜970頁による説明は次のとおり。町の未指定文化財。

龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触  龍蔵寺所有

イチョウは、落葉性の大高木。…このイチョウは龍蔵寺の墓地の一角に高くそびえ、木は相整って堂々と立ち、無傷で素直に生育してきたことがうかがえる。またこのイチョウは雌株で樹上高いところから、大木およそ30個余りのイチョウ特有の乳柱の垂下するのがみられ、秋には種子(ギンナン)をつける。
目通り幹囲 5.40m

男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

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男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

芦辺港から右方の瀬戸浦へ県道を進み、瀬戸小学校の方へ右折して広い道を上がって行くと男岳神社裏手の参道入口駐車場に着く。神社へはここから歩いて10分くらい。
女岳と一帯は公園として整備されており、下にダムがある。山頂とダムの間の中腹を回る車道があり、この道を行くと山頂の神社まで車で登られるようだ。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

男嶽神社と石猿群  場所 ● 芦辺町箱崎諸津触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

猿田彦命が祭神。拝殿横の石段には200体を超す石猿が並んでいる。家内安全、合格祈願、子宝祈願など、願掛け、成就に奉納されたもの。最初は牛の健康や繁殖を祈願し石牛を奉納していたというが、今では石猿が圧倒的に多い。新しいもの古いもの、さまざま表情が入り交じって楽しい。男岳は山全体が御神体で人は入山できず、麓から参拝していたというが、いまは境内まで車で行くことができるようになった。壱岐で二番目に高い男岳展望所からは全島が見渡せる。

壱岐の土台石  壱岐市勝本町東触天ケ原

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壱岐の土台石  壱岐市勝本町東触天ケ原

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ行く。勝本町の中心から勝本港へ出て右方へ進み、串山半島の峠を越して串山海水浴場に向かう。
天ケ原海岸へ出た所に「壱岐の土台石」の断崖がそびえ、辰の島の指定地と一帯をなした串山半島の「勝本のハイビャクシン群落」がある。

この断崖は海底が隆起してできたもの。壱岐では一番古い地層。2,500万年以上も前にできたといわれている。長さが4〜6km、高さは50m。この断崖からは、植物や二枚貝の化石が発見され、またウニやカニの化石も頁岩から見つかっている。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

壱岐の土台石   場所 ● 勝本町東触天ケ原  アクセス ● 郷ノ浦港から車で30分

対馬海峡に面した天ケ原海岸は、まるで大きな鉈で断ち切ったような断崖になっている。その断面に見えるのが壱岐島の基盤である土台石と呼ばれる勝本層だ。砂岩と頁岩の互層で大変もろく割れやすい。植物化石や貝殻化石も見つかることがある。圧力を受けて褶曲した部分も見える。この新第三紀(約2500万年前)勝本層の上に、八幡半島や郷ノ浦の初瀬に見られる凝灰角礫岩と、火砕流堆積物を主とする壱岐層が乗り、さらに第四紀層の玄武岩が広く覆って壱岐の島ができあがっている。天然記念物のハイビャクシンの群落も見られる。

勝本のハイビャクシン群落  壱岐市勝本町東触

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勝本のハイビャクシン群落  壱岐市勝本町東触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ行く。勝本町の中心から勝本港へ出て右方へ進み、串山半島の峠を越して串山海水浴場に向かう。
天ケ原海岸へ出た所に「壱岐の土台石」の断崖がそびえ、辰の島の指定地と一帯をなした串山半島の「勝本のハイビャクシン群落」がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

勝本のハイビャクシン群落  県指定天然記念物

指定年月日 昭和26年7月3日  所在地 壱岐郡勝本町東触  管理責任者 勝本町
ハイビャクシン(裸子植物、ヒノキ科)は海岸の崖地や砂地に生ずる。その分布は朝鮮半島南部の数個所のほかは、対馬上島の北部と東部の海岸、壱岐北部の辰の島、若宮島、名鳥島、串山半島、上五島の美良島、ほかに福岡県と佐賀県に1個所ずつ生育するだけである。全分布はほとんどは長崎県内にある。
天然記念物の指定地は、上記の辰の島(国指定、別記)のほか、名鳥島、串山半島の自生地をふくむ。風当たりが強くて他の植物が生じ難い崖地に、一面に広がって群落をなし、あるいは砂浜の上部にハマゴウと混生して広がっている。通常はスギの葉のような針葉だけであるが、まれにヒノキの葉のような鱗葉をまじえるものもある。幹は地面をはい、全長10m以上に達することもある。他県ではほとんど見ることができない植物である。

聖母宮・神功皇后の馬蹄石  壱岐市勝本町勝本浦

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聖母宮・神功皇后の馬蹄石  壱岐市勝本町勝本浦

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町の中心から勝本港へ出て左側の岸壁の道へ回り込んで行くと、「聖母宮」に着く。
「神功皇后の馬蹄石」は、聖母宮の正門前の道を曲がり海岸へ出て行くとすぐある。石には4つの窪みがあるというが、他ははっきりしない。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編と歴史文化編による説明は次のとおり。

聖  母  宮   場所 ● 勝本町勝本浦  アクセス ● 郷ノ浦港から車で25分

神功皇后を祭った聖母宮は、勝本の総鎮守でもある。創建時期は奈良時代初期といわれている。勝本の地名も「風本」から神功皇后が名付けたと伝えられている。門は文禄の役の時に加藤清正が寄進したもの。のどかな表情の牛の石像は名工山内利兵衛の作。また、神社所蔵の茶壷は「天正二十年」(1592)銘の古唐津焼で、口が欠けているものの学術研究上たいへん貴重なもの。秋には例祭カザモト祭で浦は賑わう。

神功皇后の馬蹄石  場所 ● 勝本町勝本浦  アクセス ● 郷ノ浦港から車で25分

聖母宮の近くに神功皇后が朝鮮出兵の際に乗った馬の蹄跡だと伝わる馬蹄石がある。背伸びして覗き込むと、石の表面にはたしかに蹄跡らしき四つの窪みがある。皇后の時代からおよそ800年後、皮肉にも今後はここに元軍が攻めてくる。ドラマチックな歴史スポットである。