投稿者「misakimichi」のアーカイブ

金刀比羅宮(1)  香川県仲多度郡琴平町

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金刀比羅宮(1)  香川県仲多度郡琴平町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。(1)は登り、(2)は下りの風景。

金刀比羅宮

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

琴弾公園  香川県観音寺市観音寺町

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琴弾公園  香川県観音寺市観音寺町

国指定文化財データベースによる解説は次のとおり。香川県の文化財は解説がない。

名称: 琴弾公園
ふりがな: ことびきこうえん
種別1: 名勝
指定年月日: 1936.12.16(昭和11.12.16)
指定基準: 一.公園、庭園
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 観音寺市観音寺町
解説文:
西讚ノ中心地タル觀音寺町ニ在リ公園ノ中央ニ琴彈山(標高五八.六メートル)アリ廣キ砂濱ヲ隔テゝ瀬戸内海ニ臨ム山ハ花崗岩ヨリ成リ山上山下松樹ヲ以テ蔽ハレ内海罕ニ見ルノ美林ヲ成セリ山上ノ眺望又頗ル佳ナリ

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』解説)
琴弾公園
琴弾公園(ことひきこうえん)は、香川県観音寺市にある公園。瀬戸内海国立公園に含まれ、国の名勝に指定されている。1897年に県立公園として開園。設計は園芸師の小沢圭次郎。

概 要  財田川右岸の琴弾山と有明浜からなり、琴弾山からは燧灘に浮かぶ伊吹島や、砂で造られた寛永通宝の銭形砂絵を眺めることができる。琴弾山麓には四国八十八箇所第68番札所である神恵院、第69番観音寺や、連歌師・山崎宗鑑の一夜庵などがある。桜の名所として日本さくら名所100選に選定されている。

豊稔池堰堤  香川県観音寺市大野原

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豊稔池堰堤  香川県観音寺市大野原

国指定文化財データベースによる解説は、次のとおり。香川県の文化財は解説がない。

名称: 豊稔池堰堤
ふりがな: ほうねんいけえんてい
員数: 1所
種別: 近代/産業・交通・土木
時代: 昭和
年代: 昭和4
西暦: 1929
構造及び形式等: マルチプルアーチ式コンクリート造堰堤、堤長145.5m、堤高30.4m
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項:
指定番号: 02498
国宝・重文区分: 重要文化財
重文指定年月日: 2006.12.19(平成18.12.19)
重文指定基準1: (二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2: (三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県観音寺市大野原町田野々
所有者名: 豊稔池土地改良区
解説文:
豊稔池堰堤は、県西部の柞田川上流に位置し、県の用排水改良事業の一環として大正15年3月起工、昭和4年11月竣工の溜池堰堤である。工事は、顧問である佐野藤次郎の指導のもと、農林技師の杉浦翠、県農林技師の木村真五郎などを中心に進められた。
堰堤は、川狭窄部の岩盤上にコンクリート造で築かれ、両端部を重力式、中央部をマルチプルアーチ式とし、下流側に石張の水叩を設けている。
豊稔池堰堤は、我が国最初期のコンクリート造溜池堰堤として、農業土木技術史上、高い価値がある。また、アーチ式堰堤とバットレス式堰堤の特長を兼ね備えた先駆的な構造形式が、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を良く示しており、重要である。 (詳細解説は省略)

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』解説)
豊稔池ダム
豊稔池ダムと豊稔橋豊稔池ダム(ほうねんいけダム)は、香川県観音寺市にある現存する日本最古の石積式マルチプルアーチダム。2006年(平成18年)、国の重要文化財(建造物)に指定されている(指定名称は「豊稔池堰堤」)。
命名は、香川県出身で大蔵大臣などを歴任した三土忠造による[1][2]。

讃岐山脈から流れ出る柞田川を上流で堰き止め、柞田川の左岸に広がる水田を潤している豊稔池ダムは、度重なる大旱魃への対策として1926年(大正15年)に着工され、1930年(昭和5年)に完成した。このとき、地元住民による組合が部分請負が工事にあたり、延べ15万人による人海戦術により約4年の短期完成を実現するという地元一体となって成遂げられた公共事業であった。ダム補修工事により上流部はコンクリート補強されているが、下流部には当時の古い石積みが現存している。

多連式アーチダムとしては、宮城県仙台市の大倉ダム(二連式)を含め、全国に二つしかなく、当時米国で最新技術であったマルチプルアーチが適用されるなど土木史、ダム技術史を語る上においても貴重な建造物である。

データ(大正期)
旧土砂吐樋門と旧中樋取水口堤高 – 32.3m
堤頂長 – 158.4m
堤体積 – 21,000m³
総貯水容量 – 1,590,000m³
有効貯水容量 – 1,590,000m³
流域面積 – 9.9km²
湛水面積 – 16ha
利用目的 – 灌漑
事業主体 – 香川県
施工業者 – 豊稔池土地改良区
着工年 – 1926年
竣工年 – 1930年

豊稔池
ダムによって形成された人造湖は豊稔池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省により「ため池百選」に選定され[3]。湖畔には「豊稔池遊水公園」が整備されている。
現在も、豊稔池からは約530haの灌漑を行っており、「大野原は月夜に焼ける」と詠われり、旧大野原町の大野原音頭では「……里をうるおす豊稔池の、石積堤は城のよ〜う、城のよう……」と歌われて、豊かな大野原平野を潤している水源である。
稲作と野菜、「らりるれレタス」、果樹等による複合農業を中心とした集約型農業を行い生産性・経済性が高い経営を行っている。
田植えの時期には地上30メートルの堤からの放水や、ユル抜き行事(毎年7月中旬から下旬)の際には、そのヨーロッパの古城を思わせる概観と勢いよく流れ出る放水の絶景に多くの観光客が訪れる。

自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事

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自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事

2012年8月4日(土)と5日(日)の2日間、自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事。参加2人。みさき道歩会の例会。
長崎市平山町の市民農園奥、千々峠(乙女峠)登山口からすぐ入った八郎岳から流れる沢を横切る登山道脇に、自然石アーチ式石橋「乙女橋」を架橋実験中。小さい方は、昨年10月完成。まだ健在である。

今年は、これを右側へ伸ばす工事。アーチ式石橋が2つ並び、眼鏡橋の形となるよう考えている。4日は石集めに終った。5日から土台を組み、石を乗せているが、径間が2mくらいとなり、難しい工事である。
適当な石さえあれば、何とかなるだろうが、なかなか揃わない。肝心な要石にふさわしい石もない。きのう12日、アーチ部分の土台の一部をはずしてみた。アーチが宙に浮いたが、さて、この石橋は完成しただろうか。後日、続報の予定。

唐谷峠越えの県道  愛媛県四国中央市金生町

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唐谷峠越えの県道  愛媛県四国中央市金生町

宇摩向山古墳を見学した後、県道9号大野原川之江線により唐谷峠越えし、豊稔ダムへ向かった。金見山(標高596m)近くを通る愛媛県と香川県の県境の峠である。
写真は、途中で見た「山田井尋常小学校分教場」跡と、眼下に切山集落を望む。国指定重要文化財「真鍋家住宅」の屋根も見える。最も遠くは祖谷方面の山。

ウィキペディアでは、「1912年(明治45年) 山田井字切山に分教場設置」とある。石柱の門はそれだろう。
切山地区には興味深い平家伝説が残っている。一の谷の戦いに敗れ屋島に陣をひいた平氏は、少しでも安全な祖谷へと安徳帝を遷していたが、義経率いる大軍が阿波へ上陸したとの風聞により、その祖谷も離れ切山地区に移り住んだといわれ、遺跡がある。

後ろの写真は、唐谷峠近くから眺めた四国中央市の市街地と瀬戸内海の島々。

宇摩向山古墳   愛媛県四国中央市金生町

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宇摩向山古墳   愛媛県四国中央市金生町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。
場所がわかりにくいが、赤線のところ。橋を渡った角に小さな案内標識がある。

名称: 宇摩向山古墳
ふりがな: うまむかいやまこふん
種別1: 史跡
面積: 4359.76
指定年月日: 2011.09.21(平成23.09.21)
指定基準: 一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 愛媛県四国中央市
解説文:
東西70m、南北54mの墳丘に2基の横穴式石室をもつ四国最大の長方形墳である。横穴式石室についてもともに全長10m以上であり、四国最大級の規模を誇る。7世紀前半の古墳とされ、当該地域においては最後の大規模古墳である。(詳細解説省略)

(愛媛県解説)
宇摩向山古墳は金生川の東岸、丘陵の先端部に立地する四国最大の長方形墳と考えられる古墳であり、1つの墳丘に2基の横穴式石室が平行して築かれる特異な構造を有している。
現在墳丘は大きく改変を受けているが、昭和15年から行われた四国中央市による調査の結果、墳丘は東西に長い長方形であり、その外周に幅5m前後の周濠が巡ることが確認された。墳丘の規模は東西70m、南北46mと推定され、四国最大にして全国でも最大級の長方形墳と考えられる。
横穴式石室はいずれも南に開口しており、西の1号石室は全長10.8m、現在埋没状況にある2号石室は全長14.3m以上であり、ともに四国最大級の規模を誇る。なお、石室から出土した遺物から、7世紀前半の築造と考えられている。ただし、石室内において充分な調査が行われていないため、被葬者の性格等は不明である。
当該地域においては、この宇摩向山古墳の築造を最後に大規模古墳が築かれなくなる。このことから、古墳時代終末期において、当時の政治的・社会的状況を知る上で貴重な古墳といえる。

下柏の大柏(イブキ)  愛媛県四国中央市下柏町

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下柏の大柏(イブキ)  愛媛県四国中央市下柏町

国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。愛媛県の文化財には解説なし。現地説明板を載せる。伊予三島の国道11号バイパス通りを進むと、右手に見える。

名称: 下柏の大柏(イブキ)
ふりがな: しもかしわのたいはく(いぶき)
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1924.12.09(大正13.12.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 四国中央市下柏町
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第六輯 八頁 參照 天然紀念物解説 一八一頁 いぶき Juniperus chinensis h. ノ一大巨樹ニシテ地上三尺ノ高サニ於テ幹ニ一大瘤アリ瘤ノ直下(地上三尺)ノ幹圍二丈七尺瘤ノ直上部(地上七尺)ノ幹圍二丈一尺アリ 

(現地説明板)
イブキは福島県以南に自生するヒノキ科の常緑樹で成長が遅く、このような大樹になることはきわめてまれである。
樹高約15m、根の回り14.3m、目通り(目の高さ)8.34m
主幹は約30度ほどかたむいているが、地上約4mで枝を四方へ出す。枝張りは東西22.3m、東北15.3mで東南の枝が最も長い。
主幹の東側に高さ1.4mの空洞があり、内に天明3年(1783)の地蔵菩薩が安置され昔から信仰されている。
この木は風の強い平地に独立し、1200年以上の長寿を保っていることは、まさに奇蹟に近いことであり、柏村の村名もこの木に由来する。大正13年、国の天然記念物に指定され、以来松柏村では天然記念物保存のため特別基金を設け、この保存育成に努めてきた。
伊予三島市富郷町藤原にも県指定イブキの大樹(目通り9.2m)がある。
昭和63年2月  伊予三島市教育委員会

松風橋  愛媛県四国中央市土居町

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松風橋  愛媛県四国中央市土居町

四国中央市に残る煉瓦造アーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」愛媛県の石橋によるデータは、次のとおり。土居交差点から北の讃岐街道に入る。

№5,204   松風橋   2010.05.03

四国中央市土居町中村
古子川
径間:4.2m  橋幅:5.09m
4重輪石
内部:長手積み
壁石:イギリス積み

別子銅山記念館  愛媛県新居浜市角野新田町

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別子銅山記念館  愛媛県新居浜市角野新田町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。開館時間前だった。

別子銅山記念館

別子銅山記念館(べっしどうざんきねんかん)は、愛媛県新居浜市にある博物館。

概 要  

元禄年間から約280年もの長きにわたって日本の貿易・産業を支え、現在の住友グループの礎となり昭和48年にその幕を閉じた別子銅山の歴史や技術を後世に伝えるために、1975年(昭和
50年)に住友グループ各社が共同で設立した。

別子銅山のお膝下で、住友各社が生まれ今も主力工場が多く立地する愛媛県新居浜市の南部、山根地域にある。ここは市の平野部と山岳部の境界にあたり、付近はかつて銅山で働いていた従業員のための社宅や厚生施設などが集積した地である。現在は住宅や総合運動公園などが整備され、市民の生活・憩いの場として重要な位置づけをされている。

その山根の厚生施設跡に整備された山根公園の南部にある大山積神社の境内に記念館はあり、山の斜面を利用した半地下構造で屋根には1万本を越えるサツキが植えられており、周囲の景観を損ねることなく溶け込んだ雰囲気となっている。

館内は銅山や住友の歴史を紹介するコーナーや、銅山およびその周囲の地質などを鉱石・模型などを用いて説明するコーナー、当時の生活を紹介するコーナーなどで構成されており、単なる資料館の域を越えた立派な博物館として整備されている。また館外には明治期の近代化に一役買った日本初の山岳鉄道である鉱山列車「別子1号」や各車両の現物が展示されている。その充実した展示品、施設の保存維持管理には多額の経費がかかるであろうが、この記念館の入場料は無料であり住友グループの資金などにより運営されている。その点だけを見ても特異な施設であり、いかに住友各社が別子銅山を特別・重要なものとして意識しているかを伺わせる。

積極的な宣伝活動をしていないが、年間1万人以上が来館している。

新居浜一宮神社のクスノキ群   愛媛県新居浜市一宮町

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新居浜一宮神社のクスノキ群   愛媛県新居浜市一宮町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 新居浜一宮神社のクスノキ群
ふりがな: にいはまいつくじんじゃのくすのきぐん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 新居浜市一宮町
解説文:
一宮神社の参道、社殿の周囲に総数九十本のクスがある。そのうち目通り9.40メートルのもの一本、7メートル以上のもの二本、6メートル以上のもの四本あり、目通り1メートル以上のものは前記のものを合わせて五十三本に達する。このクス群は自生ではないが植樹の古いものとして保存の要がある。

(愛媛県解説)
一宮神社境内は、工都新居浜市の中央部に位置する数少ない緑地帯の一つとして、市民の憩いの場所となっている。
この境内にはクスノキを主とした社叢が形成されているが、これらの樹木は古くより氏子をはじめとする地元の人々の手厚い保護によって守られてきた。
参道や社殿周囲には数10本のクスノキがあり、そのうち根回り10m以上16m以内で樹高20mに達するものは15本、根回り1m以上10m以内のものは50数本を数える。これらのほとんどが老大木で見事な景観を呈している。
特に参道にある一番クスノキ(根回り約15m、目通り約9m)、二番クスノキ(根回り約13m、目通り約8m)は偉容を誇っている。