高松−小豆島(土庄:とのしょう)フェリー航路 香川県
高松港から小豆島の玄関土庄港へ渡る。1日15便、四国フェリーグループの「第二しょうどしま丸」が就航。所要時間1時間。
高松−小豆島(土庄:とのしょう)フェリー航路 香川県
高松港から小豆島の玄関土庄港へ渡る。1日15便、四国フェリーグループの「第二しょうどしま丸」が就航。所要時間1時間。
陶眼鏡橋 香川県綾歌郡綾川町
綾川町に残るアーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」香川県の石橋によるデータは、次のとおり。
コトデン陶駅近く国道32号陶交差点から県道17号へ入り、すぐの西岸寺岸の川に降りる。
№3,930 陶眼鏡橋 2009.01.03
香川県綾歌郡綾川町陶(すえ)
御寺川
径間:2.8m 拱矢:1.9m
次のチェックポイントはここ、県道17号線
管轄が違うのか、役場の建設課に確認しても石橋があることはご存知ありませんでした
あるかないか分からないままに下流側に降りて確認
どうもコンクリートのボックスに変わっているようです
念のため上流側まで見通すと、端にアーチが見えました
急いで上流側に回り込むと輪石が確認できました
まず下流側から確認したので喜びはひとしおです
ロープで川床に降りましたが、水深があり近寄れません
要石に浮彫りが施してあります
ロープなしで簡単に戻ることができました
旧讃岐鉄道岩屋架道橋 香川県綾歌郡宇多津町
宇多津町に残るアーチ式石橋。国指定文化財等データベース及びHP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」香川県の石橋によるデータは、次のとおり。宇多津中学校の北側。
名称: 旧讃岐鉄道岩屋架道橋
ふりがな: きゅうさぬきてつどういわやかどうきょう
員数: 1基
種別1: 交通
種別2: 土木構造物
時代: 明治
年代: 明治30
西暦: 1897
構造及び形式等: 石造単アーチ橋、橋長5.9m
登録番号: 37 − 0321
登録回: 62
登録告示年月日: 2009.01.22(平成21.01.22)
登録年月日: 2009.01.08(平成21.01.08)
登録基準1: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県綾歌郡宇多津町字茶臼山
所有者名: 宇多津町
解説文: なし(別の解説と間違っている)
(HP「石橋橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」データ)
№4,794 岩屋架道橋 2009.11.23
綾歌郡宇多津町岩屋
橋幅:7.1m 径間:2.4m 拱矢:1.2m 環厚:30cm
旧讃岐鉄道岩屋架道橋 国登録有形文化財
「旧讃岐鉄道の数少ない建造物であり、鉄道・道路を含め、県内最古のアーチ橋である。全国的にも類例の少ない純石造の鉄道建造物で、国土の歴史的景観に寄与しているものとして登録された。
讃岐鉄道は、明治22年(1889年)に多度津を起点に丸亀・琴平を結んで開業した四国最初の本格的な鉄道路線である。明治30年(1897年)には、路線が丸亀から高松(西浜)へと延伸。その後、明治39年(1906年)に国有化され、国有鉄道讃岐線(のち予讃線)と呼称された。
宇多津町内には、昭和63年(1988年)の瀬戸大橋線開業に伴う路線の移転による廃線遺構が残っており、その中でも岩屋架道橋は最も保存状態のよい構造的にも特筆される事例である。
鉄道路線と里道、用水路を立体交差させるためにアーチ橋として構築、アーチ部を含めすべて花崗岩の切石を使用していることが特徴。アーチは半円アーチとし、壁面は布積み、橋の両側には谷積みの翼壁を設け、アーチ天端には、楔形の要石(キーストーン)をはめ込んでいる。町民からは、アーチ形のため、“めがね”“石のトンネル”と呼ばれ親しまれてきた。」 宇多津町
若宮神社のイブキ 香川県善通寺市中村町
香川県設置の現地説明板は、次のとおり。善通寺の北方約1.5kmの若宮神社は、小さな鳥居があるだけ。
県指定天然記念物 若宮神社のイブキ
イブキは常緑の針葉樹であり、葉と幹に大きな特徴がある。イブキの葉は鱗片葉であるが、枝を切りこむと針葉をつける場合がある。幹皮は斜になって荒肌となる。
この若宮神社のイブキは、樹高約15m、胸高周約6.1mで、樹形は紡錘状になっている。
イブキは長命の木であり、このイブキについても、推定樹齢約450年と考えられている。
昭和51年3月23日指定 香 川 県
善通寺の大楠 香川県善通寺市善通寺町3丁目
香川県HP「香川の環境」巨木による解説は、次のとおり。
善通寺境内の大グス
総本山善通寺の境内には、2本のクスノキの巨樹がある。
大門に近い方を「大グス」、その西北方のものを「五社明神大クス」と呼んでいる。
樹形寸法は、大グスのものである。
五社明神大クスは、樹高40mを越え、五重塔(高さ46m)と並ぶほどの高さである。胸高幹周が10m、すぐその上から南北に二つの支幹を出す。枝張りは、37mに及ぶ。その周囲には、石垣を築き、玉垣をめぐらせて手厚く保護されている。根元には、善通寺領の氏神である五社明神が祀られている。
2本のクスノキはいずれもが県指定の天然記念物である。
クスノキは、暖地に多い常緑高木で、病虫害も少なく、長命で老巨木となるものが多い。
材は、船用材、彫刻等に適しており、飛鳥時代の仏像にも使われている。
説明板には、「弘法大師誕生の時より繁茂しており、樹齢は千数百年を経た大楠」とある。
【データ】
樹高 29m 胸高幹周 12.3m 枝張り 27m
所在地 善通寺市善通寺町 指定状況 県指定天然記念物
【道 順】
JR善通寺駅から徒歩約20分
善通寺 香川県善通寺市善通寺町3丁目
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
善通寺
善通寺 (ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび
歴 史
空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期の成立)によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。
東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の延久4年(1072年)の「讃岐国善通寺所司等解」(さぬきのくにぜんつうじしょしらのげ)という文書に、善通寺の由来について「弘法大師御先祖建立道場」とあり、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。
中世には足利氏、近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。
陸上自衛隊善通寺駐屯地 香川県善通寺市南町
HP「陸上自衛隊第14旅団」による説明は、次のとおり。
善通寺駐屯地
沿 革 善通寺駐屯地は、明治31年に旧陸軍第11師団が創設されて以来の伝統ある駐屯地であり、乃木将軍が初代師団長として勤務した場所でもあります。昭和25年、警察予備隊の創隊に伴い善通寺訓練所が開設され、その後の幾多の変遷を経て昭和56年、当時の第13師団から四国警備隊区の防衛・警備を引継ぎ、第2混成団が編成されました。以来25年の活動を経て平成18年3月27日に第14旅団が新編されました。
善通寺駐屯地所在部隊 善通寺駐屯地には、四国地区の防衛警備等を担任している第14旅団の主力、主に新隊員の教育を担任する第110教育大隊、業務隊をはじめとする駐屯地の機能を維持するための各部隊が所在しています。
満濃池 香川県仲多度郡まんのう町
国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。
名称: 満濃池樋門
ふりがな: まんのういけひもん
員数: 1基
種別1: 産業1次
種別2: 土木構造物
時代: 明治
年代: 明治3/昭和3・26改築
西暦: 1870/1928・1951改築
構造及び形式等: 石造、間口3.5m、高さ4.2m、袖壁付き、底樋管延長197m附属
登録番号: 37 − 0026
登録回: 22
登録告示年月日: 2000.03.02(平成12.03.02)
登録年月日: 2000.02.15(平成12.02.15)
登録基準1: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県仲多度郡まんのう町神野字神野山45-4
所有者名: 満濃池土地改良区
解説文:
弥勒石穴建設で信望を得た軒原庄蔵が安政の地震で決壊した満濃池堰堤下の石樋に代えて建設するに始まる全長197mの底樋隧道とその出口。坑口周りに五角形迫石を用い、石造のコーニス,袖壁、柱頭付端柱とで坑門を飾る。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』解説)
満濃池
満濃池(まんのういけ)は、香川県仲多度郡まんのう町にある日本最大の灌漑用のため池である。
空海が改修したことでも知られ、周囲約20km、貯水量1,540万tである。また満濃太郎とも呼ばれる。
データ 現在のデータ
形式:土堰堤供型
堤高:32.0m
堤長:155.8m
周囲:19.7km
貯水量:15,400,000m³
満水面積:138.5ha
池敷面積:142.1ha
灌漑面積:3,239ha
水源:金倉川、土器川(天川導水路)
備考:樋門は登録有形文化財
行 事 ゆる抜き
毎年6月中旬から毎秒4立方メートルの農業用水が放水され、讃岐平野の田植えが一斉に始まる。このゆる抜きの音と堤防下に整備された「ほたる見公園」のせせらぎは「満濃池のゆるぬきとせせらぎ」として日本の音風景100選に選定されている。
琴平町の大センダン 香川県仲多度郡琴平町
国指定文化財等データベース及び香川県HP「香川の環境」巨木による解説は、次のとおり。
名称: 琴平町の大センダン
ふりがな: ことひらちょうのだいせんだん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1953.03.31(昭和28.03.31)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 仲多度郡琴平町
解説文:
根廻り6.9メートル、地上1.5メートルの幹の周囲6メートル、樹高13メートル、推定樹齢300年、センダンの巨木として貴重なものである。
(香川県解説)
市街地にあって美しい樹姿を保っている老大樹は貴重である。
センダンは、団地の落葉高木。初夏に紫色の花をつけ、果実は黄色に熟す。「栴檀は双葉より芳し」のセンダンとは全く別樹である。
本樹は、観光バス乗降場の真中にある。
この地は、町立の幼稚園跡、その前は墓地であったところ。年間のバス乗入れ台数は、3000台を超える。
平成元年には、踏圧防止、通気透水性確保の保全事業が実施されている。樹高、幹周とも指定当時より一段と生長し、旺盛である。
徳島の「野神の大センダン」の衰弱が著しい今、本樹は全国的にも貴重である。
センダンの古名は「あふち」、愛する人との出会いの木。
センダンは墓地に多く、不気味な印象を与えがちである。しかし、センダンに罪はなく、材質はマホガニーに似た美しいものである。
【データ】
樹高13.6m 胸高幹周 6m 枝張り 25m
所在地 仲多度郡琴平町 指定状況 国指定特別天然記念物
【道 順】
JR琴平駅下車、徒歩約5分
金刀比羅宮(2) 香川県仲多度郡琴平町
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。(1)は登り、(2)は下りの風景。
金刀比羅宮
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。
長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。