投稿者「misakimichi」のアーカイブ

王至森寺のキンモクセイ  愛媛県西条市飯岡   

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王至森寺のキンモクセイ  愛媛県西条市飯岡

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 王至森寺のキンモクセイ
ふりがな: おしもりじのきんもくせい
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1927.04.08(昭和2.04.08)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 西条市飯岡
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第六輯 七頁 參照 天然紀念物解説 二〇四頁 金木犀 Osmumthus fragrans Lour. Var. aurantiacus Mak. ノ巨樹ニシテ、幹ハ地上四尺ノ高サニ於テ四本ノ主幹ニ分ル、根元ノ周圍一丈主幹ノ基部ノ周圍五尺、高サ四十尺ナリ

(愛媛県解説)
キンモクセイは中国原産のモクセイ科常緑広葉樹で、日本にあるものはすべて雄株で結実しない。
このキンモクセイは、根回り約4m、樹高約16mとされるが、近年の大風や虫害で頂上部は折損した。根元付近は空洞化しているが、3本の分岐幹でその偉容を保持している。
秋には黄花を咲かせ、近在一円に芳香を放っている。上部折損後の手当等が功を奏し、樹勢が戻り青々と葉を茂らせている。
この木の来歴については明らかでないが、キンモクセイとしてはわが国有数の巨樹老木である。
平成13年には、環境省の『かおり風景百選』に認定された。

天満神社のクスノキ  愛媛県西条市坂元

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天満神社のクスノキ  愛媛県西条市坂元

愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。ミミヅクの幼鳥が5〜6羽いた。(4枚目写真右)

区分・種別  県指定天然記念物
名    称  天満神社のクスノキ
所 在 地  西条市坂元
所 有 者  天満神社
指定年月日  昭和31年11月5日
解    説
クスノキは暖地を好む常緑高木で、関東以南の海岸近くに多く、我が国の樹木中最大のものである。
天満神社は少し高台の農村地帯にあり自然環境は良好である。1本のクスノキであるが、境内全域を覆っている。根回り17m、目通り9.7m、樹高は25m、枝張りが東西35m、南北49mもあり、今なお樹勢は盛んである。
全体の容姿は整然としており、この樹種としては県下を代表する大木である。

大山祇神社のクスノキ群  愛媛県今治市大三島町

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大山祇神社のクスノキ群  愛媛県今治市大三島町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。
写真  1〜  3   小干命御手植楠 (境内の中央 拝殿神門前)
写真  4〜  6   能因法師雨乞楠 (境内の左  社務所側)
写真  7        河野通有兜掛楠 (境内の右  宝物館側)
写真  8〜 11   生樹の御門 第三号樹?(境内外の道を奥の院へ進む 案内板有)

名称: 大山祇神社のクスノキ群
ふりがな: おおやまずみじんじゃのくすのきぐん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市大三島町
解説文:
目通り1メートル以上のもの三十八本、1メートル以下のもの数百本群生しておりその最大のものは拜殿の正中に立ち根回り20メートル、目通り11メートル、高さ15.60メートル、神木として傳えられている。次いで著しいものは第三号樹は本殿裏の林地に立つ巨樹で高さ48メートル、根回り70メートル、目通り8メートルで円形にひろがる。根株がことに美しく樹勢きわめて旺勢である。その他巨樹に属するも■?

(愛媛県解説)
大山祇神社の境内の全域にわたって林立するクスノキ群であり、かつて大三島全島を覆っていたといわれるクスノキ群の名残をとどめるものとしてきわめて貴重なものである。
目通り1m以上のクスノキが30本あまり、その他多数の小樹が群生している。最大のものは拝殿前の神木とされる小干命御手植のクスで、根回り20m、目通り11mもあり、樹高は20mにも達し、樹齢1,100年と言われている。これにつぐものは本殿裏の林地にあるもので、樹高48m、目通り8mであり、円形に広がる根株がことに美しい。
クスノキ群の中には河野通有兜掛楠、小干命御手植楠、能因法師雨乞楠と呼ばれる古木もあり、これらクスノキ群がアラカシ、クロガネモチ等の巨木と混生し一大社叢を形成している。

大三島  愛媛県今治市大三島

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大三島  愛媛県今治市大三島町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 大三島
ふりがな: おおみしま
種別1: 名勝
指定年月日: 1942.09.19(昭和17.09.19)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼,十.山岳、丘陵、高原、平原、河川
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市大三島町
解説文:
瀬戸内海中島嶼ノ最モ多ク密集セル藝豫海峽ノ中央ニ位シ島中ノ最モ高峯タル鷲頭山上ノ眺望ハ甚ダ佳ナリ 山上ニハ奇巖峙チ松樹ノ翠黛亦觀ルヘキモノアリ山下ニハ國幣大社大山祇神社ノ蔚葱タル神林アリ景勝ト懷古ト相待テ一層致趣ヲ深カラシム

(愛媛県解説)
芸予諸島の一つの島である大三島は、瀬戸内海では4番目に大きい島である。島のほぼ中央にそびえる標高436mの鷲ヶ頭山は近島第一の高さであり、全山花崗岩でおおわれている。頂上からの眺望はすばらしく、瀬戸内海国立公園の一部を構成している。眼下に浮かぶ瀬戸の島々はもちろん、燧灘をこえて望まれる石鎚山・瓶ヶ森などの石鎚連峰のほか、中国山地も見わたすことができる。
鷲ヶ頭山の麓にある安神山は奇岩・断崖の峻険な地が多く、また足下に広がる台湖は県下唯一の離島ダムで、同島の景観を雄大にしている。

波止浜  愛媛県今治市波止浜・波方町

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波止浜  愛媛県今治市波止浜・波方町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 波止浜
ふりがな: はしはま
種別1: 名勝
指定年月日: 1938.05.30(昭和13.05.30)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市波止浜・波方町
解説文:
伊豫高繩半島ノ北端ト大島トノ間ニ介マレル來島海峽ハ大瀬戸來島ノ兩瀬ヨリ成リ渦巻ノ壯觀鳴門ニ似タルモノアリ兩瀬戸ノ中ニ來島、小島等大小幾多ノ島嶼相接シテ横ハリ帆影其ノ間ヲ去來シテ瀬戸内海中ノ一勝區ヲ成ス就中波止濱公園ハ展望美ノ中心ヲナシ遠山、近水、監濱、漁汀ト相呼應シテ恰モ一幅ノ畫圖ヲ見ルガ如シ

(愛媛県解説)
今治市の波止浜公園、遠浅で奥深い入江を持つは筥潟湾及びその沖に浮かぶ来島、小島よりなる景勝地である。
高縄半島の北東端部と大島との間にはさまれた来島海峡は、大瀬戸、来島瀬戸よりなっており、海峡の急激な潮流は渦潮を作り壮観である。両瀬戸の中には大小の島や岩礁等が相接しており、その間を数多くの船舶が絶えず航行している。
来島は慶長6(1601)年まで来島村上氏の居城で全島が城塞であった。岩礁には現在もなお柱穴などの遺構が見られる。
小島には明治33(1900)年に内海防衛の目的で築かれた芸予要塞小島砲台跡が現在も残っている。

神明橋  愛媛県今治市波止浜2丁目

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神明橋  愛媛県今治市波止浜2丁目

今治市に残るアーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。

№3,938   神明橋   2009.01.03

今治市波止浜2丁目 竜神社 (移設)
径間:3.0m  環厚:33cm(要石45cm)  明治42(1909 )年
神明橋碑文
「抑く吾が神明橋は明治三十三年石工藤原清八郎が精魂籠めて作り上げた実に頑丈無類の立派な橋であったが道路拡張整備といふ時代の要求に抗し得ず、可惜撤去せざるを得ざる羽目と相成ったとは云へ此のメガネ橋こそ吾が全町民の愛着遣る方なき橋、せめてその原形だけでも永久に遺したいと云う切なる願黙し難く昭和五十六年十二月此の神域に復元したものである
協賛
宮司 別府寿昭  
世話人 松本磯一  藤原歓一  掛川武雄  矢野武  他世話人一同
石工 福原亀次郎
昭和五十六年十二月吉日」

この神社にあるのかどうかも分からず、とりあえず南側に車をとめ、本殿裏まで探し、念のため階段を下ると、神社の北側にありました
ようやく辿り着いた神明橋
階段が取り付けてあります
反対側の親柱 碑文の年号と違います

志島ヶ原  愛媛県今治市桜井

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志島ヶ原  愛媛県今治市桜井

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 志島ヶ原
ふりがな: ししまがはら
種別1: 名勝
指定年月日: 1941.02.21(昭和16.02.21)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市桜井
解説文:
菅原道眞公ヲ祀レル綱敷天滿宮ヲ中心トシテ其ノ周圍ニ青松繁茂シ松原ノ前面ニハ比岐島、平市島、四阪島等ノ大小島嶼青螺ノ如ク海上ニ浮ブノ近景アリ背後ニハ唐子山、靈仙山等ノ翠丘ヲ中景トシテ古來瀬戸内海地方信仰ノ中心タル石槌神山ノ連峰高ク中空ニ聳エテ雄大ナル遠景ヲ造レルアリ一地區ヲ以テ近中遠ノ三景ヲ包括セル山海雙美ノ一大景勝ヲ成セリ

(愛媛県解説)
今治市の南部、燧灘を臨む海岸にある志島ヶ原は、白砂青松の景勝地である。面積10haあまりには老松約3,000本がおい茂っている。
前面に瀬戸の海、近くには比岐島・小比岐島・平市島、遠くには四阪島を望み、背後には唐子山・霊仙山・世田山等の古跡を背負い、遠くに雄大にそびえる石鎚連峰を望むことができる。北は唐子浜、南は桜井の石風呂海岸へ続き、変化の多い松原である。
志島ヶ原にある綱敷天満宮の名は、菅原道真が九州大宰府に流される途中、この地に立ち寄った際、里人が船のとも綱を敷いて迎えたという伝説による。また東端に道真がぬれた衣を干したといわれる衣干岩などもある。海岸には幕末の安政2年(1855)に黒船来襲に備えて土を塁状に盛った台場跡が見られる。

北吉井のビャクシン  愛媛県東温市樋口

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北吉井のビャクシン  愛媛県東温市樋口

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 北吉井のビャクシン
ふりがな: きたよしいのびゃくしん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1948.12.18(昭和23.12.18)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 東温市樋口
解説文:なし

(愛媛県解説)
本来は、圓通寺(廃寺)の境内地内であった場所にある老巨木である。根回りは7m、2つに分幹しており、各々の目通りは約4mである。樹高は約20mもあり、枝張りは両幹を合わせると径12mに及ぶ。
枝葉が繁茂し樹勢は盛んでイブキの巨木として、四国中央市の下柏の大柏(イブキ)に次ぎ、ともに本県の誇る巨木の一つである。
樹齢は730年くらいとされている。

湯築城跡  愛媛県松山市道後公園

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湯築城跡  愛媛県松山市道後公園

国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。愛媛県の文化財解説は省略。

名称: 湯築城跡
ふりがな: ゆづきじょうあと
種別1: 史跡
指定年月日: 2002.09.20(平成14.09.20)
指定基準: 二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 松山市道後公園
解説文:
湯築城跡は,松山市街地の東部,古くからの温泉地として知られる道後温泉の入口に位置し,石手川右岸の扇状地に北からのびる高縄山系の丘陵南端が突出する場所にある河野氏の城跡である。
湯築城跡は,南北350m,東西295mの長い隅丸の亀甲形をなし,中央の比高差31mの丘陵部を中心とし,内側に土塁を伴う堀を二重に築いた平山城である。
河野氏は,伊予国越智郡を本拠とする在地の豪族であったとされ,古代末期には武士化して,中予・東予の実権を握っていったものと考えられる。平安時代末の通清の時代には,風早郡河野郷に本拠を移した。源平の戦いで活躍し,鎌倉期には御家人となり,家臣団を構成するようになる。なお,一族には,時宗開祖の一遍もいる。河野氏は,その後元寇の時に水軍を率いて活躍し,伊予国における地位を確固としたものとしていった。足利尊氏の挙兵に対しては,足利方に味方し,この頃に温泉郡湯築城を築城したものと伝えられる。室町期には,河野氏は伊予国守護職に任ぜられ,応永の乱や嘉吉の乱,応仁の乱などで活躍したが,一方で讃岐の細川氏の国内への侵攻や,河野氏内部の惣領家と分家である予州家との対立があり,戦国期には家臣団の内訌や在地勢力の反抗などで力を落とし,天正13年(1585)の豊臣秀吉の四国攻めによる小早川隆景らの攻撃で滅亡することになる。その後湯築城は,廃城となった。江戸期には,松山藩が城跡を管理し,年数回の祭礼の時のみ開放されたとされ,遺構はそのまま残された。
明治期に入り,当地は明治19年(1886)に道後植物園となり,21年(1888)には県立道後公園として活用され,域内に遊園地・県立道後動物園・松山市子規記念博物館などの施設が配置された。昭和62年(1987)の動物園の移転に伴う,跡地利用のための発掘調査により,湯築城跡の遺構が良好に保存されていることが確認された。
調査は,動物園地区を中心に昭和63年度から平成11年度まで実施され,湯築城が拡張・整備されたとする16世紀前半以降の4時期にわたる遺構面が確認された。また,城跡南東側には庭園を持つ屋敷群,南西側には家臣団のものと想定される8区画の屋敷跡,その屋敷群と丘陵地区とを画する内堀などが検出された。出土品としては,青磁や青花の盤・大皿・鉢などの輸入陶磁器が多量に出土している。その他,城跡内の確認調査によって,丘陵部の頂部の郭と北側の郭を画する堀切,丘陵各所に所在する小郭群の礎石建物,鍛冶遺構,土器投棄土抗,丘陵と屋敷群を画する内堀とそれに伴う土塁,搦手門の遺構などが検出され,江戸期に描かれたと想定される『湯築古城図』の配置と良く合っていることが確認された。
このように,発掘調査により,守護大名として伊予国に君臨した河野氏の城館である湯築城跡の内容が確認され,現状で残っている外堀・外堀土塁や丘陵部以外の遺構も保存状態が良好であることが確認された。湯築城跡は,戦国時代における伊予国の歴史を考える上で重要な城館跡であり,史跡に指定し,保護を図ろうとするものである。

道後温泉本館   愛媛県松山市道後湯之町

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道後温泉本館   愛媛県松山市道後湯之町

国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。愛媛県の文化財解説は省略。

名称: 道後温泉本館
ふりがな: どうごおんせん
棟名: 玄関棟
ふりがな: げんかんとう
員数: 1棟
種別: 近代/商業・業務
時代: 大正
年代: 大正13
西暦: 1924
構造及び形式等: 木造、建築面積15.56m2、本瓦及び銅板葺、南面玄関附属、東面南棟に接続
指定番号: 02314
国宝・重文区分: 重要文化財
重文指定年月日: 1994.12.27(平成6.12.27)
重文指定基準1: (一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2: (三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県: 愛媛県
所在地: 愛媛県松山市道後湯之町5番6号
所有者名: 松山市
解説文:
明治27年竣工の神の湯本館、明治32年竣工の皇族入浴用棟である又新殿・霊の湯棟、大正13年竣工の南棟及び玄関棟よりなる。
神の湯本館は桟瓦及び銅板葺の木造三階建で、入母屋造の大屋根に宝形造の塔屋を設ける。又新殿・霊の湯棟は、銅板及び檜皮葺の木造二階建一部三階建で、正面に御成門を配す。
本館全体は複雑な屋根構成をもち、和風を基調とした大規模複合建築であり、坂本又八郎の設計によるわが国の代表的温泉建築である。