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御崎浦鯨組納屋場跡にある桁石橋  平戸市生月町御崎

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御崎浦鯨組納屋場跡にある桁石橋  平戸市生月町御崎

平戸市の生月島に渡り、島の北端「大バエ灯台」へ行く途中の県道42号線の道脇で見かけた桁石橋。
場所は今、御崎漁港として整備されている生月町指定史跡「御崎浦鯨組納屋場跡」碑の近く。
当時の海岸線はまだ陸寄りと思われ、鯨の解体場や納屋は今の県道敷きの部分にあったのではないだろうか。石祠が近くに2つあり、生月新四国霊場札所と地蔵2体の石祠。 

この浦の中央に田んぼから小川が流れ、すこし広いと思われる畦道らしいものの下を覗くと立派な桁石橋であった。すぐ下流も貯め口らしい複雑な造りをし、現在の県道新橋が架かっている。
町が設置した納屋跡碑の説明板は次のとおり(□は草と重なって写り、わからない字)。

生月町指定史跡  御崎浦鯨組納屋場跡  昭和46年3月29日指定

享保14年(1729)益富又左衛門正勝が、この地に、舘浦で営んでいた鯨組を移した。
この一帯を石垣で囲い、網納屋、鍛冶網大工□等の納屋、赤身納屋、東蔵尾羽毛蔵、苧蔵、塩蔵大納屋、道具納屋、油壺場、小納屋、□□□□□納屋、勘定納屋、大工納屋、米倉、新筋蔵、艪納屋、油貯小倉、油貯六間倉、荒物貯八間倉等各一宇、筋納屋二宇、羽差納屋一宇、加子納屋三十宇、□轤八箇等があり、海岸に鯨の解体場、船曳揚げ場があり、当時の大工場であり、日本最大規模の捕鯨基地でもあった。享保十八年に鯨の□□□を導入してからは、少し離れた古賀□□□□□網干し場を設けている。
天明8年(1788)絵師、司馬江漢は生月の益富家に1カ月滞在し、この間この地を訪れて捕鯨その他をスケッチしている。又、明治24年には、幸田露伴が、この地や羽差をモデルとして、小説「いさなとり」を発表した。
捕鯨不振により文久元年(1861)基地は閉じられた。
平成3年3月25日設置  生月町教育委員会

説明板のとおり、ここは史実がはっきりした当時最先端の捕鯨解体場である。HPを見た限り、この桁石橋は全く顧みられていない。
鯨の解体・保存・加工には真水も必要であろう。なによりも多くの職人の生活があった。近隣からの通勤道もあったろうし、出荷の運搬道も必要である。
この川と水場、道と桁石橋、石垣、石祠などは、地元で当時の解体場の様子を描いた図絵と詳しく照らし合わせ、史跡としての価値を一度考えていいのではないだろうか。

御崎浦にあった御崎捕鯨納屋場のジオラマは、「生月町博物館 島の館」に展示物としてある(HP「写真満載九州観光」に写真あり)。これは掲げられないので、代わりにHP「鯨の郷土誌 – 生月町」から最後の写真とおりの捕鯨図説『勇魚取絵詞』を 。
江戸時代後期、生月島御崎浦を拠点にした益冨組の捕鯨を描いた木版の図説。中の「生月御崎納屋場背美鯨漕寄図」である。これが最も参考となりそうだ。

大バエ灯台  平戸市生月町御崎

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大バエ灯台  平戸市生月町御崎

平戸市役所から県道19号線により生月大橋を渡って生月島へ入る。「大バエ灯台」(大碆鼻)は生月島の最北部にあり、灯台が展望所となっている。
生月大橋を渡ってから、島の東回り県道42号線や西回り農免道路のどちらかでも行かれ、一周道路の合流点から大バエの先端部へ行くため御崎集落に入る。大橋から車では約30分のところである。
平戸市HP「平戸まるごと観光ガイド みどころ」による説明は次のとおり。
後の写真は、途中にある御崎野営場(キャンプ場)。

大バエ灯台

生月島の最北端に位置し、80m程切り立つ大バエ断崖の上にたつ白亜の無人灯台。
この灯台には全国でも珍しい展望所が設置されており、海と空が溶け合う雄大さで素晴らしい景観が眺望できる。
また、岬の陸部分にはなだらかな草原になっており「はまゆう」の群生地がある。

塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

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塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

平戸市役所から県道19号線により生月大橋を渡って生月島へ入る。「塩俵断崖の柱状節理」は生月島の北部にあり、東シナ海を向いた西海岸側にある。
島内は一周道路が整備され、生月大橋を渡ってから、島の東回り県道42号線や西周り農免道路のどちらかでも行かれ、車では約20分のところである。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

生月町塩俵断崖の柱状節理  県指定天然記念物

指定年月日 平成元年9月29日  所在地 北松浦郡生月町壱部免1560外
管理責任者 生月町
生月島は平戸島の北西部に隣接し、南北約10km、東西は最大幅をもつ南端で3.8kmの細長い島である。東側はゆるやかな傾斜地になっているが、西海岸は切り立った海食崖が連続し、玄武岩の溶岩流の重なりが露出している。溶岩流の厚い部分では、冷却の際に生じた顕著な柱状節理が発達する場合が多い。

島の北西部の塩俵海岸に露出する玄武岩の柱状節理はその代表的なもので、規模はもとより、景観的にきわめてすぐれている。柱状節理が発達する玄武岩溶岩流は南北に500m続き、20m以上の厚みをもつ。玄武岩の柱はほぼ垂直であり、さらに水平に亀裂が入って板状節理もつくる。柱の太さは60〜120cmもあり、断面は五〜六角形をしめす。塩俵断崖の南端の展望所から波打ち際を見下ろすと、この柱状節理の蜂の巣状の多角形の断面もまじかに観察することができる。

中の浦のソテツ群落  平戸市大久保町

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中の浦のソテツ群落  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進むと、平戸海上ホテル「観月館」前から登りにかかり、崎方公園方面の分岐があり、なお行くと丘を越した高台に市営住宅などのある中の浦の住宅地へ出る。
「中の浦公民館」の次が「中の浦」バス停である。

ソテツ群落があるところには、このバス停前にある「観月館」送迎バス駐車広場角から右折し、海岸の方へコンクリート舗装道を約100mほど下って行く。
道の終わりに長嶺宅が1軒あり、少し手前の平戸海峡と浜を望む広い斜面地一帯が「中の浦の蘇鉄群落」となっている。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸市中の浦の蘇鉄群落  県指定天然記念物

指定年月日 昭和27年5月13日  所在地 平戸市大久保町字中の浦
管理責任者 平戸市
中の浦は平戸島北部の平戸瀬戸に臨んだ海岸にあり、土地ではソテツが浦と呼んでいる。ここは松浦藩の家老熊沢大善の屋敷跡で、明治15年頃、長嶺氏のものとなった。
現在、長嶺氏の住宅を中心に北西500mにわたり、海岸から丘陵地にかけて大小60株ばかりのソテツが見られる。そのうち長嶺家付近の20株は植えたものと思われるが、丘陵地のものは野生状態である。

平戸古館のビロウ自生地  平戸市大久保町

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平戸古館のビロウ自生地  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進むと、平戸海上ホテル「観月館」手前の左手山側に石垣を高く築いた大きな邸宅がある。
平戸古館のビロウ自生地は、この邸宅(本澤宅か)の庭奥の山の斜面地にある。

県道から眺めても、ビロウの高木が数本わかる。邸宅の裏門が県道を少し登ったところにあり、ここからも眺められる。
邸宅の角にはイチョウも大きく石垣から枝を広げ、幹囲はかなりある大木であった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
平戸海峡を挟んだ対面となる本土側の田平町「平戸口(熊野神社境内)のビロウ自生地」は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/975

平戸古館(ふるたち)のビロウ自生地  県指定天然記念物

指定年月日 昭和31年4月6日  所在地 平戸市大久保町  管理責任者 平戸市
平戸大橋に程近い、古館の民有林の中に、大小50本ばかりのビロウが自生している。中には高さ10mの高木もあり、よく繁茂している。
樹下には、アオノクマタケラン・ハナミョウガ・ムサシアブミなどの大形で常緑の草木も自生している。

雄香寺開山堂  平戸市大久保町

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雄香寺開山堂  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進み、平戸海上ホテル「観月館」の上まで来ると、崎方公園方面などの交差点があり、反対の右の道へ入ると雄香寺駐車場へ着く。参道は海岸側からある。

山門をくぐり右へ折れると、朱色の艶やかな開山堂がある。寺名にもなっている5代松浦棟公(雄香院殿)の廟。県指定有形文化財となっている均整のとれた美しい建物である。
開山堂裏手の土塀に囲まれた一画が、その他の藩主墓所となっている(以上は、画像ともHP「minka world 大名墓」から)。
開山堂の内部は10月3日に開けられ見学できるらしい。最後は境内で見かけたシイの大木。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

雄香寺開山寺  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和62年3月3日 所在地 平戸市大久保町字菅牟田又2169番地
所有者 雄香寺
雄香寺は、「俊林山雄香寺御建立書」によれば、元禄8年(1695)松浦家雄香公、棟(たかし)が大島の古寺「江月庵」をここに移して、開いた寺院で、この開山堂も同じく元禄8年に創建された。
建物は禅宗仏堂の様式に則し、入母屋造妻入、総丹塗とした江戸時代中期を代表する寺院建築物である。

平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

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平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

平戸市役所から田の浦への県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。ターミナルビル前の県道をそのまま進み、海岸の突端手前に石垣に囲まれた平戸和蘭商館跡がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸和蘭商館跡  史跡(国指定)

指定年月日 大正11年10月12日 所在地 平戸市崎方町・大久保町 管理団体 平戸市
慶長14年(1609)和蘭船2隻が入港し、寛永18年(1641)長崎出島に移転するまで約33年間、平戸はわが国唯一のオランダ貿易港であった。商館は慶長16年(1611)崎方町の町屋22軒をこわして住宅倉庫を建て、元和2年(1616)に防波堤ができ、元和4年(1618)にはさらに付近の民家50戸を取払い増築工事を行った。
オランダ塀もこのとき築造されたものである。オランダ塀のほか、オランダ井戸、棹頭、倉庫の壁、防波堤、海岸の石垣などが残っている。

的山大島の風景  平戸市大島村

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的山大島の風景  平戸市大島村

平成20年7月15、16日、平戸市大島村へ行く。大島(正確には「的山(あづち)大島」)は長崎県の西北端。平戸港の北に浮かぶ。市営フェリーが毎日4便就航。所要時間40分。片道640円。
平戸出港、平戸海峡と海路、大島の神浦港入港、同的山港、馬の頭鼻と灯台、曲り鼻、漁火館、神浦出港、島を後になどの風景。

大賀断崖・大賀キャンプ場  平戸市大島村西宇戸

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大賀断崖・大賀キャンプ場  平戸市大島村西宇戸

平戸港から北に浮かぶ大島へ市営フェリーで渡る。町の中心地神浦港で降り、島内の最東端大賀鼻へ向う。約10分で西宇戸にある大賀断崖と大賀キャンプ場に着く。
平戸ガイドマップの的山大島による説明は次のとおり。

大賀断崖
大島の最東端に位置する断崖で、ノコギリの歯のように連なる断崖に圧倒されます。草原にキャンプ場もあります。

大賀キャンプ場
通年型のキャンプ場として人気のキャンプ場です。施設は新しく、シャワー室も完備しています。展望台からは大賀断崖を望むことができます。