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中筋公園のアコウ  南松浦郡新上五島町有川郷

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中筋公園のアコウ  南松浦郡新上五島町有川郷

上五島で大きいアコウは、国指定天然記念物「奈良尾神社のアコウ」に次いで、これだろうと聞いて訪ねた。中筋神社は、有川の中心通り街中の新上五島町有川支所近くにある。

中筋公園は、有川神社に合祀された祖母君神社跡地に造られた公園。拝殿があった上段右のところにアコウの巨樹が迎えてくれる。
現在の有川神社は、有川港ターミナルから上五島空港に向かう市街地を抜ける前に右手にある。有川町内の天神、八幡、祖母君の各神社が統合され、天満神社の地に合祀されたのが昭和61年11月。
現在の有川町の中心的な神社である。鳥居や灯篭、石碑などは各神社から集められた。くじらの鳥居で有名な海童神社もここに合祀されている。
(後段はHP「新上五島町に石橋を尋ねて」から)

稗ノ口のツバキ  南松浦郡新上五島町青方郷

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稗ノ口のツバキ  南松浦郡新上五島町青方郷

五島列島はツバキの島である。これは幹回りの大きさから上五島第一という大ツバキ。若松港ターミナルの観光案内所で聞くと、わざわざ「上五島やぶ椿会」岩永会長へ連絡を取ってくれた。青方バスセンター前公園で落ち合い、現地へ案内してもらった。

青方中心通りの青方郵便局前交差点から奈摩・青砂ヶ浦教会方面への県道170号線へ入る。まもなく左に上五島中学校があり、手前に「観音岳公園入口」の案内標識がある。左折してこの道へ入り、しばらくして右手小さな谷間へ上る山道がある。
大ツバキはこの道奥にすぐ2本がある。個人持ち山の道脇斜面地。

新上五島町及び上五島やぶ椿会作成「新上五島町管内椿及び巨木調査」資料による説明は次のとおり。
番 号  ⑯     種 類  椿       胸高直径  0.68(2.16m)
位 置  上五島 青方 稗ノ口
概 要  五島一の椿。近くにもう1本あり、0.58(1.85m)。要ツル切り。

月ノ浦のツバキ  南松浦郡新上五島町榊ノ浦郷

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月ノ浦のツバキ  南松浦郡新上五島町榊ノ浦郷

五島列島はツバキの島である。これは大きさ・樹形等総合点から上五島一とされる大ツバキ。本年春に存在がわかり新聞に載り、私は前に上五島へ行った時、高仏の大タブ前の小島鉄工所主から話と、日島とは湾を挟んだ対面となる月ノ浦にあると場所は聞いていた。

若松港ターミナルから山手の若松トンネルを越し、若松中央小学校前に出、右折して海岸沿いの市道を榊ノ浦方面へ進む。榊ノ浦の先は海岸沿いから山手高台を越すようになり、下ると月ノ浦の集落となる。
大ツギキは下りかけた最初の民家、左方の山田政夫宅の下道側に立つ。主の話ではツルに覆われていたが、平成元年伐り払い樹勢が戻った。実は多く早くつけるが、老木のため落ちる実が多いと言う。
後の2枚は大タブ。山田宅の周りに数本あった。

新上五島町及び上五島やぶ椿会作成「新上五島町管内椿及び巨木調査」資料による説明は次のとおり。
番 号  ⑤     種 類  椿       胸高直径 0.59(1.86m)
位 置  若松 月ノ浦 山田政夫宅前
概 要  大きさ・樹形等総合点で五島一

源寿院のイチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

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源寿院のイチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。

日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類(県指定史跡)はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。この半島や島は今でも九州鹿の生息域。県道を悠然と横切る。
島の奥へ海岸沿いの道を進むと日島漁港と集落がある。源寿院のイチョウがすぐ見える。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の街路樹による説明は次のとおり。

源寿院のイチョウ  

若松大橋を渡って、先端の日島を渡るとすぐ右手に小さな半島があり、その海岸沿いには ハマジンチョウがある。源寿院には イチョウの巨木がある。幹周りおよそ6m。
源寿院の十一面観音菩薩立像は、33年毎に開帳される秘仏と云う。民家近くには九州鹿がいた。

日島曲崎海岸のハマジンチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

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日島曲崎海岸ののハマジンチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。

日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類(県指定史跡)はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。この半島や島は今でも九州鹿の生息域。県道を悠然と横切る。
ハマジンチョウは、この史跡のすぐ側で、海水浴場裏手の海岸に見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の街路樹による説明は次のとおり。

日島曲崎海岸のハマジンチョウ

半島にはハマジンチョウが広がっていたが、訪れたのは秋。残念ながら花期は春。半島の多くは、ハマビワが占有しているが、モクタチバナも点在していた。モクタチバナは、まだ花を付けていた。
半島には、お墓のような石塔が多くある。「日島曲古墳群」と云われていて、南北朝から室町時代後期の宝篋印塔や五輪塔などがある。弥生から古墳時代の土器片も発見されていて、長期に亘って海上ルートを支配できた豪族がいたことを示す貴重な古墳群と云う。
周辺は公園になっていたが、動物の糞があちこちに見られた。ひょっとして、シカの糞? 五島列島には日本鹿の一種のキュウシュウシカ(九州鹿)がいる。

日島の石塔群  南松浦郡新上五島町日島郷ほか

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日島の石塔群  南松浦郡新上五島町日島郷ほか

奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。

日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。
宝篋印塔があるところは、島の先へさらに進み日島漁港の最奥、釜崎地区の丘の上である。印塔の基礎部等はほとんど復元されたものが置かれてあり、紀年銘はわからなかった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。 

日島の石塔群  県指定史跡

指定年月日 平成12年2月22日  所在地 南松浦郡若松町日島郷字曲12番地及び字釜崎281番地  管理責任者 若松町
若松島の北西に位置する日島・曲地区の、海に向かって延びる礫丘部分全域にわたって、中世以来の石塔類が約70基分林立している。
また、曲地区から1km程離れた同じ日島の釜崎地区の丘の上に、紀年銘を刻んだ高さ約2mの大型の宝篋印塔が1基、海を見下ろすように存在し、基礎の左側に正平22年(南朝暦・1367年)の銘が刻まれている。
曲地区の主な石塔や釜崎地区の宝篋印塔は、その石材や高度な彫出技術等から、石造文化が進んだ関西・北陸地方で1300年代から1400年代にかけて製作され、日本海ルートで日島へ搬入されたと推測される。
現在の一離島に、全国的に見ても大規模な石塔類が集中していることは、当時、日島が重要な貿易拠点であり裕福であったことや活発な海上交易が行われていたことを示し、学術的にも非常に価値が高い。指定面積は1990.15㎡。

矢堅崎の奇岩  南松浦郡新上五島町網上郷

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矢堅崎の奇岩  南松浦郡新上五島町網上郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。湾沿いに県道を進み、「青砂ヶ浦教会」を過ぎ曽根の集落から白草峠まで上ると、県道下の断崖が「新魚目曽根火山赤ダキ断崖」である。

ここまでの県道途中、奈摩湾の反対側先に常に見える円錐形の奇岩島。渡ることはできないが、手前の網上郷突端に「矢堅目公園」がある。奇岩は奈摩から公園へ行って近くで見られるようだ。
後の2枚は、青方から小値賀へ渡ったフェリー太古の船上から写す。
新上五島町観光物産協会HP「まるごと体験!新上五島」による説明は次のとおり。

矢堅目公園

波の造形、円錐形の奇岩と複雑に入り組んだ海岸。鬼ユリの群生と自然のままの磯。潮風を感じる散策スポットです。
有川港から車で30分。

新魚目曽根火山赤ダキ断崖  南松浦郡新上五島町曽根郷

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新魚目曽根火山赤ダキ断崖  南松浦郡新上五島町曽根郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。湾沿いに県道を進み、青砂ヶ浦教会を過ぎ曽根の集落から白草峠まで上ると、この県道下の断崖が「新魚目曽根火山赤ダキ断崖」である。

海岸には灯台の格好をした新魚目町「海のふるさと館」と漁港があり、下の海岸まで降りると赤ダキ断崖の全容が眺められる。
国指定重要天然記念物。長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

新魚目曽根火山赤ダキ断崖  国指定天然記念物

指定年月日 昭和53年3月31日  所在地 南松浦郡新魚目町曽根郷
所有者 新魚目町
曽根火山は、番岳(標高442m)と小番岳(標高322m)との間の鞍部に噴出した玄武岩質の噴石丘であり、火山地形でいう臼状火山(ホマーテ)に属し、火口は北西に開いている。最高点は海抜143mであり、噴出時には直径およそ1kmの基底面をもっていたものと推定されるが、南側は海食により著しく削られて「赤ダキ断崖」となり、よく成層した火山砕屑物の見事な断面をあらわしている。
火山砕屑物は、上下2層に識別される。下部層は、玄武岩の岩片や黒色の岩滓を含む黄〜黄灰色の凝灰岩で、よく固結している。上部層は、地表にも広く分布する赤色の岩滓層で、多量の火山弾を含み、固結度は下部層に比べ低い。成層面は、断崖に向かって右手(東側)は東へ約15°傾斜し、左手(西側)は西へ10〜20°傾斜する。中央部の水平に見える部分は手前へ20°傾いている。

青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

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青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。なお湾沿いに県道を行くと湾東部の右方高台に青砂ヶ浦教会がある。
国指定重要文化財。長崎県HP「長崎県の文化財」に掲載がもれているので、現地説明板から。
青砂ヶ浦天主堂  国指定重要文化財(平成13年11月14日)

青砂ヶ浦天主堂は、奈摩(なま)湾の中腹を見下ろすように正面を西に向けて建っている。設計施工は長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与助(てつかわよすけ)による。明治43年(1910年)8月に竣工し、同年10月献堂式が行われた。
煉瓦造の重層屋根構造である。重層の断面形式をそのままに現す正面は、煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇(ばら)窓や縦長アーチ窓によって飾られ、正面入口には台座と植物模様の柱頭飾(ちゅうとうしょく)を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ。内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰(しっくい)仕上げ4分割リブ・ヴォールト(コウモリ)天井、アーチは全てポインテッドアーチで造られている。
外観、内部とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れている。日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造にもとづく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった。

丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

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丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

新上五島町青方と有川の間、浦桑交差点から県道32号線により新魚目町へ入る。新上五島町新魚目支所前を過ぎて、津和崎への県道をしばらく進むと左方の高台に丸尾教会がある。
現地教会の碑「丸尾教会の歩み」による説明は次のとおり。

丸尾教会の歩み

上五島の信徒は西暦1800年頃大村領外海から移住した。
1899年頃まで丸尾には通称「家御堂」と呼ばれる信徒集会所があり礼拝堂をかねていた。その当時の戸数は約20戸だった。後日、青砂ヶ浦小教区主任大崎八重師の時代に丸尾の丘に白い教会が建設され正式の巡礼教会として歩み始める。
現在の教会は1972年9月22日に里脇大師教閣下によって祝別され、王たるキリストに貢献された。1975年2月には小教区として独立し今日に至る。現在の信徒数は約540名。