日島の石塔群 南松浦郡新上五島町日島郷ほか
奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。
日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。
宝篋印塔があるところは、島の先へさらに進み日島漁港の最奥、釜崎地区の丘の上である。印塔の基礎部等はほとんど復元されたものが置かれてあり、紀年銘はわからなかった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
日島の石塔群 県指定史跡
指定年月日 平成12年2月22日 所在地 南松浦郡若松町日島郷字曲12番地及び字釜崎281番地 管理責任者 若松町
若松島の北西に位置する日島・曲地区の、海に向かって延びる礫丘部分全域にわたって、中世以来の石塔類が約70基分林立している。
また、曲地区から1km程離れた同じ日島の釜崎地区の丘の上に、紀年銘を刻んだ高さ約2mの大型の宝篋印塔が1基、海を見下ろすように存在し、基礎の左側に正平22年(南朝暦・1367年)の銘が刻まれている。
曲地区の主な石塔や釜崎地区の宝篋印塔は、その石材や高度な彫出技術等から、石造文化が進んだ関西・北陸地方で1300年代から1400年代にかけて製作され、日本海ルートで日島へ搬入されたと推測される。
現在の一離島に、全国的に見ても大規模な石塔類が集中していることは、当時、日島が重要な貿易拠点であり裕福であったことや活発な海上交易が行われていたことを示し、学術的にも非常に価値が高い。指定面積は1990.15㎡。