月別アーカイブ: 2016年11月

大博通りの「おポンプ様」と「金印」  福岡市博多区店屋町ほか ( 福岡県 )

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大博通りの「おポンプ様」と「金印」  福岡市博多区店屋町ほか

博多「大博通り」歴史の散歩道を、蔵本から博多駅まで歩いていて見かけた「おポンプ様」と「金印」。店屋町三井ビル前「おポンプ様」の現地説明板は、次のとおり。
有名な後漢書に出てくる奴の国王の「金印」。志賀島で発見された金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の福岡市博物館に展示してある大きなモニュメントは、博多駅寄りの歩道反対側にあった。
大博通りには、また13世紀の船の「錨石」。現在の日通ビル付近から出土。実物のようだが、完全にベンチ扱いとして展示しているらしい。

おポンプ様
このポンプは本体に鋳型で彫り込まれた文字から「二聯ケーボ號津田式」と判読される。この二連式手押ポンプは第2次世界大戦頃から昭和27〜28年頃に全国的に愛用されていたポンプで、この30数年間全く製造されていないようで、当時のメーカーも今はない。単式のものは製品として残存するが、このニ聯(常用漢字では「二連」)式は非常に珍しいものです。

HP「博多の魅力」博多の豆知識による説明は、次のとおり。

大博通りに おポンプ様!?
大博通りに設置されている,その名も“おポンプ様”。
現在は使用されていないのですが,1945年の福岡大空襲にも耐え,1978年の福岡大渇水の時にも活躍。その後,通りの拡張工事で撤去される予定だったところ,市民の働き掛けで保存されることになったそうです。
“おポンプ様”という名前を付けるところから,博多っ子のユニークさや歴史を大切にする心意気を感じますね。
場所は,博多区店屋町1−35 博多三井ビルディング2号館 前です。

東 長 寺  福岡市博多区御供所町 ( 福岡県 )

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東 長 寺  福岡市博多区御供所町

HP「福岡市の文化財」による説明は、次のとおり。JR博多駅から北西に大博通りを祇園町交差点の先まで行くと、右側の御供所町に東長寺はある。「福岡大仏」は参拝無料だが、撮影禁止だった。

東長寺  博多区
指 定  その他
区 分  その他
種 別  その他
所 在 地  福岡市博多区御供所町2−4
時 代  平安、江戸、その他
所 有 者  宗教法人 東長寺
紹介文
真言宗九州教団の本山。山号は南岳山。本尊は弘法大師。寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した空海(弘法大師)が海辺の地に一伽藍を建立、密教東漸を祈ったと伝える。近世、その地を勤行町(行町)と称した。後、兵火による焼失で、二代福岡藩主黒田忠之が現在地に再建した。
千手観音像(藤原時代)は重要文化財。輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で市指定建造物。寺内に黒田忠之、光之(三代藩主)などの墓があり、黒田家墓所として市指定史跡となっている。
平成4年には「福岡大仏」が完成し、その横には宝物展示室もある。

博多遺跡群内石塁遺構  福岡市博多区奈良屋町 ( 福岡県 )

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博多遺跡群内石塁遺構  福岡市博多区奈良屋町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。JR博多駅から北西へ大博通りを蔵本交差点まで行く。昭和通り側、博多小学校南門に石塁遺構展示室入口があり、地下に展示している。
同展示室は、毎週土・日曜日10〜17時のみ公開。無料。最後の「この石塁はなんだろう?」は、見学者配布用の資料から。

博多遺跡群内石塁遺構 はかた
福岡市(博多区) 博多小学校・石塁遺構展示室 石塁 長53m,高1.4m,幅3.3〜3.5m 建治2(1276)? 市教委/現地解説板 発掘物の展示/毎週土・日曜日10-17時公開 運動場の地下2mで発見/標高3.5m砂の上に、大小の石を積み上げて築いている/元寇防塁の可能性が高い 3 C

HP「福岡市の文化財」による説明は、次のとおり。

博多小学校石塁遺構展示室  博多区
指 定  その他
区 分  埋蔵文化財
種 別  埋蔵文化財
所 在 地  福岡市博多区奈良屋町1-38
時 代  鎌倉
所 有 者  福岡市
紹介文
平成10年から約1年をかけて行われた博多小学校の発掘の結果出土した石塁(石垣)を学校校舎の地下に展示している。
発掘調査では、鎌倉時代の石塁、室町時代から江戸時代はじめころの屋敷跡、井戸、溝などの遺構が見つかった。また、中国、朝鮮製の陶磁器や銅銭、日本製の土器、瓦などの遺物が大量に出土した。
展示室中央の石塁は、標高約3.5mの砂の上に、大小の石を積み上げて築いてある。発掘では、西側の幼稚園の下から東の体育館の方向に全長53mが見つかり、一直線にのびていることから石塁遺構と名付けられた。幅は3.3〜3.5mで、両側に大きな石を積み上げ、その間には小さな石を詰め込んでいる。
石の積み方や規模が、西区の今津や早良区西新に残っている元寇防塁に良く似ていること、また博多小学校の位置が、旧地形を復元すると海岸部の砂丘に当たることから、博多に築かれた元寇防塁ではないかと推測されている。

長崎の歴史を壊している文化財行政  長崎市政への提案と回答 ( 長崎県 )

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長崎の歴史を壊している文化財行政  長崎市政への提案と回答 

長崎市の文化財行政について、10月10日長崎市政への提案をした。10月24日付の回答は、次のとおり。
長崎市が1月20日開催した都市経営会議「小島養生所跡遺構等の取扱いについて」の方針は、次を参照。
(PDF形式:145KB) http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/730000/732000/p006969_d/fil/110_280120.pdf#search=’%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E9%A4%8A%E7%94%9F%E6%89%80%E8%B7%A1′ https://misakimichi.com/archives/3966
2 長崎原爆遺構として、「浦上天主堂の廃墟の一部を平和公園内に移設しているもの」や、「長崎刑務所浦上刑務支所跡」がある。これらがなぜ国史跡に同時に指定されなかったのか。今回、長崎市はどのような働きかけをしたのか。長崎市長の大失態ではないか。
https://misakimichi.com/archives/5147
3 長崎深堀カトリック教会の建 設のため、深堀氏の居城「深堀陣屋跡」が無残に壊された。石組や石垣などの保存について、長崎市長はなぜ強力な指導をしなかったのか。
https://misakimichi.com/archives/3966
4 「出島表門橋」は、もともとアーチ式石橋であった。復元計画は、似ても似つかぬ観光橋である。文化庁がよく許可したものである。河川防災上の制約はもちろんあるが、眼鏡橋のように水流を変えるなど、復元に最大限の知恵と努力をお願いしたい。
https://misakimichi.com/archives/4318
5 四郎が島台場跡は、国指定史跡となったが、「伊王島や香焼島の台場跡」は指定となっていない。遺跡を無残に壊すような展望台などを旧町から造っている。史跡保存に対する見識が疑われる。
https://misakimichi.com/archives/3945
http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/folder/1541774.html?p=1
6 長崎市役所の新庁舎は、歴史ある「西役所跡」である県庁跡地が最適である。公会堂も現在地に外観を残した耐震設備の新公会堂を建設すると、市民の総意にかなうものと考える。マイス計画は再考をお願いしたい。
https://misakimichi.com/archives/5153

以上、長崎市政への再提案となるが、真摯な対応と簡潔な回答を再びぜひお願いしたい。歴代最低レベルの長崎市長と市議会だろう。民意を理解しないさるくガイド並みしか、見識と能力がない市長である。長崎の深い貴重な歴史を次々と壊している。マイス計画は、私たちのせっかくの税金の無駄づかいである。これらに使ってもらう方が、全体の市民に役立つのではないか。
最近の長崎史談会やマスコミ関係の無気力 ぶりも、目にあまる。長崎学の再興をぜひお願いしたい。市側の言い分だけ言って、再回答しないのは進展がなく、おかしい。

回  答 【文化財課】【みどりの課】【施設課】  【2016年10月24日回答】

番号に沿って回答いたします。
1 小島養生所は、わが国の西洋医学発祥の地であり、歴史的な意義が大きいため、市の貴重な財産として慎重に調査研究を行い、その成果を市民の皆さまや観光客の方々へ分かりやすくお伝えしたいと考えております。
平成27年度に旧佐古小学校体育館の西側敷地を発掘調査した結果、当時の遺構と見られる石垣や陶磁器などが出土しました。また、今年度も残りの敷地について発掘調査を行っています。
一方、仁田佐古小学校の新校舎建設は、保護者や地域の皆さまとの6年間という長い時間の協議の結果であり、一日も早い建設が求められています。
今後も学校建設に向けた準備は進めてまいりますが、遺構については、発掘調査をもとに、専門家の評価を踏まえ、どのような保存・公開の方法が最適か判断し、顕在化のあり方を検討します。
子どもたちが近代医学発祥の地で夢をもって学べるよう、ご指摘の校舎と小島養生所跡の遺構の併存について取り組んでまいりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。
2 平成28年6月24日に長崎市の見解を示しておりますので、ご確認ください。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1816
3 平成26年5月2日にご回答したとおり、地下遺構の保存に配慮するよう、教会の新築工事内容の見直しを要請し、カトリック深堀教会のご理解のもと、遺構の破壊は大幅に免れることになりました。教会の敷地に、深堀陣屋跡の遺構が現在も多く地中に保存されています。また、開発行為の前に、カトリック深堀教会の費用負担による発掘調査を実施し、破壊される遺構についても記録による保存を行いました。
これらの結果は平成26年度に発掘調査報告書にまとめ、県内外の公立図書館や大学等の研究機関に配布いたしました。また、カトリック深堀教会にお願いし、地下に遺構があったことについて、教会敷地現地に説明板等の設置をしていただいております。
そのほか、地元の深堀の皆さまをはじめ、多くの市民の皆さまにも調査結果を知っていただくために、平成27年度から、深堀貝塚遺跡資料館の展示コーナーで調査結果と出土品を紹介しています。
以上により、開発行為に伴う埋蔵文化財(遺跡)の取り扱いとして問題はなく、行政の指導として適切と判断しております。
4 現在の出島は、明治21年(1888年)に中島川の変流工事のために、北側が約18メートル削られております。
石橋の出島橋があったところは、現在の川の中ほどにあたるため、現地復元ができない状況にあります。
文化庁との協議では、今回の架橋事業は復元ではないため、誤解を与えないようあえて近代的な手法で架橋するよう指導を受けています。
将来的には、出島の完全復元を目指しており、出島橋につきましても、現地復元を視野に取り組むよう考えております。
5 伊王島や香焼島の台場跡につきましては、現在「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、開発行為に対して届出を義務づけるなどの保護を行っております。
また、平成27年度に策定しました「史跡 長崎台場跡四郎ヶ島台場跡保存活用計画」の「調査と追加指定の方針」に基づき、今後の遺跡の詳細調査の結果により、残存状況の良いもので土地所有者の同意が得られるものにつきましては、史跡指定等の取り組みを行いたいと考えております。
また、伊王島灯台公園内にある展望台につきましては、風光明媚な景色を堪能していただく目的で昭和58年に設置しており、建設による台場跡への影響はないものと認識しております。
6 平成28年7月4日に長崎市の見解を示しておりますので、ご確認ください。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1818

関係所属
文化財課【直通番号】:095-829-1193】 みどりの課 【直通番号】:095-829-1171】
施設課 【直通番号:095-829-1192】