伊王島灯台からの展望  長崎市伊王島町

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伊王島灯台からの展望  長崎市伊王島町

2014年4月14日(月)、長崎港口にある伊王島灯台の放置されていた次の標石を建て直しに行った。
区—7 伊王島 (確認 長崎要塞区域標? 第十五号)
https://misakimichi.com/archives/272
伊王島灯台から前面に広がる雄大な展望を、参考にパノラマ写真で写してきた。長崎市の課題・要望は、次のとおり。

1 伊王島灯台の近くまで車を入れさせないように、路上駐車を禁じる看板があるが、駐車場の案内がない。島内バスの終点に広い炭鉱住宅跡の空土地があり、駐車場を整備してもらいたい。島内道路狭隘というなら中心アクセスのみ拡幅工事で対応して、積極的に受け入れるべきではないか。
2 遊歩道の舗装が、灯台手前で切れている。国有地かも知れないが、灯台周囲を回る肝心な遊歩道を板石舗装などしてもらわないと、悪天候のとき歩きにくく観光客は困る。
3 伊王島灯台の説明板が、灯台の根元にない。こここそ新旧灯台の歴史や旧灯台の古写真など示す「さるく説明板」が必要ではないか。現在は簡単な「伊王島旧灯台基礎石組」説明板があるだけである。
4 灯台の石垣に立っても、展望案内の写真と説明板がない。せっかくの展望が説明不足となっている。さるくは何も街中だけではない。特に観光シーズンにはさるくガイドの配置も検討してもらいたい。
5 四郎ケ島台場が、長崎台場跡として国指定史跡に3月18日追加指定された。伊王島灯台下に最近建設された展望台は、四郎ケ島と同時に幕末、整備された出鼻台場の遺構を壊したのではないか。史跡保存に対する見識が疑われる。円通庵下台場・出鼻台場・真鼻台場跡は、史跡説明板が必要である。
6 新展望台には、展望説明板があるが、地名や山名の間違いが多い。福田遊園地や平戸島などと堂々と表示している。間違いは早急に是正してもらいたい。
7 灯台下の先端岩場へ下る遊歩道をせっかく下っても、危険ということで先は行き止まりとなっている。これくらいは危険防止の柵をしてどこの観光地でも開発する。ここは海と岩場が見えるようせめて伐採してほしい。 
8 映画やテレビのロケ地案内板も、詳しい説明をつけて積極的に設置してほしい。例えば、最近の吉田修一小説の映画「横道世之介」沖ノ島裏側ロケ地など。
9 伊王島の入り口となる香焼の安保花壇付近が殺風景である。季節の花の種類と面積を広げ、ソフトバンクメガソーラーともにフラワーパークとして整備してほしい。炭鉱跡の説明板も必要である。
10 伊王島は、最近、全国から訪れる人が多い人気スポットである。それにもかかわらずお粗末な観光対応となっている。史跡めぐりやウォーキングにも配慮した島内さるくなどマップを作成し、ターミナルややすらぎ伊王島に数を切らさないにしてもらいたい。

HOME「長崎県の灯台たち」による伊王島灯台は、次を参照。概要は次のとおり。
http://www.nogamidensetu.co.jp/toudai/nagasaki/ioushima.html

6330 伊王島灯台   初点:明治4年7月  国際番号M5194
読み:いおうじま   場所:長崎市伊王島
慶応二年、幕府がアメリカ、イギリス、フランス、オランダ4カ国との間で締結した改税条約(江戸条約)で設置を約束した8カ所の灯台の一つです。「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治3年6月に仮点灯、翌明治4年7月に日本最初の鉄造灯台として完成点灯しています。
その後長崎原爆により損傷を受け、昭和29年に四角形の鉄筋コンクリート造(ドームは建設当時のもの)で修復、平成15年に現在の六角形の姿で再建されています。
隣接する「伊王島灯台旧吏員退息所」は同じブラントンの設計で明治10年に完成しています。日本最古の無筋コンクリート構造で、近代化産業遺産に登録されています。
白亜の大きな灯台と洋館の姿は、西洋文明の入口であった長崎の景観に美しく溶け込んでいます。